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笑うベースボール 28

 8回の表、勇者チームの攻撃は5番ショートのアミ。リザードフォークのスーパープレイヤーのことだ。その華麗な守備で観客の心(があるのかどうか判然としないが)をわしづかみにした人物。彼女の打席の歓声は、他の人よりも少しだけおおきい。


 それをため息へ変えるのが、潜水艦は大好きだ。アミはほどよく強打者で、傑出した選球眼に、打球をフェアグランドへ導くバットコントロールを持つ。でも勇者ほどの圧倒的な打撃力はないため、対戦していて楽しい。しかも人気者。打ち取った時の満足感はとても強い。


Strike,(ストォォラ) Three(スィイェィ)!」


 見逃し三振、バッターアウト。審判のコールも絶好調。ついでに潜水艦の投球も。


(いいねいいね。体が軽くて調子いいよ)


 波にゆられる船のように、アイノは機嫌よく体を左右へ振る。1回1アウトからずっと投げているので、通常は疲労もたまっていそうなもの。にもかかわらず、ここにきて球速は増していた。直球の速度は150km/hに上昇している。アンダースローの投手としては、速いなんてものではない。ただでさえ出所のわかりにくい投球フォームなのに、そこにスピードが加わったのなら、打者は困惑するしかなかった。


 続くバッターは「あ、肉の人」。潜水艦の失礼極まりないつぶやきもとい、小太りのキャッチャー、エーズ。投手イヴォの女房役として交代してきた謎の人物だ。なにが謎かというと、顔に覆面をしている部分である。とはいえ、魔界の側もペストマスクがいるのであまり気にしていない。それよりも名前が「エース」に似ていたせいで、「キャッチャーなのにエースとはこれいかに」などと口をそろえていた。


 その謎の人を、監督のイーダは(友人と同じく失礼なことに)「打者としていまいちかな?」と思っていた。構えから打ちそうなオーラがないし、実際バットを振る姿からは素人の香りがただよっている。腰が引け、全身で打撃フォームを作れていない。これではボールをバットに当てることすらままならないだろう、と。


 でも、捕手をしている時には一流の野球選手らしい動きだった。これはなにか隠しているなと、魔女は警戒する。本当はアイノへ「注意してね!」と声をかけたいところなのだけど、いちいちタイムを要求するのは試合の流れを止めてよくない。今アイノは絶好調だ。ゆえに黙って腕を組むことにした。


 そして。


Strike,(ストァッ) Three(ゼェェ)!」


(……あの人、バッティングは素人だ)


 杞憂だった。完全に捕手専任の選手だ。


(三つ編みの人しかり、熊の人しかり、投手ごとに捕手を変えている。オンニが観察したところだと、相手は投手だけじゃなくて、捕手も魔術を使っている様子だ。となると疲労もかさむか……)


 つまり相手は、交代選手の懐事情が厳しいのかも。魔女はそう仮説を立てる。これには裏づけもあった。7回に相手がセンターとライトの2か所で、エルフの野手を交代させたことだ。いや、勇者イヴォもレフトからピッチャーに移動し、レフトには山羊獣人の女の人が入ったから、外野は全員交代を果たしたことになる。


 遠投を狙った魔術の行使で、外野手は全員魔腺を疲労させたのだろう。


(その点、うちのチームはみんなタフだよね。というかオートマタって疲労知らずだな。む? そういえばなんでだ? どういう構造で動いている?)


 頭が監督から学者へ切り替わり、むむむ、と難しい顔で考えはじめた。魔王が打ち倒されていなかったのなら、「なぜなにイーダ」が野球場へ出現していたところだ。


 カン! とバットの音がして、魔女ははっと我に返る。飛球はそれほどのびもせず、サカリのグラブへおさまった。


 3アウトで交代だ。こちらの打順は6番の骨47号から、オンニ、骨53号とならぶ。本来は下位打線といって打撃力の低い場面になるが、53号は3安打もしている。相手は頭が痛いに違いない。


