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笑う天使たち 33

 シニッカが機嫌よさそうだったのは、勇者ウェンダルが死んだから。昨日サカリが彼の劇的な墓標を見つけ、先ほどそれをシニッカへ報告したのだ。


 イーダはリンナ浴場の寝椅子の上、寝転がりながら魔王の顔を見る。


「勇者の固有パークが表と裏にわかれているのを知っていて、表だけしか奪わなかったのは、これが狙いだったんだね」


「『すべての魔力を』なんて書いてあったら利用するしかないでしょう?」


「その結果バグモザイクが生まれちゃっても?」


「壊死した部位を切り落としただけよ」


 この会話を聞いたらウルリカさんは後悔するだろうな、そう思う。女神たるチュートリアルは思いもしなかっただろう。調停会議の最終日、晴天の下ついに居眠りをはじめたシニッカが、ビフレストをとおる勇者の情報へ目を落としていたなんて。


 国家守護獣、枝()み蛇たるスヴァーヴニルの力を使って。


 世界樹に噛みつく蛇は、世界樹をとおって転生する勇者の情報へ触れられる。魔王はその力を使ってのぞき見をし、時にごく簡単な改変を行える。ただし、彼女が眠っている時だけ。「眠らせる者」の別名を持つスヴァーヴニルは、自身も寝ていないと効果を発揮できないのだ。ゆえに効果を発揮するには幸運が必要で、その点において他国の国家守護獣にくらべるとひどくあつかいにくい。


 今回、魔王は幸運にも勇者の転生を目撃した。だから彼女がもたらした情報のおかげで、イーダたちも戦う前からウェンダルの能力を知っていたのだ。


「今回2ページもあったから、読むのに大変だったわ。改変もできなかったし。反省点ね」


「私も反省点があるよ。相手の能力がわかってたのに、まんまと捕まって殺されちゃったから。戦闘中に冷静でいるって難しいね」


 それぞれに失敗したことをふまえつつも、全体としてはうまくいった。「情報」と銘の刻まれた武器は時としてどの名剣よりも鋭い。相手が漏洩に気づいていない時はとくに。


「調停会議の時、シニッカが勇者の情報を手に入れてたなんてわからなかったよ。ウルリカさんが退席した理由を、あたかも推測するみたいに言ってさ。あの時には勇者転生が発生したことも、ウェンダルさんの固有パークのことも知っていたんだね」


「あんな場所で、スヴァーヴニルによって手に入れた情報を話すわけにはいかないもの。『敵をだますにはまず味方から』。あなたたちがだまされれば、他の誰かが気づくことなんてない」


「うん、私もドクも驚いたよ」


 なんにせよ戦いには勝てたおかげで、ドクは今日も魔界にいる。天使たちに奪われることなく。


「そういえば彼は? 錬金術師協会?」


「バルテリとサカリを連れてどこかに行ったわ。けんかの仲裁でしょうね。なんでも私たちがいなかった間、あのふたりが大げんかしたらしいの」


「……『今頃けんかしてたら大変だね』って、天界でドクと話をしていたよ」


 嬉しくない予想的中に、イーダはしかめっ面をした。「あらあら、言霊かしら?」と茶化す魔王へ、そもそも彼らはなんでけんかなんかしていたんだと理由を聞いた。


「理由はあなたよ、イーダ」


「えぇ⁉︎ なんで⁉︎」


「魔獣4人でお酒を飲んでたらしいのだけど、そこで『将来、イーダに誰かの仕事を手伝ってもらうか』なんて話題になったんですって。とくに最近のあなたはヴィヘリャ・コカーリの重要戦力だから」


「う、うん。頼りにされるのは嬉しいけど、私は魔女になりたいよ」


「だから頼りにされているのよ。ゆくゆくは戦場の魔女か、密偵の魔女か。辺境の魔女なんて素敵な響きでいいわね。海中の魔女は……変な言葉だけれども」


(……だけど実際にはそれが一番近そう)


 2種類の探知装置を使いこなし、舷外電路を装備した潜水魔女は、自身が変な存在になりかけている事実からとりあえず目を背けて、魔王の話の続きを聞く。


「ともかくそれで取り合いになったのよ。で、バルテリとサカリがいつもどおりけんかをはじめた、と。ヘルミは笑って見ているだけだし、アイノにいたってはあおっただろうし」


「あの4人だけじゃ制御不能だね。だからドクの出番か」


 どこでどんな仲裁をするのかわからないが、街へくりだしてもう一杯、なんてことになってなければいいけれど。魔女の心配をよそに、魔王はクスクスと笑う。


「間違ってあなたが行ったら大変ね。『今すぐ選べ』ってせまられそう」


「えー、それは困るよ。選べるなら『ルーンの魔女』とか、かっこいいのがいい」


「気づいてないのが初々しくていいわ」


「え? 名前の話じゃなくて仕事の話?」


 ふたたび「ふふっ」と微笑み、シニッカは会話をうやむやにするように目を閉じた。けれど魔女の思考はずれたまま、お仕事的な将来の話だと決めつけて進んでいく。


(けど、魔女になりたいっていっても、具体的にどうなったら目標達成なんだろ?)


