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笑うペサパッロ 2

 魔女のイーダは錬金術のお勉強中。教鞭を取るドクの前、親を見つけたひな鳥のように目を輝かせていた。


(おもしろい!)


 なるほど、錬金術といっても、内容は化学の授業に近い。すり鉢とすりこ木で試料をすりつぶすところからはじまり、液体へ溶かし、火にくべ蒸留機をとおす。抽出されたものは純度の高いなにがしか――たとえば毒だったり薬だったりの材料で、それを使ってまた別の薬品を作るのだ。


 ただし学校で受けた化学の授業とは違い、ここでは魔法がちょくちょく姿を見せた。魔術に頼らない抽出――たとえば麦芽や砂糖を水に入れて発酵させ、それを加熱・蒸留しアルコールを作るなら地球でもできるだろう。けれど薬草の精油を魔法具の環へとおしポーションにする、なんてことは地球の科学で証明できない。


 しかも、違う種類の植物でも安定して効果が出るらしいのだ。


 ドクターはビーカーに入ったふたつの液体と、手に持った金色のリングを見せた。


「こっちはイラクサのハーブティー、こっちがラベンダーの精油。で、この環が魔法具だよ」


「そのリングの穴にとおして注ぐと、ポーションになるの? 両方とも違う液体なのに」


「うん、そうさ」


 彼は薄緑色の液体――イラクサのハーブティーを右手に、直径2.5cmくらいのリングを左手に持った。環の穴へビーカーの注ぎ口を近づけて、下にあるコップへすっと注いでいく。見た目以上に精密作業なのだろうけど、迷いもなければ手が震えることもない。精巧にできたロボットアームがコンベアで運ばれてきた電子基板へコンデンサを差しこむように、気持ちのいい動きだ。


(白樺の匂いがする。ってことは、魔法が発生しているんだ)


 緑茶のようなやわらかいハーブティーの香りへ、キリっとした白樺の香がまざる。午後のひと時に本でも読みながら口にしたい飲料の完成だ。といってもこれはれっきとしたポーション。体力回復の効果があるらしい。


 ドクはひとつめのポーションを作り終わると、動作を片時も止めることなくラベンダーの精油を手に取って、ふたつめのポーションを作成した。注がれた液体はほとんど無色透明だけれど、うっすら紫色に見えなくもない。こちらはこちらで落ち着いた上品な香りがした。


「飲む?」


「飲む!」


 少々前のめりにコップをふたつ受け取ったイーダは、呑兵衛よろしく両手に持って交互に味わってみる。ハーブティーはややくせが強くパンチの効いた味、ラベンダーはさらっとした爽やかな飲み心地だ。


(味はなかなか。効果は……きた!)


 そして数秒の時間差をへてあらわれたのが、アルコールでも飲んだかのような(といっても彼女は飲んだことはなかったが)内臓が熱くなる感触。それが血管をとおって全身へ流れ、手足をぽかぽかと温めてくれた。その上お腹のあたりに力がたまる。今ぎゅっと腹筋へ力を入れたら、どんなパンチでも耐えられそうなくらいに。


「おぉ……」、そうつぶやいたのは当然、舌鼓を打ったからではない。モンタナス・リカスでの勇者災害の記憶を思い出したからだ。生まれてはじめて使ったベオークのスクロールは、彼女へ立てなくなるくらいの疲労をもたらした。その時はシニッカがポーションを口にふくむと、噛みついてポーションを打ちこんでくれたのだ。


「シニッカに噛みつかれた時と一緒だよ! 急に活力が湧いてきた!」


「イズキの時だね。話は僕も聞いたよ。でも、そんなふうにポーションを使うのは魔王様くらいだよ」


 通常は経口摂取させるものらしい。シニッカは国家守護獣たる枝()み蛇のマイナーな能力――歯を使って薬品や毒を注入できる――を使ったそうな。


「で、この薬草を作るのも錬金術に違いはないんだけれど、今日の主役はそれじゃない」


 ドクは手にした金のリングを「これさ」とばかりに顔の高さに掲げる。


「この環を作るのが僕らの仕事のひとつ。つまり魔法具の開発だね」


「お! 待ってました!」


 実践の後は座学の時間。今日も(自分で色を塗った)白黒まだら羽の自称堕天使は、ペストマスクの下へ教師の顔をして講義をはじめる。それは黒板への殴り書きからはじまった。少々早口なのもいつもどおりだ。


