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笑うベースボール 26

 さあ攻勢だ、と行きたいところ。そうは問屋が卸さない。勇者はやっぱりとても強くて、攻撃の芽は摘み取られてしまった。


 なにがあったのかというと……。


 6回の裏、1アウト1塁の場面。イーダはとりあえず骨53号に代走を出した。足が遅いのもあったのだけど、今回ばかりは別の理由。剛速球を無理してはね返した結果、両手の骨という骨がバラバラとはずれてしまったから、そのまま走者をさせるわけにもいかなかったのだ。


 代走はもちろんノエル。自身の失敗に涙を流して、でも立ち直って役目を負った。「今回『チャージ』は封印して。うまくいけばもういちどチャンスがあると思うから。今は勇者の投球のくせをよく見て、いつ走り出せばいいか分析するんだよ」


 監督イーダの指示へ、ノエルは「わかった」と力強くうなずいて見せた。そして6回の裏が終わった今、彼は「あの判断は正しかったな」と思う。


 9番バッターアイノは6球粘った末、キャッチャーフライに倒れた。1番のクリッパーも勇者に7球投げさせたが、最後は177km/hのストレートに空振り三振を取られている。これで3アウト、チェンジ。でもその間、ベンチよりもずっと投手に近い位置で観察したノエルは、とあることに気づく。


 勇者イヴォの投球はストレートが妙に多い。投げた16球のうち、変化球は1球だけだ。で、そのカーブボールの速度はなんと90km/h。時速87キロ分も緩急をつけられたら、バッターたちは苦労するだろう。けれどそこには弱点もある。


 ひとつ、球速が遅いから盗塁にはむいていること。ひとつ、彼は投げる前にボールを持った手を背中側へまわして握りなおすのだけれど、その時走者視点では握りがあらわになるので、あきらかに「変化球だ」と気づけること。


 これを打者に伝えられたら非常に有利だ。もちろんサイン盗みはルールによって禁止されているのでそんなことできない。それでも十分だ。自分が走る分には問題ないのだから。


(絶対に、絶対やりかえしてやる!)


 彼の心の決意を魔界の面々が聞いたのなら、「今日は雨が降るな」「雨ですむものか。槍や矢、もしかしたら小麦でも大麦でも降りかねん」なんて冗談を言ったに違いない。魔王が起きていれば「我が国で食料が自給できるなら、毎日ノエルにベースボールをさせるわ」くらい言ってもおかしくない。それくらい、普段気弱な衝角少年がいだく闘志は、彼らしからぬ熱意を帯びていた。


     ◆  ①  ⚓  ⑪  ◆


 プロ野球には『ラッキーセブン』という概念がある。7回を試合の節目と見立て、たとえば日本では双方の応援歌を流したり、大量のジェット風船を飛ばしてみたりと、ちょっとしたセレモニーというかお祭り状態になるのだ。投手の疲労であるとか継投のタイミングのすきまであるとか、「得点が入りやすいから」というのがその理由だそう。その裏に統計的な根拠はないけれど、独特の大切な文化であることには変わりない。だから客席はおおいに盛り上がる。


 勇者が用意した『ワゴンブルク・ドーム』におけるラッキーセブンは、15分ていどの小休止を入れ、その間に試合のハイライトをバックスクリーンへ流すものだった。いったい誰がどんな機材で録画しているのか、そしてそれをどこのどいつが編集して動画をしあげているのか。まったくもって不明である。でも、好プレー頻出の本日、素材に困ることはなかっただろう。


 イーダはそれを見つつも、引き続きノエルと走塁の相談をしていた。その時、急に球場がざわめいて、笑い声につつまれる。いったいなにが映し出されているのかと視線を上げた。


 あろうことかそこにあったのは、先ほど交代した三つ編み捕手のウリッセさんが捕球し損ねて急所を強打した、その時の光景。しかもしつこくスローで再生されている。


 投球がワンバウンドし、彼の大切なところへ当たると同時、キャッチャーマスクのむこう側でドワーフのいかめしい顔が恐怖の表情をうかべた。そしてキャッチャーマスクを脱ぎながら、その顔はゆっくりと変化する。ボールを見るため下をむいていた両目は、今まさに天に召されるがごとく上へと昇っていき、引きつって横に広がっていた口は、ムンクの叫びのような縦長の楕円へ変形した。そのまま体をねじりながらくずおれていく彼は、1秒1秒ごとに顔のしわを1本また1本と増やしていくのだ。


(ひ、ひどい!)


