笑うストリーマー 4
「私……むいてないのかな?」
不満と悩みが相席した難しい表情で、魔女のイーダはそう口にした。深刻な、というよりは、ひどく残念そうな――スーパーで特売品のケーキを買い逃した、そんな顔だった。
他者から見れば「そんなささいなこと」と苦笑されることだろう。けれど彼女としては悔しいのだ。すでに口は甘い物の到来を待ち望んでいる。持て余してしまったそこへ、いくら水を飲みこんでも満足なんてできやしないのだから。
2022年6月7日。野球の全日程が終了して、まだ4日。遠く離れたトリグラヴィア王国で、グリゴリーという勇者が配信の不作を嘆いていた時より1か月ほど前のこと。
魔女は巫術師――Tiaetājātと呼ばれる人の元を訪ねていた。そこはカールメヤルヴィの郊外、ちいさな湖のほとりに建つおおきな家だ。
その家の中で「むいていないのかな」なんて言ったのは、当然、シャーマニズムの練習がうまくいっていないことをあらわす。ベースボールの試合中にできたことが、なんどやってもうまくいかなくなってしまっていた。
「欲張りすぎじゃて、イーダ殿」と、ティエタヤットのひとり、魔界でもっとも権威のある老婆が言った。しわの多い顔によくにあう、しわがれた声で、若者を諭すように。
「儂がお前さんに巫術を教えた期間は、たった7日間だけじゃったな。その中で『生命力』、『守護霊』、『自己』、この概念をさらっと理解しただけでも、お前さんは一流じゃろ? 事実、簡単な交霊なら苦もなくできるはずじゃ。これはすごいことなんじゃよ?」
「え、ええ」
「この上『英雄の霊を降霊させる』など、欲張りを言うでない」
老婆目線において、イーダは十分すぎるほど優秀だった。まだ駆け出しでありながら、すでに交霊(霊との交信)に成功しているからだ。シャーマニズムにかぎった話ではないが、1週間の練習で特定の魔術を使えるようになるには、かなりの才能がいる。
老婆は降霊――自身へ霊を降ろし力を借りるという、より難度の高い技術を求めるのは時期尚早だと言った。しかしイーダは納得できなかった。なにせすでに交霊だけでなく、より難度の高い降霊にも成功していたからだ。だから言葉を返してしまう。「すみません。でも先日、地球……いえ、遠く離れた場所の英雄とは、交霊どころか降霊に成功したんです。だったらこの国の英雄、タピオ2世だって呼び出せそうって思ってたのに」
「急ぐな急ぐな若者よ。死者の世界は眠りの世界。お前さんがいう『遠く離れた地』がどこかはわからぬが、たまたま相手方の機嫌がよろしかったのだろう。あまり強引に寝所のドアをノックすると、無礼に当たるかもしれぬぞ?」
「う……それは気をつけます」
まったくもって老婆のいうとおり。少々配慮に欠けていたのかも。魔女は思い直して、前のめりになった心の位置を修正した。ただし、納得からは程遠い位置へ。
(うーん、サイ・ヤングさんやタイ・カッブさんには降霊してもらえたのに、なんでカールメヤルヴィの王様は無理なんだろう)
失敗の原因はわからないのだけれど、ベースボールの時とはあきらかに手ごたえが違う。ドラムを鳴らして精神集中しても、その後に詠唱をはじめても、霧の森の中を歩くようになにも見えないのだ。タイ・カッブさんの時にあった20世紀初頭アメリカを思わせる部屋なんか、それが嘘だったんじゃないかと思うくらい。練習の結果はベースボールの時と違い、空振りに終わっていた。
「あらためて基本からやりなされ。『先祖の霊』であるとか『この地で生き、死んだ者』であるとかを選ぶのじゃ。あえて輪郭をぼかすことで、特徴の当てはまる霊の数を多くする。そして降霊ではなく交霊を行うんじゃよ」
「それは『戦士の霊』とかでもいいのでしょうか?」、イーダはまだあきらめきれない。そこにはちゃんとした理由だってある。「戦いで必要になりそうなんです」
「儂としては、あまり攻撃的な目的へ巫術を使ってほしくはないの。むろん、魔王様の下で働いておるのだから、お前さんが本気なのも、必要としているのも理解しておるが」、そう言って老婆は「うーん」と悩まし気な顔をした。表情がよけいにしわを生んだから、魔界に生育する耳キノコのような形になってしまった。
イーダはそれを見て「ああ、ちょっと迷惑かけちゃってるな」と思ったので、心をさらに一歩引いて、ようやくいつものニュートラルな位置へ戻す。「すみません、おっしゃるとおりですね。じゃあまずは、情報収集という観点で霊へアプローチしてみたいと思います」
「それがよい」、ティエタヤットはくしゃっと笑い、そこへ教訓をそえる。「『Jos haluat ylittää joen, rakenna silta.』、じゃろ?」
「ええ、そうでしたね。白状すると、その言葉をちょっと忘れていました」