 まず、錬金術とはなんぞや、という話。その概念は、古代エジプトはアレキサンドリアで、紀元前3世紀頃に芽生えたという。すでにガラスの製造技術を持っていた彼らの高い技術は、地中海のむこう側、古代ギリシャにわたる過程でさまざまな思想・宗教、そして占星術などの魔術と混じり合っていた。この頃にはすでに神秘的で秘教的な性格が付与されていたようで、以降「門外不出」であり「絶対秘密」なものとしてあつかわれていく。


 生まれた瞬間から秘密主義である部分は、意味が「秘密」であるRune(ルーン)と通じるものがあった。


「その後ヨーロッパで発展していったわけなんだけど、キリスト教にとっては少し邪魔な存在だったんだ。錬金術の持つ神秘性というのは、キリスト教の神の神聖を侵害しかねなかったから。そうした風潮もあって、多くの錬金術師たちはアラビアへと逃れた。錬金術という言葉、すなわちAlchemy(アルケミー)が、アラビア語でいう『技術』――al-kimia(アルキミア)を語源としているのは、そんな背景があったからだね」


 ちなみに蒸留器alembic(アランビック)も、alcohol(アルコール)もアラビア語だよ、そう豆知識をはさんだドクは、次に錬金術の目的について話をはじめる。


「イーダ、錬金術の目的がなんだかわかるかい?」


「ううん、どうだろう。前に小説で読んだ印象だと、卑金属を貴金属に変える『賢者の石』を作ることかな?」


「実はそれ、目的のための手段でしかないんだ。真の目的は『人間が完全になること』。人を神のような存在に変えることだね」


 そもそも錬金術のはじまりは「神秘的な力」という概念を具現化しようとした動きから。だから当然のごとく、錬金術の目的は人を神聖な存在にすることだという。錬金術師たちはその方法を哲学的に模索していって、その中で見出されたひとつの手段が「卑金属という不完全な存在と、貴金属――とくに金という完全な存在に変える」なんていうものだった。


「古来から金は完全な金属とされた。安定した物質であるがゆえに、腐食がほとんど発生しないからだろうね。人を完全にする、なんて考えるとどこから手をつけていいものやらだけど、鉛を金に変えるっていうんならアプローチが現実的なんじゃないかって思ったんだ。きっとね」


 そしてあらゆる物を金に変える物質が賢者の石だ。その形が鉱石なのか粉末なのか、はたまた液体なのかはわからない。けれどそれを混ぜることで、どんな物質でも完全になれるのだ。


「でもさ、その考えだって突拍子もないように思えるよ。たったひとつの物質で、すべての物を金に変えるなんて。昔の錬金術師はなんでそんなものがあるって信じられたの?」


「きわめていい質問だね、イーダ。それじゃ次は、錬金術の考えかたをお勉強しよう」


 話の解像度が少しずつ上がっていき、話題は『ヘルメース思想』なるあやしげな響きを持った考え方にうつる。


 ヘルメース・トリスメギトスという錬金術師が記した文章、ヘルメース文書。それを元にした考え方がヘルメース思想だ。


「といっても注意しなきゃならないのは、ヘルメース・トリスメギトスなんて人はいなかったってこと。元々はエジプト神話の知恵の神であるトト神と、ギリシャ神話の多芸な神ヘルメースに対する信仰心が生んだ概念なんだ。この2柱(ふたはしら)は知識の起源として非常に信仰されていた。そして知恵を求める錬金術師にとっては特別中の特別な存在だった。そのふたりを元にした神秘的な概念を、とらえやすくするために擬人化したようなものだね」