 とはいえこちらとしても少々悩ましかった。もしヒットが1本でも出たら、続く9番は投手のアイノ。今も体を左右に振って、ご機嫌な状態にある潜水艦だ。


 打順がまわれば、彼女を引き続き出場させるという選択肢も浮上する。逆にいえば、イーダはこの回でアイノを降板させたいと思っていた。


(ううん……いや、無理はさせられない)


 監督として、交代を決める。


「アイノ、ナイスピッチング。本当に助けられたよ」


「ありがと! でもさ、これからも助けるよ?」


「魔腺、疲労困憊でしょ。交代するよ」


 その発言に、アイノはきょとんとした顔で魔女を見た。怒っているのではなく、驚いている顔だ。ついでちょっとした沈黙があった。


 まわりのメンバーが疑問に思う采配だった。アイノはあきらかな上がり調子。ピークコンディションといってもいい。なのに今ここで交代とは、その狙いがわからなかった。しかも理由はそれだけでない。


 9回裏が終わったら、交代していないメンバーは魔腺の回復を受けられる。ならあと1イニングだけ、無理してでも投げさせたほうがよい。


 そんな疑問をいだいたので、メンバーは監督へ「どうしてだ?」と声をかけようとした。


 でも投手たる潜水艦は、納得したように「にへらっ」と表情をゆるませる。グローブを外し、うぅん、とのびをして。そして、ちょっと観念したようにも見える顔で監督へ聞いた。「へぇ、なんで気づいたの?」


「だって前に言ってたじゃん。『船は燃料が少なくなると、速くなるけどゆれやすくもなる』って。今まさにその状況、燃料が切れるギリギリでしょ? もう1イニングなんて持たないと思う」


「そんなことよく覚えてたね、イーダ」


「伊達に潜水艦の友人をやっていないよ、私は」


「うん、わかった! 後よろしくね!」


「まかされたよ!」


 ふたりのやり取りに対し、チームメイトは目を丸くする。たしかに球速が上がっていたし、体も左右に振っていた。それが疲労のサインだとは、誰ひとりとして気づかなかった。


 一番驚いていたのは、夢魔で諜報員のオンニだ。まさかあの魔女が自分の観察眼を上まわってくるなんて予想もしなかった。いくらそれが彼女の友人のことだったとしても。


「いっやぁ、よく見てた、というかよく記憶したもんスね。勉強になりまス」


「私こそ、オンニにはいろいろ助けられたよ。おかげで勇者チームが思ったより疲労してるって気づけた。ならバルテリの言うとおり、予備兵力を投入しなきゃ」


「それも覚えてんだな、お前さんは。じゃあ、あえて聞くが、その予備兵力ってやつは誰だ?」


「あえて言うなら、私だよ」


 ベンチの雰囲気がぱぁっと明るくなる。春を待っていた草花がいっせいに咲いたようだった。彼らの緑のユニフォームが、その光景を力強く表現している。


「さ、まずは8回の攻撃をしよう! 作戦はいつものやつで!」


 魔女はそんな新緑を背景に、先頭へ立つ。


 ドームでの戦いを前にして、彼女は心をおどらせていた。


     ◆  ①  ⚓  ⑪  ◆


 8回の裏、勇者はやはり圧倒的。カット戦術にも対応してきて、的を絞らせないよう、左右だけでなく高めも低めも使い分けている。今までは打ちにくいといわれる低めが主だった。選択肢が増えた結果、当然カットは難しくなった。


 結局三者凡退で幕をおろす。それでも3人で20球投げさせたチームメイトに感謝しつつ、イーダは自分の仕事を開始した。


 古呪術(オールド・マジック)の典型例、巫術(シャーマニズム)だ。自らの体を触媒とし、霊という超自然的な存在へ働きかけ、現象を具現化させる術だ。この世界のどこでも、伝統的にシャーマニズムが浸透している。魔界のそれはTiaetājā(ティエタヤット)tと呼ばれるシャーマンによって行われていた。「生命力」「守護霊」「自己」という概念を利用した、交霊術ないし降霊術が得意分野だ。


 イーダは冬の間にカールメヤルヴィのティエタヤットへ教えを請い、巫術の習得に成功していた。でも覚えたてで効果時間が短く、1回の表裏を乗り切るくらいがせいぜいだ。だから温存する必要があった。


