笑うペサパッロ 4
欲しい物がある。……いや、お金ではなく。
もちろんお金は重要だしあればあるだけ困らないだろうけど、今はうずたかく積まれた金貨の山よりも魅力的に感じているものがあるのだ。実はドクの工房へ行ったのも半分がその理由。錬金術師であれば魔道具のことにもくわしいだろうし、実際くわしかったから手に入ると思っていた。
魔女イーダの欲しい物、それは魔法の杖だ。宝石が埋めこまれているだとか、金で装飾されているだとか、ぜいたくはいわない。とにかく杖が1本欲しい。でも、できればほうきも欲しい。
古今東西、魔術を使う者と魔法の杖はふたつでひとつのセット売り。王様の頭上には王冠が輝くのと同じく、どちらかが欠けていてはしまらないというもの。
お昼にまずい麦がゆを3人で食べながら、イーダはドクへ「魔術師の杖を作れないか」と相談した。回答は「Yes」だってのだが、作るのに時間がかかるらしい。素材を決めて、形を決めて、なによりその杖にどんな魔術をこめるのかを決めて。「白樺の杖がいい」なんて要望に「白樺はそれほど丈夫じゃないから、オーク材にしなよ」とまっとうな意見をもらえたのは幸いだったが、結局今回はあきらめることに。「まずはできあいの物を買ってみて、しっくりこない部分を洗い出したほうがいい」からだ。
その後、午後も仕事のドクを工房に残し、魔女と潜水艦は王宮へ戻ることにした。建物こそ半壊しているけれど、あそこは魔王の居住場所。多くの王城にあるように、カールメヤルヴィ王宮にも宝物庫がある。過去に倒した勇者たちの装備品がおさめられているのだ。
(なにかいい物ないかな……)
勇者の持っていた一品なら品質も信頼に足る。ゆずってもらえるようシニッカと交渉が必要だろうけど。
蛇の湖を右手に見ながら打算的な考えをめぐらせていると、潜水艦から魔女の装備に対する質問が。
「イーダってさ、魔女にありがちのローブ的な物を着ないよね? なんで?」
魔女の姿を絵に描いたのなら、とんがり帽子と杖かほうき、それに丈の長いローブと相場が決まっている。けれどイーダはそういうものを身に着けていない。冬はハーフサイズのフードつきコート、暖かくなってきた今はそれも脱いでシャツとベストとズボンだけ。頭の上におおきな魔女帽をかぶっているから、少々アンバランスなシルエットにも見えた。
「ローブって動きづらい気がして。森の中であっちこっちに引っかかりそうだし。あと冬は厚手のコートじゃないと寒いよ」
彼女は腰へぶらさげた、小銭入れとか小物入れとかを指さした。冬はこれをコートの外側にベルトで止めていた。どれも留め具がおおきいのは、手袋を着けていても開けられるようにされているから。
これがローブだったら少し苦労したはずだ。外側にベルトがないから、当然小物入れはローブの内側へ身に着ける。となると氷点下の世界で服の前を開けなくてはならない。
自分なりに機能を追求した結果、今の格好が成り立っているのだ。
逆にイーダは、親友がどのような服装をしているのかあらためて意識することになった。魔女には魔女らしい服装があるけれど、潜水艦には潜水艦らしい服装があるのだろうかと。
小柄な体に華奢な体躯、長い黒髪をたばねることもせず宙へふわふわさせているから、夜中に見たらそのシルエットにぎょっとすることだろう。事実これまでに数匹のアクリスが彼女によって驚かされ、転倒し、起き上がれないがゆえ落命していた。もちろんそれを知る者はいないのだが。
上着はひざまで丈のある、ダークグレーのロングコート。丈夫そうで、機能的で、近代的な逸品だ。形はおそらく軍人さんが使う物。表面には魔法の文字や絵がぐにゃりと浮かぶことも。あれは全部潜水艦の名前なのだそうだ。
コートの内側は一般的なダブレットなのだけど、さらにその内側へタイトな服が体へ巻きついているのを魔女は知っていた。胴体やひじ、ひざなんかはハードレザー、その他の部位はソフトレザーか鎖帷子。どう見ても暗殺者だった。
その中で、アイノは任務内外にかかわらず身に着けているものも。ペストマスクにくらべて若干影の薄い魔界の象徴、医療用のノコギリだ。
「アイノ、そのノコギリってなんでいつも持ち歩いてるの? 邪魔にならない?」
「潜水艦の必需品だから! 昔は艦首にノコギリがついていたんだよ!」
え、そうなの⁉︎ とお決まりの会話。イーダは軍艦のことなんかてんで知らないが、潜水艦だけはわりと覚えてきた。天界でその知識に救われたのもあり、今や興味津々だ。おかげで会話はあらぬ方向、つまり海底の方角へ。
