笑うペサパッロ 6
「ベースボール以外に野球があるのか?」
「野球があるでしょ?」
異世界フォーサスにおける勇者と魔王の会話だ。場所は国境線(カールメヤルヴィ王国を出てすぐの場所)にある、3つの宿泊棟とふたつの馬小屋、広い荷捌きスペースを持ったおおきな宿屋のその一角。簡単なキャンバスを張っただけの露天の商談スペースだ。
テーブルをはさんで滑稽な会話が目の前で行われている以上、今日は人が死なない天気だろうなぁと、魔女はのんきに考えていた。
「魔王よ、私たちはペサパッロのルールがわからない。そもそもなんでサッカー場で野球をするんだ?」
勇者イヴォの主張、前半部分は置いておいても、後半部分にイーダは同意見だった。ペサパッロはサッカー場で行えるよう、長方形の競技場を持つ。ベースボールが扇形の球場で行われるのとまったく違うのだ。
「勇者様、私たちだってベースボールのルールなんて知ったこっちゃないわ。なんで野球場を四角形にしなかったの?」
魔王の主張、これはひどい。主張をとおす気があるのかどうかもわからない。楽しそうに舌を出し入れしていることからも、相手をからかっていることがうかがえる。つまり楽しくなっちゃってるのだ。こういう時の彼女はへりくつばかりこねて相手を困らせるのだと、魔女はよく知っていた。
(ご愁傷様だよ……)
イーダはイーダで若干投げやりな思考をめぐらせる。シニッカの、彼女が楽しむためだけに行われている生産性のない会話はまだ続くだろう。
時間がありそうなので、イヴォ・ノヴァックなる勇者の外見を覚えることにした。
彼はなんというか、血の匂いがしない人だった。戦士の目をしていないし、腰に剣すら下げていない。着ている服も旅人のそれで、皮鎧はおろかひざ当てさえつけていないのだ。
かわりに体格はかなりよかった。ヴィヘリャ・コカーリで一番背の高いバルテリと同じくらいの身長だし、よく締まっているけれど太めの脚や腕はアスリートのそれだ。速く走る、低く構える、高く飛ぶ、そして遠くへ投げることが得意そうな。それはイーダが動画でよく見ていた、メジャーリーガーの体格と一緒だった。
(この人絶対、生前野球やってたよ。でもチェコって野球強かったっけ? WBCにも出てなかったよね?)
野球におけるWBCはサッカーにおけるワールドカップと同じ、4年にいちど世界一を決める国際大会だ。本来なら昨年の2021年に第5回大会が開かれたはず。だがパンデミックの影響で次回の開催年が決まっていないと記憶していた。
しかしイーダは死後の地球を知る由もない。2021年の年末、チェコは国際野球ランキング欧州勢2位の実力国になっていた。世界ランキングだと14位。そもそもWBCの予選には2013年から参加している国だ。国内にプロリーグはなかったが。
(いや、そもそも出身国で考えちゃだめだ。大切なのはイヴォさん個人の実力。固有パークでいかようにもなるんだから)
国籍で実力を推し量るなど愚行にすぎないと思いなおし、イーダはペストマスクの下で観察を続ける。
「競技人口の差を理由にするのはどうだ?」
「同じ野球型競技ならクリケットを提案すべきね。ベースボールよりも多いのだから。とはいえ私はペサパッロがいい。この世ではベースボールなんて知られてないでしょ? この世での競技人口ならペサパッロのほうが多いわ」
「知っている。むしろ逆だ。この世で絶滅危惧種たるベースボールを生き残らせたいと考えている」
「なら羅式野球や瑞式野球をやるべきよ。あれはフォーサスにも競技者がいるし、なおかつ絶滅しかかっているから」
交渉が腑抜けた雰囲気になりつつある中、イーダはなんとか冷静にイヴォの口調や声色を分析した。敵意や害意が感じられないものの、それを隠していた勇者と戦ったばかりだから油断できないのだ。立ち振る舞いも一見紳士的に見える。テーブルに両手のひじをつき、前傾姿勢で手ぶりを交えて交渉するさまは、海外のビジネスパーソンそのものだ。でも嘘の危険性はある。
(今いきなり攻撃されたら、ᛒのスクロールでしのいで、ᚱのルーンで逃げる。魔界との境界線はすぐそこ。勇者は追ってこられない)
ちらりと魔界の内外をわける石標へ目をやった。対勇者結界と呼ばれる、目に見えない障壁だ。あそこよりも北側には勇者が入ってこられなくなっている。
(まあ、今日のシニッカの雰囲気を見ると、それが必要とは思えないけど)
魔王の右どなりには防御の得意なヘルミ。逆どなりには逃げ足の速いバルテリ。上空にはサカリも待機していた。石標の陰では姿を消して潜むアイノもいる。
(しかしイヴォさん、殺気とかまったくしないし不気味さもない。果たし状を送りつけてきた人に思えないよ。本当に勇者なのかな?)
