笑うペサパッロ 3
誰しもが聞いたことのある概念に、ちゃんとした形をあたえるのが錬金術師。それに、「かっこいい台詞だね」なんて、魔女は合いの手を入れる。
彼が手に持つリングは、きっと錬金術そのものなのだ。たぶん彼はぼんやりしたイメージで語られる魔法的なものたちを、その技術でもってかき集められる。そしてそれらを、すり鉢とすりこ木、ビーカーや蒸留器を使って抽出したり凝縮したりし、見事に環の形へ昇華したのだ。かっこよく感じないわけがない。
しかし、目の前の天使は胸を張るでもなく突っ立ったまま。そしてやや眠そうな青い目をペストマスクのガラスごしに浮かべて言うのだ。「そうでもないよ、イーダ。多くの人々にとって、僕たちは悪魔的な存在だから」
「どういうこと?」
問いへ彼はさっと振り返り、黒板へチョークを走らせる。黒板へ太くおおきい文字を、今まで書いたさまざまなことがらを塗りつぶすように。そこには次のような公式があった。
『錬金術=悪魔的な術』
「今日はこれを覚えて帰ってもらおう、イーダ君。なかなかにツッコミどころがつまった公式でしょ?」
ちょっとテンションが上がってきた先生は、まだらの翼を狭い空間のあっちこっちへひっかけながら振り返る。さあ矛盾をついてくれたまえ、心でそう言っているに違いない。この行動は天界でも見かけた木がする。あれはたしか、温州ミカンの話題だったか……。
「ええと、たしかに一見変な公式だね」
わざわざおおきく書いた上に、「テストに出るよ」といいたげな雰囲気。これはちゃんと読み解いて覚えておいたほうがよさそうだと、イーダは頭をひねる。
(まず、『悪魔種』と『悪魔的』っていうのはわけて考えないとね)
悪魔種というのは人種だ。人間種、エルフ種、ドワーフ種なんていう。一方、悪魔的というのは神へ逆らう傾向のこと。だからフォーサスにおいて、おおよそすべての悪魔種は悪魔的でないし、悪魔種以外が悪魔的なこともしばしば。
ややこしいのだが、これはフォーサスの文化にもとづいている。3大教派のどの教義にも「その昔、エァセン神は自身へ逆らう悪魔たちすらもその存在を認め、祝福した」という一文が存在する。悪魔種という人々は、それに感銘を受け、神を慕う悪魔たちだ。ちなみにその時神への信仰心を持たなかった人々は、形を変えて害獣――モンスターになったと伝わっている。
いっそのこと、神に逆らうことを「害獣的」と表現してくれればよかったのに。イーダはそう思う一方で、悪魔種の大半は魔族であり、他人の不幸へ蜜を感じてしまうため、悪魔的という表現も間違ってはいないと感じていた。そもそも当の悪魔たちがまったく気にしていないので、ささいなことなのかもしれない。
(で、悪魔の話はいいとして)
頭を錬金術に戻す。
「悪魔的ってことは、エァセン神とか各教派の教義とか、そういうものに反するという意味だよね?」
「思い当たることはあるかい?」
「ええと、あ、そうか。錬金術の目的だ。『神のように完璧な存在になろうとしている技術』だもんね。だけどそれだけで『悪魔的』なんておおげさじゃない? 錬金術師は魔法具を開発するんだよね? それって世界各地で使われているよ?」
だったら人々が錬金術師の重要性を知らないはずもなし。恩恵を受けているみんなが、錬金術師を嫌いになんてならないだろう。
「たしかにそのとおり。けれど実は、錬金術師ってあまりいい目で見られないのさ。魔界や天界、世界樹教徒はわりかし寛容だけど、その他の地域では白い目で見られることもあるんだよ」
「……想像がつかないよ」
「じゃあさ、ネメアリオニアとかセルベリアとかで、錬金術師を見かけたことあるかい? 錬金工房は? 魔道具は魔道具屋さんに売っていたんじゃないかな。錬金術屋さん、なんかじゃなく」
「あ! そうだったよ!」
続いてドクは、外国の錬金術師は肩身が狭いなんてことを話してくれた。魔道具の開発は重要な仕事だし、魔道具は世界中にあふれているにもかかわらず、世間の風当たりは決して弱くないのだという。
「でもどうして?」
当然の質問が口をついた。すごく気持ち悪い社会構造に思えたから。
でも理由を聞いてみれば、納得はできないものの、腑に落ちるものではあった。
「世界律のひとつたる『火薬の禁止』は知っているかい?」
「知っているよ。世界樹教派の教義にもあるよね。『なんびとたりとも、硫黄・硝石・木炭を混合し、火薬なる暴力的な物質を作成してはならない』って」
この火薬を禁止する世界律はかなり強制力が高いと聞いたことがある。火薬を合成した瞬間、突如その人の元に処刑人があらわれるのだ。どこからくるのかもわからないし、どうやってきたかもわからない。密室にすらあらわれるらしいので、もはや『擬人化世界律』とラベルを貼るしかない状態だ。
