笑うストリーマー 10
カールメヤルヴィの魔王が、トリグラヴィア王国の国王から悪魔召喚を受けた日より、数日前のこと。
夢魔アム・レスティングと組んだ勇者グリゴリーは、順調に仕事をこなしていた。
【おっ、ついにはじまるのかな?】【アムちゃん今日もお疲れ】【正直、これを見るのが生きがいになりつつある】
流れているのは、いわゆる『コメント』。今日も夢魔配信は盛況のご様子だ。
王都メスト・ペムプレードーの商業区。栄華を看板にかけ栄光を陳列しているような、大商人の商館が立ちならぶ場所。その薄暗い裏通りに、グリゴリーはひとり立っていた。
いや、今日も夢魔の配信を受けているのだから、ひとりというのも妙な話ではあったが。
(商館の中には護衛が15名。正面からぶつかっても勝てる程度の戦力だが……)
彼は今日、暴力に訴えることなく、ことをなそうとしている。この程度の敵と戦ったところで、後れを取ることなどないだろう。自分に比し相手は間違いなく脆弱であり、立ちはだかられても水の中を進む魚程度には楽々突破できるのだ。
しかしそれではストリーミングの見どころに欠ける。あまりにもあっけなさすぎるから。それに罪のない相手を惨殺するチャンネルに出演した覚えもない。アムチャンネルは、ゴア表現の過激さで閲覧数をかせいでいるわけではないのだ。
罪があるのはこの商館の主。許可されていない物品を売買することで、富を形成したあくどい商人。
今日はそこから、禁制品やら不正売買の証拠やらを盗み出すのが任務である。ゆえに暴力は使わない。これは一種の「しばり」というやつだ。ゲーム配信をする者たちが、視聴者をハラハラさせるために使う優秀なやりかただ。
「これ、どうするんでしょうね? 彼が強盗に入る気なら、とっくにそうしてますよね? みなさんはどう思います?」
グリゴリーには、頭の奥、夏虫の声のような遠さの場所でアムの実況が聞こえていた。名前を明かさず『彼』を演じている勇者は、当然アムの実況に気づいていないふりをしている。
(気が散る……いや、これも仕事のうちか。さて、潜入だが、カメラの位置には気をつけないとな。アムの使い魔はアップデートをしてある。俺が狭っ苦しい場所に入りこんでも、実況は滞りなく続く。とはいえ物陰に消えてはオーディエンス好みの絵は取れない。どうするか……)
彼は思考の中で「魅せる」立ち振る舞いを模索していた。商館の中はさまざまな荷物や家具なんかで視界が悪いだろう。そこで華麗に盗みを働くのは、言うは易く行うは難し。
視聴者に気づかれないよう、彼はアムの使い魔を見やる。先日まではコウモリ型のドローン、といった外見だったわけだが、それが今はオバケ型のものに姿を変えていた。丸っこくて長い尾を持つ、丸い目とおおきな口が特徴のコミカルな外見。頭にシルクハットを、口にガンゼルひげをたくわえて、オペラグラスを持っているのはアムの趣味か。「私だって進化しているんだから! これでグリーシャの雄姿を取り逃さないって寸法だね!」とは本人の弁だが、得体の知れないポップな使い魔がふよふよ追ってくる姿が進化かどうか疑問も残る。
ただ、その動きは信頼できた。見た目に反してコウモリ型よりもずっと速く動き、なおかつ安定した映像が撮れるのだ。数日にわたり練習の名目で、全力で動く自分を撮影させたから間違いはない。
(よし、いいだろう。はじめるか)
グリゴリーは外壁へ手をつけた。なんらかの魔術によって中の様子を見られればいいのだが、あいにくそのような技術は持ち合わせていない。そのかわりに、もう少し驚愕すべき魔術を行使しようとしている。
これはアムに対する合図だ。今から「ここを抜けるぞ」なんていう。
「――<Ярлык>」