こちらとしてはそれなりの警戒態勢を敷いているのに、交渉を進めていく勇者イヴォという人からは、いつまでたっても戦いの気配がしない。
「球場がないのなら私のほうで用意できる。勇者なるものは固有パークがあって、私のそれはあらゆる競技場を展開できる技能だ。全員が全力で走れる広さだし、必要なら筋肉のケアをするための設備も用意できる」
(そういうの教えちゃうんだ)
「球場も道具もあるし、両手を広げられるスペースがあればストレッチくらいできるわ」
「いや、筋肉はしっかりほぐしてからスポーツをするべきだ」
「同意するわ。でもそれって、どんなスポーツだろうと必要なことと思うけれど」
「それと私は投手だ。ペサパッロのような投げかたでは全身の筋肉を使えないと危惧している」
(……気にするのそこ?)
「気にするところがそこなら、あなたは知力も筋力なのでしょうね。私が文書校正ソフトなら、あなたの台詞へ『筋肉』という言葉の頻出具合を警告すると思うわ」
「ううむ……」
勇者の口からなんども「筋肉」という、緊張感を遠ざける言葉がたびたび出てくるせいで、魔女も狼もその他大勢も、戦意をたもつのが難しくなってきた。今行われている交渉が実戦前のストレッチなら、戦意が筋繊維のように解きほぐされてしまう。
しばらく不毛な交渉が続き、狼が口へあくびを浮かべ、魔女が今日の夕食になにを食べようか考えはじめたころ。
勇者は少し疲れた顔で、妥協することを決めた。
「……わかった。そこまでペサパッロにこだわるのならルールを教えてくれ。練習して、1か月後にまたこよう」
(えぇ?)
この段階になって、魔女と4大魔獣はようやく確信した。今日警戒のためにここへきたのはまったくの無駄骨だった。
勇者は本当に球技で勝負をするつもりなのだ。でなければ「1か月後に」なんてことを言わない。
「あら、いいの?」
「これ以上ベースボールにこだわると、ペサパッロを否定することになりかねん。それは本意じゃないんだ」
(おお?)
言葉少なめではあったが、イーダは文脈を理解した。少なくとも彼は他国の文化を否定したいわけではなさそうだ。最初に「なぜサッカー場で野球をするんだ?」なんて言ったから少しけんか腰なのではないかと思っていた。あれは本当に理由が知りたかったのかもしれない。
そして勇者が言ったそんな言葉は、どうやらシニッカの興味を引いた。
「逆に聞くけど、なんでベースボールにこだわっているのかしら」
こちらもこちらで「純粋に知りたいわ」なんて目をしている。もちろん、善意ではなくてただ興味本位に首を突っこんだだけなのだろうけれど。
「私のチームはベースボールでつながった仲だからだ。詳細は……敵たる君に綺麗ごとを言いたくないから口にしない。しかし今の私たちに必要な勝負なのだ」
「勝負を受ける身としては、なぜ必要なのか聞きたいわ」
「それはな――」
勇者はいちど天をあおいだ。今日も雲の多い空へ、なにかの情景を思い描いていたようだった。そして目を閉じふっと笑うと、魔王の目を見てまっすぐにいう。
それは投手たる彼の渾身のストレート――隠しごとのない素直な理由だった。
「勝負が終わったら、私たちは球技を捨てて冒険者となり、大陸南西部の開拓へむかう。未開拓の土地では害獣との戦いもあるし、森を切り開く必要もある」
文章を2節、球数でいうなら2球。両方とも直球だったから、きっと最後も直球なのだ。
「だから旅立ち前にもういちど、ベースボールをやりたいと思う」
「しかたないわね」
魔王はバットを振り逃したのか、それともあえて見逃したのか。ともあれストライクカウント3つ、彼女は笑って打席から引く。
「さっきあなたが言った固有パーク、付随設備を呼び出せるのよね?」
「ああ、そうだ。ブルペンもベンチもロッカールームも。なんとなれば疲労回復のためのバスルームまで」
「そこにサウナはあるかしら?」
「用意しよう」
決まりね、魔王はぱちんと手を鳴らす。
「ペサパッロで勝っても精神的な勝利はおさめられなさそうだし、ベースボールで勝負してあげるわ」
「敵ながらありがたい、よろしく頼む」
会話がなんどもすれ違い、無数のボール球が飛び交った机上の試合は、とりあえず勇者の1勝で幕をおろした。
(……野球か)
思わぬ幕切れとなったものの、魔女はペストマスクの下にニッコリとした笑みを浮かべた。




