笑うストリーマー 5
「ようイーダ、お疲れさん。さっそくで悪いが一緒にきてくれねぇか?」
夜、といっても緯度のせいでだいぶ明るい食堂の中。夕飯をすませて「やっぱまずいな」と白目をむいていたイーダへ、王宮にきていたフェンリル狼が声をかけた。横にはヘルミとサカリ、それにドクの姿も。ついでにドクに曳航される眠たそうな潜水艦も。
「うん、わかった。でもみんなそろってどうしたの? 4大魔獣とドクターが集まるなんて。また野球?」
冗談を言いながら立ち上がったイーダへ、「ああ、勇者さ」と短い返答が。魔女はむむっと表情を正し、机の上に置いてあった魔女帽を手に取って「がぼっ」とかぶる。そして小走りで5人と合流した。「穏やかじゃないってことだね」
「ええ、穏やかでない事態になるかもしれません。でも、今はまだそうではありませんよ。夢魔劇場でいうのなら、みなさんが席につきはじめた頃合いですから」
先頭を地下室のほうへ歩きながら、ヘルミは肩越しに振りむいてそう言った。「イーダさんは対抗召喚機が動いているところ、見たことがありますか?」
「え⁉︎ ないよ! 見たいよ!」
「ではこちらへ。少し前に動き出したらしいのです。つまるところ、天界で転生勇者が発生しました。今ごろ転生勇者案内人が教鞭を振るっていることでしょう」
「そっか。……ちょっと感慨深いかも」
魔界にきて9か月、その間に勇者転生を目撃したことはあった。が、対抗召喚機が実際に稼働するところは見られなかった。でも自分だって、その中からあらわれたのだ。地下室への階段をおりながら、イーダは楽しみと郷愁の入り混じった心持ちになる。
地下におりると、青い光を放つ魔法の照明が、今日も地下室を水族館のような色合いにしていた。その一角にアクアリウムのオブジェがごとく、対抗召喚機がそびえ立つ。悪魔召喚の魔法陣とならんで、質素な空間をにぎやかにさせていた。
召喚機は高さ、幅ともに3メートルくらい。門の形をしていて、開いた中央のスペースには、身の丈をおおきく超える水球のような物がふわふわと浮かんでいる。
魔女はこの装置を非常に知的な物体だと感じていた。シニッカに聞いた、ワープホールの小話がその理由。
こういう転移とかの魔法陣だったりゲートだったりというものは、例外なく鏡のような平面を形成するイメージがあった。実際に悪魔召喚の魔法陣は地面という平面に描かれている。けれどワープホール(ないしワームホール)はそうじゃないという。球体なのだ。
「SFでワープの概念を説明する時、必ずといっていいほど使われるのが、紙に2か所丸い穴を開ける方法。片方をA、もう片方をBとすると、ワープはAとBを重なるように紙を折りたたみ、そこへボールペンかなにかで穴を開けること。穴同士がつながっているのだから、瞬間移動できそうでしょ? AからBに輪をくぐり抜け、紙を広げれば、めでたくワープのできあがり。で、紙は2次元的なものだけど、この世は3次元。円を3次元にすると球になる」
ゆえにワープホールは球体をしている。こんな話を聞いていたので、対抗召喚機の中央へ浮かぶ球体に、知的ななにかを感じてしまうのだ。
今回そのミスターインテリジェンスがなにをもたらすのか非常にワクワクする。
そんな知的な物体の横にいるのは、我らが魔王様。長いほうきを両手で持って、対抗召喚機のお掃除中だ。なにやら重そうな金属のゴミを乱暴にちりとりへ入れ、「まったくこんなに散らかして。きっと骨53号のしわざね」なんてブツブツつぶやきながら。
「シニッカ、きたよ」
「あら、いらっしゃい。みんなそろっているわね。間に合ってよかったわ」
魔王は振りむき、ほうきを雑に床へ置くと、「今回はすぐに召喚が終わりそうよ」と柱の一部を指さした。
「それは?」、言いながらそこをのぞきこむ魔女の目に、木の板の上へ罪人のように釘で固定された羊皮紙が一枚。
「ここに召喚されるものの情報が表示されるの。召喚完了までのおおよその残り時間であるとか、物品の簡単な名前であるとか。ドク、説明してあげて」
「うん。これの役割としては、今魔王様が言ったとおりだよ。召喚されるものの概要が、この羊皮紙に浮かび上がるんだ。柱と床にある魔力導線をここへつなげ、召喚物の情報を人にわかる形に変換しているのさ」
「変換って、なにをどんなふうに?」
「まずは導線から魔力を放射させて、反射を見る。すると対象の形状や重さ、材質の硬さ、全体に対してどれくらい再構築が進んでいるかなんかがわかるんだ。それを羊皮紙が分析し、予想される物体とか残り時間を自動筆記するのさ。だからその紙はある種の人格をそなえているといってもいい」
「人格か。それってどんな魔術で動いているの?」、なぜなにイーダが顔を出す。
