笑うストリーマー 8
2022年7月25日。ベースボールの試合が終わって2か月近くもたったから、余熱もすっかり冷め……と思いきや、そこそこの頻度で話題に上がるくらいの時期。
魔界はカールメヤルヴィ王宮の食堂で、青い毛並みの狼があきれたように口を開いた。野球にかんすることではなく、新たな話題「ストリーミング」についての感想だ。
「ストリーミング自体は知っている。夢魔劇場と同じだからな。だが、そうやって使うなんて思いもしなかったぜ。承認欲求を満たすためにそんな活用法を思いついたんなら、現代地球人もトリグラヴィア人も孤独を感じているのかもな。それとも自己顕示欲を満たすためか? だったら、人類の欲望は底が知れねぇぜ」
「口を開ければ天まで届く、食欲底なしの狼に言われては、勇者も形なしでしょうね」
「皮肉はよしてくれ魔王様よ。俺が食ったのは1本の腕とひとりの神だけだ。Streamingとやらで人の心を食い物にしちゃいない」
「別に皮肉のつもりはないのだけれど。ヴァナルガンドの水源って、開かれたままのフェンリルの口でしょ? 流れを生み出しているのはあなたも同じって言いたいのよ」
「はいはい、そこまでだよ。ふたりとも、楽しくなっちゃうと会話が止まらないんだから」
狼と魔王へ、魔女が割って入った。言葉遊びもいいけれど、今はそれどころじゃないのだ。
「とにかくさ、夢魔の配信はあっても、『ストリーミングによる大規模な娯楽提供』なんて活用法、少なくとも1か月半から2か月前までは影も形もなかったよね? つまりこの間の勇者――対抗召喚機が自撮り棒を出した人は、すでに活動を開始している。さっそく認識改変能力を発揮させて」
ヴィヘリャ・コカーリがトリグラヴィア王国で行われているストリーミングの存在を知ったのは昨日のこと。偵察に赴いていたサカリの使い魔によるものだ。宝守迷宮が名物のトリグラヴィアにて、冒険者たちはこぞって夢魔と契約し、攻略するさまを人々の夢へ『配信』しているのだという。
話し合うべき事態が発生した、といっていい。夢魔による配信というのは既知の概念だったが、それを地球風に活用することで新しい文化が生まれたのだ。おかげで今日、王宮にはヴィヘリャ・コカーリのメンバーが招集されていた。バルテリ、ヘルミ、アイノにドク。そしてサカリの代役としてオンニもきている。
現在はストリーミングについての自由な意見交換中だ。でも、この個性が強いメンバーのこと。「意見よりも感想が飛び交うんだろうなぁ」という魔女の予想どおり、おのおのが好き勝手なことを言いはじめた。
「同じ自己顕示欲を満たすなら、ストリーミングよりStreakingでも流行ったほうが、おもしろかったのですが……」
さっそく口火を切ったのは、ヴィルヘルミーナ・オジャ辺境伯。会話を危うい方向へ導くことに定評のある危険人物。
「ヘルミさん、MをKに変えないでほしいっス。『度し難い』っスよ」
(ヘルミはM――ᛗのことを、K――ᛣに変えて味わうタイプか……)
「夢魔としていわせてもらうなら、脱ぐ楽しみと脱がす楽しみを取らないでほしいっス」
(あ、気にするのそこ? さすが夢魔)
こんなふうに会話がずれまくることなんて、魔女にとって予想済み。どうせ中断なんてできやしない。だから仲間への人間観察にいそしむこととした。
「いいじゃん、いいじゃん。私は裸歩きに賛成だよ! 少なくとも男性型の人類がどっちへ進んでいるかわかりやすいし! 魚雷の射角射角計算に目印ができるね!」
「うん、男性には矢印がついているからね。でも統計上、進行方向は矢印からやや右側にずれると思う。左曲がりが多いから」
(?……あ、下ネタか)
