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笑うノコギリエイ 前編7

 魔王(シニッカ)とふたりきり、またサウナの中にいる。白樺の香りが肺を包み、ショックに震える心臓をやさしくなでてくれる。


 帰り道、イーダはいくぶんか元気になった。それはアイノとバルテリが両脇に座って、体を温めてくれたから。黙って一緒にいてくれて、無理に元気づけようとしないでくれたから。


 安心できる場所に長時間いたことは、ショックに対する特効薬のような役割があったのかもしれない。かき乱されていた心は平静を持ち直したし、勉強中の机のように散らかっていた思考も、今は図書館の本棚のようにすっきりしている。


「また後でね!」


 潜水艦は無邪気な声で、すいたお腹を満たしに行った。バルテリは別の仕事があるみたいで「久しぶりにいい格好ができて楽しかったぜ」と言い、どこかに行った。


(胸がもやもやしているのは、なんでなんだろう)


 いまだにくすぶる、心の煙。今日のことでショックを受けたのは事実だ。まぶたを閉じると、あの残酷な光景が今でも思い浮かんでしまう。


 でもひとつ気づいたこともあった。害獣と呼ばれたあの盗賊たちにむける同情の心は、どうやら持ち合わせていないことだ。悪意が人の形の外套をかぶり、殺意の剣を構えるあの生物のことは、心底嫌いだ。


 じゃあ、なぜ釈然(しゃくぜん)としないんだろう。なにが心につっかえているんだろう。


「今日は怖かった?」


「うん……結構ね」


「乗り越えられたかしら?」、問うたシニッカの口調は人を試すようだと思った。でも顔を見ると、それはすぐに否定された。心配そうに眉の端が下がっている。病床にある人を気づかうような、そんな表情だ。


 きっと「言いたいことがあるのなら、言っていい」という意味だろう。


(……話しちゃおう)


 言葉、というよりも空気に甘えた。


「すっきりしなくて。あの盗賊……害獣に同情もしてないし、申し訳ないと思ってもないんだ」


「正しいと思うわ。そうする必要なんてないもの」


「うん。でもなんでこんなに胸がもやもやするんだろう。()()の生物が死ぬところを見るのがショックだったからなのかな」


「それも理由でしょうね。でも、あなたはその先のことを考えているから、不安ですっきりしないのよ」


 そう言ってシニッカは立ち上がる。もう10分くらいサウナ小屋の中にいるのだ。脱水症状を起こしてしまう前に出たほうがいいだろう。


 扉を出ると目の前には露天の水風呂。サウナ併設の水風呂は、どうやら日本独特の文化らしく、シニッカがわざわざ用意してくれたものだ。苦行僧のようにその冷水を体にかけた後、息をおおきく吸って、強く吐きながら体を沈めた。


(うぅっ!)


 最初は悲鳴を上げたこれも、入りかたを覚えたら気持ちよさがわかる。体を動かさないでいると、熱された皮膚が薄い膜のような断熱層を作り、全身を包んでくれるのだ。水の冷たさが膜で緩和され、火照った体をいい具合に冷やしてくれる。


 心地い感触に目を閉じながら、質問の続きを。


「その先って、なんなの?」


「本当の生きている人間を、たとえば勇者を倒すことよ」


 ああ、納得した。


 今日のような害獣(モンスター)なら、慣れればきっと対抗できるだろう。放っておけば旅人に被害をもたらすかもしれないし、自分たちも危険な目に遭うから。敵意をむけるそいつらへ、容赦なくいられるくらいには、この先成長できるんじゃないかと思っている。


 でも、もし本物の人間の盗賊だったらどうだろう。もし相手が自分と同じ転生者である、勇者だったらどう感じるんだろう。話が通じる相手を「敵意があるから」という理由で殺していいものなのか。


(そもそも人を殺すって、いかなる時も悪いことなんじゃ……)


 水風呂は気持ちいいけど、長くつかると体が冷えすぎてしまう。名残惜しさを我慢して立ち上がり、体をふいて、脇に用意されたベンチに寝転がった。シニッカとならんで、星がまたたきはじめた夕焼けの空を見上げる。


「……なんで、人って殺しちゃいけないんだろう」


 自分の口からとんでもない言葉が出た。でも知りたかったのだ。世の中のだいたいの人たちが本能的に理解しているはずのことなのに、教科書のどこにも載っていないことだったから。


 それに答えてくれる予感がしていた。自分のとなりにいるのは魔王で、残酷な世界を知っているだろうと思ったから。


「あなたのためよ」


「私のため?」


 視線の先、浮かぶ雲の片側が茜色(あかねいろ)の光に着飾られている。もう片側は濃紺の闇を迎え入れ、夜を手まねきしていた。


「そう。その『私』っていうのは『他人』がいなければ意味をなさないでしょう? つまり、あなたは集団の中にいる、という意味になるわ」


「……そうだね」


「人を殺してはならない理由はふたつ。ひとつは社会的利益の観点から。殺人を肯定(こうてい)する社会にいたら、少しの油断が命取りになる。それはきっと、幸せじゃない。だから個々(ここ)の『私』は命を守るため、身を寄せ合い、道徳やら倫理やらにもとづく法律(グレイプニル)を作って自らの首にたらすの。幸せのためにね」


