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笑うベースボール 20

 勇者のチーム『ヴォゾヴァ・ハラドバ』の打席は、チームの主砲、4番から。イヴォが1番バッターをやりたがったせいで、そこに入るのは1塁を守るオークの男。フルネームはジャン=ポール・ロベール・バダンテール。体がおおきいからあだ名はジャンボ。


 2メートル20センチという圧倒的な体格があるため、人混みで彼を見つけることなど晴れた夜空で星を見つけるに等しい。チームでは圧倒的少数派の右打ち打者。しかしパワーはすさまじく、豪快なスイングと高い長打力を持っているパワーヒッターだ。


(戦時標準船でたとえるならT2タンカー)


 そんなジャンボ打者から18メートル強の距離を置き、小柄な潜水艦が彼女以外誰もわからないであろうたとえを思い浮かべていた。アイノとしてはいちおう「タンカー=大物」というラベルをつけて、相手へ敬意を払ったつもりだったが、戦時標準船なるものは量産型の代名詞。そんな思考にいたる彼女は、どこまでも悪いやつなのであった。……実際は、その考えにささいな理由があったのだけれども。


 ともあれ悪さの得意な潜水艦は、先ほど「<Hydrophone(ハイドロフォン)>」などと聴音魔術を使い、相手ベンチの動向を盗み聞きしていた。会話のほとんどがファインプレーをしたショートのアミをほめる内容だった。でも打者がベンチを出る直前、自分にとって決して聞き捨てならない言葉も。


「ジャンボ、サイドスローやアンダースローを恐れるな。彼女は左ピッチャーだ。右打者の君からすれば、非常に打ちやすい相手だ。いつもどおり豪快に行け」


 勇者イヴォのアドバイス。これにはカチンときた。イラっとした。いや、憤怒した。ついつい眉をつり上げて、眉間と鼻の頭に日本海溝のような深いしわをきざみ、歯を食いしばり、般若を思わせる表情になってしまったくらいに。キャッチャーのオンニが「なんスか? カメムシでもいたんスか?」と心配するほど変な顔だった。


(愚か者どもが! 我をあなどるなど言語道断! そこまでして血が見たいのならば、よかろう。我が(らい)によりて船底へ穴を穿ち、地獄よりも深い水底(みなぞこ)へ沈め、魚の住処としてやろう。そしてそこでおいしい海産物が育ったら、そのことごとくを釣り上げ、包丁でさばき、一族郎党お(つく)りにし味わってしんぜやう!)


 普段の口調すら忘れ、怒り心頭・張眉怒目(ちょうびどもく)・怒髪衝天・意味不明な彼女だったが、一方でとても飽きっぽい。だから10秒後には「あ、お魚食べたい」とその感情を忘れていた。唯一、怒りの残滓が「T2タンカー=戦時標準船=量産型」と表現した主な理由として、火にくべすぎた焼き魚のような焦げついた残り香をただよわせるのみ。


 で、今心を支配しているのはむしろ「楽しみ」という先ほどとは正反対と同義な感情だった。今から彼女は、誰しもが思いもよらないことを実践しようとしているのだ。自分のことながらワクワクしてしかたない。ちなみにやっぱり性悪なので、当然その内容はバッターをだますたぐいのもの。


「審判さん!」


 注目を集めるように左手を挙げ、審判へ声をかける。その挙げた手でもって、右手のグローブをむんずとつかみ、ずぼりと音を立てておおげさに引き抜いた。なにをするんだ? と疑問をいだく大衆監視の元、なんと潜水艦は、それを左手に装着して見せた。


「この打席は、()()()で投げるよ!」


 球場に広がる、息を呑む音。


 ――スイッチピッチャー。左右どちらでも投げられる投手のこと。


 地球でもレア中のレアといっていい、いやむしろツチノコ程度には都市伝説と化している、奇妙奇天烈な生態を持つ。


 スイッチバッターという、左右どちらの打席にも入れるバッターは一定数いる。しかし投げる側がそれをするとなると日米の歴史上でも十指に満たない。なおかつ彼女はアンダースロー投手(サブマリナー)。レアにレアを重ねられては、対戦相手はどうあがいても対策できない。