 漠然とは見えている。知識を大量に手に入れて、ひとつひとつを組み合わせて知恵にする。助けが必要な状態、たとえば戦闘だったり、誰かがけがをしたりなんて時に、すぐ役に立てるような人になりたい。たくさんの食材をおおきなかごいっぱいに持って、リクエストされるまま料理を作れる料理人みたいに。


 だからまずルーン魔術と言遊魔術(ケニング)を習得し、本をたくさん読んでいる。知識と技術が必要だから。でも行きつく先は見えていない。この力でなにをしたいのかも。


「うーん、やはり定職に就くべきかな?」


「焦らなくていいと思うけれど? この世界だって生涯勉強し続ける人はいるのだし。それに少しもったいないわ」


「もったいないの?」


「勇者に比べればささやかかもしれないけれど、あなたが持っているのはずるい力(チート)よ。魔術の才能もあれば魔腺疲労もしにくい。高度な教育を受けているし、勉強をする環境も整っている。わざわざなにかに絞って他の選択肢を閉ざす必要はないわ。いっそのこと全部飲みこんで、本当に白樺の魔女――The cunningになればいい。この世の魔女の頂点にね」


「魔女の頂点か……。すごく野心的な言葉だね」


「ワクワクしてるくせに」


「む……」


 イーダは否定できなかった。知識と呼べるものならなんでも得たいと思っているのだ。とくにフォーサス固有の現象であろう、魔法については底の底まで知りたかった。なにをエネルギーの源にしているのだとか、どうやって魔素が炎という化学的な燃焼現象に変化しているのだとか。質問ができるなら魔素に語りかけ、その言葉をメモして1日をすごすだろう。


「なにからはじめるべきなのかなぁ」と遠回しに肯定してみせる。魔女の頂点に立つための知識を想像したら、やることリストの多さに混乱してきたからだ。その混乱もワクワク感によってもたらされたものだったが。


「せっかくドクがいるのだから、錬金術は知っておくべきかもね。概念と魔術がどんな形で人々の生活に紐づいているかを」


「それは名案だね! 彼に聞いてみるよ!」


「それとね、イーダ。私も解き明かしたいことがある」


 シニッカがまじめな声を出した。コーヒーを飲んでいたトントゥが顔をむけるくらいに。


「どんなこと?」


「勇者へ固有パークをあたえている張本人よ。文面からするに、勇者のことを正確に理解して、それにあわせて能力をあたえているように思えるの。その上で彼らが失敗することもふくみに持たせている。時に世界を壊しかねない力を飴玉のようにあたえながら」


「たしかに。ニーロさんの力とか、使い方を間違ったら世界に大変な影響をもたらしちゃったよね。それをあたえる存在の顔が見えないのは怖いかも」


「どうも人格を持っているようだし、人格があるなら感情もあるでしょうね。もしかしたら悪意も。こいつは間接的にだけれど、世界を滅ぼす力の持ち主よ。放っておきたくはないわ」


 世界を滅ぼす力。突然あらわれた強すぎる言葉へイーダは体を震わせた。地球で聞いたら実感などともなわなかっただろうに、散々勇者と戦った経験が「ありうることだぞ」と告げてくる。


「それは、解き明かさなくちゃね」


「この世界のためにもね」


(この世界のためか……。そうか、そういう存在の謎を解き明かして、世界を維持するのが私たちヴィヘリャ・コカーリなんだ)


 強敵――強力かつこちらへ非協力的な存在を認識したことで、逆に自分の未来へフォーカスが当てられた。そこは思っていたよりも高い場所だった。ひとりの勇者とかひとつの戦場とかではなく、ひとつの世界が舞台になっているのだから。


「私、生きる目標ができたかも」


「そう言ってくれると思ってた」


 言葉以上に嬉しそうなシニッカの返答。彼女がリラックスモードでなければ、語尾に音符の余韻すら残しただろう。上体を起こし「ん-っ」とのびをした彼女は、春のスズランのようにするりと立つ。


「さ、もう1週する?」


「そうだね!」


 少しやんちゃに足を上げ、勢いづけて立ち上がった。魔女になった理由と目的、今日の収穫はかなりおおきい。


「ひさしぶりだから何周でもいいよ!」


「のぼせないようにしなさいね」


 そう言葉を交わしながら、ふたりはまたサウナ室へ消えた。


 かたわらでじっと立っていた給仕の骨58号も、勝手にコーヒーを飲んでいたトントゥも、どこか嬉し気な顔をしてそれを見送っていた。


     ◆  ①  ⚓  ⑪  ◆


 魔界生まれではない天使でも理解している、カールメヤルヴィのルール。それは「大切な話はサウナで行われる」なんていう、ちょっとしたローカルルールだ。重要なことがらを共有する時、街の洒落たカフェや夢魔街の高級酒場ではなく、たがいが裸同士でいるこの温室こそがふさわしいのだ。