「うん、なんか納得できる」


「納得しにくいのは次のひとつ。共感による殺人の否定よ」


「共感による?」


「悲しいお話を本で読んだ時に、涙が出るのを不思議に思わない? 別にあなたがひどい目に遭ったわけじゃないのに、なんで感動するのかって。きっとそれは『私』という人が()()()()()()()涙を流せるからなのよ」


「……つまり、人を殺すのはそれに反するってこと?」


「ええ。他人との共感こそ人が人である理由よ。それを失えば『私』が『私でなくなる』かもね」


「ちょっと、怖いな……」


 心のくすぶりが火種をあらわにした。害獣だからいい、敵意をむけてくるからいい、そんなふうに思っていたら、いつか「邪魔だから、殺していい」なんてことになってしまうんじゃないかと。


 だから()()()()()()()()()()()()()()のだ。残酷な世界に立ちむかって、こんどこそちゃんと生きるために。


「正解はないわ。それに倫理を学ぶには、魔界は少し刺激が強いの。魔族はみんな悲劇が好きだから……」


「……そんなふうに見えないけど」


「社会生活を営む程度には倫理観も道徳心も持ち合わせているもの。でもね、そんなことじゃどうしようもないほど、魔族とそれ以外の人々では嗜好が違う」


 このお話は、少し怖かった。人間の闇の部分をのぞきそうで、それはつまり「闇にのぞかれること」を覚悟しなければならないって本で読んだから。


 でも同時に聞きたかった。こんな話ができる人たちは、前の世界では自分のまわりにいなかったから。


 決めた。今日は勇気を出そう。


「悪魔と魔族って、違うの?」、ちょっとだけ遠まわりの質問。


「ええ。悪魔種っていうのは人種名よ。人類の中の、人間種、エルフ種、ドワーフ種、天使種、というような分類。魔族っていうのは特定の身体的特徴を持っている人たちのこと。悲劇を愛し、絶望を愛で、他人(ひと)の涙で食事をするような」


「……シニッカも?」


「もちろん。私もアイノもバルテリも。魔界の人はほとんどが魔族よ?」


「…………」


「安心なさい。欲望を満たすために傷つける相手は、あなたみたいな子じゃないから」


「うん、それはなんとなく、わかってた……」


 勇気を出して踏みこんだけれど、なんとなくしか理解できなかった。でもシニッカは大切なことを話してくれたから、よかったかなと思う。


 ()つながりで聞いてみる。


「じゃあ勇者って、なんで魔族を、魔王を殺そうとするの?」


「いろいろ理由はあるけれど、彼らはね、世界を渡ってくる時に少々性格が変わるらしいの」


「どういうこと?」


「認識汚染の一種よ。世界を渡って強力な力を得る際に、ぐらつく橋(ビフレスト)で常識をねじ曲げられる。魔王は敵だ、害獣(モンスター)(おさ)だ、自分は勇者で世界を救うんだ、って」


「そんな不条理……」


「本当、不条理ね。でも迷惑をこうむるのは魔族(私たち)だけじゃない。勇者の強すぎる力は、世界にゆがみをあたえてしまうから。それはもともとこの世にない力。世界を傷つけて治療不能なケガを負わせてしまう」


「世界がケガするの?」


「ええ。王宮のあちこちにあるとがった水晶、覚えているでしょ? あれは勇者がもたらした世界の傷。絶対に動かせなくて、絶対に壊せなくて、絶対に元に戻らない不可逆の爪痕(バグモザイク)


「…………」


「街道が傷つけば人の往来を妨げる血栓(けっせん)になり、街にあらわれれば人が住めない腫瘍(しゅよう)になる。だから私たちはペストマスクをかぶり、ノコギリを手に持って勇者を殺すのよ」


「そうだったんだ……」


 モザイク柄に光るあの水晶をなんで放っておくのだろうと疑問に思っていた。けれどあれは動かせなくて、放っておくしかない。治療不可能な怪我であり、永遠に残る後遺症だ。


 自分をひろってくれた世界へ怪我を負わせる勇者のことが、少しだけ嫌いになった。


「いい機会だから、ルールをふたつだけ、あなたに課そうと思う」


 それまで空を見上げていたシニッカが、くるりと顔をむけた。イーダも同じようにして、青い瞳と目を合わせる。輪郭は空の色、瞳孔の近くは深海の色、そんな不思議な目と。


「どんなこと?」


 きっとそれは、大切なルールだ。生きるために必要で、生きているうちは忘れちゃいけないような。


「――『この世の神を、馬鹿にしないこと。この世界を、踏みにじらないこと』」


 たっぷり余白をとって告げられたその言葉を聞いた瞬間、イーダは自分の足で大地に立ったように感じた。それまで夢見心地だったり、どこか作り物のように感じていた世界に、自分はちゃんと存在しているのだと思った。