 彼女ができる唯一のシャーマニズムは、勇者イヴォと同じ。つまり霊を呼び出し自らへおろすことで、力を借りるたぐいのもの。本当は有名な監督の霊なんかと交信し、アドバイスを求めたかったところだが、それは言ってもしょうがない。


 ベンチにむかって床へ座った彼女は、手元にドラムを用意した。楕円形の木枠にアクリスの皮を張った、人の胴体ほどの物。手でたたくとポコポコ音が鳴る。このリズムに合わせてJoiking(ジョイキング)――呪歌を口にし、精神を集中することで、霊との交信を行う用途がある。


 ベンチの上には魔法契約書(ゲッシュ・ペーパー)。今日そこに記されているのは召喚者の名前と契約期間、そして「力を貸してほしい」という契約内容。中央には銀細工で飾られた魔石が置かれている。これは供物だ。要するに、今からメジャーリーガーと「契約」するのだから、その契約金がわりなのだ。地球にない高価な物品だから、米ドルなんかと比べものにならないほど貧弱な、魔界の通貨をささげるよりよっぽどいいはず。


(……よし!)


 魔女は目を閉じて、息をゆっくり吸いこんだ。肺をいっぱいにして止めると、魔腺が魔力を凝縮していく。温かくなった両手の指で、教わったとおりのリズムを刻む。トトトン、トトトン、機織り職人が糸を編むように、一定の速度でドラムを叩いた。


 1分間、ただそれだけに集中する。呼吸はだんだん少なくなって、それにしたがい意識もどんどん研ぎ澄まされて。


 すぅっと吸いこまれるような感覚が体をつつむ。トランス状態――寝ているわけではないが、通常と違った異なった催眠のような状態に入っていった。


 チームメイトが息を呑んで見守る中、魔女は静かに口を開く。


「――<丘の上、Cyclone(とぐろを巻く蛇)、くもまわし、Denton(谷の街から)True(真実告げん)>」


 呪歌(ジョイキング)は通常、リズムよく歌われる。イーダは日本出身だったから、短歌よろしく口ずさんだ。「くもまわし」の「くも」をひらがなで思い描いたのはわざとだ。


 サイクロンは雲でできているし、今から呼ぼうとしている人は『スパイダーズ』というチームで活躍したから。


「――<Young(若き人)、ここへおとずれ、もういちど、赤糸(せきし)の白球、手に取りたまえ>」


 霊を呼ぶのだから、亡くなった人でないとならない。今日までは地球の人を呼び出す方法なんてないと思ってた。けれど、どうやらベーブ・ルースはフォーサスへあらわれたようだ。ならば、こちらだって呼び出して見せる。


 魔女はHeinki(ヘインキ)――生命力があふれるのを感じた。Itse(イツェ)、すなわち自己の前に、強大なLuonto(ルオント)、守護霊があらわれたことを知った。


 ゆえにむすびの言葉を入れる。


「――<我はイーダ・ハルコ。今日の勝利はあなたと、あなたが守護する我が腕へあずける>」


 ぱちり、目を開けた。長いこと目を閉じていたから、一瞬だけ色彩が失われ、球場がモノクロに見える。でも、伝わっている彼の写真はすべて白黒だったから、ちょうどよかったかもしれない。色彩が戻ると同時に、灰色の濃淡でしかなかった彼が、ふたたび色彩鮮やかにグラウンドへあらわれたのだから。


 デントン・トゥルー・ヤング。ニックネームだと「Cyclone(サイ)・ヤング」。


 メジャーリーグの偉大な投手にして、通算511勝というアンタッチャブルレコードを持つ男。今でも投手の年間最優秀賞には彼の名が冠されている。


 供物が光の粒になって、ふわっと昇華された。偉大な投手の財産になったのだ。つまり、契約は成立した。


「応じていただき、感謝します。さあ、やりましょう!」


 魔女はチームメイトを引き連れ、グラウンドへ走り出る。


 ――まさか魔界の魔女に呼び出されるとは――


 肩をすくめ苦笑する男のイメージと一緒に、そんな声が聞こえた気がした。

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