笑うストリーマー 6
赤地に麦穂をつかむ3本の腕、それがトリグラヴィア王国国旗の意匠だ。大陸中部の中央東側に位置するこの国は、麦の生育に適した豊かな大地が広がる農業国だった。一面の麦畑は風を受けると黄金色のきらめきを放ち、この地へ「天使の髪」という比喩をもたらしている。ゆえにそれを刈り取る農民たちは、散髪を仕事にふくむ「医者」と呼ばれることもあった。むろん、本物の医者たちはこころよく思っていなかったが。
この国の守護獣はギリシャ神話に由来する『グライアイ』。ひとつの目と歯を3人で共有する老婆たちのことだ。それだからか、この土地には「3」にまつわる多くのものがあった。「メスト・ペムブレードー」「メスト・エニューオー」「メスト・デイノー」とそれぞれグライアイひとりひとりの名が冠されている3大都市。「オクラ山」「クルマ山」「アリヤス山」の3大高山。「リンデンの並木」「小麦畑」「宝守迷宮」の3大名物。宗教にしても3つの教派が同程度入り混じっているから、3という数字はこの国の民にとって特別なものだといえる。
しかしそんな国においても、決して歓迎されざる「3」があった。それは3つの強大な勢力に囲まれていることだ。北東のネメアリオニア王国、北西のセルベリア王国、そして南東のキマイラ同盟諸国。その中間にあり、いわば緩衝地帯のような働きを強要させられているこの国は、非常に難しい立ちまわりを求められている。
この国が国教をさだめず、3教派均等になっているのは、まさにその対抗策だった。テクラ教派が圧倒的多数だったころ、数世代前の王が、エラフテリア教派と世界樹教派の教会を誘致し、ここを宗教的なサラダボウルにした。どの勢力にとっても手を出しにくい状況を作ろうとしてのことだ。ただしそれも当時の混乱や現在のかじ取りの難しさを差し引くと、どれほど効果があったか疑わしいものである。
2022年7月8日、夜8時。そんな国の3大都市のひとつ、王都たるメスト・ペムプレードー。トリグラウ城下街の中心部、エレフテリア系冒険者ギルドの酒場の一角に3人の冒険者がいた。
その中のひとり、グリーシャことグリゴリー・イワノヴィチ・クズネツォフは、トリグラヴィア王国のような板挟みを受けている。もっとも彼の場合、少々事情が違う。自分をとりまく相手が2名だから国王よりはいくぶんか負担も少ないことと、会話の雰囲気は国際問題の緊迫感というよりはコメディ映画のそれ、つまり取るに足らないものだったこと。
「ねぇグリーシャ。別に『レインと別れろ!』、なんて言わないからさ。ダンジョン攻略とか日常系の料理配信とかはレイン、潜入とかダンジョン以外の攻略系配信は私、そういう契約でどう?」
声の主は配信者としてもっとも有名なひとり、アム・レスティング。小悪魔と形容される愛らしくも妖しい笑顔を、ぐぐっと勇者に近づけていた。机越しに身を乗り出して、ご丁寧にも胸を見せつけるよう天板へ乗せて。対して胸を乗せられた机の側は迷惑そうにしている。定規で引いたかのような木目が途中で曲がっているのは、実直でまじめな役人が眉をよせているようにも見えた。「ここは食器と食物、飲料専用だ。牛乳はよくても乳はだめだ」とでも言わんばかりに。
小悪魔夢魔の席の対面、グリゴリーの恋人であるレインにいたっては、眉間のしわをもっと深くしていた。町役場の役人というよりも、むしろ牢獄の刑務官のような表情をして、「アムさん、近い」と冷たい声で応じる。
「あなたの優秀さは知ってるんだけど、グリーシャは私のだから」と言う口調は、すっかりぬるくなったコップの水をふたたび冷水へ変えそうな温度をしている。きっぱりとした言いかたは、研いだばかりの刃物が水をしたたらせているようでもあった。それ以上近づいたらそのおおきな胸へ刃先が食いこむぞと、座った目と引きつった口の端と、逆立ちはじめたオレンジ色の頭髪で語ってもいた。
