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笑うベースボール 16

Playball(プレイボォー)!」


 固有パークで用意された、オートマタらしき主審が右腕を力強く上げる。発音は非常に本格的。体格も妙によくて、大リーグの審判らしさがあった。


 1回表、先攻は勇者イヴォのチーム『ヴォゾバ・ハラドバ』。当然守備についているのはヴィヘリャ・コカーリの面々だ。


 主審のかけ声が球場に響くと、これまた数万人のオートマタの観客が一斉に歓声を上げた。こんなものまで用意しているなんて、魔女は少々あっけに取られる。「観客こみでスポーツですから」とはイヴォの言。気の利いたことなのだけど、数万人の視線が集まっていると考えたら、緊張感で血圧が上がり鼻血でも噴き出しそうになる。


 で、そんな観客席の一角、1塁ベンチの上に無視できない連中がいた。


 トントゥたちだ。


 異物混入もはなはだしい。いったいどうやってここにきたのか。答えはこれまたイヴォが気を利かせ、近くにいた彼らを招待したから。トントゥたちからしてみれば、なぜペサパッロをしないのかと強い抗議にきていたつもりだったのだが、ヒマワリの種なる食物が食べ放題だと懐柔され今ここにいる。現在、絶賛観客席へ殻を「ぷっ!」としてご満悦なのだ。


(いや、彼らのことはいいとして)


 ゲームが開始されたのだから、当然第一球も投げられることになる。ベンチの柵に身をあずけながら、イーダは投手たる魔王へ注目することに。


 150キロ後半はあるだろうノビのあるストレートと、同じフォームで放たれる90キロくらいのカーブボール。右投げの「本格派」といっていい先発投手だ。あんな女性選手が地球にいたら、世界中でニュースになることだろう。


 捕手オンニの前で対するバッターは、1番・レフトの勇者イヴォ。左打席に陣取ってバットを構える体は、居合切りの達人のようにぴたっと静止している。見ただけでオーラというか、「あ、この人打ちそうだな」なんて印象を受けた。その覇気は並みのピッチャーなら萎縮してしまいそうなほど。


 けれどシニッカはそれを気にする様子もない。いつもどおりぺろりと舌を出し、ニコニコとずいぶん楽しそうだ。


(投球内容はバッテリーにまかせているけど……)


 バッテリー、すなわち投手と捕手のコンビ。ベースボールの試合を作る要だ。どんな配球をするのか興味深い反面、投手の側がくせのあるシニッカなことに一抹の不安がよぎった。


「じゃ、試合開始ね。覚悟なさい」


 体の前でグローブへ右手を入れ、それを持ち上げ頭の後ろへ。同時に右足をやや引き、魔王は投球フォームに入る。そして体をねじると同時、左ひざを曲げ足を浮かせ、体中のエネルギーをぎゅうっと収束させた。


(はじまる!)


 一瞬の静止の後、その姿は猛獣になった。全身のバネを解放して、彼女は咆えるように白球を放つ。赤い縫い目がわからぬほどに、白球は白い軌跡の矢となった。


 めざすは捕手のグラブの中。18.44メートルの距離を猛然と進む。そこにあった空気たちが、悲鳴を上げて逃げていくよう。そうやって真空へ球を放るから、彼女のストレートは落差が少なくノビがあるのかもしれない。


 しかし、その行く手を阻もうとするものがあらわれた。バットと、それを持つ勇者だ。


(――負けん!)


 勇者は引き絞られた攻城兵器のように体をねじって、右足を大地に突き刺す。そのまま流水のようにスムーズな動きで、バットを旋回させた。


 両脚は大地を噛んでいる。膝から腰、そして肩にいたるまでの全関節は、この一振りのためだけにコマのようにまわる。そして彼の信頼する筋肉たちが、ドラッグレースの車よろしく、スタートの合図とともに最大加速度で仕事する。


 筋力と遠心力とがバットの先端へ集中し、そこに頭蓋があったのならば、木っ端みじんになるほどだ。


(とらえたか⁉︎)


 一流のスポーツ選手と化した彼は、ゾーンの世界へ入っていった。聴覚は音を失い、視覚は色彩を失う。動体視力だけが剣先のごとく研ぎ澄まされ、銃弾のように回転しながら飛んでくるボールの速度を制御せしめた。1メートルくらいの位置にきた時、速度は老人の歩みほどに。コンマ数秒前まで白い線にしか見えなかったボールが、今や空気を裂く縫い目まで見えるほど鮮明な輪郭を描いていた。


 その白球目がけ、両手にしかと持ったバットもゆっくりとした速度でせまっていく。このままなら芯、つまり一番打球が飛ぶ場所へとインパクトできるだろう。


(――⁉︎)


 が、ボールはクッとわずかに沈む。同時に彼は、目に映った回転する縫い目(シーム)が、同じ表情を2回ほど見せているのに気づいた。


(ツーシーム!)


 直球の代表例、フォーシームとツーシーム。ボールが1回転する間に、縫い目が4回あらわれるか、2回あらわれるかという違いをあらわすものだ。この縫い目はわずかながら空気抵抗を産む。そのため、フォーシームの回転はボールに引っかった空気が上方向の力を発生させ、落差の少ないノビのあるストレートになる。いっぽうのツーシームは上方向の力が弱く、そのかわりに不規則にあらわれる縫い目が、直球へ若干の変化をもたらす。


 今回は変化する直球だ。でもバットは振ってしまっている。軌道修正は間に合わない。芯よりほんの少し、誤差数ミリ下側でボールを殴りつけることになるだろう。


 それでも――


(力づくだ!)


