笑うストリーマー 3
「むいてないのかなぁ?」
「そうかもな」
それは夢魔と勇者の会話だった。
2022年7月8日、ふたりは街の郊外にいた。夕焼けに染まる麦畑を見ながら、夢魔は石造りの壁の残骸へ腰かけて、勇者はその下へ座って背中をあずけて。
「でも流行は追い続けたいよねぇ。せっかくあなたがいるんだしさ」
「俺はさ、レインがそうしたいって言わなきゃ、別に目立ちたくねぇんだけど?」
「えぇ? もったいないじゃん! グリーシャって強いんだし」
レインとグリーシャ。それがふたりそれぞれの名だ。正式な本名というよりは愛称で、つまりふたりはそう呼び合う仲だった。冒険者同士であり、恋人同士であり、そして最近はやりの『配信者』でもある。
彼女らが話していた内容は、まさにその『配信』についてだった。これは冒険者の行動を夢魔が中継し、寝ている人々へ届ける、なんていう概念であり、サービスだ。
流行したのが最近であるがゆえ、学術的に正式な呼称は決まっていない。『夢魔配信』であるとか『冒険目劇』であるとか、名前をつけようとする動きはあるものの、どれもこれも定着していなかった。ゆえに、どこから伝わったのか「ストリーミング」なる言葉が幅をきかせている。
「やっぱ枯れた宝守迷宮の攻略なんて、誰も見てくれないよねぇ。次はどこにしよっか? なんか作戦ねらなきゃだよね?」
「……好きにしてくれ。俺は今の生活も気に入っている」
つれないこと言わないでよ! そうふくれるパートナーの横で、勇者グリゴリー(愛称グリーシャ)は頭の後ろで両手を組み、壁へ深くもたれかかった。レインはストリーミングなんていうあやしげな行為で一儲けをたくらんでいるらしいが、そのしくみ――プラットフォームとでもいおうか、とにかくそれが信頼に足るものなのか、少し考えることにしたのだ。
ストリーミングは、おおよそ夜間に行われる。これは当たり前だ。人々が寝静まってからでないと、夢魔が夢へアクセスすることもできない。そして当然、夢魔が『配信』を行う配信主だ。彼女らは特殊な魔術を使って、人々の精神同士が集まれる、魔法で構成された広場を作るのだ。そこは念じれば誰もが一瞬で到達でき、出入りも自由な場所。精神的な社交場か、もしくは公園ともいえた。事実、その夢魔各々の広場は『チャンネル』という聞き覚えのある名前がついているらしい。
撮影機材としては、夢魔自身が担うこともあるし、夢魔の使い魔がドローンカメラのような役割をはたすこともある。レインは自身がその役を担う同時参加型。だから一緒に戦うこともある。配信人気トップは使い魔ドローン型が多い。本人が戦うよりずっと、映像が安定するからだ。
なにはともあれ、つまり地球と一緒だった。インターネット上の動画配信サイトと、そこにある配信者のチャンネルとほぼ同義なのだ。そして地球ではやっているのだから、この世界ではやらない理由もない。
この現象が再発見(もしくは有効活用法の発明が)されてから、冒険者たちの中で新しい物好きの連中はこぞって夢魔を求めた。でも夢魔なんてものは一般的でない存在だ。大陸のはるか北方、魔界とかカールメヤルヴィとか呼ばれる場所、もしくは娼館以外で、彼ら彼女らを見つけるのは非常に困難だった。
そこで動いたのが冒険者ギルドだ。彼らは利益を求める組織であるし、同時に新しい技術に敏感でもある。ギルドはいくつかの施策を講じた。そのネットワークを生かし夢魔を集めること、そしてこの『配信』の実験場へ、宝守迷宮の数がきわめて多いトリグラヴィア王国を選ぶこと。
こうして現在のトリグラヴィア王国は、配信を行う夢魔と冒険者たちにあふれている。
「あー。私もいっぱいオーディエンス増やして、収益もらって、投げ銭ももらって、豪邸に住みたい!」
「欲望まみれじゃねぇか」
「重要でしょ?」
「まあな。でもレイン、俺たちの登録者数は16人、同接なんて2人か3人だぜ? 豪邸になるまで何年かかるよ?」
「だぁかぁらぁ! バズる方法を探すんでしょ⁉︎」
