笑うストリーマー 2
配信対象の盗賊の、風のような移動速度。これは配信者の夢魔アム・レスティングの予想を上まわっていた。彼の姿はすっかり消えて、それを全力で追うことに。
「待ってぇ! は、早く追いかけて!」、使い魔(カメラの役割の苦労人)は休憩を許されないまま男の後を追う羽目になる。この使い魔はコウモリの形をしていたが、飛ぶ姿は現代地球でいうドローンのそれだ。だから画面のゆれでオーディエンスたちへ酔いと吐き気を提供することなどない。ないはずなのだが、目まぐるしく動くせいで、見る者たちの閉じられたまぶたの裏へ、ちょっとしためまいを発生させていた。
「あ、ごめんね。見にくいよね。でもね、ちょっと我慢して。じゃないとあの人に追いつけ――あっ!」
角を曲がって視界が開けたその先、石造りの床の上。またも数体の兵士が転がっている。こんどは彼の攻撃を画面におさめることすらできなかった。闘牛場で闘牛士がひらりと身をかわす重要な局面を、くしゃみでもして見逃したかのようだったから、オーディエンスのいくばくかは夢の中でブーイングを放つ。
【おい、しっかりしろよ!】【これはポンコツ】【アム・ミスティングと命名しようぜ】
「だってだって! 速すぎるんだもん! ああ、置いてかれるぅ」
一番かわいそうなのはドローンコウモリだ。ご主人様の命とあれば、暗い森の木々の間も山火事の現場も、戦場ですら駆ける所存だったのに、今は期待に応えられない。こんなにも休憩が許されず、人外の動きをする男を追跡するなんて、彼のできる範囲を超えていた。「ちゃんと追って!」とハッパをかけられたところで、矢のように速く飛ぶことなんてできやしないのだ。
ゆえにちょっとしょぼくれながら、でもできるかぎりの速さで追った。通路の左右にならんだランプの火を風圧で消さないよう、通路のど真ん中を一生懸命に飛ぶ。発生した風で火がゆれたのは、灯りたちが苦労人の侵入者へ手を振っているようだった。
長い直線の後に角を曲がり、あらわれた螺旋階段をくるくるとのぼり。
遠くで「がちゃり」と音がした。きっと出口の扉を、盗賊の男が開いた音だ。
「ああん! お願いだから転んで! 10秒でいいから痛がっていて!」
番組にならないからぁ、自分の都合に必死なせいで若干涙目のアムを横目に、使い魔の視野はついにとある部屋へ到着する。同時に彼にも追いついた。夢魔とコウモリは、そろって「ほっ」と胸をなでおろす。
直後に「あっ!」と声を上げた。それは視聴者たちも同じ。
なにしろ男が今いるのは、他ならぬヤネス2世の寝室だ。おおきな窓と豪華な絨毯、うわさに聞いていても見たことはなかった天蓋つきのベッド。暗い中でもわかるくらいに豪華な部屋の中、白髪の王は温かそうな布団につつまれ眠っている。さすがは王族、寝相もいい。ちゃんと天井を見上げ目を閉じて、両手を胸の前に組んで。そんなだから、寝顔もばっちり映っていた。どうやら悪夢を見ていそうな、脂汗だらけのしわがれた顔も。
盗賊の男は、ベッドの横2メートルくらいの距離に立って、王を見おろしている。いつの間に取り出したか、手に先ほどの短剣を持って。
【え、これって暗殺?】【……相手王様だぞ】
空気が急に冷えたように感じた。ごくり、視聴者たちは自分がつばを呑む音を聞いた。それはアムも同じこと。「えぇ……こ、殺さないよね?」と不安げに、両手を口の前に持ってきていた。
ゴツンゴツンと、男は無遠慮に歩みを進める。絨毯の敷いてある床を、硬いブーツの底で打ちつけるように。なんだか貴族の館へ押し入る強盗のようだった。金糸でふちどりされた赤い絨毯は、「私をその足で踏みにじらないで」と懇願しているようにも。震えながら、命乞いをするように。
それがぐしゃりと足をのせられて、消えそうもない深いしわを残した。悲痛な音がしたから、オーディエンスもアムも、引き潮のように血の気が引くのを感じた。さっきまでワクワクして見ていた心が、焦燥感のようなものに覆われる。残酷な光景になってしまうのなら、今すぐ目覚めて悪夢を終わらせたいと感じるくらいに。
緊張感がただよう中、盗賊の男は口を開いた。
「偉いやからは嫌いだね。とくに、重税を課すやつは。聞くところによると、あんたはそういうやつなんだろ? 王様よ」
侮蔑が混じった声色で、彼は右手の短刀をにぎり直す。そしてまた、風のようにその腕を振るった。オーディエンスたちの悲鳴を聞くこともないままに。