「基本的にはオートマタと一緒だよ。オートマタは死の直前、人の魂へアクセスできる呪術で、その魂を魔石の中に魂を封じこめるんだ。だから生前の習慣とか技能とかが、あるていど残るんだね。対抗召喚機の羊皮紙さんも同じさ。ただし――」
早口のドクが、いちど呼吸をととのえた。魔女は次の言葉が待ちきれなくて、督促するように聞く。「ただし?」
「それがどうやって作られているのか、どんなしくみで動いているのか、僕らには理解できていない。この対抗召喚機は、もともとパハンカンガスの魔王城にあったものなんだ。魔王様が生まれた時には、すでにそこにあったんだってさ。カールメヤルヴィ王位が簒奪された後、バルテリによってここへ運ばれてきたんだって」
「そうか、しくみの詳細まではわかっていないんだね。でもさ、壊れることもあるって聞いたよ? しくみがわからないのに、どうやって修理するの?」
「壊れる前と同じパーツを作成して修復するんだ。失われた石材を補填し、切れた導線をつなぎなおし、砕けた魔石を交換し、なんてね。手間がかかるよ。おもしろいけど」
どうも魔界最重要の物品も、そのすべてを把握している者はいないらしい。「解き明かしたいなぁ」そうつぶやいた魔女へ、ドクターの「そうだね」という短い同意が返ってくる。
(まだ誰も解き明かしていない謎。これを解明すれば、ザ・カニングへ近づけるのかな)
魔女はふたたび羊皮紙へ目を落とした。「分類:無生物、形:棒状、重量:ナイフ程度、残時間:5分」とだけ、そこには書いてあった。時間を追うごとにヒントが増えるクイズへ挑戦しているようだったが、いかんせん情報が少なすぎる。
「どんな物が出てくるんだろう?」
「半分くらいはどうしょうもない物品なの。役に立つことを重要視しているというよりは、皮肉気な物体を吐き出すことに精力を注いでいるようなね」
聞いたところだと、対抗召喚機の属性はIntelligentというよりSarcasm。「魔界らしいね」と魔女は肩をすくめて返す。「で、どんな皮肉が具現化するの?『たとえばイーダよ』なんて言わないでよ?」
「あはは! あなたが皮肉によって生まれたのなら、それはそれで素敵じゃない。ここ半年、勇者にとって最悪の相手といえるんだから。でも、そうね。一番わかりやすい例は、宝物庫にあった手鏡かしら?」
「……魔法少女勇者のエヴァさんの時だね。あの鏡って対抗召喚でもたらされてたんだ」
あきれた顔でイーダは召喚機へ目線をうつす。無生物であるその門に対し、「あなたが魔界の物品である証明には、苦労しなさそうだね」とため息混じりに言いながら。
「あらあら、そんなモノに話しかけて。……さ、そろそろ頃合いかしら」
話をしていると5分なんてあっという間。残り時間が1分を切った頃から、羊皮紙はあわただしく記載内容――残時間の箇所を変えていく。50秒、40秒、30秒。10秒を切ると更新は1秒ごと。ロケットの打ち上げみたいにカウントダウンがはじまって、同時に召喚機は中央の球体を輝かせていく。
「3、2、1」
イーダのつぶやきが終わったと同時、まばゆい光が一瞬満ちあふれて、すぐに消えた。コロン、となにかが召喚機の床へ落ちる音も。
「さて、今回はなにかしらね?」
ぺろりと唇をひとなめして、魔王はかがみ、それを手に取る。それは長さ20センチくらいで、黒い色をしていて、いくつもの円筒が内側へ重なっている棒だった。引き出すとのばせるタイプの、生前に学校の先生が時々持っていた伸縮式指し棒と同じ構造だ。でも先端は赤とかオレンジ色に塗られているわけでもなく、かわりになにかを固定する複雑な形の金具がついている。魔王がそれをシュルシュルっと引き出すと、腕の長さくらいまでのびた。
イーダはそれを知っている。
(じ、自撮り棒だ)
魔女がその名を口にする前に、錬金術師の天使が、またいらないことを言った。
「……これは魔界のミミズ『パラペチャッニ』の死骸だね。生きている時は服のすきまから入りこんで、その凶悪な先端で人体のやわらかい部分をひき肉にするんだ。通常は恐れられているけど、おおきなものになるといろいろ活用できるよ。死骸が冬にクリスマスツリーとして使われたりとか」
(また出たなパラペチャッニ)
「いえ、もしかしたらそれは、イーダさん専用の魔女の杖かもしれません。相手勇者の矮小さにあわせて、長さを変えるんです。そうやって相手をがっかりさせてから殺めるのだと思います」
好き勝手なドクとヘルミの嘘に、魔女は「違うからね!」とあわてて反応した。否定ついでに、生前使うことのなかったスマホアクセサリーの解説をする。
「それは自撮り棒。スマートフォン――多機能電話のカメラ機能で、自分を撮影するための物だよ」
「自分を『撮影』? つまりこの間、野球場のバックスクリーンとやらに投影されてたやつと同じような機能があるってことか?」
