笑うベースボール 27
7回表、残りの打席はアイノがぴしゃりと締めた。本塁打被弾などどこ吹く風か、好調のまま3人を凡退させた。
今はその裏。すでに1アウト、塁には誰も出ていない状況だ。
マウンドには時速177キロ男、同じ速度でフォーシームのストレートを発射し続けるとんでもない投手イヴォ。バッターボックスにはフェンリル狼。所作から「どうしたもんかな」と迷っている様子がうかがえた。
(1点差……。そろそろ1発決めねぇと、4番の名前が泣くってもんだ)
そう思うも、彼はこれまでノーヒット。めずらしく、まったくもって自信がない。正攻法で打ち崩すなんて難しいから、なんとか打開策を講じる必要があった。
(で、バカのひとつ覚えか……)
やはり基本はカット戦術。これじゃバッターじゃなくてカッターだ。単語の響きこそ少々暴力的になったとはいえ、投手に対する称号としてなんとも無様なものに感じる。
1球目、2球目は見送った。両方とも目の覚める直球、ストライク。「俺も本気が出せりゃあれくらい投げられるんだが」と思うのは負け惜しみ。あの直球へ打つ手立てなどない。
3球目、これもストライクゾーンへ。とにかく当てることだけに集中し、高めの速球にバットを出す。かろうじてファールをひとつ。なのに手ごたえは重く、かすっただけなのに手首がはずれそうだ。
これを続けるのは拷問になりうる。虐待を受けるのはバックネットだけじゃなさそうだ。
4球目、5球目。それでも動体視力と身体能力が抜群なフェンリル狼は、球数を重ねるごと少しずつ慣れていった。6球目も弾き、4球連続のファールをもぎ取る。戦場でもそうだが、防御に徹する相手というのは非常に崩しにくい。だから実践しているのだけれど、本来攻撃側はこちらのはず。本末転倒な状態へ、ぐっと唇を噛んだ。
耐えなくてはならないのだ。なんとかこの守勢的で、生産性がなく、追いこまれているろくでもない状態を続けないといけない。それが作戦だ。
狼はもういちど、頭の中でカット戦術の復習をした。3イニングごとの継投策を取る相手に対し、魔腺疲労を最大限にするのがその目的、である。最初の2名はなんとかうまくいった。彼らは能力向上の魔術を行使しており、その疲労によって降板した。魔石も持ってきていない様子だ。
当然、マウンド上の勇者も魔術を使っている。そうでなれれば人間種の体の構造上、時速177キロで球場の物体を放り投げることなどできない。じん帯や腱にかかる負荷が高すぎて、どうしたってそれ以上は無理なのだ。ゆえに魔法が必要となる。
それはどんな魔法だろう、みな疑問に思った。どんな魔術かを分析すれば対策を立てられるから。そして分析するにふさわしいメンバーが魔界にはそろっていた。
人の体のしくみと観察眼にすぐれる夢魔。複数手段の人体強化魔術を知っている錬金術師。そして基本的な魔術と野球にくわしい魔女。
「相手勇者、交代する時にいったんベンチへ下がりまシたよね。あの時、胸の上へ円を描き、なんかつぶやいてまシた。ちいさいバットみたいな呪術用具を持って。召喚でもするみたいでシたよ。あれなんスか?」
「うん、古呪術だね。自己への召喚、つまり巫術による降霊だと思う。監督は心当たりがあるんじゃないかい?」
「うん、よくわかる。そして問題は、誰の霊をおろしたか、だね。バッティングにくわえピッチングもできる、そんな死者の霊。野球にくわしい地球人の選択肢なんて、ひとりしかいない。『野球の神様』ことベーブ・ルースだ」
聞けばそれは歴史に名を刻んだ野球選手とのこと。ホームラン王として名高いが、キャリアの初期には投手としても活躍していたらしい。
「となると、もしかしたら彼の癖が……。ねぇ、ノエル」
魔女は、ノエル――代走の時に一番近くで勇者を見ていた者――へ声をかける。
「イヴォさんがカーブを投げた時のこと、覚えてる?」
「え、うん。思い出せるよ」
「彼、投げる前にさ――」
狼が記憶を全部たどる前、7球目が飛んできた。誘い球――ストライクゾーンからはずれるボール球だった。それをしっかり見送って、打席の狼はもうひとつ、重要なことを思い出す。
(カット戦術の狙いは、魔腺疲労だけじゃねぇ)
もうひとつの狙い。いや、そもそもはこちらが本来の狙いだ。
ピッチャーが投げるあらゆるコースをつぶし、打者の好きなコースに投げさせること。先ほどまで内角も外角も、低めも高めもカットしてやった。残された手段なんて、あとひとつしかない。
そして8球目。狼は見逃さなかった。
その偉大な選手、ベーブ・ルースなる男の癖。
バルテリはその癖が、彼を降霊させた勇者イヴォにもあらわれるかもと魔女から聞いてた。そして「うん、間違いないよ」と、ノエルによって裏づけも取れていた。
野球の神様のちょっとした欠点だ。
――「カーブを投げる時、舌を出す」ことは。
時速90キロ、通常なら速度差で体が泳ぐくらいの遅い球。でも予測できるなら打つことも可能。
なにせ今日の俺は、4番バッターなのだから。
――パァンッ!
