笑うストリーマー 9
食堂に残されてオンニとふたりきり。マンツーマンで授業を受ける。トリグラヴィア王国の概要と一緒に、その周辺諸国のことについても。
もう2時間が経過している。が、魔女は集中力を切らさない。この少女が生前も死後も「模範的な生徒」と言われるゆえんである。
「――とまあ、トリグラヴィア王国そのものが、一般的にどんな国と思われているかについては以上でス」
「簡単におさらいしてもいいかな。政治は結構抑圧的、だけどそんな中にあっても民衆は明るくすごしている。3にまつわるいろいろなものがあって、いくつか国の名物になっているものも。穀物の輸出国だから収入はたくさんあるけれど、ネメアリオニア、セルベリア、キマイラ同盟に囲まれているから、軍備にお金がかかっている。そのうえダンジョンの数も多いから、その対策も必要なんだ。収入も出費も多い国ってことだね」
一般的に、そういう国は豊かな経済圏を持つといっていいらしい。お金のやりとりがさかんだからだ。3つの勢力の中心に位置するので、人の往来も豊富にある。普通なら国力もおおきくなるし、国際社会でそれなりの地位にも就けるだろう。
「けれどそうならないのは、国主たるヤネス2世のせいデしょう。他国への干渉を嫌い、国際社会で目立とうとしないんス。先日の天界調停会議でもそうだったんじゃないでスか? 発言なんかまったくしなかったデしょうし、ともすれば無関心にモ見える。議長もそれをわかっているから、意見を求めることもナい」
「うん。晩餐会でシニッカがあいさつをした時のことを覚えているよ。ちょっと失礼かもだけど『こんなやさしいおじいちゃんがいたら孫は幸せだろうな』って感じた」
「国の外ではそうなんス、外では。ここが彼の悪いとこっスね」
イーダがどういう意味かとたずねると、夢魔は頭をかきながら教えてくれた。彼は「家でライオン、外で猫」なんだそうだ。
「外交の場面では好々爺っていっていいと思いまス。争いごとを好む人には到底見えまセん。けれど国内では、そりゃあもう威張ってまシて……。気難しくって怒りっぽく、かなりの気分屋でスよ。『トリグラヴィアのニワトリが鳴かないのはなぜか?』『それは王が朝から怒鳴り散らすからだ』なんテね」
「おもしろおかしく小話になっちゃってるじゃん。でも天界で会った時はそんなふうじゃなかったけどな。すごく柔和な人だったよ。近所のおじいさんって感じ。体格からおばあさんにも見えたけど」
「そこにみんなだまされるんでス。あの国は属国が3つあるんスけど、そことの関係もそんな感じで。まあ、いいとは言えないでしょウね」
「属国なんてあるんだ。どんな国なの?」
属国というのは、独立した国家にもかかわらず他国へ服従している国のこと。対して服従させている側は宗主国という。トリグラヴィア王国3つの属国は、俗に「3公国」と呼ばれていた。それぞれ「バジリカゼミリャ公国」「バートラグラッド公国」「フェニクシア公国」だ。
最初の国名の区切りかたは「バジリカ・ゼミリャ」で、「バジリコックの地」なんて意味だ。守護獣バジリコックは蛇とニワトリを掛け合わせたような形の生物。香草のバジルと関係があると勘違いしていたイーダに、ちょっとした落胆をもたらした。
2番目は「バートラ・グラッド」と区切るのが正しい。「火の国」という意味を持つ、サラマンダーが守護獣の国だ。火にまつわるさまざまな力を行使できると伝わっている。
最後のフェニクシアは「フェニックスの国」。当然守護獣もその不死鳥だ。国主は1年に1つ、余分に命をもらえる。ただし何年たっても上限は2。これでは本当の意味での不死身といえないのかもしれない。
