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笑うベースボール 14

 国境線の宿屋の裏手、簡単な天蓋を張った食事スペース。そこでイーダはふたたびイヴォと対面した。ルールの変更を提案するためだ。広い街道にふさわしいおおきな宿屋には、先日と違って、いつの間にか彼のチームメートたちが集合している。


(予想してたとおり、いろいろな種族の混成チームなんだな)


 縦長耳の中央大陸(ミッド)エルフに横長耳の小島(ロドス)エルフ。バードフォークにリザードフォークに、その他いろいろ。敵チームのメンバーは宿屋の裏にある草原でキャッチボールに興じていた。身に着けている服はチュニックだったりダブレットだったりとこの世界の服装そのもの。硬式球も手作りだから茶色でいびつ、グローブだって分厚いわりに形がゆがんでしまっていた。当然、足元を飾る野球用スパイク、なんてものもない。


 遠目に観察しながら、身に着ける道具とは裏腹に、彼ら彼女らの動きがプロ野球選手のそれであり、間違いなく強いチームだろうと思った。やり慣れているというか、こなれているというか、非常に自然で無駄のない動きだったからだ。今ドクに「あれは地球人の野球選手がコスプレしているだけだよ」なんて言われたら、それが嘘だと判別できないかもしれない。


「気になることが?」


 声の主はほかでもない勇者だ。目の前へ座り、こちらの目線を追っていた彼は、その先に自分のチームメイトがいることを知ってそう言った。


「いえ、こっちの世界のベースボールチームが、種族混成なのを興味深く思って。地球だと人種混成はあっても、別の人類種が混ざることなんてなかったから」


「それは私も同感だ。生前、人種でポジションを決めたりしたら差別だと叩かれだろう。ここでは種族に適したポジションへ配置することに、彼らも私もなんら抵抗はない。強みを生かしてプレーすることが至上主義だ。この相違点は実に興味深い」


 彼は微笑んだ。大柄だから顔のパーツひとつひとつもおおきくて、その主張激しい目や口がいっせいにゆるむ。つられて魔女も笑顔をうかべた。「勝負できて光栄です」


「ありがとうイーダ監督。ところで今日のご用件は?」


「あ、はい。一部ルールの変更をお願いしたいと思って」


 穏やかな雰囲気で交渉が開始される。「ルールを?」、そう問うた彼へ、魔女は午前中に自分のチームへ話した「代走専用枠」と「ベースコーチを野手へ転用できる」のふたつを提案した。


「私たちのチームは人数が少ないから、これがないと戦うこと自体難しくなるんです。選手交代ができないですから。いかがでしょう?」


 1年前までコミュニケーションが苦手な女子高生だった彼女も、こうやって交渉の確信部分を最初に言ってしまうのが、あまりよいことでないと知っている。交渉ごとが得意なメンバーに教わって、「テーブルではカードを最初から全部見せるな」と言いつけられているから。でも、勇者イヴォに対しては駆け引きが必要だと思わない。というより、まっすぐなストレートを放ることこそが効果的なのだ。


「なるほど、理解しました。いいでしょう。ただし、私たちのチームもそのルールを利用させていただきますが」


「もちろん結構です。感謝します、イヴォさん」


 予想どおりあっけなく目的達成。よかったと胸をなでおろす。で、ちょっと気になることも。


(なんかこの人、敬語を使いたくなる人だな)


 一応敵なのだから距離感があるのは事実だ。それでも「話しかけにくいなぁ」という感情を根拠とするものではなく、「この人には敬意を払わないとね」という思いがそうさせていたから少々不思議だった。理由として思い当たるのは相手の立ち振る舞い。年下への対応に慣れているような、そんな言いぐさや所作をしていると感じる。


(地球では先生とかしていたのかな? 聞いてみようか……あ、やめよう。職業を聞くのってよろしくないよね)


 英語の教師がそんなことを言っていたと思い出し、魔女は思いとどまった。でも意外なことに、それは相手が話してくれた。


「イーダさんはお若いですが、日本の学生だったのですか?」


「ええ、そうです。高校1年生でした」


「そうだったんですか。私は生前、基礎学校の教師をしていました。イーダさんよりも若い年代を相手にしていましたが。ちょうどいいので、少し日本の高校野球について聞かせていただけませんか?」


 もちろんです、の言葉へ、元教師は待ってましたといわんばかりに次々と質問を放る。野球部なるものは課外活動のひとつだったのかとか、ハイレベルな野球をしている背景はなんだったのか、とか。イーダはそれへ丁寧に答えた。課外活動だが強豪は推薦入学で選手を集めることも、日本において野球というスポーツは非常にメジャーで、ゆえにヒト・モノ・カネが集まりやすいことも。その異文化交流は話がはずむ。なにせ双方野球が好きだったから。