 対角のベンチにいる当の本人を見やる。彼は画面を指さし、勇者イヴォへ抗議の真っ最中。こちら側のベンチ内からも「あれをやめさせろ!」と言っているのがわかった。


「痛そうですね」、満足げに画面と本人を交互にながめるベヒーモス。腹を抱えるフェンリル狼。痛みを共感したか目を背ける二羽ガラスに、「オンニさんであれば瞬間的に()()()()()()へ変化できるのでは?」などとのたまう司書。律儀に「女性でも痛いモンは痛いんス」と答える夢魔を横目に、骨53号はドクに治してもらったあご骨を鳴らす。


(……ご愁傷様です)


 イーダは同情した。観客のオートマタたちに感情やら記憶やらがあるかどうか知らない。でもあの編集では間違いなく選手たちの記憶に残る。


 今日私は捕手をしなくてよかったかも、なんて「ふぇっ」と安堵混じりのため息をついた。直後、そんな他人ごとが済まされる立場でないことを、ハイライト動画の編集者が魔女に告げる。


 切り替わった画像は1塁側のベンチ。アイノがスイッチピッチャーを披露した、その時の光景。


 テンションを上げて身を乗り出した魔女が、柵のむこう側へ無様に転落したそのシーン。


「や、やめろぅ!」


 球場を埋めつくす苦笑の中、彼女は審判団へ抗議に出かけて、よけいに目立つ羽目となった。


     ◆  ①  ⚓  ⑪  ◆


 7回の表、勇者チームはふたりまとめて選手交代をした。打席の終わったロドス・エルフとミッド・エルフの「外野手・エルフ」コンビが、それぞれ山羊の獣人と人間種に入れ替わっている。このタイミングで変わる理由は見当たらなかったが、予定されていたものの様子。そしてそんなことよりも考えなくてはならない障害が、今ピッチャーの前へあらわれていた。


 アイノは人目はばからずに嫌そうな顔をした。海の底より深いため息に、感情が見て取れる。ひとり目のバッターは勇者イヴォ。できればもう対戦したくなかった。


(魚雷、魚雷を使おう)


 そう思った矢先に脳内イーダが「だめだからね!」なんて釘を刺す。「わかったよぅ」、餌を食べる深海魚みたいな顔でひとりごとを口にして、右打席に立つ敵との勝負へうつった。


(とはいえ……投げるところないんだよねぇ)


 変化球を投げても、ストライクゾーンいっぱいに直球を投げても、あいつのバットは追従してくるだろう。先ほどのヒットが脳内に再生されて悪いイメージがつきまとってしまう。


(私のストレートは145km/hだから、18.44メートルだと到達までに0.46秒弱。変化球だと0.6秒もかかる。それだけあれば、あいつの動体視力は球種もコースも読んできちゃう)


 普段は自由奔放にして傍若無人な潜水艦だったが、「攻撃を受ける」ことに対してはひどく繊細だった。というより臆病な一面があった。彼女ときたら、人を攻撃する時には相手の気持ちなんか考えないのに、攻撃されるとかんしゃくをおこす、なんとも香ばしい臭いのする臆病者(チキン)なのだ。


 捕手オンニもそれを知っていたから、サインで低めの変化球を要求する。ボールになるならそれでいいし、最悪フォアボールで歩かせてもまあよし、そんな狙いだったのだが――。


(やだよ! 勝負する!)


 チキンに気分屋が重なって、手のつけられない状態に。あ、こりゃだめっスね、早々にさじを投げ、直球ど真ん中を要求してやった。


(……いいね!)


 ついには投手の感情に無配慮までくわわった。3つそろえばアウトは確実。潜水艦は無警戒な球を放る。でも意外や意外、勇者はそれを見逃した。


Strike(スットラァァッ)!」


 なんかちょっとずつリアクションがおおきくなってきた主審の声。間近で聞くオンニが「うるさイ……」と感じるくらいの。それはそうとして、彼は勇者の所作を見逃さない。


(今、勇者ちょっとビクッてしまシたね。そりゃあ予想してなかったデしょ)


 ボールを返球したその先には、「どうだ見たか!」とドヤるアイノ。どれだけ能天気なのか。頭痛がするのは僕だけなのか? 夢魔は眉間を押さえていた手を脚の間へ落とし、次のサインを出した。変化球、ゾーンの外から中へ入ってくるものを。


 ふるふる、アイノが首を振る。


(なんなんダよ、お前は!)


 リードしにくい相棒相手に、サインが決まるまで時間がかかった。そんな光景を見ていたのは、監督たるイーダだけではない。


「あら、まだやってるの?」


「あ、シニッカ。起きたんだ。おはよう、まだ0対0だよ」


「なによりね」と魔女へ答えてベンチでむくりと起き上がるのは、寝ぼけ(まなこ)の魔王様。となりで声に気づいたドクも目線を彼女へむけて言う。「魔王様、突き指は治ったのかい?」


「私は突き指で気絶したのね。でもドク、お腹が手に見えるのなら、ペストマスクを変えたほうがいいわ。曇ったレンズでリスの死骸と、オートミールとを見間違う前に」


 寝起きから好調そうだ。どうやら回復したらしい。天使は「そうだね」とだけ答えて目線をそらす。ペストマスクの狭い視野の中、死角になった魔王様の側から、さっそくバリッと袋を開ける音。


「ひまわりの種は突き指の回復薬になるわ。私が今、そう決めたの」


 上機嫌な声。顔は見えないけれど、きっとあの長い舌をぺろりとやって笑顔なことだろう。「同意しかねるよ。ひまわりの種はミネラルが豊富だけど、それは突き指する前に摂取するのが正しい。それと――」


 カァン!