左よりかは下方向へ傾きはじめた会話。魔王は閉じた両目に片眉を上げ、「おやめなさい」とストップを入れる。「こういう時はシニッカが頼りになるな」、イーダはこの場が中学生男子だらけにならなかったことへ、そっと感謝した。でもせっかく感謝したのに、魔王様は舌を出し入れしながら、会話の矛先を魔女に変えるのだ。
「みんなが裸だと、イーダの『ごめんくださいました!』が聞けなくなるでしょ?」
「そりゃ困る」
「やめてね」
ははは、と笑い声がおこる中、魔女はひとりであきれ顔。大人な世界へ放りこまれて会話について行けそうもない。でも、ちょっと気づいたこともあった。
勇者がこの世へ常識を持ちこんだ、というのに、みんなはそれほど深刻な顔をしていないのだ。今回は既知の概念の活用という形であり、現実をまるごと改変をしたわけではないけれど、勇者がらみの文化の改造にずいぶん楽観的だと感じた。
こういう事態に慣れているのだろうか。それともこういうケースは「この世界を踏みにじらないこと」に反しないのだろうか。魔女は判断に迷ってしまう。なぜなら彼女自身が「今まであった技術の活用なら悪いことじゃないんじゃない?」と思う半面、心のどこかになぜか納得できない感情をいだいていたから。
(……うん、聞いてみよう)
今回の件に対する姿勢を決めたい、そう思ってイーダは口を開く。
「ところでさ、シニッカ。これって『この世界を踏みにじる』行為なのかな? 技術の活用っていうなら別に悪い話じゃないんだろうけど。でもこの世にも木炭と硫黄と硝石はあるのに、火薬は作っちゃだめって決まりがある。つまり禁止されている技術活用だってあるんだよね?」
「あなたはどう思うの?」
間髪入れずに質問を返された。まるで聞かれることがわかっていたかのようだ。
「うーん、どうだろう。夢魔による配信がこの世界へおよぼす影響を理解できるほど、私の頭はよくないと思ってる。でも――後で考えをあらためてもいいのなら、ストリーミング自体が悪いこととは思えないんだ。この前のベースボールも、悪いことには思えなかった。だからちょっと迷ってる。今回の勇者に、どんな感情をいだけばいいのかって」
「なるほど、正直な意見ね。でも混同してはならないわ。私たちが戦うのは勇者であって、勇者の固有パークやら、勇者が持ちこんだ常識やらではないの。だから相手の能力で行動を決めたりしない。相手の人となりや、なしたことを見て行動を決めるのよ」
「そうだったね。じゃあさ、今回の人が――」
サカリの報告書へ、もういちど目をとおした。現状、勇者が誰なのかも判明していない。ただ勇者がいるであろう状況証拠――夢魔によるストリーミングが流行している事態が発生したことだけ、淡々と記されていた。
「今回の人が敵かそうじゃないか、まだ決める段階にないんだね」
「ええ。それが理性的な判断だと思うわ。とはいえ――」
机の上にあった、黒い自撮り棒を手に取り、魔王はするするっとそれをのばす。
「私の感情としては、というよりも予想としては、だけれども。勇者はこの自撮り棒みたく、おごり高ぶった精神の持ち主だと考えているわ。そそり立つ男の矢印のように。ふだんはポケットに入るサイズなのに、本性をあらわしてみればずいぶん高い位置までのびていく。その先になにかをつかむ手がついているわけじゃないのに、きっと『自分の腕は長い』って勘違いするの」
「かなり辛辣な言いかたに聞こえるけど……。シニッカは勇者が性格の悪い人だって予想しているの?」
「どちらかというと、嫌いなタイプだろうなって思っているわ。同じ『性格が悪い』でも、好きなタイプも嫌いなタイプもあるから」
くるり、片手で棒をまわしたシニッカは、もう片方の手のひらへ先端を当て、かしゃんとちいさくたたんでみせた。