歩みを進めながら魔女は潜水艦の構造について授業を受けた。艦橋、潜望鏡、各種水測装置や注排水のしくみなどなど。
その話題がビルジキールという、いよいよもってマニアックな部位へおよんだころ、彼女らは王宮に到着したのだった。
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
――宝物庫。
老若男女問わず、その言葉へ心を躍らせぬ者などいない。
そこには黄金色に輝くなにかがあるべきだし、さまざまな色の宝石がちりばめられているべきだし、当然宝箱なる貴重品入れが門外不出のなにがしかを腹に入れ、口を閉じてしかめっ面をしているべきなのだ。
今日ついに、イーダはカールメヤルヴィ王宮の地下にある宝物庫へ足を踏み入れた。執筆の休憩中、お茶を飲んでいたシニッカをともなって。
そして裏切られた。
(もう少しきらびやかだと思ってたよ……)
入り口には分厚い鉄扉なんかが使われていると期待していたのに、自分の部屋と変わらないドアノブに申し訳程度の鎖と南京錠がついているだけ。味気なくかちゃりと開いて扉を開けると、壁だけは厚く丈夫で立派だけれど、反面換気が不十分で空気もこもっている。普段使われていないからカビ臭く、開錠と同時に灯された魔法のランプは病み上がりの人のように元気がない。部屋の広さだけは30畳くらいあるけど、ラックやら棚やらには主に武器がいっぱいで手狭に感じる。
もちろん黄金色などほとんど見かけず、壁の灰色とか鈍色とかの中へ、棚の茶色が差し色を入れるだけ。
「……金ののべ棒とかは?」
「そんなのあるなら投資へまわすわ。財産備蓄は政府の国庫にまかせてあるし」
シニッカは黄金に興味がない様子。通常、蛇やそれに類するドラゴンたちは、洞窟へ財宝をためこみその上で寝るものだ。黄金の詩的な言いかえに「蛇の臥床」なんてものがあるくらいに周知のことなのだ。ギジエードラゴンの時もそうだった。もちろんあれは黄金ではなく死体で、ゆえに悲劇だったけど。
イーダは魔王に続いて部屋に入る。宝物の保管場所なだけあって棚やラックへさまざまな物が置かれていた。とはいっても高そうな壺とか高名な画家が描いた絵画なんかは皆無。美術品よりも圧倒的に武具のたぐいが多い。
勇者が持っていた物なのだから当然だったが、やはり少し華やかさに欠ける。とはいえなかなかおもしろいので、魔女はさっそく物色をはじめた。
「あ、これ銃だよね? 過去の勇者が使っていたの?」
棚にずらりとならんだ拳銃たちを発見。おおきい物からちいさい物まで。あきらかに近代的なものも、そうじゃなくて火打石を使っているらしきものも。手に取ってみたかったけれど、世界律のことが頭をよぎりやめておくことにした。
「そうね。勇者ってどうしても銃を使いたがるのよ。ここには拳銃だけだけど、奥のラックにはもっと長い銃――小銃なんかもならんでいるわ。火薬の信奉者たる彼らが神話を創ったら、火薬の神を描くでしょうね。『主神Gunpowðinn』みたいな」
「そんなオージンみたいに……。でも、異世界に銃を持ちこむのは、小説でいくらでも見たことあるよ」
しかしいろいろな形がある。角ばった物も丸っこい物も。イーダはそれらひとつひとつの名前なんて知らなかったが、ひとつだけ気づいたこともあった。
「これとあっちの、同じ形の銃じゃない? このおおきいカクカクしてるやつ」
手のおおきい人でないと握るのも難しそうな大型拳銃。それがいくつかの銃をはさんで2丁ある様子。
疑問には棚の上から顔を出す潜水艦が答えてくれた。
「魔王様いわく、イスラエルっていう国で生まれた大型拳銃、IWIデザートイーグルだよ。おおきい弾丸を使う、それなりに強い銃だって。サブウェポンとして転生勇者に人気なんだ。ここには3丁あるよ」
異世界にきて自分の武装が他の勇者とかぶっていたら、ちょっと残念に思うんだろうか。そう考えた直後、頭にバルテリの顔が浮かんできた。かぶりまくりのフェンリル狼がぐちを言いたくなるのもちょっとわかる。
「ほかにも勇者がよく持っている物とかあるの?」
「アイテムボックスとかそうだよ。異空間みたいなところへ、いろいろな物を収納できるやつ。あっちの棚にまとめてあった気がする」
「それってすごい便利じゃん! 使わないの?」
