笑うベースボール 13
ノエル・ラム・ヌルミ。彼は自分が何者なのかわからない。勇者の対抗召喚としてこの世に生み出されたことだけはわかる。けれど相手の勇者がどんな人物なのか、どんな固有パークを持っているのかは不明のまま。対抗召喚された者はつがいとなる勇者にあわせて存在を決められることが多いらしいから、その敵が姿をあらわしたのなら自分のことも知れるだろうと想像をふくらませることくらいしかできないのだ。
自分の名前の意味もわからない。ノエルとヌルミというのは魔王がつけたもだが、ミドルネームのように鎮座する「Ram」は対抗召喚機に表示されていたものだそうだ。ラムといったらお酒だが、彼自身は酒に弱い。自分のルーツを知る手がかりに違いはないのだけれど、どうしてもそこからつがいである勇者の能力とか人となりとかを考えることができなかった。
そんな彼にはひとつの癖があった。いや、癖というよりも欠点といったほうがいいかもしれない。なぜなら「積み上げられた物(たとえば雪だるま)なんかを見ると突進したくなる」なんてものだったからだ。
魔王が手慰みに作ったトランプタワーへ、なんど突入を果たしたことか。最近では黒い髪の魔女が、そのカードでできた建築物に「ノエル召喚機」などと名前をつけている。どうも彼女に気に入られているようで、そこに突っこむともれなく捕縛され、ほおずりだのくすぐりだのという刑罰を受ける。だが結果がわかっていても、秋の落葉のようにバラバラと舞うカードの光景を頭へ思い浮かべてしまったら、どうしてもそれを見たいと思ってしまい突入せざるを得ない。ゆえに、これは彼の欠点だった。
魔王はそんな彼を分析する。ラム――お酒の名前と、突入癖。地球の歴史にくわしい彼女は想像を働かせたのか、「ラムは海の男の飲み物。そうなると突入に関連するラムという装備が思い浮かぶわ」なんて言いはじめ、「もしかして衝角なのかも」と船の武装を候補へ上げてきた。帆船時代の軍船の船首形状、それも水面下に槍のように突き出した部分のことだ。使用用途はなんと体当たり。敵船胴体の水面下へ穴を開け、浸水によって深刻なダメージをあたえることを企図している。
もしそうだとするならば、そんな概念が人の姿をしている理由もわからない。帆船に縁のある勇者でも召喚され、その対抗として自分がいるのだろうか。
そんな自分のことすらわからない彼が、わかっていることもある。
この力、どうやらベースボールで役に立ちそうなのだ。
そんな少年の顔を見ているのは、王宮の食堂へみんなを集め、先発オーダーを披露していた魔女だった。
「ノエルは走るのが得意だよね。『衝角突撃』だっけ? あの力ならルール上限いっぱいの速度で走塁できるよ」
「う、うん。でもそんなに何回も使えないよ。……1日2回くらい」
「それだけ使えれば十分! ここぞという時の代走へ、あなたを指名することにする!」
騎士の叙勲でもするみたいに、魔女はノエルの役割を決めた。少々一方的な宣言にも思えた。腰に手をやり、胸を張る様子が、「異論なんてないでしょ?」という態度に見えたからだ。
でも実際、ノエルはその決断をありがたく思った。少しほっとしていたともいえる。なにせ運動は得意でない。自分ときたら、転がるボールを取ることも、それを遠くまで投げることもできやしないのだ。球技なんかできるものじゃないし、このままではみんなに迷惑をかけてしまうところなのだから。
明確な役割ができたことで、ようやくこのバカバカしい勇者との戦いに一筋のやる気を見いだせたのだ。ふだんヴィヘリャ・コカーリがどこでどんな敵と戦っているかなんてわからないけど、今回は肩をならべて試合に挑む。彼の、いつもは雨上がりにじょうろへたまった水程度の自尊心が、花壇へ水をやるのに十分なくらいには満たされていた。
「わかった。でも魔女のお姉ちゃん、僕の役割――代走って走るだけでいいんだよね? 打ったり取ったりしなくていい?」
「うん! いいよふひっ!」
ちなみにノエルは人の名前を覚えるのも苦手だった。だからクリスマスに聞いた魔女の名前もとっくに忘れている。先日面とむかって「名前を知らない」と言ったせいで、彼女を絶望的な表情にしてしまったのには罪悪感がある。けれど覚えられないものは覚えられないのだ。でも回避方法だってとっくに見つけている。「魔女のお姉ちゃん」と呼ぶと、彼女は餌を発見した犬のようによろこぶのだ。だからとりあえず二人称はそう呼ぶこととした。さっき語尾に発生した「ふひっ!」という奇妙な笑い声を聞くに、今日も効果がある様子だ。
ともあれ自分に役割ができたノエルは、砂漠の民が渇望しそうなジトっとした目をすっと横へ動かした。メンバーの中で唯一、まだ役割をあたえられていないとなりの男へ視線をむけるためだ。彼はペストマスクと白い翼を持つ錬金術師。さっきまでの話では彼のポジションについて話題がなかったから、それも魔女に聞いてみようと思った。「お姉ちゃん、ドクはどうするの?」
「ふひっ、ドクはそのまんま、みんなのドクターをやってもらうよ」
絶対けが人が出ると思うんだよね、苦笑する表情の魔女と違い、ドクは少々テンション高めに「いいね!」と言った。なんと親指まで立てている。こんなことする人だったっけ? もしかしたらペストマスクの下に別人がいるの? と代走担当の少年はいぶかしく思ったが、それは間違いなくビオン・ステファノプロスだった。医者の顔を持つ彼は、病気やけがをしている人が目に入ると、妙に機嫌がよくなって、嬉々として治療に当たる癖があるのだ。
これも癖というより、時と場合によっては欠点になりうる。調子が悪そうだったり痛そうだったりする患者へ、楽しそうな声色で応対するのだから。
「僕がいるからには、みんな思いっきりプレーしていいよ。骨折くらいだったらすぐに治せるからご心配なく。でも手足が取れちゃったりすると時間がかかるよ。おとなしくベンチへ下がってほしいな」
「……この世では手足が取れても故障者リスト入りですむんだね」
そんな血なまぐさい野球しないよと魔女が言ったところで、ヴィヘリャ・コカーリは全員の役割分担を決め終わった。
「さ、今からイヴォさんのところへ行かないとだね。ルール変更の交渉をしなくちゃ」
「監督さんよ、足は俺が引き受けよう。他に誰を連れてくんだ?」
「ありがとう、バルテリ。ええとね、サカリとオンニ、一緒にきて。相手のチームメンバーもいるらしいんだ。ちょっと偵察できればありがたいから」
「心得た。私は飛んでいこう」
「じゃ、僕はバルテリさんに乗せてってもらいまス」
短いやり取りの後、4人は食堂から出ようと振り返る。でもその背中へ魔王の言葉が。
「あら? 私は?」
「お留守番」
「なぜ? 勇者がいるというのに」
「また変な交渉するから、お留守番」
そう口をとがらせる魔女の監督命令によって、青い髪の女はおとなしく待つことを強要されたのだった。