「なんにしても、そいつは身の丈にあった武器を選ぶべき。そうでないのなら、ふりまわした切っ先が無関係な者ののどを切り裂く。そして怒った遺族たちから手紙が届くの。暗い地下室をとおって、私たちのもとへ。ニーロやアール、イヴォみたいに、この世へ配慮ができる勇者のほうが少数派だから」
彼女はもういちど「あくまで私の予想だけれども」と言って、会話をしめくくる。
「現状、これ以上の情報はないわ。サカリからの続報を待つだけ。今日のところは解散なさい。ヴィヘリャ・コカーリの立場を決めるには少々時期が早すぎるから」
狼の発した「了解だ」の言葉を合図に、それぞれは自分の持ち場へ戻っていく。イーダはその流れに乗ろうか、それともシニッカへもう少し話を聞こうか、迷っていた。すると魔王から声がかかる。「イーダ、それからオンニ。少し残ってもらってもいいかしら?」
「うん、わかった」「承知でス」、返答を聞いた魔王様は3人以外が部屋から出ると、魔女と夢魔へひとつ要求をした。
「オンニ、イーダへトリグラヴィア王国の概要を教えてあげて。イーダ、いい機会だからお勉強して、覚えておいて」
「了解でス、魔王様。僕が知っている部分、全部教えまスね」
「了解、シニッカ。オンニ、よろしくね」
「よろしい。ああ、それから予想をもうひとつだけ。きっと悪魔召喚の日が近いわ。だから、牙へ毒をとおす準備をなさい。神経毒を、たっぷりとね」
ゆっくり噛みしめるような、魔王のいいぐさ。合戦の前の日の晩、剣を研ぐ砥石のように冷たく濡れている響き。
ああ、ぬるま湯の時間は終わるんだな、イーダはそう感じた。
魔王の顔が、とくに目が、海――『大陸を取り巻く蛇』のような色をしているのに気がついたから。きっとその長い体を外国まで横たえ、そのおおきな口で命を食べるつもりなのだろうと。
ゆえに、念のため聞いてみることにした。少し勇気がいる言葉を使って。
「シニッカはさ、噛みつくべき相手へ牙を立てるの? それとも噛みつける位置にいる者へ無差別にそうするの?」
勇者であっても噛みつく相手を選ぶのか、それとも無条件で敵となすのか。その重要な問いに、魔王はあごに片手を当てて、「そうねぇ」なんて考える仕草をした。
「少しイーダを怖がらせてしまったかしら? 私としてはいつもどおりのつもりよ」
「あらためて、その『いつもどおり』を認識しておきたいって思っているんだ。私も魔界の魔女だからさ」
「ならそんなあなたに、ロシアらしく小話で応えておくわね」
勇者がロシア人だろうという前提をもとに、魔王はぺろりと舌を出し、自身の立場を告げる。
「調停会議で、とある天使が言いました。『勇者とはどんな存在か?』と。そこで魔王は答えます。『アダムかイブのような人たちよ』なんて。『それはどうしてなのですか?』、天使は理由を問いただします。『だって裸でいる恥ずかしさに、蛇に指摘されるまで気づかないんですもの』、魔王は笑ってりんごを取り出し、おいしそうにかじりました」
「う……皮肉すごい」
「この話をうちの首相に聞かせたら、『この世にない神話を語るのは感心できませんな。それに高慢さたるや雷神ソールのごとし。Your Majesty、どうか彼のように、自分よりおおきな蛇の毒気に当てられませんよう』って忠告を受けたわ」
「わぁ……」
どこまで作り話なのかわからないけれど、これが日常会話の世界に魔王は立っているのだ。この世界の中で、こんなブラックジョークがまかりとおる、冗談のような場所に。
「となりに立つのは骨が折れそうだね」
「骨折が心配ならドクを連れて行きなさい」
最後の最後に雑なことを言う魔王様。
おかげで緊張感はゆるみ、かわりに頭痛の種が増えたのだった。