オンニいわく「魔王様に聞いたんスけど、3つとも地球の偉人『大プリニウス』が書いた『博物誌』という名前の本に出てきたらしいっス」とのこと。どうやら魔界のヘラジカ(かつ手ごろな食料)であるアクリスと同じ生まれの守護獣たちだった。
「属国か。仲がよくないっていうのは、対立しているっていう意味?」
「いいえ、『仲が悪い』のとはちょっと違いまス。ちゃんと外敵にも内部の問題にも、協力して対処していまスよ。ただしどの国も利権争いをしまスから、そういう部分を押さえ切れていないといウか、時々あおり立てることすらあるといウか……」
アクリス――あんなにも愛らしい上唇(ギリシャ語のω型)を持つ動物と同じ出典なのに、バジリコックもサラマンダーも、フェニックスも物騒で騒がしそう。その名を冠する国家もまた、同じような激しい属性を持つのだろうか。
(でもなんか、殺し合いっていう雰囲気じゃないな。土煙を立ててボカボカけんかしてそう)
あのくしゃくしゃ笑顔のやさしいおじいさんが、3公国の代表の前では「それは儂の利益じゃ!」と凄んで手に持った杖をブンブン振るうさまが想像され、イーダは脳内の混乱に気づく。「こりゃいけない」、少し話題を変えようと、イーダは冒険者たちのことを聞くことにした。プラドリコで共闘したテクラ教派系の冒険者たち――マルコさんやロペさんたちは、戦場に行くときも整然と行進していた。だから混乱する脳内も整頓してくれるに違いない。
「教会も冒険者ギルドも、それぞれ3つずつあるんだよね? ダンジョンが多いから、街は冒険者であふれているのかな?」
「ええ、そうっス。10年くらい前、ヤネス2世が冒険者のヘッドハンティングをしたせいで、一時はかなり数が減りまシた。でも今は盛況っスね。おかげでスパイだらけでスけど」、オンニはそう言って肩をすくめる。「僕らも行動しやすいのは利点デしょう。世界樹教派の冒険者ギルドに、ヴィヘリャ・コカーリの活動拠点――セーフハウスもありまス」
整頓された話題だったかというと微妙なところ。これはこれで重要な情報なのだけれど。
「サカリはそこを拠点にしているんだね。じゃあ次は、夢魔たちとストリーミングのこと、もう少しくわしく知りたいな」
止まらずグイグイ行くことに。お勉強の時間がもったいないから。
けれど夢魔のほうは、ちょっと口が乾いてきていた。ずっとしゃべりっぱなしだったから。
「ええ、もチろん。けど、ちょっと休憩しませンか。できればコーヒーブレイクがほしいっス」
「あ、ごめんごめん。骨さんを呼ぼう」
出番がきたのは骨53号――舌をがっかりさせることとヒットを放つことに定評のあるスケルトン――ではなく、家政婦の骨162号さん。氷点下の気候ですら、布団をふわふわにする名人芸を持つメイドさん。今日もストリーミングで配信したら人気になりそうな整然とした動きで、コーヒーを淹れてくれた。
湯気と一緒に立ち昇る香ばしい香りが鼻腔から脳へ侵入し、魔女の脳内にある筋肉痛の部分を、もわもわとした体でほぐしてくれる。サウナの熱気と同じように。ついでに一緒に脳へ侵入したカフェインが、ヴィヒタで体を叩くかのように神経へぴしゃりとキマる。「さあ中毒になってもいいのよ?」といたずらっぽく舌を出しながら。
「ふぅ……」、魔女はおいしくて温かい飲み物に、ほっと一息入れた。ほどよい苦みと酸味が口内の味蕾たちを刺激して、ツボをよく突いたマッサージみたいな心地よさを生んでいた。苦みとか酸味とか、本来は人間へ害のある物質が持つべき味なのに、なんでこんなにおいしいんだろうと不思議にもなった。
(案外、トリグラヴィアの人たちって、乱暴者の王様のことを楽しんでいたりするのかな?)