で、その人は火薬の作成者に「今すぐやめるか、首を差し出すか」とせまる。火薬をその場で処分しないのなら殺してしまうわけだ。しかも心臓を「ズドン!」と、あろうことか銃弾で。「お前はいいのかよ⁉︎」と思ってしまうけれど、皮肉の擬人化でもあるのかも。
とにかく、この処刑人のことを教えない場所はないというくらい、火薬の禁止はフォーサスに浸透している常識なのだ。
「錬金術の実験は化学を基礎とする。この工房の壁が厚いのも、爆発や燃焼なんかの危険があるからさ。僕らがしばしば使う試料にはパラケルススの三原質のひとつたる硫黄がふくまれている。木炭なんかは燃料として使うし、硝石も農作物の肥料として集めたり作ったりしている」
「錬金工房には火薬の材料がすべてそろっているわけだね」
「そうさ。ひとつひとつは禁止されていないけど、混ぜればめでたく世界律違反のできあがり。そんな物が置いてある場所、一般人がいぶかしげに思っても無理はないでしょ?」
「うん。禁忌に触れているって印象をいだかれてちゃうよね」
「で、そして通常そういう人たちは『悪魔的』と呼ばれる」
話が一周し、ドクはチョークで黒板をコンコンと叩いた。
「おかげで僕らは嫌われる。人類の役に立っているにもかかわらず」
もういちど、ココンとチョークがリズムを刻む。行進を先導していた小太鼓が、止まれの合図を出したかのように。なんでそんなふうに、ちょっと楽し気に感じたかというと、「嫌われる」なんて言うわりに、魔界の天使が嬉しそうだったから。ちょっとした過去のいたずらを自慢する、悪ガキくらいのあんばいで、彼はガラスの目のむこう側へ微笑みを浮かべていた。
言いたいことは少しある。だって錬金術師が嫌われている現状は、差別的といっていいかもしれないから。けど今目の前にいる天使は気にしていない。むしろ排他的な世の中すら楽しんでいるかのよう。
差別という重大な問題をこの場に持ちだすのは違う、そう思ったから、フォーサスの社会へ黒い感情をいだくかわりに「ドクも悪い子だったんだね」なんて苦笑してみせた。
「そうだよ、僕は堕天使だから。翼も黒くなってきているでしょ?」
その言葉を聞いたイーダは、「ああ、ようやく合点がいった」なんて、心の中で手を叩いた。彼が翼を塗るわけがわかった気がしたから。
その理由が錬金術にあるのなら、これは世の中に対するちょっとした皮肉なのだ。嘘を口にするのもそう。どちらも誰かをだます目的ではなく、常識に対する一種のアンチテーゼだったのだ。
そうやって斜に構える彼も、間違いなく魔界の住人。魔女はそう気づいて嬉しくなった。
「教えてくれてありがとう、ドク。私も知識をひけらかして、うっかり魔女狩りされないように気をつけるよ」
「ははは! それはいい心がけだよ。正しいものを正しいって口にするのは、正しさを正しく伝えられる時だけにするのが正解だ」
くちばしを上にむけながら、彼は愉快そうに肩を上下させた。そうやってひとしきり笑い、くちばしをまた魔女の顔へむける。
「ま、結局言いたいところはね、バランスが重要なんじゃないかってこと。各種薬草や薬品の調合具合もそうだし、できた物をどうあつかうかについてもそう。きっと僕たちの技術は、世の中のほどよい位置に置かれて活用されるんだと思う。だから心配していないよ」
長い講義になったが、魔女はフォーサスにおける錬金術の立ち位置をよく知れた。彼が作る物のように、毒にも薬にもなり、取扱注意だけど必要でもある。
魔女はその事実を心へ刻んだ。ドクの一面を知れたのもよかったと、笑顔になりながら。
しかし、そこに一筋の影が差す。
それは暗黒の中から生じた一対の白い腕であり、残酷な光を反射させる4本の牙であり、黒と灰色の地面へ色鮮やかに落ちた血痕でもあった。
――潜水艦だ。そろそろ話にあきてきた。
「バブルパルス!」
「ぎゅむっ! ぎょっ!」
アイノとしてはおもしろくなかった。爆発物と聞いていたのに、いつまでたっても魚雷爆薬のトの字も高ブラスト爆薬のHも出てこない。黒色火薬なんて時代がかった代物すら作成を許されていないのだ。
ダークグレーのコートがエイのヒレのようにはためいて、英字、数字、時々漢字がじわりと輪郭を浮かべていく。それに混じってあらわれた絵は、アスリートのように走る悪魔の姿。右手におおきな爪がついているのだが、デフォルメされているせいで、グローブを持って全力疾走する野球選手にしか見えない。
「やめてねアイノ!」
「魚雷はいつ出てくるの!」
「出ないよ!」
ふたりはつかみあってわちゃわちゃしだす。魚雷を出すのはアイノだけだ、いいや魔女からも出るはずだ、訳のわからぬ会話をしながら、狭い空間で争いをはじめる。
それを天使は止めるでもなく、ただ突っ立って様子をうかがう。
「僕につばを飛ばさないで、ふたりとも」
そして決して届かぬ苦言をぽつり。
しばらく争っていたふたりは、部屋にある鳩時計が正午を告げたことでようやく休戦を決めた。
直後ぐぅっとひとつお腹が鳴って、お昼に出かけていくのであった。




