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笑うペサパッロ 5

 ――ペサパッロ。


 日本語だと芬式(ふんしき)野球と翻訳される、北欧の国フィンランドのスポーツだ。Pesäpallo(ペサパッロ)Pesä(ペサ)はベースの意、Pallo(パッロ)はボールの意。つまり英語に直訳すると『ベースボール』。


「野球じゃん」とイーダは思ったし、地球でもおおよそ世界中の人々がそう思っていたことだろう。しかしその競技風景を見れば、みな期待を裏切られる。いや、裏切られるというよりも唖然とするのだ。とくに()()()野球のルールを知っている人々にとって。なにせ打者はボールを打った後、左方向に走るのだから。


 通常のいわゆるベースボールでは、本塁から反時計まわりに1塁、2塁、3塁となる。だから左方向にあるのは3塁で、そっちに走るなんて考えられないことだ。でもペサパッロでは3塁の方角に1塁があり、2塁はその対角線上――ベースボールでいうところの1塁の場所にあった。


「逆だよ!」とツッコミを入れたイーダとアイノにとって、間違っているのは自分たちだったと知った衝撃たるや頭部に死球を受けたがごとし。そうでなくても慣れ親しんだ野球のルールがところどころで違うから、混乱によって頭痛までしてくるほどだった。


 今魔界の公園で行われているのが、まさにそのペサパッロだ。イーダはヴィヘリャ・コカーリの仲間とともに、芝生へ腰かけて今日の試合を観戦していた。


 なぜか、と問われれば、「宝物庫に野球セットがあったから」が答えとなる。なんとあの木製バットやらグローブやらは、勇者の対抗召喚でこの世にもたらされた物だったのだ。


 ゆえにこの世界における野球を見にきた。そして魔界にはベースボールがないから、類似の球技ペサパッロの視察をしている。


「意外だな、イーダ。ベースボールのルールはわかるのに、ペサパッロのルールは知らないんだな。俺としては()()()のほうがなじみ深いぜ」


「こっち」というのはペサパッロのこと、声の主は青い髪のフェンリル狼。バルテリは時々この球技に興じるらしく、今日も魔女の案内という役目がなかったら打席に立っていたところだった。


「いや狼よ、魔王のいうところでは、どうやら地球ではマイナーなスポーツらしい。ペサパッロよりベースボールのほうが、ベースボールよりクリケットのほうが有名なのだと」


 となりにはカラスの姿も。彼はこの球技をしない。魔界一番の球技に少々辛口なのはそのせいだ。


「信じられねぇな。この世でベースボールをやるやつなんてどれだけいるよ?」


「いや、ペサパッロもわが国だけだが……」


「決めたわ。私が世界征服をした暁には、魔王の名の下に全人類へペサパッロを強要すると」


「やめてね」


 今日ここにきているのは、魔王、4大魔獣のうちの3人、そして最近話題の魔女。選手側からしてみれば、日本でいうところの天覧試合に近い。といっても白球を打ち白球を追う魔族たちがそれに緊張することもなく、むしろフォームをおおげさにしてみたりだとか、わざと打席で優雅にふるまってみたりだとか、そんな理由でエラーを頻発させていた。


「打て―! 撃て―! 走れー! 投げろー!」


 そんな光景に、ルールへ混乱しながらも無邪気な歓声を飛ばしているのがアイノだ。どんな状態でも「今を楽しみ切る」姿勢をくずさない彼女へ、イーダは若干の尊敬をいだいた。


「アイノ、うらやましいよ。私も楽しみたいのにルールがちょくちょくわからないよ……」


「ルール無用! むしろさ、私はイーダが野球のルールを知っていることに驚いているよ!」


 他者に言わせれば「むしろ潜水艦がなぜベースボールを知っているんだ」となるところだろう。むろん理由はあったし、それはある意味まっとうなものでもあったが、本日それを指摘する者はいない。


「うん、実は野球をよく見てたんだよね。といってもネットでダイジェストだけだけど。ルールもちゃんと覚えたし」


「日本は野球大国のひとつだものね。老若男女見ていたのかしら?」


 わりとそうだったと思うよ、そう答えたイーダは、少しだけ隠しごとをした。それは彼女が野球を覚えようと思ったきっかけのこと。冷たかった親の気を引こうと、父親がよく見ていた野球を知ろうとしてくわしくなったことだ。


 ルールを覚えようとWeb上でまじめに勉強したし、動画もかなり見た。メジャーなルールからマイナーなルールまで覚え、メジャーリーグからマイナーリーグまで目をとおした。当然日本人だから、セントラルもパシフィックも。しかし父親と野球の話をしたことはない。結局、そんな勇気はなかったのだ。


 でも今回秘密にしたのは、暗い気分を隠したかったからではなかった。それは生前に解決済みの感情だったからだ。親と話をあわせたいなんていう意図で見はじめた野球だが、奥深いルールと派手なスター性にすっかりはまってしまい、いつしか手段と目的は逆転した。


 ようは、イーダは野球が好きなのだ。おかげで今日、よけいに苦労している。目の前で行われている競技を全力で楽しみたいのに、ルールの差異がそうさせてくれないから。


(ええと、ウンデットを覚えないと。アウトにならないのに走者がいなくなることもあるんだよね? いやぁ、違和感すごい)


 彼女が考えていたのは走塁――塁の間を移動する行為の特殊ルールだったが、そもそも根本的に、投手の投げかたが違っている。ベースボールにおいて、投手というのは打者の正面20メートル弱のところに立ち速球を投げる。それは時に時速100マイル(160キロ)を超えるほど。でもペサパッロはホームベースの横へ立ち真上にトスする。そこにカーブであるとかフォークであるとか、変化球の入る余地はない。


 そんなだからストライクとボールの概念すら違う。ベースボールならストライクゾーンからはずれたらボール、ペサパッロではホームベース上に落ちなければボールだ。しかもベースボールでは4ボールで1塁へ行けるのに、ペサパッロでは1ボールでも出塁できる。あえて2ボールになるまで我慢することも。2ボールだと、なんと2塁へ自動的に移動できるから。


(でもこれ……おもしろいぞ!)