(この人は本当に野球が好きなんだな。「ヒット・アンド・なに?」って聞いたら、「アウェイ」じゃなくて「ラン」って答えるだろうくらいには)


 その後も会話ははずみ、投手の投球数制限というこみ入った話題が終わった時、イヴォは「ふぅぅ」と満足げなため息をついて背もたれにもたれかかった。


「いいですね、うらやましいです。チェコは野球よりもサッカーでしたから。今行われているのかわかりませんが、祖国のWBCの予選を異世界から応援していますよ」


 彼はそう言って遠くはるかな故郷を見る。視野に入っているわけではないが、彼が代表選手団の活躍を夢想していることは魔女にもわかる。自分だって、野球選手たちがパンデミックのおさまった世界で白球を追う姿を思い浮かべることなど容易だ。だから彼にも見えていると確信していた。


「決勝トーナメントで日本対チェコ戦が見られるなら、今すぐ逆転生したいかも」


「あっはっは! それはいいですね! 戻る方法を探しましょう!」


 ふたりは笑いあう。そんなことが可能だなんて思っていない。それは勇者も同じはずだ。ゆえにその笑みには郷愁と、ちょっとした自虐が混じっている。色彩にたとえるなら楽しさのだいだい色へ枯れ葉を混ぜたような明るい茶色だ。ちょうど、野球のグラウンドのような。


 だから笑い声は土へニコニコマークを描いたようにすがすがしいものだった。


「さて、私は帰りますね、イヴォさん。試合の日を楽しみにしています」


 魔女は唇へ微笑みを残しながら席を立つ。「ええ、こちらも。お気をつけて」と見送る勇者に、もういちどお礼を言って。


「終わったかい、監督よ。なら帰るとするか?」


 よろしく、の言葉を聞くが早いか、狼は獣化してフェンリルになりイーダとオンニを座席へ乗せた。横ではサカリがカラスになって、羽音を残し飛び立っていく。


 片手を上げてあいさつすると、景色が狼の加速によって、のばした絵の具のように過ぎ去っていった。いつもながらこの速度には驚きを禁じ得ない。地球でこんな速さを出せる生物は、空を飛ぶもの以外にありえないだろう。


 その狼はロード・オブ・ザ・ギフトをカールメヤルヴィへ駆けながら、自らの監督へ首尾をうかがう。


「さっそくだが監督さんよ、交渉はうまくいったみたいだが、勝算ってのはどれくらいだ?」


「まだわからないよ。先にみんなの意見を聞きたいかな。オンニ、相手選手たちの動きはどうだった? みんな野球をやり慣れている感じだったけど」


「そうでスね。当たり前でスけど、プレーが苦手な選手なんていないでしょう。みんな身体能力は熟練冒険者なみに高かったっスよ。で、どうやら右投げ左打ちが相当多そうっス」


 イーダはちゃっかりしたもので、同伴者たちに利き腕や打席を確認させていた。右投げ左打ちというのは、ボールを投げるのは右腕で、左のバッターボックス(打席)に入る野球プレーヤーのこと。左打席というのは()()()()()()なので、キャッチャーから見ると右側にいることになる。


 この世界でも右利きの人間が圧倒的多数だ。通常、そういう人が打ちやすいのは右打ちで、つまり右打席に入ることになる。なのに左打ちが多いのは、()()()()()()()意外に考えられない。左打席のほうが1塁に一歩近いからメリットは明白だ。筋力バランスが左右対称になりやすいなんてメリットを挙げる人も。


「イヴォさんがそう指導したんだろうね。左利きの人はいた?」


「投手らしき人がふたりいましたけど、片方が左利きでした。球は結構速かったっスよ」


「相手の野手にもひとりいたな。イーダのいうとおりなら1塁手かもしれねぇ。背も高かったぜ」


 ささやかな情報だけれどないよりはまし。実は投手の利き手によって、打者の打席には不利な組み合わせがあるのだ。


「実はさ、左投手に対する左打者――つまりキャッチャーから見て右側で打つ人って、ちょっとだけ打ちにくいらしいんだよ。右投手に対する右打者も同じなんだ。正直、劇的な差とはいえないけど」