チャンネルのお気に入り登録者数をあらわす登録者数、同接――配信中の接続人数、視聴者から金銭をもらう投げ銭、そして急激な視聴者の増加をあらわすバズ。どれもこれも地球と同じ文化。地球出身の勇者にとって、なじみ深いものだ。レインはこれらを管理するプラットフォームへ魔術的にアクセスできる。そこで他の夢魔のチャンネルをのぞくことも、チャット連絡を取ることも、そして収益化することも可能だ。
収益化、それこそこのストリーミングが流行している理由だった。夢魔はその配信を見てくれた人数に応じて利益を得られる。Lifespayなる、Lifspanをもじった冗談のような名前の仮想通貨へ変換できるのだ。そしていったい誰がどうやって管理しているのか、魔術を使えば現実の物品に交換できる。価格はそれぞれ現実の物品の倍以上に設定されているが、ラインナップは非常に豊富。食物から武器、建造物まで。名のある刀匠が打った名刀であろうとも。「悪用したら国の経済なんて簡単に破綻させられるな」と思っているのは勇者だけでない。そうならないのは、まだこの文化が根づいて日の浅いことと、2倍以上という価格設定によるものだろう。
つまり経済を破綻させるのは簡単でない。直接銀貨でも生み出せれば話も違うが、そういう機能は持ち合わせていない。また、換金率は再生数が少ないほどおおきく、逆に再生数が多くなるほどちいさくなる。つまり、視聴者――オーディエンスの多い人気者と少ない者の差が緩和されるようになっているのだ。だからグリーシャは、「Lifespayのしくみってよくできているな」と思った。
(しかし……Lifspay利用のしくみ、ありゃどういうしくみで動いてんだ?)
実際にたまったLifspayを利用すると、目に見えないプラットフォームが、目に見えない場所で仕事をしている様子。レインがそれを食べ物――トリグラヴィア王国では栽培されていないトウモロコシへ変換した時には、「ポーン」という通知音とともに、なにもない空間からぽろりとあらわれた。あざやかな緑の葉から、ずらりとならんだつややかな黄色の粒。緑の唇から黄色の歯を見せ、笑いながら「ご注文ありがとうございます」なんて顔をしているようにも見えた。
(あやしすぎるしくみだな。こんな現象がまかりとおるなんて)
この世界にきて1年以上経過したが、グリーシャはひとつ感じていることがある。それは、この世がMMORPGの世界なのではないかという疑念だ。つまり自分はゲームの中にとらわれてしまったのかもしれないと。
自分の死に際、ゲームをやっていたわけじゃない。でもこの世界にあるプラットフォームは、たしかにゲームの形をしているのだ。
「グリーシャ、聞いてる?」
「聞いてるよ」
レインの言葉を聞き流しながら、グリーシャは自分が死んだ時のことを思い出す。同時に心で「ちっ」と舌打ちをした。思い出したくもないのに思い出してしまったら、停止ボタンもシークバーもない精神的ブラクラ動画のように、最後まで再生され続けるのだから。
約1年前、2021年06月06日。ロシア連邦の大都市サンクトペテルブルク。
その時、彼――21歳の男性グリゴリー・イワノヴィチ・クズネツォフは空中にいた。背中を下にしていたから、友人の顔がよく見えた。ビルの屋上からこちらをのぞき、目を見開いているその顔が。
落下までの3秒間、グリゴリーはおおいに後悔した。動画の再生数欲しさに高所自撮りへ興じていたことも、なぜ俺は建物のもっと内側に立たなかったんだということも。手に持った自撮り棒の先、スマートフォンがインカメラをこちらへむけている。これにも後悔した。さっさと手を離しておけば、このカメラが人の死ぬところを映すこともなかっただろうに。
よりにもよってストリーミング配信中だ。今ごろ、そう多くないフォロワーたちが画面のむこうで息を呑んでいるに違いない。
ぐしゃりという音は、彼が落ちたトラックの運転席天板のゆがむ音。そして、自分の体がつぶれる音。車体の構造的に強度な部分へ後頭部でもぶつけたのか、意識はすぐに寸断された。それがグリゴリーの、前世最後の記憶だった。
