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笑うベースボール 35

 休憩を終えて、チーム『ヴォゾヴァ・ハラドバ』と『ヴィヘリャ・コカーリ』は、ふたたびフィールドへ出た。試合が終わって1時間半、まだ残りづつける観客たちへ最後のあいさつをするためだ。


 声援に応え両手を振って、そんな状態でフィールドを練り歩いて。そしてぐるりと1周し、球宴は終わりを告げる。


 ワゴンブルク・ドームは姿を消した。場所はロード・オブ・ザ・ギフトの脇、開けた草地に戻っていた。少し遠くには国境線の宿屋が見える。


「食事にしませんか、イーダさん。ラグビーではないですが、戦いが終わったら『ノーサイド』だと思うのです」


 勇者からのやさしい提案。


「『敵味方の時間は終わり(ノーサイド)』ですね。はい、ぜひ」


 飲まないわけがない。


 数十人の集団は、緊張の解けた顔をしてぞろぞろと宿屋を目指す。


 ――その後、両チームは席が入り乱れるような形で宴会をした。人数が多いから屋外だったけれど、明るい空の下で宴会を楽しむことに。大人数の客となったが、さすがは主要交易路にある宿屋。オートマタも使いながらテキパキと注文をさばいていき、ついに「料理がこない!」なんて事態は発生しなかった。


 夜、ようやく空が赤らみはじめ、宴もそろそろ終わり、といった時。集団の中にもまれていた魔王と勇者が、ふたりしてすっと立ち上がる。イーダは「終わりのあいさつかな?」とのんきなことを考え、すぐに「いやいや、違う」なんて自ら否定した。


 代償だ。双方が勝負に賭けていた、とある契約が履行されるのだ。


「さあ、球児たち。注目なさい。今から本勝負における、双方の代償について説明するのだから」


 あいかわらずよくとおるシニッカの声。喧騒なんかものともしない。


「私と勇者イヴォが代償を契約に盛りこんでいたこと、みなは理解しているわよね。けれど、イヴォが約束を守っていたのなら、あなたたちは内容を知らない。そうよね?」


 シニッカの言っていることは事実だ。両チーム参加者全員が、なんらかの賭けが行われていることを知っていたが、その内容を知らされていない。把握しているのは当のふたりだけ。


 ゆえに固唾をのんで見守る選手たちの中で、魔女もちょっとドキドキしながら親友の言葉を待っていた。


 あまり過激な――たとえば取り返しのつかないものを奪うようなことはしていないはず。それはイヴォの態度を見ていればわかることだ。けれど性悪な魔王様は油断できない。あの人は悪魔種であり、他人の不幸さえあればミルクにはちみつを入れる必要もなく、そして人をだまくらかすのが大好きだから。


「今回私たちは、ちょっと変わった契約をしたの。まず勝ったほうがひとつ、相手へ重要な決定を要求できること。もうひとつは、自分のチームが入れた得点の数だけ、ささやかな要求をできること。このふたつよ」


 へぇ、そんな契約してたんだ。もうひとりの親友たる潜水艦が、口のまわりにビールの泡をつけながらつぶやく。彼女は他の人と違い、真剣な表情をしていない。今から熱戦をだいなしにするような悲劇的結末がきたとしても、魔王と一緒にはしゃげるたぐいの性格なのだ。


「まずは勝者たる私たちから、重要なほうを伝えるわ。冒険者クラン『ヴォゾヴァ・ハラドバ』に対して、南西開拓遠征への『夢魔馬車』同行を要求する」


 ざわざわ、勇者のクランの人たちから、動揺にも似た声が出る。夢魔馬車というのは移動娼館だ。文字どおり馬車に夢魔を乗せて隊商へ同行し、有償で()()()()を行う人たちのことだ。


「なるほど、癪だがいい案だ」


「そうっスね」


 魔王の言に、サカリとオンニが反応する。「ちょうど外へ出稼ぎに行きたい連中がいたな」、「じゃ、明日にでも編成しとくっス」なんてぱぱっとその場で決めてしまった。それでようやく、魔女は狙いがなんだか理解したのだ。


(ああ、情報収集が主目的なんだ)


 未開拓の地の最新情報、言葉にするとなんとも魅力的な響きがあった。南西地方の状態を知りもしないのに、イーダの脳は妄想をはじめる。うっそうと茂る熱帯の森を切り開いて進むと、「遺跡」「新しい民族」「見たことのない生物」「誰も知らない文字や歴史」なんてものが両手を広げて待ち構えているのだと。