高い税金とモンスターが多い街道、秘密警吏なんて者たちが跋扈する街。そんな国にあっても人々が明るいのは、人生のスパイスとして苦みを楽しんでいるからなのかもしれない。
(いやいや、だめだめ。それこそ首相がシニッカへ言ったみたいに、高慢な考えだよね)
暮らしにくさなんて誰も望んでいないだろう。魔女は考えをあらためて、コーヒーをもう一口。やっぱりおいしい苦みがあった。
(……もしかしたら、むしろおいしい物へいちいち理由を求める私の考えが愚かなのかも)
落ち着いてくると、自分のこともわかってくる。ここのところ少し気負いすぎていたのではないか。うまくいかないシャーマニズムとか、新しい国家の混沌とした現状へなんとか理由をこじつけようとしていることとか。勇者の常識改変に少し気持ちを暗いほうへ落としたのも、あまりに真正面から物事へ取り組みすぎたからなのかも。
きっと、力みすぎだ。その上コーヒーへ「嗜好品」以上の存在理由を考えるなんてやりすぎだろう。このままでは脳が疲れ果ててしまいそう。おいしいものをおいしいまま楽しめないなんて。
「ところでイーダさん。話は変わりまスけど、杖はどうするんスか?」
夢魔は人の心を読むのが上手。くわえてオンニは当たりさわりのない会話をするのも上手だ。彼は魔女がひとり思い悩んでいることに気づき、気分転換をさせることにした。彼女が語りたがりそうな、魔女自身の魔術の話題へ会話の方向をずらす。
「うん、杖は作らないことにしたんだ。私には白樺の枝があるから」
「なんでそれを?」、オンニの疑問はもっともだった。魔術師には杖を持つ理由がある。魔術詠唱への集中力を高め、魔術発動地点をわかりやすくし、魔術対象を指示することで目標を明確にでき、なんならはめこまれた魔石で魔腺疲労を軽減する。なのにわざわざ「使わない」という選択をするなんて。「白樺ってあまり丈夫なイメージないっスけど」
「でもさ、好きだから」
魔女は意に介さなかった。白樺は、転生したての時、サウナ小屋の中で自分の手を引いてくれた案内人だ。魔導の道の第一歩目から一緒に歩いている相棒へ、絶対の信頼と親愛を持っている。「私がこれ以外と歩くなんて想像できなくなっちゃったもん」
「なるほど。存外トリグラヴィア王国の国民も、そうなのかもしれないっスね」
「というと?」
「生まれ故郷だから楽しく生きているだけ、なのかモって」
この言葉は、今の魔女にとって特効薬のようだった。自分の予想に同意してくれた気分になって、ついつい頬をゆるませる。
そうなのだ。いくら自分がいろいろ勘ぐったところで、当の本人たち――トリグラヴィアの人々は楽しく暮らしているのだ。まずそれが事実として最初にある。勇者のことは、それを理解してから取り組んだっていい。
「なら私も、もうちょっと肩の力を抜こうかな。もしあの国に行くのなら、文化をちゃんと楽しみたいから」
黒髪の少女はご機嫌に、にこりと笑った。その笑顔は屈託なくて、やけに自然で、オンニに「なるほど」と思わせる。
(魔界でこういう笑いかたの人ってめずらしいっスね。みんな皮肉気だったり、酒の勢いのバカ笑いだったり、篭絡させるための色気まみれの微笑みだったりするかラ。こりゃバルテリさんやサカリさんが気に入るわけっス)
考える彼自身も悪い気はしない。無垢な生娘の笑顔なんて、それだけで夢魔にとってごちそうなのだ。
でも、彼は――洞察力がすぐれていたにもかかわらず――魔女の笑みを理解し切れていなかった。イーダの言った「文化を楽しみたい」の裏にある顔。
つまり「なぜなにイーダ」が再発し、コーヒーよりも美味な知識という名の嗜好品へ舌なめずりをしていることに。
「さ、オンニ。続きを聞かせてほしいよ! まだ国家守護獣グライアイのことも、名産品のことも聞いてないんだから」、質問攻めにするぞ、そんな勢い。
「了解でス。でも守護獣の力は判然としてないっスから、まずはそれ以外の部分を」、受けて立つ夢魔。
……けれど1時間後、夢魔はさすがに疲れることとなった。
「グライアイって、なにを食べてるの? 歯が3人で1本しかないのに。……スープ?」
(知らねぇヨ)
雑な回答を心へ思う。魔女の追及は執拗で、餌を見つけた熊のようにしつこくて、すっかり森の中を逃げまわる雪ウサギの気分になってしまったから。
追撃がさらに30分ほど続いた後、夢魔はようやく解放された。魔女は知識欲を満たしてご機嫌だったし、その機嫌は翌日にさらによくなった。なぜなら得た知識を生かす機会がさっそく訪れたのだから。
7月26日、ヴィヘリャ・コカーリは悪魔召喚の要請を受ける。
召喚者は他ならぬ当事者、トリグラヴィア王国国王であるヤネス2世だった。




