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笑うベースボール 10

 5月28日金曜日。戦いにそなえて、初日からやらなければならないことがたくさんある。練習試合の中でベースボールのルールを覚えること、そしてプレーを見てみんなのポジションを決めること、などなど。でもその前に、練習環境をととのえなくてはならない。


 ということで、魔女は魔王の権力を使った。魔界に2つしかない球場のひとつを、1週間貸し切り状態にしたのだ。案外これはうまくいった。球場の持ち主が「名誉なことです!」とテンションを上げてくれたおかげだ。


 いつもはペサパッロをやっている長方形の球場へ、なんとかベースボール風のダイアモンド――ひし形に設置された1塁から本塁をととのえたイーダたちは、次に練習試合の相手とヴィヘリャ・コカーリのみんなでベースボールのルールを覚えることに。この練習相手もすぐに見つかった。というか希望者が多すぎるくらいだ。不公平があると困るので、選抜はペサパッロ協会の力を借りることにした。


 ようやくメンバーがひとそろい集まると、次はルールの解説だ。そもそも投手の役割が違うから、基礎の基礎から教えなくてはならなかった。先日見た試合のとおり、ペサパッロの投手は打者の横に立ち、真上にボールをトスする。でもベースボールは打者の全面20メートルくらいのところから、キャッチャー目がけて全力で白球を投じる。


(そういえばペサパッロってキャッチャーもいないのか。内野手5人に外野手3人だったんだ)


 当たり前のことに気づきながらも、ルールを伝えきったころには夕方に。とりあえず今日はここまでとして、本格的な練習は明日から。集まったペサパッロチームの人たちは文句も言わず、お酒を飲みに繁華街へ消える。


 で、取り残されたチームヴィヘリャ・コカーリは、10人で夕食をともにすることとした。なにせまだ名前を知らない人までいるのだから。


 イーダはその人――ヘルミの養蚕場でお手伝いをしていた男子と、机の対面で夕食をともにしていた。


 がやがやと騒がしい酒場の中、目の前の彼はあの時と同じ屈託ない笑顔をうかべている。ほほのえくぼがとても魅力的。赤みがかった茶髪は刈り上げられて清潔そうだ。身長は自分よりも5センチくらい高い程度で、男性陣の中で見れば小柄な部類に入る。すらりとした体と整った顔を持っているから、あの笑顔と合わせれば射抜けないハートなんてないだろう。


「あらためまして、おひさしぶりでス。僕はオンニ・リリャ・ヤニス。今はオンニと呼んでほしいッス」


「よろしくね、オンニ。私はイーダ・ハルコ」と、自己紹介を返しながら、イーダは「あれ?」と疑問に思った。なぜなら「リリャ」は女の人の名前だから。性別が地球ほど重要でないフォーサスにおいても、これはなかなかめずらしい。


「あ、その顔は僕の名前に疑問を持ったって感じっスね?」


「あ、うん。お見とおしとは恐れ入るよ」


「実は僕、夢魔なんスよ。ほら、インキュバスとかサキュバスってやつ。で、僕ら夢魔は性別がないんでス。相手に合わせるって寸法で。だから両方の名前を持っているんスよ」


「え⁉︎ すごい! 夢魔ってそんなことまでできるんだ!」


 輝く目のきらめきは、理由を知識欲に持つ。それが愛欲や性欲のたぐいだったらオンニなる少年も口説きがいがあったろう。しかし魔女が虜になっているのは、その理由とか方法とか生態とかだ。夢魔もそれがわかったから、あえて「そうっスよ。ご指名があれば夢魔街の総合受付で僕を呼んでくださいな」なんてセールストークを返しておいた。それへ魔女がどう切り返すかと、ちょっとしたいたずら心で。


「お、大人になったらね!」


 初心(うぶ)だった。異性に慣れてないともいう。そしてそれはオンニの予想どおりだった。


 みんなをまとめるさまは、一見すると人慣れも異性慣れもしているように思えるが、それは素人の考えというものだ。彼女はボディタッチもしなければ、他者との距離感もそんなに近くない。プロから見れば一目で生娘だとわかるし、この様子では口づけすら交わしたこともないのだろう。


 そう分析したオンニは、その道のプロであると同時に、ヴィヘリャ・コカーリの非常勤メンバーでもある。それの意味するところは、()()()()()()()ということだ。つまりこのまま同衾を連想させるような雰囲気で会話を進めれば、ろくでもないことになるのだ。


(だってさ……)


 たったひとこと「ご指名があれば」って口にしただけなのに、青い毛の狼とか黒いワタリガラスが「ほぅ」と冷たい笑いをうかべているし、それに感づいた魔王様は舌を出し入れしているし。


(やめとこ)


