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笑うペサパッロ 1

挿絵(By みてみん)


     ◆  ①  ⚓  ⑪  ◆


 5月も末になると、魔界の特異な一面が顔をのぞかせる。のぞいているのが誰なのかを具体的にいえば、太陽のことだ。冬場は遅出、早上がりだった彼も、今の時期は早出かつ所定外の残業を強いられる。朝5時にもなれば大空へ出勤し、夜は21時になってようやく帰路につくのだ。カールメヤルヴィの高い緯度は、そんな変形労働時間を太陽系の盟主たる恒星へ強制していた。


 だから彼は雲をかぶり、不機嫌な顔で魔界を見おろしている。惑星フォーサスへ「速く自転しろよ」とパワハラ気味に。


 そんな空の下、事情を知らぬ魔界の者たちは、無限の太陽光を享受していた。たとえば、もうすぐ死んで1年になる、とある少女なんかが。


 とんがり帽子は今日も今日とて、折れ曲がった先端を左右へ振る。帽子の台座たる黒髪の魔女が、上機嫌に春の道を歩くから。湖畔に響く足音と、元気に響く鳥の声。湖と森と草花の背景は、まるで絵本の1ページだ。


 むろんここは魔界であり、絵本の中の世界ではない。いくらよい景色があたえられていても、悪魔たちの住む国なのだ。なにせ魔女はその手にロープを持って、その先へ宙をただよう親友を曳航している。その所作はいろどりはじめたカールメヤルヴィへ、ダークグレーとかガンメタルとか、鈍色(にびいろ)とか空色鼠(そらいろねずみ)とかの灰色を塗りたくるのだ。


 ようするに今日も魔女のとなりには潜水艦がいた。彼女は飽きもせず空をただよっている。


 自分で進むわけでもなく、ものぐさにも曳航されて。


 悪いことに魔女もすっかり慣れてしまったものだから、彼女たちは湖面へ影を残し、上機嫌のまま歩みを進める。


「カールメヤルヴィって湖が多いよね。どのくらいの数があるんだろう?」


「なんかねぇ、20万くらいらしいよ」


「20万ときたか……」


 多すぎる数字というものは形をとらえるのが大変だ。たとえばフォーサスの人口。大陸ひとつに2億から3億くらいの人々が生活しているというが、それがどれほどの人数なのかはよくわからない。ただ狭い島国に1億2千万から3千万の人口をかかえていた日本にくらべると、人口密度はかなり低そうだと分析できた。それも日本と同じくらいの国土に2万人しか国民がいないカールメヤルヴィ王国のせいで、実感をともなっているかといわれればあやしいけれど。


「多すぎでしょ」、麦がゆのような味気ない感想をもらした魔女は、まさに実感が湧かなかった。魔界には湖沼が非常に多いのは知っていた。でもそれが国民ひとりに10か所もわけあたえられるほどの数になれば、「それってどういうことなんだろう?」と想像がつかなくなってしまう。シニッカが国民全員へ湖を配給したとして、自分は10か所すべての場所を覚えていられるだろうか? この国のひどく覚えにくい地名で、10個もの名前を暗記できるかどうかあやしいところ。


 20万の半分以上はパハンカンガスにある毒の沼だ。そこにはいちいち名前なんてついてないから、自分でつける羽目になるのだろう。とはいえ自分で名前をつけられる分、人間の生活圏にある命名済みの湖をもらうよりいいかもしれない。


 なぜかっていわれれば、「だって変なんだもん」とストレートに答えるほどおかしな名前ばかりだから。


 たとえば夢魔街のかたわらにある湖は『Huoranlamp(フオランランピ)i』。意味は『娼婦の池』。場所にぴったりの名前ではあるけれど、本当にそれでいいのかと頭をかかえたくなる。他にも街の北側には『Oksennuslä(オクセヌスラフデ)hde』なんてのも。意味はなんと『吐しゃ物の泉』。「それも魔界にぴったりだ。酒飲みが多いのだから」なんて言われたら返す言葉もないけれど。


