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笑うベースボール 22

「……ふぅ」


 恐竜投手(ダイナソー)ことサカーチ・ジュラは、マウンドにあるロジンバッグ(すべり止めの粉末を入れた白い革袋)で右手の指を白くさせながら、静かに息を吐く。


 40球目にしてようやく、相手の捕手をセカンドゴロに打ち取った。あの夢魔の男は非力ながらきわめてネチッこく、左右に放るボールをことごとくファールにした。いや、彼だけではない。前回の狼男の時から、敵はカット戦法を徹底している。楽をしようと甘い球を投げれば打たれそうな気がするし、ならばと球を低めに、慎重に投球すれば魔力の消費もかさんでくる。


(加熱してきたな……)


 それは「戦いが熱くなってきた」のもあるが、実際は自身の四肢のことだ。熱を帯びるのは筋肉ではなく魔腺。疲労が蓄積されてきて、球速は160km/h台前半にまで落ちてきた。


(やはり50球強が限界か。あとふたりに使える球は10球プラスアルファ)


 予定どおりなら3イニングで交代。この回でマウンドをおり、中継ぎ――試合中盤で継投する投手へ4回から6回をゆだねる腹づもりでいた。しかし直近4人の打者には、ひとりで10球以上も投げさせられている。これではあとひとりが限度だろう。つまり3回の終了までもたないのだ。


 でもおりたくなかった。こんな最高の舞台を。


 ベンチにいる自分たちのクランリーダー、イヴォをちらりと見た。彼の質実剛健さは冒険者ギルドからも信頼が厚い。それにこれから冒険者を目指そうという子どもたち――時々ギルドの建物に飛びこんできては冒険話をせがむ、守るべき大切な者たちから絶大な人気を誇っている。吟遊詩人に謳わせれば、彼は「盾の樹」なのだそうだ。それは「勇士・勇者」をあらわすケニングだ。詩人らお得意の比喩表現は、なるほど、的を射ていた。


 一方、今自分たちが戦っているのは、英雄譚によれば勇者の対となる者、魔王とその仲間たち。シニッカなるその者が一概に悪と言えないことも、そして地域へ平和をもたらすことも頭では理解している。が、心はどうしてもそうならない。最高のライバルであるととらえてしまうし、その心は対戦してから強さを増すばかりだ。


 本日の試合は「勇者対魔王」というライバル同士がぶつかる絶好のカードであり、そこにジュラは勇者側の一員としてイヴォと肩をならべている。マウンドをゆずりたいわけがない。


(さぁ、次は誰だ。なにがくる。どんな敵が俺たちの前で木の剣を構えるんだ)


 その期待へ打席に立つのは、スケルトンタイプのオートマタ。名前もなく53号などと呼ばれている、まったくもってわけのわからない、ゆえにその外見と立ち位置の不気味さで敵にふさわしい、そんなやつだった。


(オートマタを3体も先発メンバーへ入れるとはな)


 よほどの人材不足か、はたまた実はあの骨たちがとんでもない打者なのか。少なくともくせ者だろうが、そんな者に負けてやる理由などないのだ。


「行くぞ」


 ぼそり、つぶやいた言葉のボリュームと裏腹に、彼の手から剛速球がうなりを上げる。内角低めのストライクゾーンへ。それがキャッチャーミットを高らかに鳴らすと、主審が「Strike(スゥトラァァ)!」、派手な合いの手を入れた。続く2球目も内角低めへ。大太鼓をバチで叩いたかのように、派手な音へ派手なストライクコールが返ってくる。


 簡単に追いこんだ。次の球はストライクゾーンへ投げこむ必要がない。ここから1球2球ボール球を放って、それを相手が振らなかったところで、有利な状況が変わることなどないからだ。


 けれどジュラはそうしないと決めた。相棒である三つ編み捕手も同様の意見。サインのやりとりは1回だけ。即座にうなずく。


 相手の外角へ逃げる変化球をストライクゾーンへおさめること。それがサインと三つ編みが構えるキャッチャーミットの位置があらわすもの。見逃せば三振、振ろうとしても、今しがた内角を2球続けている。打者の目が内角の球筋には慣れたかもしれないが、外角に逃げる球筋への反応が遅れることだろう。


(やっつけてやろう……つとめて冷静に)


 熱くなる鼓動を慎重にいさめ、足を踏みこみ投げるはシンカー。右利きの彼が放れば右下に曲がり、左打席へ立つオートマタの外角へ逃げていく球。そして逃げてなおストライクゾーンへおさまるため、ストライクをかせげる、本打席の勝負球。


 しかしここにきて、ほんの1ミリにも満たない誤算が生じた。魔腺の疲労は嘘をつかない。それが指先へ入れる力加減を間違えさせた。


Ball(ボール)


(っくそ!)