 ついでに「勇者側のメンバーにとってもメリットがある……のかな?」とも考えた。こちらも両手を広げて歓迎してくれる、のだろう。たぶん。


 勇者の反応はどうなのだろうか。


「なるほど、そうきたか」


 彼は難しそうな顔をしていた。魔法契約書(ゲッシュ・ペーパー)を使っているだろうから、断ることなんてできやしないけど、性的に露骨な役割を持つ集団の同行については言いよどんでしまった様子。


「もちろん受け入れるが……せめて既婚者には手を出さないでもらいたい」


「それは既婚者側できっぱり断るべきと思うけれど。とはいえトラブルは困るわね。言い聞かせておくわ」


 話はうまくまとまりそう。


「で、2得点ということはふたつ、()()()()()要求があると思うが?」


「ひとつはあなたの固有パークで作ったドームへの追加事項よ。控室にペサパッロのルールブックを置いておいてもらえる? こんどあなたが誰かと勝負する時、嫌でも目を引く位置に」


「ふふっ、それは甘んじて受け入れよう。もうひとつは?」


「実のところ、試合前には考えていなかったのよね。だからこう要求しておく」


 魔王様はニコリと笑い……でもちょっとだけ、語気を強めて言った。


「二度と私のところへ、ファールボールを打ちこまないでいただける?」


 選手たちの噴き出す音が聞こえ、バルテリとサカリの高笑いが聞こえ、それを背景に勇者が苦笑交じりに「善処しよう」と言うのが聞こえた。その中でシニッカは表情を崩さず、笑みをたたえたまま「絶対よ?」と釘を刺す。


(あ、本気で言ってる)


 シニッカという人はああやって怒るんだなぁと、魔女は親友の知られざる一面へ気づいた。


「さ、私の要求は終わり。あなたも自身のホームランで1点もぎ取ったのだから、当然ささやかな要求をする権利があるわ。行使なさい」


「そうだな。では――」


 勇者は「ようやく手に入れられる」と顔に書いてあるくらい、満足そうに続ける。


「エイヴァの持っていた、魔法のステッキを返してくれ」


(エイヴァ? それ誰? え? 魔法のステッキ?)


 思考を働かせること3秒間。イーダは答えを出せぬまま。そこへ事態を動かす者が、ガタンと音を立て立ち上がる。


 小太りの捕手にして、マスクをかぶったままの人。勇者イヴォの女房役、エーズだ。


「い、いいのに、イヴォ! 私はそれ、もうあきらめてるから!」


(えぇっ? 女の人だったの?)


 相手チームのオーダー表にはなかった、エイヴァなる女性。でもこの時、魔女のシナプスたちは一致団結して電気信号を流し、六面立体パズルの色をそろえるかのごとく、高速で脳を回転させた。


 そしてそろった記憶の画像。「あいつなら大丈夫よ。精神強いから」、宝物庫に転がっていた変な形状のステッキ、「魔法少女を名乗るアメリカ人だったわ」。


(魔法少女か!)


 ――エイヴァ・エイヴリー・アーチャー。Aが3つだからエーズ。アメリカ合衆国ニューハンプシャー州出身の44歳。享年は41。魔王に会って、そして負けたのは2年ほど前のことだ。


 なんの因果か、彼女もイヴォと同様に教師であり、スポーツが好きで、暴走したトラックから見知らぬ人を助けるため轢かれて死んだ。彼女の最後の記憶は、自分にぶち当たるトラックについていたナンバープレートだ。そこに書かれた州のモットー「Live Fre(自由な生か、)e or Die(もしくは死か)」は、2度目の人生において彼女の指標となった。


 そこで彼女は、唐突に魔法少女になった。いや、理由はあったのだ。自分が幼いころに見たアニメのヒロインは、世代を超えて形を変えて、教え子たちにも知られていたから。


 彼女の固有パーク『正義の執行者』は犯罪者へ絶対命中の射撃攻撃を当てる能力。でもあまりに露骨な名称が気持ち悪くて、それ以上に魔法少女になりたくて、非殺傷光線Magical(マジカル) taser(テーザー)を放つTaser girl(テーザーガール)になったのだ。


 ちなみに小太りなのも、どこか男性的に見えるのも、すべて固有パークのおかげ。彼女は魔法少女だから、この世でも使い手がかぎられる変身魔術を行使できた。


 けれどそれは、すっかりバレていた。魔王は楽しそうに舌を出し入れしている。


「やっぱりね。宝物庫から持ってきておいて正解だったわ」


「いいって! こら! 魔王!」


(これは恥ずかしそう……)


 エイヴァの制止も聞かないで、魔王様は手荷物の中からマジカルステッキを取り出した。さっと手に持ちくるりとまわし、ぱしんと構えるその姿。どうにも本家より様になっているようで、魔女は「なんか()()()()()だな」と思う。