 そんな中、常識的な名前の湖もあった。市街地から森の中の細い道を歩くこと20分。20を超える工房が水辺へずらりとならぶその場所は『Alkemistin(アルケミスティン) järvi(ヤルヴィ)』、つまり錬金術師の湖だ。


 イーダたちは今日その場所、王立錬金術師協会にきていた。今はもくもく煙を吐く建物たちの間を、ドクの工房目指して歩いている。


「私もね、結構お世話になってるんだよ!」


 潜水艦は見せつけるように、方位磁石の親玉にも見える円形の板を取り出した。時計の長針がふたつついているようなそれは、いくつも重なる円のそれぞれに、角度であったり距離であったりが書いてある。「なにかしらの方位や角度を計算する装置だ」というのはわかるが、その実態は謎のまま。


 しかしそんな物体を目にしたら、魔女の瞳など輝いてしまうに決まっている。


「なにそれ! おもしろそうなアイテムだね! 名前は?」


「これはねぇ、『Angriffss(アングリッフ)cheibe(シャイベ)』。英語だと『Attack(アタック) disc(ディスク)』、日本語だと『襲撃盤』。敵船の方位角と自分の進路から相手の進路を割り出したり、敵がいる方向と自分の進路から敵の進路を割り出したりとか、便利なやつなんだ」


「魚雷の射角計算に使うんだね。でもさ、アイノの魚雷魔法って細かく動きまわる人間に対して行うよね? その目盛りって役に立つの?」


「目盛りは役に立たないよ。これは魔法具。私はね、3分15秒間相手をとらえ続けると、必中の攻撃が放てるんだ。その時これを手に持っていると疲労が軽減されるし、すごく集中できるんだよね。さわってみる?」


「みる!」


 ぽいっと渡されたそれを両手に取ると、手にはりつくような感覚が。魔法の品であることをあらわす触感だ。円のど真ん中には赤黒い魔石も。これで魔力を供給しているのだろう。


 長針やそれぞれの目盛りをくるくるまわしてみると、てんで使い方がわからないのに頭がよくなった気がしてきた。「おお、まわるまわる」などという意味不明な感動を得ながら、イーダは潜水艦を曳航して工房街を歩いて行く。


「で、アイノ。お世話になったってことは、もしかしてこれを作ってもらったの?」


「そうだよ! 私が形を思い出して絵を描いたらね、王立錬金術師協会のみんながやたらテンション上がっちゃって」


「あはは! それで作ってくれたんだ。協会の人たちに会ったこともないけど、その時の光景は想像できるよ」


 話しながらも目線はディスクへ。説明してもらいながら執拗にまわしていく。襲撃盤も新顔の操作者の登場に張り切ったのか、この場にいもしない敵船の距離を数学教師のようにはじき出していった。


 しばらく歩きスマホならぬ「歩き襲撃盤」を体験した魔女は、「イーダ、こっちだよ」との男性の声へ顔を上げる。ドクことビオン・ステファノプロスが片手を上げてこちらを見ていた。先日サウナ室で見た時と違い、いつもどおりペストマスクをかぶっている。


 イーダは「あれだけ顔がいいなら隠す必要ないのに」なんて思いながらも、彼へ声を返した。「ドク、今日はありがとう。案内よろしくね!」


「まかされたよ。しかし……アイノは犬の散歩状態だね」


「潜水艦だよ!」


「そうにも見えるね」と無味乾燥な返答があった後、彼はふたりへ紹介するように建物へと振り返った。


(ここがドクの工房かぁ)


 おおきさは一般的な一軒家くらい。軒先には先日天界で見かけた『アスクレーピオスの杖』の意匠が彫られている。建物自体はそれほどおおきくないわりに、石造りの壁はずいぶんと分厚そうだ。屋根も補強がしっかりされていて、そこから太い煙突が3本突き出している。もくもくと煙を上げているから、きっと今日も作業中なのだろう。