存在だけでフォーサスの物流を飛躍的に発展させてくれそうな物品へ、魔女は当然の疑問を持った。でも魔王は首を横に振る。
「勇者の装備って本人にしか使えない物も多いのよね。アイテムボックスは中身の盗難を避けるためか、本人以外に使用可能なものがなかったわ。他の物品もその傾向が強い。鞘から抜けない剣だったり、抜けるけど魔術効果が発動しない物だったり。ひどい時には爆発したこともあったわ。死に際にブービートラップを仕込むなんて、性悪よね」
魔王様は性悪な自分を棚上げしながら、ひとつの棚から手鏡を取ってイーダへ渡した。「これなんかどう?」
「どうって……あ、思い出した。私が欲しいのは杖だよ、シニッカ! でもこの鏡はなに? 魔力も感じないってことは、魔法具ですらないよね」
「それは勇者の対抗召喚で手に入れたものよ。魔法少女を名乗るアメリカ人だったわ」
「なんで鏡なんか……」
「彼女の年齢が42歳だったからじゃない?」
性悪が正体をあらわした。シニッカはきっとこの鏡を相手の目の前に出して、自分の姿を見せたのだ。そうやって勇者を退治したに違いないのだ。
イーダは悲しかっただろうその時の光景を考えないようにして、42歳アメリカ人女性の行方も聞くことなく、その他の物品を物色する。壁際にはずらっと武器立てがならんでいた。杖があるならここだろうか。
「いろいろあるんだね。とくに武器。こんなにたくさんあるなんて、宝物庫っていうか武器庫だよ。それにしても多くない? 勇者ってこんなに数がいたの?」
「ひとりの勇者がひとつだけの武器を持っているともかぎらないでしょ? 1回で2ダースの武器を回収したこともあったわ」
物が多い理由はわかった。けれど合点のいかないことも。
「剣がやたら多いのはなんで?」
飾られているのは9割がたが剣だった。片手剣、片手半剣、両手剣、騎乗刀やら、日本刀やら。おおきく湾曲した物や、先端だけ太くなった物、蛇みたいにうねる刀身の物もある。今すぐ刀剣の見本市を開けそうだし、地球の刀剣コレクターが見たら垂涎ものだろう。
「勇者が剣好きだからじゃない? 気持ちはわからなくもないわ。剣って槍よりも金属パーツが多くて、金属メイスよりも加工が難しくて、ゆえに高価だから。かっこいいし」
「そういう理由なら納得もできるかも。勇者っていったら、武器は剣だよね。……あっ! こっちには名札をつけてあるんだね!」
カビ臭いとはいえさすが宝物庫。刀剣のたぐいにはひとつひとつ丁寧にラベリングされ、収集地や元所有者の名前なんかがちゃんと記されていた。
「これは……『グラム』か。聞いたことあるような、ないような。なんだっけ?」
「ヴォルスンガ・サガというアイスランドに伝わる英雄伝説とか、北欧神話の古エッダとかに出てきた魔剣よ。Gramの意味は怒り。ヴォルスンガ・サガによると、オージンがりんごの木に刺したとある剣を、シグムントという英雄が抜いて自分の物としたのね。その剣は折れてしまうのだけど、彼の息子シグルズが引き継いだ。そして剣を妖精レギンに直してもらい、その時にグラムと名づけられたの。ファーヴニルというドラゴンを倒したのが有名かしら」
「へええ、由緒正しい剣なんだ。やっぱり地球の神話とか英雄譚の剣が多いのかな。となりのは……あれ? グラム?」
「ああ、そうだったわね」
「あれれ⁉︎ 魔剣グラムも3振りあるよ⁉︎ なんで⁉︎」
50本くらいの刀剣の中、3つならんだグラムたち。驚く魔女を目の前にして、当のグラム本人たちは「自分こそが本物なのだ!」と怒りをあらわにしているよう。
「あ! ここにもあった!」
「イーダ! ここにもあるよ!」
しばしイーダは潜水艦を引き連れ、魔剣グラム探索の旅に出る。あっちへ行ったりこっちへ行ったり。ある物は宝石がはめられていかにもファンタジーな片手剣、ある物は海外の博物館にありそうな直刃の両手剣。最終的に合計8振りのグラムたちの発見を手土産として、ふたりは魔王の元へと帰還した。
デザートイーグルなる拳銃よりも多いとは思わなかった。
「ねえシニッカ、グラム8本もあったよ。なんで?」
「エクスカリバーは1本もなかったよ! なんで⁉︎」
「なんでといわれても、なぜかしらね」
午前中に錬金術の講義で難しい話を噛みくだいた魔女は、今回どうでもいいことに神経を集中して思考をめぐらせることを選んだ。自分が勇者だったら、そして1振り名剣をもらえるならなにを選んだだろう?