球場の全員がはっとした。
木の剣はまるで、牛皮の兜の戦士を絶命せしめるかのように、白球を彼方へと飛ばして見せる。その行方へ走る外野手はすぐに両腕を下げ、白く淡く残った軌跡を、ただただ目で追い続けていた。
7回裏、同点に追いついた。4番バルテリのソロホームランによって。
地鳴りのような大歓声、それに同じくらいおおきな悲鳴が合わさって、異空間にあるはずのドームはビリビリとゆれた。魔獣はダイアモンドを1周しながら、「勇者もこれを味わいやがったのか」と思う。強敵と同じ経験をするのは、ならんだと喜んでいいべきか、それとも反骨精神でもって「当然だ」くらいは言うべきか。
どちらにせよ、認めなくてはならない。バルテリは勇者が用意してくれたこの場所を少し好きになっていた。あいつから見て俺は敵のはずなのに、なんとも手厚い敬意を用意してくれるのだと。ついでに気づく。あの勇者は本当に正しいスポーツマンで、つまり競技場のあらゆる好プレーを敵味方関係なく呑みこむ度量があると。
「やったぁ! バルテリ! ありがとぉっ!」
ベンチへ戻った彼へ、1塁ベースコーチの位置から走ってきた、おおきな笑顔の魔女が飛びついた。戦場から戻った主人へ、飛びつきじゃれる犬のように。見えない尻尾を振っているのがよわくわかる。
ニッと笑ってそのまま手をのばし、冴えた分析の監督をお姫様だっこのまま持ち歩いた。一瞬にして真っ赤になった顔がなんとも心地よい。
「やりましたね、バルテリさん。『柵越えホームランってやつ』、見届けました」
「『やってやるじょの精神』だな」
「やめてね!」
「いいねバルテリ! いい水兵になるじょ!」
「ならねぇじょ」
「やめてね!」
「見事だ狼。よくしとめた。白球が軍神テュールの右手にでも見えたか?」
「ああ、そうさ。グレイプニルでしばられてる俺に、できることなんざそのくらいだ」
「やめ――お、おしゃれ」
仲間たちの祝福の中、実のところ彼は胸をなでおろしていた。投球で魅せるアイノ、守備で魅せるサカリ、勇者をあざむいてみせたヘルミ。くらべて自分は役目をまっとうしていなかったから。ようやくこれで、4大魔獣の面目躍如だ。
(さぁ畳みかけて、と行きたいところだが、それもさせちゃくれねぇんだろうな)
勇者イヴォは失点に動揺するそぶりもない。すでに次の打者、骨58号からひとつ目のストライクをもぎ取っている。
(なんとも恐ろしいこった。ちっとくらい残念がってほしいもんだぜ)
狼はゆでだこのように真っ赤な顔のイーダを、そっと地面へ立たせながら、強敵が強敵であり続けている様に感服した。
そして結局、こう思うのだ。
あれだけ強いやつから本塁打を打てたのだから、俺もなかなか大したやつだ、と。
勇者に敬意をあらわしながら。