 心でひとつ悪態を。ささいなミスなど今までいくらでもあっただろうに、ここにきて彼はそうしてしまった。


(だめだ、次に集中しよう)


 1球ごとに気にしてはならないと、ジュラは思い直して次のボールを放つ。こんどは内角へ切れこむカーブボール。しかも投げた瞬間わかる、するどい変化とストライクゾーンへおさまる完全なコントロールの手ごたえ。


 カッ! 短い音が鳴って、ジュラは舌打ちを禁じ得なかった。あの骨打者は器用にも(肉のある人間種には不可能なほど)腕を折りたたみ、ボールをカットしたのだ。


 次は弱変化の速球ツーシームを。しかし高めにはずれて2ボール。その次は再度カーブを。でもバットの先端がボールをファールゾーンへ運ぶ。


 6球投げた。全力で投げられる球数は残り4球と、体の許すかぎりのプラスアルファ。だけれども、骨53号の選球眼はすさまじい。非常に目の利く打者だった。審判がコールに迷いそうなくらい微妙なボール球には目もくれず、ストライクになりそうな球だけを目ざとくカットする。絶好球へ目を光らせているようだ。


 ――目などないにもかかわらず。


(ええ、やかましい!)


 クールなジュラへ雑念が芽生えるほど、骨53号は投手をいらつかせていた。そしてシンカーを投げようとした10球目。


(しまった!)


 ついに悲鳴を上げはじめた右手が、コンマ数秒だけ早くボールを放してしまう。「すっぽ抜けた」と表現される、高めに浮いて変化も少なく、なにより遅いがゆえ打ちやすい球。


 カァンと目の覚める音を残し、骨はバットを振り抜いた。打球はライトの前に飛び、バウンドをしてころころと転がった。


 単打(ヒット)だ。しかも粘られた上での。


Time(タイッ)!」


 直後にタイム。それが誰に要求されたものか、なにを意味しているか、ジュラはよく理解していた。


(この回だけは投げ抜きたかったが……くやしいな)


 タイムは当然、イヴォが要求したものだ。マウンドへ三つ編み捕手が歩いてくる。ブルペン――ベンチ横にある控え投手の練習場からは次のピッチャーも歩いてきて、ベンチではジュラがこちらを見てうなずいていた。


「ジュラ、おぬしはよくやった。次へ託せ」


 捕手、ドワーフの相棒が顔を見上げる。眉の端を下げ、口をぎゅっとむすび、その表情から彼らかも「くやしい」という感情が見て取れた。


「……もう少し義務をはたしたかったが」


「だめだ。おぬしの肩は大切なものだ。我らがジュラも、おぬしをここで使いつぶす気などなかろうよ」


「ああ、わかっている」


 会話をしていると、次の投手が間近にいた。左利きのバードフォーク、ノジュス・グリガス。右手のグローブを差し出して、ボールをよこすよう要求している。そしてニヤリと笑い言うのだ。「おいらにまかせる気は?」


「このボールは重いぞ。お前の羽根や、軽口と違ってな」


 ジュラはくやしさ混じりに皮肉を言う。ぽすん、ボールを鳥人のグラブへ落として入れながら。今日はじめて戦意以外の理由で笑みを浮かべたことに、彼自身は気づいていない。


「空を飛ぶのも、ボールを投げ飛ばすのも、おいらにとっちゃお手の物だ。不得手なのは()()()()()()()くらいさ。おめぇと違って」


 継投投手ノジュスも皮肉を返した。ついでにマウンドを去る先発の尻をパシンと叩いて送る。悪意ではない。彼らはそういうライバル関係で、気心知れた仲で、信頼するチームメイトだったから。


 だから鳥人の継投投手は、役目を終えたダイナソーの背中へ言うのだった。


「おめぇの無失点は、おいらが()()()


 3回の裏、ワンナウト1塁。


 マウンドは託された。

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