言葉の意味するところは『Short cut』。短くそろえた髪型の一種ではなくて、ITにおける機能や情報にすばやくアクセスするためのショートカットキー。転じて文字どおりの『近道』を指す。今回はその近道の意味だ。
ヴン、と一瞬、電子機器の作動を告げるような音が鳴った。彼の触れた壁が、3Dゲームのポリゴンが不具合を起こしたように震える。次の瞬間、勇者はその場から姿を消した。
【おお! 消えたぞ!】【これって、壁の内側に入ったってこと?】【わぁ! すごいですね!】
ざわつくコメント欄をよそに、アムはきりっとした目線をオーディエンスへむける。
「追いますよ、みなさん!」
待ってましたといわんばかりに、カメラたるオバケが同じように壁へ突進した。壁にぶつかると瞬間的に暗転が訪れたものの、すぐにするりと抜けていく。先には荷物の積まれた廊下。木箱やら麻袋やらで混雑している場所だ。そして「追いますよ!」の言葉どおり、オーディエンスたちの視界に「彼」の姿が飛びこんでくる。木箱へ身をあずけ片膝立ちになり、周囲を油断なくうかがう姿が。
【ああ、いたいた】【これどういうしくみ?】【アムちゃん追いついた。やるじゃん!】【有能だね。でもアム・ミステイクも好きだったんだけど……】
「潜入に成功したみたいですね! さ、みなさん。ご存じのとおり、彼って潜入したら一気呵成に攻略対象まで移動しちゃうことが多いですから、この先まばたき禁物ですよー!」
【了解しています】【承知承知】【楽しみぃ!】
アムは視聴者をあおりながら、見どころをそれとなく伝える。グリーシャの「攻略」というのは、制限時間でも設けられているかのように手早く迅速に進むのが常だ。彼にいわせれば「RTA」というやつらしい。RTAは「Real Time Attack」の略。タイムアタックはわかるのだけれど、なにがリアルなのかはよくわからない。もしくはもっと単純に「Speedrun」という名前もある。こちらのほうがわかりやすいし、オーディエンスの受けもいい。
ともかく名前がついている以上、それを視聴者たちに広め、流行させるのがアムの役割でもあった。
「RTA、もしくはスピードラン開始、ですね! 目標はふたつ。ひとつは禁制品の発見。もうひとつはそれを売買した証拠の押収」
まずは潜入した目的から。チャンネルの開始時に「今日は悪い商人の悪事をあばきます!」と触れこんでいたので、これはすんなり受け入れられる。
「そしてなにより! 彼の凄まじい速さに注目ですよ! もっかい言うね、まばたき禁止!」
次は見どころの提供。アムの声はグリゴリーにも届いており、ゆえに彼は「ここが全力の出しどころだ」と指示を受けた形になる。「やれやれ」、少々強引な展開のやりかたに心で肩をすくめるも、事前情報によってだいたいの目星はついていた。障害になるものも多くはなさそうだ。
「――<Kошачьи лапы>」
まずは魔術を1節唱える。「猫の足」、つまり足音を消す魔法だ。今から高速で動き回らなければならない。自分の仕事はゴーストのような静かさで行われるべきであって、ポルターガイストを気取って騒ぐ必要はないのだ。
(まずはひとつ、準備よし。次だ)
すぅっと息を吸いこんで、ゆっくり吐いた。そうやって体中へ魔力を満たしていく。これからしばらく呼吸すら忘れ、目まぐるしく変わる景色の中を疾走しなければならない。
(よし、行くぞ)
なんどか深呼吸を繰り返した後、グリゴリーはパチリと魔力のボタンを押した。
「――<Speedrun>」
刹那、彼はスローモーションの世界へ入った。ランプの炎のゆらめきも、今しがた巻き上げられた埃も、すべてが時間という人物から心ない妨害を受けたかのように、動きを緩慢にしていた。この中で等速をたもてるのは彼自身だけ。物陰から物陰へ走り、積まれた木箱へ片足をかけるとそのままひらりとむこう側に飛んだ。
(アムはついてきているか?)
