笑うベースボール 11
2日経過して5月30日、日曜日。本当は昨日から練習開始としたかったけれど、骨さんたちがいないのと、他のみんなも仕事があったことから、本格的に取り組むのは今日からになった。とにもかくにも練習試合。細かいところはやりながら覚えればいい。
練習相手のペサパッロ・チャンピオン『チーム・クーカールメ』を相手に、ヴィヘリャ・コカーリと4人の骨は球場に集まっていた。服装も道具もてんでバラバラ。おそろいのユニフォームとか、既定の規格のグローブとか、そういう統一感のあるものはほとんどない。キャッチャーの防具なにいたっては、戦地から駆けつけてきたのかと思うくらいに浮いている。胴にはハードレザーアーマーを着て、頭にかぶるのはバーゴネットというひさしつきの鉄兜。つばの部分から3本の金属棒が顔面を保護するように吊り下げられていた。
転生したイーダからすればひどくおかしな光景だったが、それも先日のペサパッロ観戦で鳴れてしまっているから、自分がその鎧を着るのに抵抗感はない。
(さ、はじめよう)
後攻だから1回表は守備につく。ペサパッロとは守備のルールが違うため、みんな慣れないポジショニングに足元がおぼつかない様子。いや、というよりも数名にいたっては野球型球技がはじめてだから、おぼつかないどころの話ではない。
ということで、最初は形を覚えるところから。自由にプレーを切って、あれやこれやと指導するつもりだ。
(とはいえ大丈夫かな?)
監督兼選手の魔女イーダはキャッチャーをすることにした。全体をみまわして「ああしろ、こうしろ」と指示できると思ったからだ。ついでにアイノは守備に参加せず、審判兼アドバイザーとしてフィールドにたゆたっている。ひとりで審判をしろとは酷な話ではあるけれど人材が足りない。ことベースボールにいたっては、カールメヤルヴィを見まわしても、ルールをちゃんと把握しているのは現状ふたりだけなのだ。
左打席(ピッチャーから見て左側、キャッチャーからだと右側の打席)に立つ悪魔種の練習相手へ、イーダは「参加ありがとうございます」と軽くお辞儀をした。その人はヘルメットのつばに片手をやってニコリと笑顔を返してくれる。それによって「今私はスポーツに興じているんだ」と、健康的なものを感じて心地よくなった。
「プレイボール!」
遠くで上がるアイノの右腕。
「じゃあ、いくわよ」
投手は我らが魔王様。さっき「魔王の魔は魔球の魔」と流ちょうな日本語で話していた彼女だが、初球はなにを投げてくるのやら。本当に魔球を投げてくるならまだいいけれど、相手にぶつけでもしたら大変だ。貴重な練習試合をプレイボール即デッドボールという幕開けで迎えたくはない。
魔女の不安をよそに、白球をグローブに隠しながら、魔王はおおきく振りかぶる。両手を頭の上へ上げる『ワインドアップ』と呼ばれるやつだ。そして意外や意外、動画サイトに載せれば教材になるほど、きれいなフォームで直球を放った。
オーバースローからの体重の乗った1球が、糸を引くように顔面めがけて飛んでくる。
(速っ!)
ズバァン! とおおきな音。魔女はかろうじて左手のキャッチャーミットにボールをおさめた。なんとか目をそらさずに。左手のひらがビリリとしびれたから、これは上下左右に1センチでもずれていれば手を傷めただろうと思う。我ながらよく捕球したものだ。少々驚きを禁じ得ない。
事前に自分へいろいろと魔法をかけておいてよかった。普段の自分には、この速度の硬式球を捕球する技術なんてない。ボールをピッチャーへ投げ返すのもできない。今日は古呪術の新魔術を試している最中、うまく働いているようで楽しくなる。
フィールドの1塁あたりに浮かぶアイノから、「ストライィク!」のコールが聞こえた。あんな遠くからでも見間違えようのないど真ん中のストライクだ。シニッカがあんないい球を投げるとは思わなかった。スピードガンなんてないから時速どれくらい出ていたかはわからないけど、動画でさんざん見倒したプロの直球とそん色ないように感じる。白球をその魔王へ返球しながら、「私たちのチーム、投手はなかなかいけるかも」なんて思いはじめてしまうくらいには。
「あんなのどうやって打ち返せば……」
つぶやく打者は困惑気味だ。ペサパッロではトスされたボールを打つだけだから、自分の側面からお腹の前をかすめるように飛んでくる速球へ対処方法など持たないだろう。すさまじい速さの、まさに大リーグで投げられるような1球ならとくに。
魔王は返されたボールを取ると、すぐに次の1球を投げんと投球モーションに入る。放られたのは、またも真ん中の直球ストライク。ノビのある、つまり落差が少なく定規で引いたような軌道を誇る速球だ。バットを振ることすらできず、打者はそれを見送った。打てる気配などまったくないまま、「シニッカ無双」がはじまりそうな予感に、これではいけないと魔女は思い立つ。
「シニッカ、走塁とか守備の練習をしたいから、次はゆるくて打ちやすい球をお願い」
「ええ、いいわよ」
3球目。要求どおり、山なりの遅い球が飛んでくる。打者はそれをよく見ながら、タイミングをあわせて体をねじった。カァン! 気持ちのいい音が練習場にこだまして、白球は球場の右側、守備位置でいうライトの方角へ。低い弾道で飛んでいき、そこを守っている司書のクリッパーの10メートルくらい前に落ちそうだ。もし彼が落下の前に捕球できればアウト、そうでないならヒットになる。
実はベースボールとペサパッロではここにおおきな違いが発生する。フライをノーバウンドで取ってもアウトにならない『ウンデッド』のルールのせいだ。しかし今日はペサパッロを忘れ、ベースボールのルールにしたがってみんなプレーしている。
いつも手を後ろで組みニコニコして図書館で出迎えてくれるクリッパー。今日も所作は落ち着いていた。無理などせず軽いステップで落下地点へ近づくと、ワンバウンドしたボールをパシッとグラブへおさめ2塁へ送球する。で、気づいた。あの軽やかな動きは、あきらかに「慣れている人」のものだ。要するに、単打――塁を1つ進めるヒットはしかたないから、間違っても2塁打にならないようにしているプレー内容なのだ。
野球を知っている人ならば誰でもそうするだろう基本的な動き。逆にいえば、彼は野球を知っている。
(おお! クリッパーさんも野球経験者かな? これはいい収穫!)