「お仕事中にごめんね。とても嬉しいよ! ついに錬金術が見られるんだね!」


「今日のは大したものじゃないさ。ちょうど作っていたポーションの製造過程を見て、雰囲気だけでも味わってもらおうと思っているんだ」


 話をしながら入口を開ける。鉄の枠取りの丈夫そうな扉が、ぎぎぃときしみながら口を開ける。それがすむとさらに内扉。ずいぶん厳重な建造物だ。


「これは安全対策的ななにか?」


「うん、そのとおり。製造や実験の最中に、爆発したり激しく燃焼したり、魔力が暴走したりするかもしれないから」


 さらっと危険なことを言って、錬金術師は奥へと進む。爆発の危険性を予感した少女は、とりあえず宙に浮く友人を地面へおろし、歩くよう指示した。せまい内扉をくぐった先は、外で予想したよりは広い空間。全面石造りになっていて、3つの窯といくつものテーブル、棚がすきまなく空間を埋めている。


(おや?)


 その3つある窯がちょっとおもしろいことになっていて、魔女は目線を奪われた。なにせふいごが3つ、それぞれ勝手に動いて空気を送りこんでいるのだ。ぷぅっとふくれてふぅっと吐く。その姿はとてもかわいらしい。


「ドク、あのふいごたち、勝手に動いているよ! おりこうさんだね!」


「『ヘーパイストスのふいご』という魔法具さ。……彼らは強制労働中なんだ。国家反逆罪が疑われている」


 これはひどい言いぐさだ。さっきまで張り切って仕事をするように見えたふいごたちが、抑圧された無実の人々に見え泣けてくる。


「……あのすり鉢とすりこ木は? あっちも勝手に動いているけど」


「彼女らは『すりこ木の召使い』。賭けで作った莫大な借金を返済するため、今日も終わりのない仕事に明け暮れている」


 やはりひどい。


 イーダはドクの嘘が絶好調なのから目をそらし、別の物を見ることにした。


 部屋の中、机の上には所狭しとならべられているガラス製の器具たち。壁にはペンチのような物やはさみのような物たちがぶらさがる。無造作に置いてある作りかけのペストマスクには、なんらかの魔術がこめられているのだろうか。


 開いた空間は棚、棚、棚。薬品をその口いっぱいにならべて笑っている彼らには、あまり近づかないほうがいいだろう。取り落したりしたら大変だ。それと、床へ無造作に転がる頭がい骨は、ちょっとびっくりするから片付けておいてほしかった。


 ドクは慣れた足どりで乱雑な空間をするする進んでいき、瓶がならべられた壁の棚へ手をかける。それらが倒れないように気を遣うでもなく横へ動かすと、ガラガラと音がして黒板があらわれた。ゆらされた瓶の中、薬品漬けのトカゲや正体不明の木の実たち、誰の物だったか知れない目が陽気にダンスしはじめる。


「さ、そのへんへ適当にかけて。お茶が必要なら淹れるけど?」


 ドクがちらりと目をやる先は、器具を洗う洗面台。あきらかに実験へ流用されていた金属製のティーポットが、なにかたくらむように顔をのぞかせている。


「あ……ううん、やめとく。アイノは?」


「薬草とか目玉入りじゃないのがあれば飲むよ」


「健康にいいのに」と、ペストマスクはぼそりと言って、チョークを手に取り黒板の前へ。どこまでが嘘かわからない彼だが、ここにいる時はなんというか、より()()()な気がしてならない。そう思った魔女はクルミのように顔へしわをよせ、バックから分厚い本を取り出した。


「すみやかにお勉強の時間をはじめていただければ幸いです」


 白紙のページをめくり、ペンとインクを準備する。今日は(めずらしく)アイノも勉強に乗り気なようで、ダークグレーのコートへぐにゃりと『笑うノコギリエイ』を浮かべていた。その理由が「爆発物の登場を予感した」からであることは、魔女の知るところではなかったが、ともあれそうやって錬金術の授業ははじまったのであった。

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