 そんな存在の産んだ偉大なる物質があった。その名は『第一質料(プリマ・マテリア)』。この物質で世界のすべてができているというのが、ヘルメース思想の根底にある。


「このプリマ・マテリアを基本物質として、熱・乾・冷・湿の4つの性質を組み合わせるのが基礎理論だね。熱されて、かつ乾いた状態の第一質料なら『火』、熱されて湿った状態だと『気』、なんてね。『プリマ・マテリアに属性をあたえる』みたいにとらえるとわかりやすいかな?」


(属性……)


 属性との言葉に、イーダはファンタジー小説を思い出さずにいられない。火の属性、水の属性なんていうのは、あらゆるファンタジーの魔術の基本概念だったから。


 そして予想は的中し、ごくごく聞き慣れた単語がドクの口からあらわれた。「つまりは()大元素だよ。地水火風とか火気水土とか、言いかたはいろいろあるけれど」


「ついに出てきたね四大元素!」


 知らない知識が知っている知識へむすびつく時の快感。正体不明の誰かが「じゃーん、実は私でした!」と仮面を外し、それが知っている人だったような喜ばしさ。ついつい「お前だったのかぁ!」とだきつきたくなる。


 イーダは興奮のあまり天使へ飛びつくのを思いとどまり、深呼吸して続きを聞いた。「四大元素って、第一質料『プリマ・マテリア』が属性をあたえられた状態なんだね」


「そう、これが四大元素の基礎。そして根底はすべての物質を構成するプリマ・マテリア。錬金術自体がこんな考えかただから、先ほどの『たったひとつの物質でどんな物も金にできると信じた理由』だって答えは単純明快さ。元々ひとつの物質なんだから」


 錬金術師たちがどんな考えで賢者の石を追い求めたか理解できた。そして引き続きドクはそれ以外の概念も教えてくれた。どれもこれも、どこかで聞いたことのあるやつばかり。


 たとえば四大精霊。これはパラケルススという中世の錬金術師兼科学者兼医者が、四大元素にそれぞれ象徴となる精霊を設定したものだ。地はノーム、水はウンディーネ、火はサラマンダー、風はシルフ。やはり概念を擬人化することで形をとらえやすくしようとしたのだろう。


 まあ、そのパラケルススはせっかく精霊を設定したのに、早々に四大元素へ愛想をつかし、硫黄・水銀・塩の『三原質』という考えへとシフトしていったのだけれど。


 他にも聞き覚えのあったのが『エーテル』だ。プリマ・マテリアと熱・乾・冷・湿の4つの性質をむすびつけるのが第五元素、すなわちエーテルであり、アリストテレスは宇宙がこのエーテルによって満たされていると考えたらしい。


「あれ? プリマ・マテリアに4つの性質をむすびつけるのがエーテルなんだよね? てことはエーテルがあればどんな物質にも変換できるのかな? それってまさに賢者の石なんじゃ……」


「よく気づいたね。僕は君にちょっと感心してる。錬金術師たちもまさにそう思ったのさ」


 ドクの話では、中世ヨーロッパにおいて「このエーテルこそが賢者の石なのだ」という考え方が主流になったとのこと。そこから派生した万能薬がエリキサ。これも聞き覚えがあった。


 黒板が白い文字でいっぱいになったころ、イーダはほぅっとため息をついた。知っているようで知らなかった事実が押し寄せてきたから、少し圧倒されたのだ。


「びっくりするくらい知っている単語が出てきたよ。でも、本質はなんにも知らなかったんだなぁって、これまたびっくりしてる」


 エーテルやエリキサだけではない。四大属性も四大精霊も、なんとなれば錬金術そのものも。名前と、なんとなくのイメージだけを知っている概念たちだった。どうやらそれはちゃんとこの世に存在しそうで、あるものは手に取れる形を、あるものは目に見える色を持っているのだろう。


「それこそが錬金術の本質さ。聞いたことはあるけど、実態はわからない」。うなづきながら言ったドクは、そこに彼の存在をつけくわえてみせた。


「それを形にするのが、僕たち錬金術師の仕事なんだ」

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