とはいえチームとしてはノーアウト1塁。アウトカウントがゼロで、1塁に走者を出してしまった状態になる。いや、自分が指示してそうしたのだけれど。「まあ狙いあってのことだから」と、次のプレーにうつることとした。
「よろしくお願いします、魔女様」
次のバッターはバードフォークの女の人。さっきの人とは逆の右打席に立つ。
「はい、こちらこそよろしくお願いします。でも一回プレーを切っていいですか? みんなにペサパッロとの違いを解説しなくちゃ」
「それは興味深いですね。ぜひ!」
審判アイノへ両手でTの字型を作って見せると、「タイム!」とプレーが一旦中断する。野球のタイムとは、プレーが進行中じゃない時に一旦すべてのプレーを止める役割を持つものだ。この概念もちゃんと説明しなければならないかも、そう思いつつ、魔女はみんなを集めベースボールの講義をはじめた。
まさか自分が先生になるなんて、ちょっと照れくさくなりながらも、イーダは球場で教鞭を振るう。
「昨日軽く説明したけど、あらためて走塁について簡単に説明するよ。ペサパッロと違って、ベースボールには『盗塁』っていう概念があるんだ。審判が『プレイ』って言ってから、『タイム』が宣告されるまで、走者は自由に次の塁を狙えるってこと。ちなみに、このプレー可能な時間を『ボールインプレーの状態』といいます。テストに出すから覚えておいてね!」
テストあるのかよ、そんな声が狼の口から聞こえてきた。が、今はそれを置いておいてボールインプレーの解説をする。
ベースボールはさまざまな理由から、プレー時間とそうじゃない時間が明確に定められている。ピッチャーがマウンド――投手の定位置の、土が盛られて小高くなった場所に立ち、審判がプレイを宣言すると、プレー時間が開始されるのだ。これが先ほど口にしたボールインプレーという状態。この間はほとんどすべての行動が許される。もちろん、ルールの範囲内だけれども。
だから盗塁も可能だ。走者が守備陣のすきを突き、打撃に頼らないで次の塁を陥れる行為だ。たとえばピッチャーがゆっくりした球を投げている間に走って2塁へ行く、なんて具合に。
そこまで解説すると、さっそくバルテリから質問が飛んできた。
「とすると監督よ。その走者は勝手に走れるんだよな? そいつはどうやってアウトにするんだ?」
ベースボールを知っている身からすると違和感のある質問だったが、実は当然の疑問といえた。ペサパッロのルールだと盗塁がないから、盗塁を試みた走者をアウトにする概念もないのだ。
「走者が次以降の塁に触れるか、あきらめてひとつ前の塁に戻るかする前に、ボールもしくはボールを持ったグラブを相手走者にタッチすることでアウトになるよ。『タッチアウト』だね」
「塁の上でもタッチアウトになるのか。ペサパッロにゃない概念だな」
「『クロスプレー』ってやつだね。もちろん、走者は少しでも次の塁に進みやすくするように、投手が投げる時には今いる塁から少し離れてリードを取ることもあるよ」
「じゃ、牽制球もあるわけか。そこはペサパッロと一緒だな」
やりとりを両チームは真剣に聞いた。ちょっとずつルールが違うので、慣れ親しんだプレーの習慣を変えなくてはならない。
「じゃ、いったん戻ろうか」
イーダの言葉に18名プラス審判アイノは解散し各々の位置へ。全員が戻ったことを確認すると、潜水艦は「プレイ!」と宣言をした。
(よし、こんな進めかたでいいかな。ちょっとずつでいいから覚えてもらおう)
イーダはふたたび重いバーゴネットをかぶり、左手をストライクゾーンのやや下側に構える。
さて、今の状況をピッチャーから見た時「打者を背負う」なんていうのだけれど、シニッカはそれをわかっているだろうか? 具体的には、投げかたを変えなければならないことなんか。
さっき彼女が行った両腕をおおきく上に上げるワインドアップという投法は、勢いがつきやすいから速球を投げられる反面、動作が長くてすきも多い。投球の最中に盗塁されると、キャッチャーがあわてて2塁へ投げたとしても間に合わなくなる。だから通常は『クイックモーション』という、振りかぶらないですばやく投げる投球フォームへ変わるのだ。
しかし……魔王はそうしてくれない。
(なんで振りかぶるの⁉︎)
彼女は世界樹のまねでもするかのようにぐぐっと上にのび、白球へ全身の力をこめる。さっきまでの話を聞いていなかったのか、それともなにか狙いがあってのことか。
(――狙い?)