 つまり、この世界は現実なのだ。


 大切に思いはじめた異世界とともに、清潔さをあたえてくれた神様へも敬意の心が芽生える。自分は転生者だ。この世界とそこにいる神にひろってもらったと同義なのだから。


 ここで生きる資格を得たい。この世界の神を敬って、この世界を大切にしたい。


「うん、私もそうしたい」


 害獣退治が原因で、くすぶっていた心の火種。そこへ、そっとお風呂の水をかけてやる。たぶん未熟な決意なんだろうけど、倒すべき敵がいるのなら、それはそのふたつを破ったやつなんだ、そう考えるために。


 殺していい相手を決めるなんて、どうかしている。でも平和はタダじゃないと、今は自分に言い聞かせる。


(今後、もっとちゃんとした考えを心にいだけるのかな……)


 きっと目の前のシニッカは、もっともっと深い考えのもとで行動しているのだろう。


「さ、もう1周する?」


 その魔王に、再度サウナ室へ誘われた。また体を温めて、もう1回冷やして、そうやって心身を無限に癒す。この生活にはまりこみそうだ。


「うん、そうしよう」


 今朝よりも元気になった顔で、イーダはサウナ小屋の扉をくぐった。


     ◆  ①  ⚓  ⑪  ◆


 その日がやってきたのは転生から6日目の朝。


 今日こそ4大魔獣の残りふたりと会うつもりでいたのだが、バルテリが持ってきた話で未来へ先送りとなった。


「魔王様よ。転移魔法陣が反応している。悪魔召喚のご要請だ」


 悪魔召喚というのは、その名のとおり儀式を経て悪魔を呼び出すものだ。まさかそれを()()()()()()()で体験するとは思っていなかった。あらためてここが悪魔の国なんだと認識させられる。


 ともあれこの世界において、悪魔召喚が発生する理由はひとつだけ。それは勇者がらみの問題の解決を、誰かが魔王に依頼する時だ。


 イーダは決めていた。こんど機会があったら、シニッカの仕事について行こうと。


「そう。相手の名前は?」


「モンタナス・リカス卿ヴァランタン・ド・ジラール。谷の獅子(ネメアリオニア)王国の辺境伯様だ」


「あらあら。今年の調停会議で議論の的になっていたところだわ。あそこはバルカンの火薬庫かなにか?」


()()()に火薬はないはずなのにな」


「導火線にはことかかかないわ」


 シニッカはペストマスクを頭の横に着けて、医療用のノコギリを腰へぶら下げた。顔に2本の革ベルトがかかってしまっているけど、感じたのは滑稽さではなくて悪魔的な妖しさ。


「違いない。アイノ、サポートよろしくな」


 アイノも慣れた手つきで準備をしている。規則正しい動きで皮鎧を着て、ノコギリをコートの下に入れる姿は軍人さんのようだ。戦闘準備をすばやく終わらせた彼女は、手にシニッカと同じペストマスクを持って言った。


「信管みたいにセンシティブなところだっけ?」


「ええ、そうよ。おまけにそれがついてる爆弾は、長年かけて加熱されてる」


「どこの世界の人たちも、火遊びが好きなんだねぇ」


 重たい軽口、不思議な単語がイーダの脳裏に浮かぶ。彼女らの話す中身が全部わかるわけじゃないけど、「一歩間違えたら戦争だ」って言っていることだけは理解できた。


 勇者がらみの事件というのは、こんなにも世界へ影響をあたえるのか。ならそれに対処することは、いきなり世界という高いステージへ上がるという意味なのかもしれない。つい数日前まで高校一年生の一般人だった自分が。


 ――でも、行くと決めたからには、私は行くんだ。


 バルテリが真新しいノコギリとそれが入った鞘、そしてペストマスクを持ってくる。


「どうする?」


 それは()()()だ。両手をのばし、受け取った。


「行くよ」、手にかかる重量よりも重く感じる魔界のシンボルを、力をこめて身に着ける。皮ベルトでもって、決意を体に留め置くために。


「現地にはサカリが飛んでいる。俺はどうする?」


「書類を持ったら、迎えにきて。ラウールのところに行くかもしれないから。国内はヘルミとドクに。首相にも連絡を」


「ああ、承知した」


 会話の後、シニッカとアイノが振りむいた。その姿は凛々(りり)しくて、魔王と魔獣の名が、誇らしく彼女たちを自慢しているよう。


「行くわよ、イーダ。勇者を倒しに、南へ」


「もちろんだよ、シニッカ。()()()()()()は、歓迎だから」


 みんなのまねをして軽口をひとつ。


 生まれてはじめて、戦意を胸にいだきながら。

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