グリゴリーは両者の間に入る形で席に座っている。美女に両手を引っ張られる形ともいえる。「やれやれ」と言いながらもまんざらでない彼は、酒場の男たちからこれまた冷たい視線を集めた。それに気づいて居心地が悪くなりつつ、けれども胸の奥へちいさな優越感を発見したものだから、「とにかくさ」と冷静をよそおいながらふたりの会話へ割って入った。
「なあ、アム・レスティング。俺たちはまったく状況が見えていないんだ。なんで俺たちにかかわるんだ? 理由をちゃんと聞かせてくれよ」
「それはここで? それとも2階の個室で?」
夜伽を連想させる言葉。レインのオレンジの髪が灼熱の色を帯びる。
「よぉしアムぅ。表へ出ろぉ。今夜のぉ、レインチャンネルでぇ、夢魔のハンバーグにしてやんよぉ」
「いやいや、そうじゃなくって。仕事の話よ、仕事の」
「仕事ぉ? 夢魔の仕事なんてぇ、ひとつしかないだろぉ、アバズ・レスティングぅ」
「アムちゃんはアバズレじゃありません~。意外と一途ですぅ」
恋人のレインの顔が、刻一刻と鬼のような形相へ変化していく。刑務官はいつの間にか処刑人へ姿を変えたようだ。グリゴリーもそれに気づいた。語尾もおかしくなっているし、このままでは配信者同士のトラブルが凄惨な結果を生みそうだと。もしそれを第三の夢魔が配信したのなら、おそらく「バズる」に違いない。
けれどそういうわけにもいかないので「まあ落ち着け」と彼はふたりを止めた。正確にいえば、配信のかんばしくないほう――形容するなら散歩の途中に大型犬へ吼える小型犬のレインを止めた。おおきいほうはというと気にもせずに涼しい顔だ。
「別にここでいいだろ?」
これ以上会話を荒立てないでくれ、勇者は困った顔で言う。しかしそんな彼に対するアムの表情は、とくにその両目は、笑う口元に反してずいぶんとするどい形をしていた。
なんだ? と思う間もなく、話は核心部分へうつる。
「――昨日の夜のことでも?」
突如、空気が凍った。
ほんの3秒前まで、ばかばかしいコメディ映画のセットだったテーブル席が、一瞬にして本物の刑務所にある取調室のような冷たさと緊迫感であふれた。グリゴリーは、温かさを放っていた木の床はビニールタイルのように冷ややかな光を反射させ、木目の笑う壁もコンクリート打ちっぱなしのような色に変わったと、そんな気がした。だから短く、端的に聞く。「なにが狙いだ?」
「仕事よ、仕事。手を組みたいってのは事実だし、あなたの仕事を邪魔するつもりもない。むしろ応援したいの。アムちゃんの利益にもなるし」
「そうか……。レイン、2階に行こう。話をする必要が出てきた。アムにも、レインにも」
「う、うん」
恋人の顔色と声色が変わるのを感じ、レインもまた一瞬で心持ちを変えた。
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
夢魔レインは、昨晩恋人のグリゴリーがなにをしていたか知らない。黒い任務であり、裏稼業であり、そういう人たちからスカウトを受けていたのだけしか知らない。でも、グリゴリーはこう言うのだ。「いざとなったら無関係をよそおえるように、依頼内容を教えるのは時間を置いてからにするぜ。俺が依頼をこなしている間、『レイン・チャンネル』で料理番組でも流しておいてくれ。俺のアバターをゲストにでも出してくれりゃ助かる」
