笑う受付嬢 2
ドラゴン種を「倒した」と言った俺のひとことは、目の前の受付嬢へ大声を上げさせ、周囲の冒険者たちへざわめきの種をまいてしまった。冒険者ギルド内の多くの人たちがこちらに振りむいて、「どうしたんだ?」なんて注目してしまった。
これは落ち着いてもらわなきゃ。
俺は「どうどう」と制止するような手振りで、彼女を冷静にさせようとする。「い、いや、落ち着いてくれ。俺が相対したのは闇の眷属っぽいと思ったんだ。なら『光魔法が効果的かな』って思っただけだ。そして、太陽の力をこめた魔法を放ったら、ええと……。ドラゴンもろともぶっ倒れて、そうなった」
「光魔法⁉︎ 太陽の力⁉︎ もろとも倒れてそうなった⁉︎ 意味わかんないです!」
言動は完全に逆効果だった様子。受付嬢は机のむこうで前のめり。綺麗な顔が近づいて、いい匂いがふんわり香って。ああいい気分。
――いや、違う。それどころじゃない。
ざわざわとしたまわりの声が、ますますおおきくなっていった。「あいつらどうしたんだ?」「なんか『ドラゴンを倒した』みたいに聞こえたけど?」「見間違いじゃないか? じゃなきゃ大ニュースだぜ?」って、いぶかし気な声まで聞こえてくる始末。
これ、まずかったのかな? たしかにドラゴンっていえば大物だけどさ……。でも一撃で倒せたんだぜ? こんなおおげさなことになるもんなのか?
「この角がその時に手に入れたものですね? えぇと……ああ。本物だぁ」、目の前には黒い角をまじまじと見る受付嬢。手に持ったそれと、こちらの顔へ、交互に何度も目線をうつす。
と、彼女も周囲の状況に気づいたご様子。「こほん」とひとつせきばらいをし、長い角を机の脇へそっと置くと、驚きの余韻を残しながらも仕事を続けることに決めたよう。「ソーマ様。あなたはよくわかっていないかもしれませんが、これはとってもすごいことなんですよ。当ギルドとしては、ぜひあなたをメンバーにくわえたいと思うくらいに。他に実績等がないようでしたら、さっそく契約書類の説明にうつりたいのですが、なにかありますか?」
「あ……他にもあります」
「あるんですか⁉︎」
ますます騒がれそうだけど、さりとて隠しごとはよくないよな。俺は同じく道具入れから、おおきな羽根――茶色と白のグラデーションが美しい物――を数枚出す。
「たぶんグリフォンの羽根だと思うんだけど」
「グリフォン⁉︎ なんで!」
「そ、それは……」
言いよどんでいると、彼女の目がスッとするどくなった。なにかかぎつけた感じの、獲物を狙う蛇みたいな目に。
「ソーマ様。いいですか? 隠しごとはダメ、です。あなたがどういう実績を上げたのか、洗いざらいお話しいただけますか?」
洗いざらい、の部分に強調のアクセントを置いて、彼女は追及の姿勢を見せる。
こりゃしかたない。しゃべるしかなさそうだ。そして――
「――ということで、グリフォンに襲われていた馬車を助けるという常識的な行動を――」
「――飛んでいる大型の獣を一撃のもとに撃ち落とすというのは、ごくごく非常識な行動と思いますけど?」
(いやだってできたんだもん!)