 2球目のストレートがファールボールを生んだ。


 魔王様のいう「曇ったレンズ」でもよくわかる。こっちに飛んできているあれは、死ぬほど速い。


 ――ボッゴォッ!


「むぎゅう!」


「あ⁉︎ シニッカ⁉︎」


 そしてきっと、死ぬほど痛い。


 どさりと音を立て、魔王は担架の上へ逆戻りした。ひまわりの種もバラバラとまき散らされたから、古代の王族が墓に入る時、遺体を飾るための草花たちにも見える。


「だ、大丈夫⁉︎」


「…………」


 あれが僕に当たらなくてよかった。そう思いながら、ドクは顔をむけもせずに倒れた魔王へ言葉をかける。


「僕に種を飛ばさないで、魔王様」


 意味のないひとことをぽつり。


「いやドク! ちゃんと診て!」


「寝違えだよ」


「雑だよ!」


 なんにせよ、魔王は今日2回目の失神をした。やったのはまたも勇者。彼は非常に強いのかもしれない。


「がんばれー」


 魔女をも無視し、感情のこもっていない声援を潜水艦へ投げた。当の本人はマウンド上でお気に入りの「むぎゅう!」を2回唱え、テンションはまさにクライマックス。対峙する勇者がヘルメットのひさしに手を当てて、申し訳なさそうにしているのと対照的だ。悪童ここに極まれり。目の前の悦楽を優先するしょうもないやつだった。


「さぁ! 再開だね!」


 アイノはテンションそのままに、ニヤッと笑って腕をまわす。ノッている時の彼女は強いから、捕手のオンニは「これもいいかな」と納得していた。サインは低めのカーブボール。さすがに3球続けて直球を投げさせるわけにはいかない。


 投げられたのはオンニの目論見どおり、たしかにいい球だった。アウトコースからゾーンギリギリへ入る上、変化も鋭く文句なし。しかもちゃんと低めに飛んできている。


 捕球にそなえてミットを閉じようとした――その時。


 ボールは消えた。快音を残して。


(⁉︎ やっベぇ!)


 読まれていたというよりも、もう「飛んできた球を打っただけ」と思わせるスイングだ。あまりに自然にバットが出たから、バッティング練習なんじゃないかと思ってしまうくらい。おそらく勇者の動体視力、反射神経、なにより筋力があるべき姿で仕事をし、当然の結果をもたらしただけなのだ。


 ゆえに打球はぐんぐんのびる。センターのバルテリが飛球を追って壁についても、そのはるか頭上を飛んでいく。


 ――ソロ本塁打だ。


 そしてそれは、今まで0点を重ねてきたスコアボードに「1」が記されることを意味する。


 大歓声がスタジアムをゆらした。ラッキーセブンをラッキーセブンたらしめる一撃。そしてキャプテンたるイヴォが勇者であることの証拠。


(あぁ……もう)


 オンニは心底がっかりした。アイノが徹頭徹尾適当にすぎることなんて、彼女と会った瞬間から知っていたことだ。だからこそ捕手としてリードしなくてはならなかったのに……こんなところで雑なことをしてしまうとは。


(いやぁ……これは監督に申し訳ないっス)


 うなだれる首をそのままに、頭をまわしてベンチを見やる。オンニの予想では、魔女があっけにとられているか、青ざめているかどちらかだった。


 でも監督たる彼女は、ずいぶんと落ち着いていた。肩をすくめて苦笑して、「ま、あれはしょうがない」と言いたげな顔で。


(あれ? イーダさんはあまりダメージないな)


 あの顔はあきらめじゃない。なんというか、関所で関税を払わされた行商人のような顔だ。必要経費だと割り切ってこの場を抜け、旅路の続きを歩くつもりだろう。


(なんて強心臓。少なくとも今は僕より強そう)


 監督が大丈夫だったので、一番心配なピッチャーへ視線をうつす。打たれた張本人であり、気分屋であるアイノのほうへ。


 えへら、とやつは笑っていた。観察眼の鋭い夢魔には、その表情の意味がよくわかった。


(……「やっかい払いできた」って顔っスね)


 1点を献上したものの、それはそれ、これはこれ。これでしばらく勇者の顔を見なくてすむから、機嫌よくなっちゃっているのだろう。


(いっやぁ、ムカつく。誰のせいで僕が気分を落ちこませたと……)


 キャッチャーマスクの下、口をへの字に曲げながら、オンニはチョウチンアンコウのような顔をして潜水艦をながめていた。


 そして勇者がダイアモンドを1周し、歓声がおさまってきたころ、彼は頭を振ってため息をつく。


(ああ、やめやめ、バカバカしい。とっとと意識を切り替えよう)


 自分だけ悩むとは損なことこの上ない。


「はぁーい! みなサん! 切り替えていくっスよぉ!」


 両手を上げておおきく振って、外野に届く声を上げる。


 まだまだ試合は長いのだ。


 いちいちヘコんでなんていられない。

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