周囲をうかがうふりをしながら、使い魔の姿を探す。さすがに毎日練習しただけのことはある。オバケの顔についた(この上なく簡素な形をした)両目が、しっかりこちらの姿をとらえているのが見えた。
(よし、撮影は順調だな。次は探索だが……たしか「Dokumenti」と焼き印が入れられた木箱のはず)
冒険者ギルド――それも違法な取引にくわしい者からの――情報によれば、お目当ての品がここに運びこまれたのは間違いない。わざわざ「書類」と焼き印を入れるとは、逆にあやしくなる気もするが、目印になっていればなんでもいい。
(……あれか⁉︎)
彼以外の全員がゆっくり動く世界で、勇者は目標物を発見した。それは悪いことに、2名の衛兵の近く、5メートルくらいの位置にあった。壁で区分けされた小部屋の隅に、大人なら一抱えできる程度の木箱が3つ積まれている。
不幸中の幸いか、衛兵はふたりともよその方角をむいていた。口がゆっくり動いているから、雑談をしている様子だ。
(チャンスだ!)
口にする間もなく駆け抜けて、あっという間に木箱の前へ。魔法の肉球が足音を消してくれるおかげで、衛兵が彼に気づく気配はなかった。
(確保した!)
だからその次の動作も猫のようにしなやか、かつダイナミックだ。両手に木箱のひとつをかかえながら、身をよじらせて飛びずさる。ひょいっひょいっと元いた位置へ。そしてバク宙をしながら荷物の山を飛び越えると、最初にいた廊下の一角まで一目散。わずか10秒足らずのうちに、彼はひとつめの任務を達成した。
グリゴリーにとって、すべては時間のゆるやかな世界で行われたことだ。しかし、しつこくまばたきを禁じられたオーディエンスにとっては、目のまわるような、そして胸のすくような10秒間だった。
【ああっ最高!】【いつもながらお見事です! これを見るために今日も寝たんだから!】【彼って猫なの?】【ばか、よく見ろよ。どう見ても猫だろう】
「いやぁ、すっごいですねぇ。気持ちよくなっちゃいますねぇ」
アムは画面の手前で拍手をしてみせた。配信者である自分の役割をすっかり忘れて、ほとんど本心で拍手していた。練習の時にさんざん見せられた動きだったのに、どれだけ見ても見飽きることがない。初老の靴屋が迷いなく靴磨きをするような、熟練の裁縫人がすばやく、そして折り目正しくボタンを縫いつけるような。そんな高速熟練芸を見させられたらリピート必至なのだ。
(いいなぁ)
見とれるついでに心でぽつり。なにに対して「いいなぁ」なのか、本人も判然としないままに。
自分は彼の所作を間近に見られる特等席にいる。ねだれば(だいたい)いつだって彼の超絶技巧を閲覧することができる。「ねえ、あれ見せてよ」とか「すごい! もういっかい!」とか、配信のパートナーなのにもかかわらずファンのひとりとして彼に接することもしばしば。そしてその技術を見て、内心「私の相棒、すごいでしょ?」と誰にむけたわけでもないドヤ顔をするのだ。
けれど、彼はあくまで仕事仲間。パートナーといっても配信主とその対象の関係。その枠を出た真のパートナーたる女性は、レインただひとり。
だから「いいなぁ」には、おそらくふたつの意味があった。「グリーシャっていいな」という感情と、なにより「レインがうらやましいな」という感情だ。彼とレインはダンジョンの中で劇的な出会いを経ている。迷宮の中でモンスターに襲われるという、レインの窮地を救ったグリーシャは、まさに勇者様なのだ。
きっとそこに私のつけ入る余地はない。そう思うと、きゅんと心が絞めつけられる。
【相方見とれすぎ!】【まあアムちゃんも夢魔だしねぇ】【よいねぇ、淡い恋心は。儂はとっくに忘れてしまったよ】
はっと我に返った。静止した自分に対し、茶化したコメントがいくつも入っている。
「はーいはいはい! みんなも見惚れていたでしょ? でもでも、彼の任務はまだひとつ残っているんだから! チャンネルはまだまだ続くよー!」
するりといつもの顔に戻って、アムは実況の続きをはじめた。けれどコメント欄は【見惚れた?「見とれた」でなく?】【これはもしかして、おふたりはすでに深い仲……】、なんて、ふたりの仲を勘ぐるものでにぎわっている。
めずらしく表情を作り忘れ、アムは苦笑をした。
(そうだったら、それもよかったんだけどねぇ)
ちょっとだけ複雑な感情を相棒に、夢魔は配信を続けていく。
その夜、書斎でうたた寝する商人の前、堂々と帳簿を盗み出した「彼」の行動によって、ストリーミングのボルテージは最高潮に達した。