「――で、その老人を助けるために、50人くらいいた傭兵連中をぶっ飛ばしたのは、悪気があったわけじゃなくて」
「『いいこと/悪いこと』でいったら、あなたの行動は『意味がわからないこと』です!」
(会話のロジックが崩壊してるじゃん! 人助けはいいことでしょ⁉︎)
とまあ、こんなふうに尋問を受けた。俺の独白をたっぷりふくめて。
天界から地上におりて半年、なんともまあ、いろいろなことをやってきたんだなぁ、うん。まあ、やらかした、ともいえるけど。なにしてんだよ、過去の俺。
これじゃ、転生時にいろいろ世話を焼いてくれた女神に申し訳が立たないよ。
(あ、そういえば――)
目の前でわちゃわちゃとしている受付嬢を尻目に、俺の思考は、その転生女神のほうへ。
あの人もすっごく綺麗な人だった。けれど、それが気にならなくなってしまうくらい、小言の多い人でもあった。「ソーマ様、あなたはあなたのお力を自覚すべきですわ。諸刃の剣を抜き身で歩いているようにも見えますの」とか、「釘を刺すようですけれど、剣を振るう前に相手のことをしっかり理解すべきですわ」とか。
端麗な顔が不安とか心配とか、ともすれば少々のいらだちとかをうかべるほどだったなぁ。黙っていれば美人、なんて言葉が似合ってしまいそうなくらいに。
「――ソーマ様、聞いています?」
「あ! すまんすまん、聞いている!」
「そうは見えませんけれど?」
「い、いや、反省していたんだ。ちょっとうかつだったよな、俺」
俺は回想から帰ってきて、受付嬢に謝罪をした。そうやって反省の姿勢をしめしたからか、彼女の追及のトーンも徐々にやわらいでいった。「そういうことであれば、ま、このへんにしておきましょうか」とようやく解放された俺の目の前へ出されたのは、魔力をおびた1枚の契約書。
(よ、ようやく終わった。でも、これはなんだろう?)
話題を変えるまたとない機会。すかさずそれに飛びつくのだ。「これは?」
「魔法契約書と呼ばれる魔法具です。魔法の力で強力な強制力を持つ契約書なんです。お話をうかがってわかりましたが、ソーマ様は北欧神話の雷神ソールのようなかた。強力ですけどなにをするかわかりません」
(う。女神様と同じ意見かよ)
ぴしゃりと懸念を伝えられ、ぐうの音も出やしない。つまり、このゲッシュ・ペーパーというもので魔法的に俺をしばる気なのだろう。
「ですから、おおきな犯罪に手を染めないように、こちらにサインしていただきたいんです」
「そういうことか。まあ、そうだよなぁ」
ひとりに言われただけなら相手の思いすごしってこともある。が、女神様と受付嬢、ふたりが口をそろえるのだから、俺は要注意人物なのかも。これから組織に所属する身としては、いちど従順になっておいたほうが得策か。
思い立ったが吉日だ。パッとペンを手に取って、インクへつんつんと浸らせる。彼女だってそれを望んでいるだろうし。「わかった。ここにサインすればいいんだな?」
「ちょ、ちょっと待って! お待ちくださいって!」
だんだん口調があやしくなってきた目の前のお嬢さん。最初に見せていた、役所の書類みたいにカチッとした彼女はどこへやら。
でも、次に彼女が口にした言葉は、至極まっとうで、なにより俺のためになることだった。
「だめですよ、ちゃんと読まなくちゃ! いいですか、ソーマ様。この世にはいろいろと悪い人がいるんです。この契約書に『契約金は生涯収入の半分』とか書いてあったらどうするんです?」
「わ、悪い。たしかにそのとおりだよな。ちゃんと説明を受けるよ。お願いできるか?」
「もぅっ、せっかちなんですから。でも、もちろんご説明します! 強いけれど朴訥なソーマ様が、ちゃんと納得できるように」
ふたたびニコリと彼女は笑った。うかつな俺を許してくれたような笑顔。つられてこっちも微笑んでしまう。心もすっかり落ち着いた。
(よし、気を取り直していこう!)
あらためて契約書に目を落とす。
それは少々茶色味がかっているけれど、厚めで上質な紙だった。外縁を、うねる形の飾り帯――波濤をインクにしたような青色の――が囲っている。そのひとつ内側には、赤のインクで書かれた、見たことのない文字がずらり。これまた契約書を生垣のように飾りつけていた。
その装飾にくわえ、紙はぼんやりとした淡い光をたずさえている。彼女の言うとおり、魔法的ななにかが施されているんだろう。
「それじゃあ、ご説明をはじめますね。まずは冒険者ギルドがどういうものかについて――」
契約を記した文章は、A4サイズの紙にびっしりと書かれていて……正直、目がチカチカしてくる。でも言われたとおり、ちゃんと読まなくちゃな。と思っていると、不思議な感覚が俺をつつんだ。
おかしい。紙に書かれている文字は、多分英語だ。俺、英語なんて赤点を取ったことがあるくらい苦手なのに。
(ここ異世界だよな? でも読み書きに不自由はしない。もしかして、この世界って自動翻訳機能みたいなのが働いているのか?)