そもそも有名な剣とはなんだろうか、と定義から考えてみた。たとえばミスリルソードなんかは素材の名前だし、小説に時々出てきたルーンソードなる物に関しては「ルーンでなにが彫られているの?」と今なら一家言ある。魔剣グラムはそういうものとは違って、『エクスカリバー』とか『草薙剣』とか、伝説上の固有名詞たる一振りだろう。
(あ、所有者の名前がはっきりしていると「有名な剣」っていえるかな? エクスカリバーはアーサー王の剣、草薙剣ならヤマトタケルノミコト)
魔女は「なかなかいいところに気づいたんじゃないか」と思った。求めている定義により近いのは「物語が紐づいている剣」だったが、ともあれ間違いではない。
そこで自分が選ぶ段に入る。勇者イーダ(もしかしたら勇者春子だったかも)は、なにを腰に下げているのだろう。なぜグラムは8振りもあるのに、エクスカリバーは1振りもないのだろう。
「イーダはどう思うの?」
名のある剣より魚なる雷を選ぶだろう少女が、眉をよせる魔女が考えているのと同じ質問を射出する。
「ううん……」
(もし自分が勇者なら、エクスカリバーってちょっと持ちづらいかも。剣も有名すぎるし、アーサー王も有名すぎる。まるでなりきりかコスプレみたい)
剣を抜き放ち「私が異世界のアーサー王だ!」と言っている自分は少々痛い。ご本人がその光景を見たら共感性羞恥によって目をそらされかねないくらいに。性別に寛容なこの世で、女性ながらアーサーを名乗るとしても。
(シグルズって英雄は……うん、なにをした人かよく知らない。けど魔剣グラムは聞き覚えがある。ってことは特別感もあるかも)
この感覚こそが答えなのかもしれないと、魔女の目へ結論が見えはじめていた。エクスカリバーも草薙剣も、名前が重すぎて手にあまる。それにくらべてグラムの重さは、異世界転生をした地球人の手によくなじむ重量だ。
魔女は慎重に考えた結果、結論を導き出した。
「……ほどよいんだろうね」
「ほどよいのかぁ」
異世界転生勇者たちの生態がひとつあきらかになり、異世界転生図鑑に記載する項目がひとつ増える。
――魔剣グラムは、ほどよい。
そこへ魔王は言葉を重ね、備考欄への追記を行う。「フェンリルもほどよいのかしら? たくさんいるし」
「うん、ほどよさそう」
「いいね! ほどよいね!」
口にしながら「ほどよい」がゲシュタルト崩壊しかけてきた魔女は、視界の隅へ化1号があらわれたのを認識した。そっとお礼を言って彼を見送ると、視線の先がなにかをとらえる。
「あれ? あれはなに?」
タタタと革靴の音を残し、魔女は宝物庫の一角へ。棚とラックにはさまれた、樽から飛び出た物の前に。
「こ、これは!」
そして彼女は発見した。エクスカリバーも草薙剣も、グラムもおよばないほど、衝撃的な物体を。
「野球のバット! なんで⁉︎」
これは武器ではない。スポーツ用具だ。言われなくてもわかっている。
(なんでだ⁉︎)
はしっと手に取ってまじまじと見た。有名なスポーツメーカーのロゴが堂々と鎮座していて、1本の木から切り出して作られた一品。学校の体育倉庫にあったベコベコの金属バットじゃなくて、高級感があるお高そうな木製バット。すべすべでひんやりした感触と、手になじみそうなちょうどいい重さ。魔力もなにも感じないから、本当にスポーツ用品店に置いてある物と変わらないのだろう。
「ほどよい?」
「ほどよくはないよ!」
「いい杖ね」
「杖でもないよ!」
こうしてイーダはそれを見つけた。樽の中にあった、1ダースのグローブと2ダース半の硬式球とともに。
そして彼女は知るすべもなかった。わずか1週間後に、それで白球を打つ羽目になるなんてことを。
2022年5月24日月曜日、魔女は魔界で野球道具と出会った。
混乱状態におちいった魔女を、42歳アメリカ人女性の持っていた魔法のステッキが「私を選んで」とワクワクしながら見上げていた。