 魔法の枕言葉「ま、冗談は抜きにして」を発動させて、彼はさっさと話題を変える。いつからここにいるのかとか、普段はなにをしているんだとか、あたりさわりのないことへ。2021年の9月5日に転生してきたことも、最近は図書館によく出入りしていることも知っているけれど、まずは「僕はなにも知りません」の印象を相手にいだかせておくのがいいだろう。警戒されていいことなんて、ひとつもないのだから。


 そんな考えはその実、彼のくせだった。いやむしろ「生きかただった」のほうがより正確といえる。


 なぜなら彼はサカリの下で働く情報部員だ。とくにスパイに対抗する内偵が彼の任務だった。


(おお、今日もいるね)


 イーダから目線を外さずに、視界の隅で人々を観察する。入口近くのテーブルで、冒険者仲間と一緒に杯を傾けているにわとりのバードフォークは、ネメアリオニア王国の密偵だ。もう3年半もこの街で生活しているので、すっかりカールメヤルヴィへ溶けこんでいる。「昔はもっとにわとり離れした眼光だったのに」と、彼が赴任したてのころを思い出してオンニは微笑んだ。


 対してカウンターに陣取る一団はセルベリア王国のスパイだ。テクラ教派の冒険者ギルドから派遣されており、半年おきにメンバーを入れ替わり立ち替わりしているのは「魔石採取の経験を積ませるため」とのこと。そう言い張って、ここをスパイ養成の拠点のひとつにしているのだ。半年という期間は、魅力的な夢魔と深い仲にならないようにする狙いもある。


 自分が背中をむけるテーブルには隣国ラヴンハイム共和国の密偵、イーダのむこうにはキマイラ同盟諸国のひとつ、スキラスタッドからきた密偵。おそらくどの国の首都も似たような状態だろうけど、街が狭いぶん、カールメヤルヴィの酒場はスパイの集会場の体をなしている。そのせいで各国どうしのスパイが協力関係にあることも。


 壁際のテーブルの下、エルフ種の旅人と人間種の吟遊詩人が魔道具の取引をした。「僕が役所へ告げ口して、明日彼らの元へ徴税人が取引の租税を取り立てに行ったら愉快に違いない」なんて思ってしまう。


 もちろん、そんなことしやしない。あれはそんなに深刻な取引ではなさそうだし、ある程度は泳がせておかないとその先――敵がどんな情報網を敷いているのか分析することもできないから。今日ここで話をしたイーダの転生日と彼女が勇者の対抗召喚で呼び出されたことは、外国へどのくらいの速度で伝わるか楽しみでもある。国家機密といっていい重要な情報は、逆にスパイ情報網の広がりを計測しやすいのだ。もちろん事前に魔王へ許可を取ってある。


 そんなことを考えながらも、夢魔は会話をし続けた。世話話なんて、他のことを考えながらでもできるくらいには簡単だ。


「で、1週間後はどうやって勝つんでス? 作戦は?」


「先にみんなを分析しないとね。敵を知り己を知ればなんとやら。敵のことはわからなくても、自分たちを知っていれば勝率は5割にできるかも」


 おもしろい魔女の言いぐさに、オンニはえくぼをうかべて応えた。


「僕が相手数名を事前に篭絡(ろうらく)し、魔的吸収(ドレイン)しちゃうってのはどうっスか?」


「ど、ドレインってさ、エナジードレイン的ななにかだよね? だめだよ!」


「エナジーにかぎらないっスよ? ドレインの対象は夢魔によっても変わりまス。それなりの夢魔になると、()()()()()()()()()()()なんかもドレインできちゃうんでスから」


「れ、レベルドレインじゃん。もっとだめだよ! せっかく練習して手に入れた技術なんだからね!」


 からかいながらも、オンニの意識は酒場全体へ張りめぐらせたまま。


「まったくもう。オンニもみんなみたいに、野球のルールをねじ曲げようとするんだから」


(みんな、ね)


 ついでに意識をヴィヘリャ・コカーリの面々にも。なんというか、彼らはスパイがいることを知っているのにもかかわらず、「それ話しちゃっていいの?」ってことを口にすることもしばしばだ。


 となりで上司の楽しげな声。


「アールと話をしていた時、風が吹いた。で、それがバグモザイクを死者のうめきのように鳴かせたのだ。あれは傑作だった。これに『後悔の明けの明星』と名前をつけてやりたいがどうか?」


「ははは! そりゃいいな。取りこまれた勇者は夜明けのたびに後悔するんだな。明けがたにオージンの肩を飛び立つカラスが言うなら間違いねぇだろうさ」


「それもいいですな。しかし、もっとシンプルなのはいかがですかな? たとえば『手首以外のすべての墓標』など」


「詩的ですね。のばした手が地面に落ちる光景を連想させて」


 バルテリ、サカリ、クリッパーにヘルミ。悪趣味な会話の中に、勇者がひとり死んだ情報もふくまれている。そんなこと隠す必要すら感じていないのだろう。これも情報拡散の傾向を探るいいタネになりそうではある。