「ソーマ様? ご説明が少し早すぎましたか?」、受付嬢の言葉で我に戻る。いかんいかん。まじめに聞くと宣言した直後にこれじゃ、また彼女のほほをふくらませる結果になっちゃうだろう。
ま、便利な機能があるってのはいいことだ。俺はそう納得し、続きを聞くことにした。「大丈夫だ、続けてくれ」
「わかりました。では雇用の形態ですが――」
そこから彼女のしっかりとした説明――地球でいったら北欧の国々の福祉くらいには手厚いもの――がはじまった。でも彼女の説明は的確で、端的で、俺が受けたことのあるどんな授業よりもわかりやすかった。時々質問の機会もあたえてくれて、約30分くらいの時間があっという間。
一方、内容はというと、まあ想像どおりだった。冒険者という「なんでも屋さん」の寄り合いがどんな流れで仕事をするのかとか、そのルールやペナルティとか。たとえば「許可なくして同じギルド員への攻撃は厳罰に処す」なんていう。
ゲームなんかで理解していた漠然とした冒険者ギルド像と乖離はない。理解のおよばない部分なんてなかったから、ある意味では退屈な内容だったとも。
だから「どうでしょう? 他に質問はありますか?」という問いに対し、脇道にそれた質問をしてしまう。「この飾り帯の文字って、古代語かなんかなのか? 俺は読めないけど」
「ああ、これはルーン文字ですよ。占いとかの魔術に使うやつです。このゲッシュ・ペーパーも魔術が施された物品――魔法具の一種ですから」
「へぇ、そうなんだ。じゃあルーン語ってやつ?」
「ただのアルファベットですよ。でもこれがあると『いかにも魔法具』って感じでいいですよね!」
楽しそうな顔。うん、かわいい。今後も彼女にはお世話になりたいところ。そのために、まずは冒険者としての一歩目を踏み出そう。
「ともかくさ、俺は十分に説明を受けたよ。サインをしようと思う」
「本当にいいんですか? ほかに質問事項とか、説明を受け足りない部分はありませんか?」
「うん、大丈夫だ。たっぷり説明してもらったし、だいたいの方向性は理解した。あとは仕事をしながら覚えていくよ」
「ありがとうございます! 心強いかたにきていただいて、とっても嬉しいです」
少々おだてられながら、俺はあらためてペンへインクを吸わせ、自分の名前を書いた。で、その時にようやく気づいたのだ。
サインだけじゃなく、血判が必要であることに。
「……痛いの嫌だなぁ」「そ、そうおっしゃらずに! すぐに回復魔術を使えるかたへお願いしますから!」、短いやりとりをへて、覚悟を決める。躊躇すると怖くなりそうなので、えいやと気合を入れて手の甲へナイフで傷を。にじみ出た血を親指へなじませ、「日本のハンコ文化って平和だったんだなぁ」なんて実感してしまった。
紙から指を離す。赤く押された俺の指型を見おろした直後、一瞬だけゲッシュ・ペーパーがぼんやりと赤く光った。スマートフォンに指紋登録をした時みたいだ。「これからよろしくお願いします」と言っているような気すらする。
ともかく契約は終了だ。俺は冒険者になったのだ。転生の女神は、俺のことを『勇者』と呼んでいたから、もしかしたら兼業なのかもしれないけど。
「それではソーマ・シラヌイ様。これからがんばってくださいね!」
彼女は両手でこちらの手をぎゅっと握りしめてきた。すべすべしてやわらかい感触と、ぱちりと開いたまっすぐな瞳に、心臓が乱暴に鼓動をはじめてしまう。
けれどさ――
「いてて!」「す、すみません!」
そこ、今つけた傷があるんだよな……。
平謝りをする彼女に笑顔を返して、俺は席を立つことにした。さっそくギルド内の壁に張り出された依頼書なんかを見てみたいと思ったから。
でもそれは、契約の終了を待ち構えていた先輩冒険者たちによって阻まれる。
ドラゴンを倒したというルーキーをなんとしてでもパーティーへ引きずりこもうとする、大学のサークル勧誘みたいな人だかりによって。