そう言われたから、グリゴリーが犯罪(だと思われる)行為をしている間に、幻影で作り出した彼と一緒に配信を行っているのだ。こうして作り出した人はしゃべることも、おおきく動くこともできないけれど、『画面端の遠くで、下手な料理に恐怖しているおもしろキャラ』なんていう演出方法を思いつき実践していた。これが好評で、本業のダンジョン配信よりも時間あたりの同接がのびるほどだった。
だからレインは昨日の夜のことを知らない。どんな話が出てきてもいいように、心の準備をするだけ。
宿屋の2階、個室にて。各々手に酒を持ち、勇者とパートナーは机をはさんで椅子に座る。アム・レスティングはベッドに腰かけた。位置関係から詰問を受けているかのようだ。
しかし彼女は楽しそうな顔で口を開く。
「グリーシャ、トリグラウ城への潜入と国王の持っていたロケットペンダントの強奪、全部見ていたの。すごかった。あんなに速く動く人間がいたなんて」
「やっぱりそれか」ふんっと鼻を鳴らす勇者へ、レインは「強奪?」と目をむける。パートナーがしていたことを、ここでちゃんと聞いておきたい。
「ああ、そうだ。いわゆる盗賊稼業さ。黙っていてすまん。レインを巻きこみたくなかったから」
「ううん、いいよ。でもなんでそんなことを」
「当然依頼だ。でも俺が請け負うのは、金持ちから奪う仕事だけだ。この国はカネの動きが活発で、貧富の差も激しいからさ。バランスを取ろうって寸法だ。だから金持ち連中だの権力者だのから奪うことに、抵抗感なんてない」
ベッドの上のアムへ気をつかうこともなく、まず勇者は恋人への告白を優先した。
「俺が夜にちょくちょく姿を消していたのは、それが理由さ。とある組織――俺も詳細は知らねぇけど、そこから標的の情報をもらっていたんだ。ターゲットを手に入れれば、そいつらから金銭をもらうって寸法でな」
「そうだったんだ。……手に入れたお金はどうしたの?」
「貯めている。まだ仕事をはじめて3週間くらいだ。これをなんらかの児童施設なんかに寄付するのがいいと思っているが、どの場所へ配ればいいかなんて調べ切れてないからさ」
「本当は――」、それまで顔をそらして話をしていた勇者は、不意にアムの目を見て、悩んでいたことを打ち明けた。「本当はさ、レインの豪邸の足しになればいいかもって、思わなくもなかった。けど、汚れた金に違いはない。レインが喜ぶかどうか、自信がないんだ」
「ありがとう、グリーシャ。ま、私はさ、そんな善人でもないよ。あなたと一緒。でもちょっと怒ってる。だって、そんな大切なことを隠していたんだから」
「悪かった。謝る」
よろしい、と夢魔は笑顔を返した。勇者が「レインを恋人に選んでよかった」と思うに、十分なくらいまぶしいものを。
ふたりがおたがい納得するために必要だったから、部屋にはしばしの沈黙があった。アム・レスティングもそれを邪魔しようとはしない。少々「うらやましいなぁ」と思うことはあっても。
その彼女へ勇者がきつめの目線をむけたことで、脇道へそれた会話は本題に合流する。
「じゃあ話を戻すぞ、アム。お前が俺の裏家業を、よりにもよって俺自身へ伝えること、どれくらい危険なことか理解しているか? お前が俺の刃を避けられるなんて、思ってねぇだろうな?」
強い口調に、さっきまでの恋話はどこに消えちゃったんだろうと、アムは部屋中の引き出しという引き出しを開けて調べたい気分になった。でもそんなことは放っておいて、重要な話をしなきゃならない。夢魔として恋の話題を放っておくのは名残惜しくもあるけれど。
ストリーミングの時と同じ、生まれもっての演技力によって、ぱっと笑顔を咲かせてみせた。
「まだまだ! 本当に危険なひとことはこれからなの!」
不穏な発言で会話のペースをこちらに。
ここからが楽しいところなのだから。