 まあ、彼らは意外としっかりしている。国家の機密に関することを口走ることなどないし、スパイがいる場所とそうでない場所をちゃんと理解しているのだ。ただ、おおきな害がないからといって、他国の知らない情報を軽々しく口にする傾向もあった。諜報にかかわる身としては悩ましいところだ。


 で、意外なことがもうひとつ。目の前にいる黒髪の少女だ。


「ベースボールで最近覚えた魔術が使え……ないか。ええと、やっぱルールの把握からかな?」


「まずそうするのがいいと思いまスね」


 ここまで10分程度話したかぎりではあるが、どうやら魔女もその概念を理解しているらしい。彼女は今、自分が覚えた魔術を話題に出さないと選択した。これはいいことだ。もしかしたら魔王様の教育が行き届いているのかも。


 少なくとも情報漏洩に対する敏感さは最下位でないだろう。彼女よりもよっぽど心配な人がいる。


「ねえアイノ。僕は消磁っていうのがちょっと不思議なんだ。そんな単純にできるものなのかってね。相手はこの星が生んだ巨大な力だ。簡単な装置とかしくみとかで解消できるように思えない」


(ちょっ、ドクさん。たいがいのスパイにとって「なに言ってんだこいつ?」な話題だろうけど、そりゃ工房の中で話してくだサい)


「平気平気。重力だって翼があれば打ち消せるじゃん!」


(アイノ、君もまじめに答えなくていいんスよ)


「なるほど、自身をとりまくまわりの環境すべてを変えるんじゃなくて、自分自身の状態だけ変化させればいいのか。でもそれなら打ち消す方向じゃなくて、排出するような方向の技術はなかったの? 大量の水を注排水できるなら、磁力くらいなんとでもなりそうだけど」


(注排水ってことは、潜水艦の話っスよね? やめてほしいなぁ)


「そもそもおおきな鉄の塊が地軸の影響で強磁性を持っちゃう現象を消すんだから、『打ち消す』イコール『解放する』と同じなんだよ。交流消磁ってやつになるのかな? それと水とか排出するのって大変なんだよ!」


(いや潜水艦、こういう時やたら物知りっスね)


 頭の片隅で聞いていただけでは理解が追いつかないふたりの会話。難しそうな単語が不思議な空気をそこへもたらし、それこそ磁場のような空間が形成されていた。そしてそんな知識空間へ磁力を感じてしまう人を、オンニは知っている。


「どう大変なの?」


(……イーダさん。反応しなくていいって)


 磁石を見つけた砂鉄のように、魔女が会話へ張りついた。私を置いておいておもしろそうな話をするなと横やりを入れたのだ。


「だって潜航中は水圧があるから!」


「ああ、そうか。水の中って抵抗おおきいもんね」


 なんだか会話はあらぬ方向へ旅をはじめた予感がする。「水圧」「気圧」「高圧」と進んでいって、だんだん知識の圧が高くなっていく。ならばそれでもいいかなと、夢魔はちょっとあきらめた。この酒場にいるスパイたちの顔ぶれは、政治的な情報収集を得意にする連中だ。彼女らのしゃべる技術的なことがらについて理解できる者など、彼女ら以外にいない。……自分もふくめて。


「一番大変なのはトイレだよ! 船内から船外の水中へ高圧で排出するから、専用装置を使わなきゃならないんだ。でも密閉するのにちょっと複雑な手順が必要だったよ。これ、間違えないように操作しないとならない。そうしないと……」


「……そうしないと?」


「逆流してくるからね!」


「怖い!」


「秘儀、逆排泄!」


 食堂でなんたる会話か。すかさず魔王から「およしなさい」と怒られ、ふたりは食事に戻っていく。と思えばすぐに、彼女らの会話は川の水質について言及していた。


(ええ……)


 どうやら「汚水」から「浄水施設」を経由して、カールメヤルヴィの川の流れに話題がうつり変わっていった様子。緩やかな流れの川は水質が汚濁しやすいから注意、などと。イーダの故郷は山岳が多く、ゆえに急流で水が澄んでいたらしい。


「コーヒーなんかはうちの国の水で淹れるとおいしいらしいっスよ。飲み口がやわらかくなるんだそうで」


 しれっと混ざりながら思うのは、「この人たちの会話は先が読めない」なんてこと。そしてこの会話は終わることを知らず、お開きになるまで話題を変えながら続くのだろう。


(こんな連中を監視し続けなきゃならない、他国のスパイには同情っスね)


 そんな彼もまた、「野球で勇者に対抗する」という混沌とした状況へ放りこまれていることに、ちょっとだけ頭痛がしてくるのであった。

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