 走塁ひとつとっても、ベースボールとは違う戦略があるのだ。ウンデットという特殊なルールによって、どうやら脚の遅い走者を()()()()()()()()()()取り除ける様子。攻撃側にとってそれは意味のあることだ。なぜなら前後に走者がいなければ「走らない」という選択肢も生まれるから。


 だんだんおもしろくなってきたイーダは、特殊ルール「ウンデット」の概念をものにしようと噛みくだき、確認のために仲間へ振り返った。と、そこで気づく。


 いつの間にかヘルミがきていた。しかも彼女の表情へ……いらないものを贈り物にもらった時のような、複雑な感情を浮かべて。


「あら、ヘルミ。どうしたのかしら」


「シニッカ様、ご報告です。その……勇者から果たし状を受け取りました」


「はぁ⁉︎」「なんだと?」「なにそれ⁉︎」「あらあら」「ええ!?」、5人がざわっと音を立てる。声がおおきかったせいで競技中の選手たちまでヘルミに注目していた。むろん、半分くらいの者は球場にあらわれた「男の夢」を目に焼きつけたいだけだったが。


「どういうことかしら?」


「魔界の境界線に勇者がきたと連絡があり、先ほど現地へおもむいたのです。そうしたら『果たし状を届けてください』なんて言われまして。内容はまだ読んでいませんが、開封と同時に爆発するたぐいのものではなさそうです」


 さすがの魔王も不思議そうな顔で手紙を受け取る。顔をよせて見るヴィヘリャ・コカーリの目に入ってきたのは、差出人たる勇者の名前。「Ivo Novák(イヴォ・ノヴァック)」という人らしい。


(聞いたことのない響き。今回はどこの国の人だろう?)


 出身国で相手の性格を結論づけるのは悪い手段だ。正しい情報を導き出せるとは思えない。けれどいつもどこからきたのか知りたくなってしまう。勇者のことよりも、その出身国がどんな場所だったか知りたいからかもしれない。


 そんなイーダの考えを見抜いたのか、シニッカは手紙をぺりぺりと開封しながら、予想される国籍をつぶやいてみせた。


「中央ヨーロッパ、チェコ共和国。名前からすると男性ね」


(チェコ。ヨーロッパの真ん中あたりにあって、首都はプラハ。ええと……私があまり知らない国だ)


 とはいえ知らないことを知るのは重要だ。敵の情報を集めるのはこれからでいい。ヘルミの話では礼儀正しそうな印象もあるけれど、前回のウェンダルのようなパターンもある。


 魔王をのぞいた5人は、予想外の事態を飲みこんで、心情を動揺から警戒へ変えた。勇者たるもの魔界を敵視するのは必至。この手紙の内容を読んだら、すぐに対策をしなければならない。勇者は魔界のすぐ外側にいるのだ。


 心の手に剣を抜いて、5人は身構えながら魔王の言葉を待った。さてどう対処してやろうか、そんなふうに思いながら。


 ――が、直後警戒は動揺へと逆戻りした。


 手紙を読んでいた魔王の口から、思いがけない言葉が飛び出したからだ。


「……野球で勝負しようって」


「は?」


「野球で勝負しようって」


 なんという変化球か。ストライクゾーンぎりぎりに決まった「野球で勝負」のふたつのコールは、打者たるヴィヘリャ・コカーリの面々を追いこんだ。彼らは振り上げた戦意のバットをピクリとさせることもできぬまま、魔王の口から出た勇者の提案を見送るしかない。


「いや、どういうことだ」


「野球で勝負したいんでしょ?」


 そして3度目の事実が伝えられたせいで、彼らは自分たちの打席が終わったことを知った。心にいだいた戦意は霧散し、がっくり肩を落としてベンチへ下がる。


「ねえシニッカ、なんて書いてあったか教えてよ」


「それ以外に書いていないわ。これは交渉の席に引きずり出す意図かしら?」


「そういう意図があるなら、野球以外の提案を書くと思うよ」


 そうよね、6人の中で唯一動揺のそぶりを見せない魔王は、舌を出し入れして楽しそうな顔をしている。悪いことを考えているのか、それとも別のことを考えているのか。まわりの人間にはわからなかったが、ともかく緊張の時間は遠くへ過ぎ去っていった。


「まずは話を聞きましょうか。こんなおもしろい提案、飲まないわけにはいかないでしょ?」


「そりゃあ、話を聞く必要はありそうだけど……」


 乗り気な魔王の目の前で、困惑する魔女と魔獣たち。しかしこういう時、みずからの姿勢――バッティングフォームを修正するのが早い者もいた。


 潜水艦だ。彼女も楽しむことに決めたようだ。


「はい! 魔王様、質問があるであります!」


 魔女の目の前には高校球児のように元気よく上げられたアイノの手。


「許可するわ、私の船」


「野球ってどっちの野球なの? ベースボール? ペサパッロ?」


「それは重要な問題ね」


 潜水艦のこの素朴な質問は、後に大紛糾を巻き起こす。


 具体的には次の日である5月26日の昼、ラヴンハイム共和国とカールメヤルヴィ王国の国境付近にある、街道のとある宿屋の前で。

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