(……こんなことは思い出すのに、あの女神の顔はよく思い出せねぇ)
目が覚めると、そこは天界とおぼしき場所。目の前には案内人の女神。
美人だったはずだ。彼女が動画配信をしたら、外見だけでインフルエンサーのひとりへなれただろう。しかしグリゴリーは、女神から受けた転生勇者のチュートリアルの期間、ずっと興奮し続けていた。異世界転生という事実がもたらす興奮は、故郷で飲んでいた一般的なводкаの比じゃない。そのパンチ力たるや、となりの国ポーランドで作られたスピリタスにも匹敵する。
転生も勇者も、言葉くらいは聞いたことがあったはずだ。にもかかわらず、いざ自分がそうなったら、アルコール度数96パーセントの純粋な昂る気持ちを落ち着けることなんて不可能に近い。
そんなふうに現実へ酔っていたのだから、女神のととのった顔立ちも、よくとおる声も、その口で話された内容も記憶がおぼろげだ。金髪であったこと、魅力的な身体をしていたこと、4枚の羽根があったことくらいは覚えているが。
(いや、どうせもう会えないはずだ)
当時の興奮――バカ騒ぎのパーティーの夜のような心の喧騒がふたたびこみ上げてきそうだったから、勇者はそれを振りほどかんと、呪文を口にする。
「――<открытое состояние>」
自身の状態――ステータスへ「開け」と命じた。動画の読みこみ中によく見た、ランドルト環――視力測定で使うCの字マークのような意匠がくるりとまわる。それが消えて、空中へ電子的な画面が投影された。
「どうしたの急に?」
「いや……なんとなくな。登録者数がのびていないかって」
「なにもせずにのびるわけないでしょ?」
とはいえグリゴリーの関心は登録者数などではない。転生後からずっと記録されている自分の記録でも見て、落ち着こうとしていただけだ。
天界で行われた2日間のチュートリアルの後、彼は思わぬ場所へおり立つことになった。これも興奮していたせいだろう。女神の「――という国が、最初はおすすめですの」というアドバイスをちゃんと聞きもせず、目的地も決めないで金色の猪に乗った。そしてどうやら、それから落下してしまった。転生した原因と同じ失敗を、さっそく繰り返してしまったのだ。
死なずに済んだのは幸いだった。けれど、問題になったのはその場所。自分がいたのはダンジョンの中。それも深く広大で、冒険者たちも避けるような、難度Aランクの代物の。
それが1年以上前にあった、彼にとっての災厄のはじまり。1か月半前に脱出するまで、出口の見えない迷宮内を延々とさまよう羽目に。
「ねぇ、そろそろ今日どこに行くか考えようよぅ」
レインと出会ったのもそこだ。半年くらい前だったか、ダンジョン内の強力なモンスターがいる広間から叫び声が聞こえた。大慌てでそこへむかうと、やっと見つけた。自分以外の人類だ。
彼女は凶暴な魔物に襲われており、グリゴリーは迷うことなくそれを助けた。そしてそのまま、今も一緒にいる。迷宮の出口を見つけ、そこから出て、現在にいたるまで。
「グリーシャ、さっきから聞いていないでしょ? 私も早くトップインフルエンサーになりたいの。アム・レスティングみたいな!」
「『あこがれをいだいているうちは超えることなどできない』、らしいぜ?」
「誰が言ったか知らないけど、意識高めなお言葉だね。私はアムみたいにかわいくなりたいし、豪邸に住みたいだけ!」
「はいはい、レインだって十分かわいいよ」
歯の浮く台詞に「よろしい!」なんて返した、ご機嫌な彼女へ苦笑しながら、勇者はステータス画面へ手をのばした。もうこれを閉じて、夕焼けの下でギルドへむかい、仕事を探さなければならないからだ。
レインのせいですっかり夜型になってしまった。そう思った時。
――ポーン。通知音が鳴る。ストリーミング・プラットフォームをとおして、誰かからメッセージが送られてきた音だ。
「どうしたの?」
「誰だ……なっ⁉︎」
「ええ? どうしたの?」
勇者はその名前を見て、驚愕した。
その通知が、先ほどレインが口にした、この世界で一番の配信者アム・レスティングからのものだったから。