 白球が変化し切る前に叩いてしまえばそれでいい。力という名のパワーでパワフルに強く振り抜くのだ。


 そう思うころには両手に重い手ごたえが。


(もらった!)


 世界は速度を取り戻す。


 ――カァン!


 バット一閃。


 ――ボッゴォ!


 魔王に命中。


「むぎゅう!」


「なっ!」


 それは深く深く、青い髪の少女の腹へめりこんだ。開始早々のアクシデント。俗にいう「ピッチャー返し」。


 直球に逆らわないでまっすぐ打ち返すという打撃の基本にして、うまく行った時にはピッチャーに最大の恐怖をもたらす現象。


 あわれカールメヤルヴィの王様は、時速180キロにおよぶ打球をみぞおちで受け止めた。くの字におれながら、なお球の勢いはおさまらず、映画のやられ役がヒーローに吹き飛ばされたのと同じように、足を揃えてその場へドサっとあおむけに。


 お腹の上にボールを鎮座させたまま。


「あぁ! シニッカ!」


 その光景はベンチにいたイーダからでもよく見えた。完膚なきまでに滑稽なその姿も。そして同時に、とても薄情なことを思っていた。その感情は――この戦いに並々ならぬ意気ごみをいだいていたからか――親友を心配する気持ちよりも強くて、おかげで気づかいの言葉より先についつい口に出してしまう。「ボールをグラブにおさめて!」


「む、ぎゅ……」


 プルプル痙攣する左手を、魔王はお腹の上にゆっくり持ってくる。そして白球をグラブの中へそっとおさめ、ついでに右手をその上へ重ねた。その姿はお墓の中に入っている人たちと同じ姿をしていた。


That's a(ザッツァ) catch(キャッチ)!」


 めでたく捕球が認められ、1回の表ワンナウト。勇者イヴォは心配そうにシニッカを見ながら、その場に立ちつくしている。


「た、タイム!」


Time(タイッ)!」


 ヴィヘリャ・コカーリ監督の要請に、主審が両手を広げてタイムを宣言した。これでボールインプレーは切れ、ボールデッドの状態。野球はこうしてプレー時間とプレー以外の時間を区切る。が、今はそんなことどうでもいいので、イーダはドクをしたがえて魔王の下へ走っていった。彼は「大けがかな⁉︎」とテンションを上げているが、それもちょっとやめてほしい。


「だ、大丈夫⁉︎」


 のぞきこむと、シニッカは舌をだらんと出したまま、彼女の直球のようにノビていた。もうこのまま土葬にしたって、誰も文句を言わないだろうくらいに。


(だ、だめだ!)


 エースの突然の降板は確実だ。あんなに自信満々に「勝つのは私たち」なんて言っていた人が、たった1球で堂々の負傷者リスト(IL)入り。当然、他のヴィヘリャ・コカーリのチームメンバーが、このような事態を見すごすはずもない。


「おーい、こらぁ! 勇者ぁ! 卑怯だぜ! うちのエースになんてことしやがる!」


「勇者様ー! 目からうろこですよー! 勝つためには、そういう手段もあるんですねー!」


 フェンリルとベヒーモスが遠くから大声を上げた。


 いわゆる、野次。


 野球ではおなじみの光景ながら、あまりマナーのよろしくない文化のひとつ。でもおそらく、魔界のチームの最も得意とするところ。


「いやぁ、容赦ないっスね! 女性をああやって()()()とは!」


「ははははは! なんというやられっぷりだ! よくやった勇者!」


「むぎゅう! むぎゅう!」


 いや、野次以外のものも飛んでいる気がする。


「と、とにかくドク、救護して。シニッカの容体は?」


「うん……これは突き指だね」


「よく診て!」


 つばをつけとけば治るよと、天使は少々つまらなそう。骨36号さんとノエルが持ってきた担架の上へ、ゴロンと魔王の体を転がす。あろうことかうつぶせに。


()()はベンチにでも置いておこう」


 自分が処置する必要はない、そう判断したようだ。「ちぇっ」っと小石でも蹴るようにベンチへ下がっていく。


(ざ、雑だなぁ……。いやそれどころじゃない! どうしよう⁉︎)


 困ったことになった。監督として、さっそく采配手腕を試される事態だ。投手なら自分でもできるけれど、呪術の効果は長くて1回半くらいしか持たない。とはいえ、他にピッチャーができる人などいただろうか? このままじゃ敗北は必至。さっそくの難題に目の前が暗くなる。


 と、お先真っ暗な顔の魔女へ、黒い影が忍びよる。現代野球にくわしい2本足の潜水艦、アイノだ。


「イーダ! これは私の出番かな⁉︎」


「え⁉︎ アイノ、ピッチャーできるの⁉︎」


「できるよ!」


 風雲急を告げる。いや、地獄に仏。このさいどちらでもいい。ともかく試合は続行できそうだ。


「お願いできる?」


「はーい、まかされましたじょ!」


「うん、よろし――やめてね!」


 勇者はアウト、魔王も退場(Out)。本試合は初球から大荒れの予感。


 3塁ベースコーチはアイノから骨36号さんに交代となり、さっそく「ベースコーチもフィールドプレイヤーと交代できる」という特殊ルールが適用された。


 2022年6月2日木曜日、午前10時2分。魔王は約5か月ぶりに退治され、ぞんざいなあつかいを受けたまま、試合は続いていくのだった。

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