「そうじゃろ? イーダ殿。魔術という分野において、お前さんは熊も驚くほどの身体能力を持っておる。ゆえに少々の川幅なら、ひょいっと飛び越してしまえるじゃろう。しかし、それでは渡れぬ川も多い。だからちゃんと橋をかけるがよい。Kukaan ei ole seppä syntyessäänし、Harjoitus tekee mestarinものなのだから」
「ありがとうございます。でも……最近、私は少しずうずうしくなりました。だから『Ei kysyvä tieltä eksy』の精神にのっとって、またここへきてもいいですか?」
道を聞く人は迷わない、というのは、アドバイスを受けることは恥ではないという意味だ。つまり「しつこく教えを請いたいです」という意思表示なのだ。いたずらな顔をして、あえて魔界の言葉でそう口にした少女へ、老婆は「カカッ!」と愉快そうにした。
「もちろんじゃ、魔女よ! そして次にくる時も、新しいルーンやケニングの活用法があったら聞かせておくれ。儂は儂で、その知識を楽しみにしておるのだから」
「もちろんです!」
元気よく答え、イーダはお礼を言ってから、ティエタヤットの家を出た。呪具の飾られた雰囲気のある扉を開くと、夕方なのにまだ明るい空がまぶしい。風は蛇の湖でよく冷やされて、心地よく魔女の頬をなでる。
(楽しみにしている、か)
老シャーマンの言葉が少し嬉しかった。彼女は権威があり、他者へ巫術を教える立場であり、つまり先生であり大先輩だ。イーダはその人が自分の持ってきた知識を楽しんで聞いてくれていたことに、頬をゆるませた。偉大な人に一目置かれたと感じたから。そうでなければ、「魔女」なんて呼んだりしないだろうし、なんて。
(それにしても、シャーマニズムはうまくいかなかったな。この世界の戦士を降霊させられれば、剣とか使って戦うこともできると思ったのに……)
やりかたがまずかったのか、まだ自分には難度が高かったのか。どのみち、ここ2日ばかり気がかりなこともあった。
(私、シャーマニズムはむいてないかもしれない。もしくはのび悩みがはじまったのかも)
過去、シニッカがいったことを思い出す。たしか『レベル』という概念について話をしていた時だ。「勇者が使いがちな『レベル』って、すごくゲーム的な概念だよね?」と言った自分へ、魔王は同意しなかった。
「そんなことないわ。現実世界においても『成長曲線は階段状』っていうしね。その階段をひとつ上がったら『1レベルを手にした』と考えてもいいんじゃない?」
つまり『訓練の結果、ものごとができるようになる』タイミングは、前触れなく突然あらわれる、という意味だ。練習中は全然前進が感じられないのに、ある日いきなりそれができるようになるのだ。
それが本当かどうかは調べられないけれど、魔女は最近の自分が間違いなく急激な成長をとげたと自覚していた。自分の手で勇者を殺めたプラドリコでのスタンピード騒動、自分ひとりで勇者を退けた天界での戦い、そして監督を買って出た先日の試合。とくに魔術の使用回数は、今や魔界屈指の実力。ルーン魔術と言遊魔術の豊富さにおいても、半年前に比べると飛躍的に上昇している。少なくともそう感じられるだけの理由がある。
だから「のび悩みがはじまった」のかもしれないと思うのだ。つまり階段をひとつ上がったから、今は次の段へ足を上げるために努力している最中だと。
そのことをシニッカへ言えば、「たった2日間でそう思うの?」なんて笑われるだろう。でも他ならぬ自分のこと、そして自分のおおきな目標に対する姿勢のこと。自分の名前、「Iida」の由来のとおり、まじめに考えたくなってしまう。
むむむ、そう台詞の吹き出しをつけたくなるような顔で、彼女はあごへ手をやり歩いていた。彼女は今日も「空のカラスを思う」。
魔界において、魔女がこういう状態でいる時、たいがい以下の2種類の事象が「肩の力を抜きたまえ」と言いながら茶々を入れるもの。
ひとつは潜水艦。いろいろとだいなしにするのが好きな悪童の一種。友人の口へ雪の塊を投げこんだり、つむじを逆まわりにしたりと枚挙にいとまがない。しかし意外にも、今日は自分の家でむにゃむにゃと惰眠をむさぼっていたから、この場に浮上することはなかった。
そしてもうひとつは……。
ぐぅぅ、申し訳なさそうに鳴るお腹。本能がもたらす、いわゆる生理現象。ゆえに絶対不可侵かつ絶対に主張を曲げない。空腹を自分の主に告げて、「あのぅ、そろそろ頃合いでは?」とヘルミのような(しかも悪いことを思いついた時の彼女のような)顔をのぞかせる。
(うん、お腹すいた)
胃袋の目論見どおり、魔女は足を王宮へむけた。2日前に食べ損ねた、骨53号のまずいオートミールを口にするために。
なにはともあれ、腹ごしらえの時間なのだ。