 スタジアムはおおいに沸いた。誰かがホームラン宣言をしたかのようにどよめきと驚きと喜びが大歓声を作る。さっきまでトリプルプレーによってヴォゾヴァ・ハラドバに傾いていた流れが、あっという間に霧散して消えてしまうほどに。


 ちなみに監督たる魔女は「すごいすごい!」などと大はしゃぎして、ベンチから身を乗り出した。そしてバランスを崩し、空を飛べない鳥があわただしく翼をバタバタさせるのと同じように四肢を無様にバタつかせた挙句、柵を乗り越えフィールドへ落ちる。最終的に全身を強く打って「ぐぇぇ」と鳴いたものの、観客は誰も彼女なぞ見ていなかったから、ある意味セーフだった。


「嘘だぁ……」


 大音響の中にかき消されるような小声が、ぽつりとオークの口からこぼれる。左投げ対右打者なら打者有利だったのに、右対右では打者不利といっていいから。


Play(プレイッ)!」


 状況は容赦なくボールインプレーへ。生まれてはじめて対峙するくせ者投手の初球は、内角ギリギリのストレート。ジャンボはその名前に反し、ちいさく縮こまってボールを打とうとした。


Strike(ストラィ)


 でも空振り。ああどうしようと思っていると、また内角に次の1球が飛んでくる。「Strike(スットライ)Two(トゥゥ)!」のコールがされて、なにもできずに追いこまれた。


(まっずいなぁ、これ。僕に打てるのかな)


 困り顔を隠すこともせず、でも「こんどこそは!」とバットを構える。すぐに次の球が飛んできた。自分の背中側から飛んでくるそれは、どうもわき腹に命中しそうに思えて、ジャンボはエビのように腰を引く。でも審判のコールは――


Strike(スゥットラァ)Three(スュリィァッ)!」


 主審はマスクを両手でかきむしるような仕草をしてから、右手でビシッと指さした。球場の熱狂は彼にも伝わっているのだろう。さっきからコールがおおげさになりつつある。


 肩を落としてベンチへ下がるジャンボとかわり、さっきファインプレーをしたリザードフォークのアミが打席へ入る。左打席に入って立つと、いつの間にか潜水艦は左投げにスイッチしていた。


 結局、アミもアウトに倒れる。彼女の力をもってしても、セカンドゴロを打つのが精いっぱいだった。6番バッター三つ編みウリッセも同じ。バットこそカァンといい音を鳴らしていたが、高く上がった打球はそれほどのびず、センターのバルテリに軽々と捕球されてしまった。


 2回の表はあっけなく終わり、今日2回目の三者凡退。勇者チームのベンチに座る、多くの選手はさえない表情を浮かべている。


 ――けれど闘志を燃やす男がふたり。ピッチャーのダイナソーことサカーチ・ジュラと、チーム監督イヴォその人。


 ふたりとも逆境にはとことん強かった。イヴォは暴走トラック相手に単身挑んだ過去があるし、ジュラも傭兵崩れ時代に強い敵に敢然と立ちむかった経験がある。他ならぬ、現在のクランリーダーである、勇者イヴォに。


「ダイナソー、次の対戦相手は4番だ。打順(オーダー)表にはフェンリル狼の男の名がある。あえて聞くが、いけるか?」


「いける。俺はアンタと戦った時だって、今だってそう思ってる。『絶対に勝つ』という気概がなくて、どうやって戦いに挑むのか、俺は知らない」


 ジュラは勝利を約束したわけではない。ただ、戦場で培った義務感という名の信条だけは、魔界の4大魔獣を相手にしたって錆びつくことなどありはしないのだ。だから勇者の「そうか」という短い返答に対し、彼は二言(ふたこと)言葉をつなぐ。「結果はどうなるかわからない。ただ――」


 バシンと両手を叩いて鳴らす。


「義務を果たそう」


 らんらんと光る目に、ゆがんで上がる口の端。どこからどう見ても悪役の顔。しかもTVがわりの電光掲示板が、狙いすましたかのように彼の表情を映し出してしまったから、球場へ恐怖をはらんだざわめきが発生した。同時にそれを見ていたヴォゾヴァ・ハラドバのメンバーは、「ああ、彼はすごく楽しそうだな」と感じて士気を取り戻す。


「ああ、まかせた」


 そして背中を送る勇者の顔は嬉しそうで、楽しそうで、まさに転生後の人生を謳歌しているようだった。

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