「ああっ!」、アムも悲鳴を上げる。両手で顔を覆い、そして指の間から残酷な結末が見えることを覚悟して。しかし、「……あ、あれ?」。悪い予感ははずれてくれた。
「といってお前を殺したところで、銀貨1枚の価値もない。だからさ、王様。こいつはもらっていくからな?」
覆面の下、にやりと笑う盗賊は、左手にペンダントを持っていた。おおきな宝石がはめこまれた、金細工の装飾品。同じく金でできた鎖の一部が鋭利な刃物で切り裂かれている。
「よ、よかったぁ。ペンダントを奪っただけだったんですね。いやぁ、びっくりしました。みんなもびっくりしたよね? ね?」
同意を求めるアムの顔は、まだ若干引きつっている。表情を安堵の色で塗り直すには、もう少し時間が必要そうだ。「はぁぁ、でも、よかったねぇ。今日は『流血シーンあり』の注意書きを入れてなかったから、よい子のみんなへトラウマを植えつけちゃうかと思った」
このひとことは余分だった。理由のひとつは、彼女がしばしば血まみれシーンの配信をしていたこと。視聴者の多くが、夢の中で「今さらじゃねぇか」と当然の指摘を入れる。
もうひとつは、盗賊の男から目を離したこと。
「うーん、でも彼って、有能な盗賊だったんで……ぇ?」
振り返ると開け放たれた窓。これまた豪華そうなカーテンが、夜風にゆれて気持ちよさそうにしていた。
「あぁ! また撮り逃した!」
【またそれか】【ポンコツ確定】【アム・ミステイク】【なんというかさ、しっかりしろよ】
本日2回目のブーイングを聞きながら、夢魔は「じゃ、じゃあ今日の配信はここまで! みんな、次回もお楽しみに!」とあわただしく配信を終える。「あぁん、今日は失敗だよぉ」という嘆きを、配信の最後に残しながら。
トリグラヴィア王国、王都メスト・ペムプレードー。
2022年7月7日。この日の夜、同時に発生したオーディエンスたちのため息は千の数を超えた。
もしその数を数えていた者がいたのなら、フォーサスにおけるマニアックな世界記録、「ため息の同時発生数」が更新されたことを知っただろう。
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
夢魔による夢の配信を経ていた者たちも、その覚醒はいつもどおり。騒がしかった昨晩の喧騒を、朝の空気がさらっと洗い流していた。小鳥が新しい日の到来を祝福してさえずり、太陽が人々を照らしてビタミンDを分泌させはじめる、そんな心地よい時間帯。
そこへ響くのはおおきな声だ。
「がっああぁぁ! 小僧! 小僧ぉ――!」
残念ながらニワトリの声ではない。世界樹のニワトリ、グッリンカムビの鳴き声でもない。白む空へ怒髪天を突いたのは、この国の国王、ヤネス2世の咆哮だ。
年の割に甲高い声。体躯は細く、ひげもない。どこか老婆にも見えるその男性は、外見からするに咆哮などという行為が似合う者ではなかった。けれどそんな彼が朝っぱらから、ヒステリーを起こしたいじわる婆さんのような声で鳴く。
「――ぁああっ! 許さん! 許されることではないぞ! 貴様の骨と肉とをわけて、魔女の大鍋に放りこんでやる! 煮立った貴様の亡骸を、ハーデースの元へ送ってやる!」
怒り心頭、手に負えない。冥府の王ハーデースも、そんな物もらって嬉しくはないだろうに。廊下でその声を聞いていた王宮の召使たちは、朝から「ハーデースだけじゃなく、ヘルだってごめんだろうね」「希臘冥府にも北欧冥府にも、そんな物食べるやつなんていないさ」と、さっそく皮肉を言っていた。
彼らは王へあきれ返っているのだ。あの乱暴者で、気分屋で、ひどく気難しいご主人様を。
「それよりも、昨日の『ストリーミング』、見た?」「もちろんさ。だから王がなんで怒っているか、知っている」「じゃあ王の部屋の掃除当番、変わってよ」「嫌だね、今日は君の番なんだから」。彼らは一国の王へむけた悪口混じりのぐちをこぼす。ある者は肩をすくめて、またある者はおおきなため息をついて。
結局のところ、王に同情する人なんていなかったのだ。老人なのに落ち着きがなく、欲望には忠実で、なにより怒りっぽい。あれだけ怒っているというのは、つまり王も昨晩ストリーミングを見ていたことをあらわすのだ。きっと魅力的な夢魔へ鼻の下をのばしながら……。
王はその権力で国民から恐れられてもいたが、同時に侮られてもいた。
トリグラヴィア王国国王ヤネス2世とは、そういうたぐいの王だった。