「うん。映像――動く画像を残せるって意味ではだいたい一緒。でも、肝心のスマートフォンというか、カメラがないね。それはただの手持ち台座みたいなものだから」
「なんでそんなもんが……」
がっかりした顔をしているのはバルテリだけじゃない。サカリも「はずれか」なんて吐き捨てて、早々に興味を失っている。4大魔獣の半分はそんな感じだ。もう半分はというと、ヘルミは「サンドワームみたいですね」と笑っているし、アイノにいたっては「潜望鏡!」とはしゃいでいた。
どちらにせよ、戦いの役には立たなそうだ。すると、魔王様からある種核心を突くような質問が。「イーダ、自撮り棒で死ぬことってあるかしら?」
「えぇ? そんなこと……あっ! あるよ!」
「あるのかよ。これが暴力装置になりえるなら、世の中は俺たちの思う以上に凶器であふれているんだろうな」
「自撮り棒が人体へダメージをあたえるわけじゃないよ! 使いかたの問題なんだ。それを手に持って、高いところへ登って自撮りをする文化があってさ。目立ちたがり屋の若い人たちの間とかでね。で、墜落して死んじゃった、みたいな事故はよくニュースで見たよ。ひどい時には事故の一部始終がネット上に残っちゃうことも……」
「あらあら。こんどクリッパーに『うかつな死にかた・地球編』って本がないか聞いておくわ。きっと表紙を勇者の顔が飾っているでしょうし。それとも、自分の死因をご丁寧に映像として残すなんて、論文でも書きたかったのかしら?『高所からの墜落における、人体への破壊的影響』とか」
皮肉をふたつ放った魔王様は、「つまり勇者は目立ちたがりな性格」と身も蓋もないプロファイリングをして見せた。そこへ「ロシア人の」と追記しながら。
「い、いやシニッカ。たしかに私が見たニュースの犠牲者はロシアの人だったけど、特定の国の人を悪く言っちゃだめだよ」
「わかっているわ。けれど、そういう意図じゃないのよ」
手の中で自撮り棒をくるりとまわし、イーダへそれを差し出した。手に取って見てみると、そこには貼ったままの値札のシール。販売年か製造年の「2022」が隅へひかえめに鎮座していて、真ん中をバーコードが堂々と占有していた。その下の数字は「469」からはじまっている。
「これが彼の物だとしたら、買ったばっかりだったんだね……。バーコードで国ってわかるんだっけ?」
「ええ、460から469はロシア連邦のバーコードよ。でもそこじゃなくって上のパーツをよく見て」
もういちど目を落とす。たしかにパーツには刻印があった。丁寧にもロシア語で、「Видно сокола по полету」と格言らしきものが。
「『隼は飛びかたを見ればわかる』っていうのは、『その人の行動を見ればどのような人物かわかる』なんて意味の、ロシアのことわざね。墜死者にぴったり。『高いところから飛んだ人は死人』という面白味のない事実を、実によく暗喩しているわ」
「すっごい皮肉。ちょっとひどい。魔界らしいにもほどがあるよ」
対抗召喚機の知性は、やっぱりそっちの方向だったか。と、顔をしかめるイーダと違い、魔王はニコニコ嬉しそうにした。「2日後にはチュートリアルが終わるわね。さっそくどの国あたりへ行ったか確認しなきゃ。サカリ、出番よ」
「ああ、承知した。留守はオンニにまかせるとしよう。今回も自由裁量権――グリーンライトだったか、で行動するが?」
(おっ?)
「もちろんよ」とうなずく魔王の横、イーダは『グリーンライト』の言葉に心で反応する。先日野球のルール解説や戦術の話をしている時に、サカリをふくむみんなへ教えた概念だったからだ。青信号、つまり「いつでも渡れる」という意味を持つ。つまりグリーンライトを渡すというのは、判断をまかせるということ。「塁に出たらグリーンライト。盗塁の判断はまかせるね」なんて具合に使うのだ。
さっそく定着したようで、少し嬉しい気持ちになる。
(ま、それはそうと……)
勇者が転生した直後は、いつも魔界にいなかった。今回はじめての経験だ。魔王はさっそく棚にあった分厚い記録簿を取り出して、この世へおり立つだろう勇者の概要ページを記入しはじめる。「見せて」、ひょいっとのぞきこんでみると、召喚日付、対抗召喚の内容、現時点で予測される勇者の情報がさらさらと音を立てながら書きこまれていた。
名前や性別、外見、能力なんかは、見出しだけを作って空欄のまま。シニッカの頭の中に、記録簿のフォーマットがしっかりある様子。生前社会人を経験していないイーダにとって、「事務作業ってこういうのをいうのかな?」と新鮮な光景だ。
こうしてヴィヘリャ・コカーリは、とある勇者へのそなえをはじめた。
2日後、大陸中央部南側、おそらくトリグラヴィア王国のあたりに勇者がおり立ったと、サカリから報告が入った。