 きっと魔法少女マジカルシニッカちゃんは、ネコヘビのマスコットキャラクターを引き連れて、夜な夜な悪者狩りに出かけていくのだ。悪いやつらを計略に陥れ、金銭も仲間も生きる目的もすべてを奪い、命乞いを聞きながら舌を出し入れするのだ。そして最後は手に持ったステッキのJIS規格がギリギリとおらない鋭利な部分で、死ぬまでバシバシと叩くに違いない。


(……やめよう)


 無駄なことを考えているより、今は目の前のことがおもしろい。動揺したエイヴァさんの変身が解けはじめている。というよりも溶けているようだ。体を構成していた外殻が服ごと、ついでにマスクを巻きこんで、きらきらした砂粒になって消えていく。


 あらわれたのは気まじめそうな、でもやさしそうな女の人。体形はガラッと変わって大柄かつ筋肉質。「こっちのほうが野球選手っぽいな」と、魔女はとても失礼なことを思った。


「どうぞ、お返しするわ。うちの魔女が杖を欲しがっていたのだけれど、たぶんこれは選ばない」


「ああ、感謝する。エイヴァ、取り返した」


ありがとっ(Thanks)! 見てたからわかるっ(I know)!」


 酒場の空気はどんどん弛緩していった。お酒を飲む場所なのだからそれでいいのだけれど、でも少し違う空気も混じっているなと、イーダは感づいていた。


 ヴォゾヴァ・ハラドバの人たちがニヤニヤしている。なんとなくだけど、エイヴァさんの立ち位置がわかった気がする。


「イヴォ、心から感謝する。けれど、なかなか使いにくいと思わない? それを使うと、私は本当に少女になっちゃうんだって。ローティーンズだよ? しかもフリフリなフリルを着た。さすがにクランのメンバー内で浮きまくるって」


「? 私は今の君の姿が好みだが」


「話聞いてた⁉︎」


(おやぁ? これはますます空気が弛緩していくぞ?)


 近くにいたリザードフォークのアミさんに、イーダはこそっと聞いてみる。「いつもこんな感じなの?」


「ああ、イヴォ様とエイヴァの姉様は、いつもあんなさ。みんな『また乳繰り合いがはじまった』なんて思っているよ」


 横に長い口を思う存分ニヤニヤさせ、名遊撃手はふたりへ目を細めた。「ま、それも楽しいんだけどさ」なんて言って。


「エイヴァ、そもそも君が変身する理由なんてなかっただろう? 別に魔王が気づいていてもいいじゃないか。せっかく鍛えた体なのに」


「その話題はもういいんだって! そうじゃなくて、私がこれを使うと、なんというか……場違いみたいになるの! いきなりフリルの少女があらわれるんだよ⁉︎ 戦場でも洞窟でも!」


「児童を戦わせているようでよくないという話か?」


「それもあるけどっ!」


 会話の収拾がつかなさそうな雰囲気。でも「たしかに君は君のままでいい」と勇者がたたみかけていき、エイヴァさんの声はだんだんちいさくなっていった。


 あれは恥ずかしい。魔法少女うんぬんとか全然関係ないところで。たぶんイヴォさんはエイヴァさんと恋仲で、若干天然で、クールな顔してイチャつく台詞を吐くことについては野球より得意なのかもしれない。


「このままじゃエイヴァ姉が恥ずか死にそうだ」


 アミさんは苦笑して、おおきな口をぱっと開けた。


「ところでイヴォ様よ。さっきの魔王様からの要求について、私からもひとつお願いしてもらいたいことがあるんだけど?」


「なんだ?」


「男娼もちゃんと用意してもらえないかい?」


 とたん、おおきな笑い声。アミさんはまんまと話題を持っていく。


(『話をそらす』の上位互換だ! 勉強しておこう!)


 イーダが脳内メモ帳を広げていると、他のページに書きこんでおきたい内容が夢魔のオンニから出てきた。


「夢魔は性別組み合わせ5種類に対応できまスから、ご心配なく」


「5種類?……男と女と、あとなんだい?」


「男性に対する女性型、女性に対する男性型、男性に対する男性型と女性に対する女性型。あと無性。以上っス」


「無性ってなにさ?」


「『肌の温もりだけ感じたい』って人、多いんスよ? 少々割引しときますから、どうぞごひいきに」


 夢魔が告げた営業トークへ、ひげを三つ編みにしたドワーフの捕手が、満足そうにうなずいた。


 宴会はそれからもしばらく続き、酔っ払ったみんなのせいで、行き交う話題がだいぶ下世話になったところでお開きになる。


 同時にそれは、この勝負の全日程が終了したことを意味していた。


 ベースボールは笑顔のまま、魔界を去っていったのだ。


 死者をひとりも出さぬままに。

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