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笑うベースボール 34

 ごろん、なんとかあおむけになって、天を見上げたノエルは、しかし立ち上がれなかった。理由はいろいろあるけれど、とにかく立てなかった。四肢はぶるぶる震えている。生まれたての仔鹿のほうが、立っているだけ万倍もましだった。


(……終わった?)


 審判の口から3度も繰り返された「Safe(セーフ)!」のコール。つまり本塁突入は成功し、1点が入った。今は9回の裏だから、1点が入れば試合は終わり。


 それでも「僕は、うまくやれたのだろうか?」と疑問に思った。


「味方がトントゥに話しかけたら盗塁のサイン」なんていう変なサインプレーは見逃さなかったはず。ボールインプレーを継続させるため、インフィールドフライの直後にいちど塁へ戻り、すぐさま離塁してプレー続行の意思も見せられたはず。だから勇者チームのタイムは受け入れられずに、自分は正しく盗塁を試みられた。


(……大丈夫そうだ)


 どうやらうまくやれたらしい。


(疲れた……)


 立てないのは魔腺疲労のせいでもある。1日2回だけしか使えない突入魔術を使い切ったから。筋肉が悲鳴を上げているからでもある。こんなまじめに、真剣に走る機会があるだなんて思わなかった。


 でも一番の理由は、なんだかよくわからない感情で、腹筋と両足が笑ってしまっていたから。高揚感と疲労感と安心とが全部一斉にこみ上げてきている。そんな経験なんて生涯はじめてだ。だからどうしたらいいかわからない。


(……どんな顔してればいいんだろ?)


 ドームの白い天井、そこにぶら下げられたおおきな照明が自分を照らしている。いや、おこがましいようだが自分だけを照らしているようにも思える。最後のプレーだったから、球場全員の目線がここに集まっているはず。そんなにたくさんの視線が集中したら、圧力だって生むに違いない。


 そんなことを考えていたら、潜水艦が話をしていた、高圧トイレを思い出した。食堂で堂々とトイレの話をしていたあの光景と、それを魔王様に容赦なくたしなめられたのが眼前にうかんでしまって、ノエルはよけいに力が抜けた。


「いい走塁だった」


 すぐ近くで声。男性の太い声だ。ちょっとだけ右へ首をまわすと、自分の脇へ膝立ちになっている大男が視界に入る。


 勇者だ。「今さっき、僕はこの人と戦っていたんだ」、夢見心地に思う。照明を背にした彼の表情は見えないけれど、でも怒っているとか嫉妬しているとか、そういう感情ではないわかる。


 だって、彼はおおきな手をこちらへ差し出しているのだし。


 なんとか右手を上げて、それをつかんだ。ぎゅっと、強すぎもせず、弱すぎもしない、ほどよい力加減で握り返された。そして勇者はゆっくり立ち上がりながら、こちらの体を起こしてくれる。身をあずけていると、そのまま背中も尻も地面から離れ、いつの間にか両足で立っていた。


 そして握手の状態のまま、彼はこう言ったのだ。


「笑うんだ、少年。君の勝ちなのだから」


 顔にやさしい微笑みをうかべながら。


 なんというか、いもしない父親か年の離れた兄に言われたかのようで、ノエルはついつい、つられて笑った。で、気づいたのだ。


 さっき自分は「終わった?」なんて自問自答した。でもその答えは自分が一番よく知っている。


「終わらせた」のだ。


 みんなに協力してもらって、僕が。


     ◆  ①  ⚓  ⑪  ◆


 ノエルをみんなでたっぷりもみくちゃにしたのち、双方のチームは整列して挨拶を。さらにベンチ前で胴上げまで。なんだかリーグ優勝でも果たしかたの状況だったといえる。


 で、いい勝負は「熱戦冷めやらぬ」なんて表現で、ニュースの表題を飾るもの。逆にいえば、まだ冷めないこの体は、今日の勝負が「いいもの」だったことを意味しているのだろう。


 もしくは現在ユニフォームを脱ぎ捨てて、サウナに入っているからかも、だけど。


(なかなかいいサウナ室だぁ)


 サウナ狂いも極まったか、魔女は若干上から目線。でも嘘は言っていない。ワゴンブルク・ドームに用意されたサウナ室は、ドライサウナという温度高め・湿度低めのものだった。できたてほやほや、というよりもこの部屋を使うのは自分たちがはじめてだから、木の香りは強く部屋の中もピカピカだ。部屋を出たところには、日本式に水風呂も用意してもらっている。


「いやぁ、ノエルが活躍してくれてよかったよ。すごく悔しがってたから」


「あの子、意外と負けず嫌いだったのね。知らなかったわ」


 サウナは嫌い派のアイノも、水風呂だけ入る派のヘルミも、「サウナは()()()をするところでス」派のオンニもいない。骨さんたちも入らない。いつもサウナ室ではシニッカとふたりだ。


「相手の捕手、エーズさん。すごく落ちこんじゃってたね。少し心配だよ」


 残酷なことだが、ノエルが塁にいたのは、そもそも彼女の捕球ミスが原因だった。そして最後のも彼女のミスだ。タイムが受け入れられたか確認しなくてはならなかった。


 ただ、イーダは彼女を笑う気になれない。少なくとも彼女は全力でプレーしていたと思うのだ。打撃が苦手、という状況でも恐れず出場し、バッテリーとして勇者をささえていた。そんな人に感じる蜜をイーダは持ち合わせていない。


「あいつなら大丈夫よ。精神強いから」


 意外なことに、シニッカも相手捕手の不幸へ蜜を味わっているようではなかった。それよりも気になるのは、「あいつ」なんて言ったこと。知り合いなのだろうか?


「さ、いい感じに温まったわね。私は出るわ。水風呂の具合はどうかしら?」


「あ、シニッカ待って。私も出るよ」


 ついていって「あいつって?」と聞こうとしたイーダだったが、直後にそれを忘れることになる。


 理由はふたつ。


 ひとつはドアを開けるシニッカが、やたらキョロキョロ警戒していたこと。ぶつぶつと「ここにはボールがないわよね?」なんて、いつまでも怖がっている様子だ。


 その背中を押し、サウナ室から外へ出て、水風呂に全身を沈めたのがふたつめの理由。


「冷たぁっ! 冷たい! すごいっ! すごいぃ!」


「あら、これ氷が浮いているじゃない。私は遠慮しておくわ。危ないし」


 0度近い恐ろしいほどの冷水。魔王は回避し、中毒患者はついつい喜びのよだれをたらす。


「あまり極端な冷水だと体に悪いわよ」


「そんなことぉ、許さないよぅ」


 案の定、思考中枢を破壊された魔女は、すぐに表情まで破壊されてスライムのように溶けた。細くなった視線へ、「なに言ってるのこの子は」とあきれ顔の魔王様が、ありもしないファールボールを警戒しながら休憩ベンチへ腰かけるのが入った。

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