「なんでだ?」


「打席に立つとわかるかもだけど、ボールが打者の背中側からキャッチャー目がけて飛んでくるでしょ? 感覚的に球が逃げていくように感じるんだと思う」


「想像すると、たしかに打ちにくそうっスね」


 ゆえにチームの監督としては、少しでも打ちやすい環境をととのえなくてはならない。相手が左投手なら、右打者を用意するのだ。たとえば代打の時なんかには。


(おおきな差じゃないから、選択肢のひとつとして考慮するにとどめようかな)


 考えているとサカリが空からおりてきた。作戦会議がはじまっているのを見てきてくれたようだ。狼の首すじに2羽とまりこちらをむくと、さながらステレオスピーカーのようにしゃべりはじめた。


「利き腕の話ではないが、私も気になったことがある。内野手4名のうち、ひとりのリザードフォークについてだ。たぶん二遊間のどちらかだろう」


「なんでそうわかるんだ? 俺も見ていたが、ポジションがわかるような練習してたか?」


「グローブが内野用と外野用で違うからな。そのトカゲの物は、内野用の短いグローブだった」


「それは気づかなかったよ! ありがとう、サカリ。でも、なにか狙いがあるのかな?」


 イヴォとの会話で出てきた言葉を思い出す。「種族に適したポジションへ配置することに」と言っていた。二遊間――セカンドとショートはゴロのボールがよくとおるから、守備のうまい人があてられる。そこにリザードフォークを置いた理由とは……。


「尻尾か!」


「たぶんそうだろう」


 彼らの尾は太く頑丈で、登坂時にはそれだけで体をささえることだってできるほど。普通に走ったら手の届かない打球にも、尻尾で地面を叩いて加速したり、体をささえて高い位置で捕球したりなんてことができそうだ。バランス感覚にもすぐれているから、守備力は相当高いのかもしれない。


「サカリさんの話だと、グローブが長いと外野手ってことっスか? ならエルフふたりはそうでしたね。弓矢が得意な彼らなら、外野からどこかの塁へ投げるのなんて朝飯前かもしれないっス」


「エルフって線が細いイメージだけど、遠投は得意なの?」


「そこは魔術でどうにでもなりまス」


 なるほど、魔術を使うのはむこうも同じ。外野から補殺――アウトが成立する送球を、矢のように放つのだろう。


(これは責任重大だな……)


 悩ましく思っているのは、他ならぬ自分のポジションだ。現在はベースコーチをするつもりでいる。走塁についてくわしい人間がやるべきだし、いざとなったら野手の手札のひとつとして自分を使えると思っているから。けれどベースコーチに必要なのは走者と送球を見比べる力。イーダはそこに自信があるわけではなかった。


(いや、そのくらいはちゃんとこなさなきゃ!)


 イーダが最初から野手としてフィールドに立たない理由はもうひとつある。それは魔術だ。野球の能力を向上させるため、彼女は魔女らしく古呪術(オールド・マジック)を使うつもりでいた。しかし効果時間はそこまで長くなく、1回から9回までとても持たない。ゆえに交代選手枠として自らを用意することにしたのだ。


「帰ったらもういちど会議をしよう。情報を整理して、作戦を決めて、残り少ない練習時間でなにをやるべきかあきらかにしなきゃ」


「了解だぜ、監督さんよ。しかしいつもながら用意周到だな。プラドリコの時だってそうだったんだろ?」


「狼よ、予習復習は学びの基本だ。いい傾向だと私は思うが?」


「ああ、同意だ。これはほめてるんだぜ。予想外の事態ってやつはいつでもそのへんに転がっている。戦場でもそうだろ? だからいつだって予備兵力を残しておくし、切り札は懐に潜ませておく。今回はベースコーチのイーダとアイノがそれに相当するな。ゆえに判断を支持するって言いたいのさ」


「なるほど、異論はない」


 ふたり(正確には1頭と2羽)はそう言って満足そうな表情をうかべた。


「国防大臣のお墨つきでスね。結構楽しくなってきましたよ、僕は」


 そんな狼とカラスの会話を聞いて、夢魔はイーダへニヤニヤした笑いをむける。なんでそんな笑いかたなのか、イーダには見当がついた。


(バルテリとサカリの見解が一致するなんてね)


 いつもは仲の悪いふたりだ。どうやらスポーツの持つ魔力は、人類に団結心をあたえてくれるらしい。


 そのおかげか、王宮へ帰宅した彼女らの会議も、次の日から行われた練習も、実にスムーズな進行を見せた。日を追うごとに個々人の動きは洗練され、ひとつのチームとして振る舞うようになった。


 そしてその日はあっという間におとずれる。


 6月2日、ヴィヘリャ・コカーリはふたたび勇者たちの前に立ち、試合へのぞむこととなった。

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