マズイ、魔女がそう感じた直後、魔王はすさまじい勢いで身をよじり、1塁にむかって剛速球を投げた。リードを取って1塁から数メートル離れていた走者は大慌て。水面へはねるサケのように、体をのばしてヘッドスライディングする。
しかし間に合わない。走者ののばした両手が1塁ベースへ触れる前に、1塁手バルテリはボールを持ったグラブで相手の体をパシンと叩く。
「よっしゃ!」
これで1アウト。……少なくともこの場にいた大半の人間がそう思っただろう。だが――
「ザッツ・ア・ボーク!」
アイノのコール。
残念ながら反則である。
――ボーク。それは投手の犯す反則の一種だ。投球モーションがはじまったら、それを中断したり、牽制したりしてはいけないのだ。ピッチャーがフェイントを多用するなど、極端に打ちにくい状況を作らないようにするためのルールである。
「なあに、ボークって?」
「反則の一種だよ、シニッカ」
ボークが宣告されると、走者は次の塁へ進める。だから1塁にいる毒蛇チームの走者も、テクテクと2塁へ歩き出す。
「ねえ監督さん。今ここで彼をタッチアウトにすることはできないの?」
「反則があったら、プレーが中断されるんだよ。『ボールデッドの状態』って名前がついている。ここもテストに出すね」
ボールデッド中はおおよそほとんどのプレーが無効になる。今ここでシニッカが走者へタッチしようとも、プレーとして認められないからアウトにもならない。よくできたもので、ボールデッド中に走者が次の塁へ進む権利は『安全進塁権』なんて名前の特殊ルールによって保護されている。たとえばホームランを打ったら、打者とすべての走者に塁4つぶんの安全進塁兼があたえられるのだ。
ちなみにペサパッロにはベースボールでいう一般的なホームランもないから、これも後で説明することになるだろう。
「プレイ!」
彼が2塁に到着したところで、アイノはふたたびボールインプレーの開始を宣言した。
(しかし……このペースで大丈夫かな?)
ヘルメットのバイザーごしに、魔女はちょっと不安になってきた。まだふたり目の打者がはじまったばかりなのに、解説で時間を消費している。
(いや、今日は覚えてもらうことを優先しよう。)
あせってもしかたないだろう。まずは1回の表裏を終わらせること。目先のことに集中しようと思いなおして、ど真ん中にミットを構える。
「ふふん♪」
ぺろりと舌を出す魔王様。こんどはちゃんとクイックモーションでボールを放る。おそらく時速100キロは出ているだろうそれは、飛んでくる途中でぐぐっと方向を変え、右打席に入った打者の懐へ食いこむように曲がって落ちた。
(カーブ!)
変化球まで使うなんて。シニッカはなかなか本格的だ。腕をのばしてなんとか捕球、しようとした時に視界へバットがよぎる。
木の鳴る高いカン! という音。打ち返された白球は投手の元へ一直線。あわや衝突かと思われた矢先、ピッチャーは青い髪をふわっとたなびかせて体をひねり、見事打球を捕球した。
ノーバウンドで取ったから1アウト。そしてリードを取った2塁走者は「ふぅ」っと残念そうな顔。しかもその場から動かずに。
「シニッカ! 2塁!」
そう叫んだ時には、彼女はもうすでに後ろむきになって2塁へボールを投げていた。遊撃手の位置から2塁ベースへ移動したサカリがうまいこと捕球しベースを踏む。
これで2アウト。日本語で「ゲッツー」というやつだ。
「あ、あれ? 今のって必要ですか?」
走者はまたまた困惑顔。
「あ、うん。ええと……タイム! 集合!」
ペサパッロと違って、取られた瞬間に走者がいなくなるわけじゃない。リタッチといって、自分がいた塁に戻れば走者として生き残れるのだ。
それもちゃんと教えなくては。
(ひとつひとつ、丁寧に)
ふたたび「ボールデッドの状態」になったその場へ、またまた魔女の授業が行われる。
そうやって彼女らは、ベースボールを覚えていくことになった。