 ドクことビオン・ステファノプロスは、そのサウナ室にいた。コの字型のベンチの上、一番奥の席に腰かけて。左右には対面する形でバルテリとサカリが座っている。現在けんかの仲裁中だ。


 といってもできることなど多くない。とりあえず間に挟まって双方に言いたいことを言わせ、「僕につばを飛ばさないで」と不満を述べるくらい。もしくは「イーダは僕らの所有物ではないからね」と苦言を入れることくらい。


 その両方は終わらせてしまっているから、けんかする彼らの頭の血も下がり、兄貴分な国防大臣とクールな密偵のふたりが帰ってきていた。とどめにサウナに入っておけば万全だろう。魔界には「サウナで治らぬものはない」ということわざがある。いや、ことわざというよりもスローガンとか生活習慣とかいったほうが適切だろうけど。


「ドクはどう思うんだ? イーダは将来どんな魔女になると思う?」


 汗だくの青い狼の顔は、ずいぶん朗らかなものに戻っていた。端麗であるとか美形であるとか、そういったものに分類される彼の今の姿は、魔界ならずともご婦人がたに好評だろう。フォーサスにおいては、もちろん紳士にも。


「そうだね。今回勇者を完全な1対1で倒したというのに、彼女はまだ成長中だ。だから予想はつかないし、僕らが決めるのは野暮ってものかもね。実際、ふたりもそう思ってるでしょ?」


 ふたり、と言いながら視線をサカリへ。こちらもこちらで整った容姿。眼鏡をかけていない今の彼の姿には、いわゆる「需要」というものが発生しているのだろう。まあ彼の場合、望まれても供給を満たすことなどしないけれど。


 お風呂についてはせっかちな彼(イーダいわく「カラスの行水」)も、サウナはゆっくり入る派だから、この際ちゃんと聞いておく。


「もっともな意見だ。彼女は知識をオージンのように求め、ミズガルズ蛇のように呑みこんでいく。ドク、君の言うとおり、将来を決めるには早いのかもしれん」


「ま、それもそうか。俺らがわざわざ言わなくても、知りたいことがありゃ聞きにくるもんな」


 そうだね、そうつぶやいた天使は、ふたりからまんまと言質を取った。とりあえず魔女争奪戦争は回避されたようだ。ただ、みずから争いを調停したにもかかわらず、少し物足りなさを感じてしまう。ワイワイと騒がしいのも嫌いではないから。


(あ、そうだ)


 思考は徐々にいたずらモードへ。サウナ室の中でバサッと羽を広げる。


「秘儀、Aufguss(アウフグース)


 ばっさばっさと翼をあおぎ、100度近い室内の空気を攪拌した。一気に上昇した体感温度は、人によっては耐えがたいほど。


「熱っつ……。まあ気持ちいいけどな。いや熱っつ!」


「やめろとは言わんが、鳥の串焼きの気分だ」


「ところでさ」


 いったんはばたきをやめ、視線を集める。もうひとつ、いたずらを思いついた。


「さっきの話からすると、僕が彼女に錬金術を教えこんでもいいってことだよね?」


 高い湿度の室内へ、それにふさわしいじっとりとした目が4つ。お前もか、そんな声が聞こえてきそう。


 ばっさばっさ。


「熱ぃって、こらドク!」


「君がイカロスになる前にやめろ、ドク」


 実は自分も熱波のあおりを受けていたため、魔界の天使はこのくらいにしておこうと決めた。翼を消し、ふふっと笑う。


「ったく……」


「ふう……」


 3人ともこういう時は動かないのが一番熱くないことを知っていた。室温が落ち着くまで、しばらく黙りこむ。


 しばらくして、ドクが「出ようか」と提案しようとした時、入口のドアがきぃっと音を立てた。


 注目する3人の視界に入ったのは、黒い髪の少女の姿。


「⁉︎ あっ、ああ!」


「ようイーダ。一緒に入るか?」


「ごめんくださいましたっ!」


 ぱたん。


「ごめんなさい」と「失礼しました」のコンポジットワードを放ち、彼女は真っ赤な顔のまま逃げた。ぱたぱたと足音が遠ざかる。


「ははっ! これは意外な展開だ! 午前中にリンナ浴場へ行ってたろ? イーダのサウナ好きも極まったもんだ」


「まったく意外だ。脱衣所の服を見落とすとは、彼女らしくもない。恋は人を盲目にするというが、サウナの魔力も同じとは」


 肩を上下させてふたりは笑う。それを見ていたドクもまた、予想外の事態へ頬をゆるませた。


「僕も意外な展開に思うよ。まさかね――」


 熱い空気を吸って、ゆっくり言葉と一緒に吐いた。


「こんなとこで素顔を見られるなんて」


 透きとおる雲のような銀髪に、晴れ渡る空のような青い目。天使という種族にふさわしい、ととのった顔立ち。目元は少し眠そうで、ゆえに「なにを考えているかわからない」なんて言われることもしばしば。


 それがいつもはペストマスクの下にある、ビオン・ステファノプロスの顔だった。


 イーダに素顔をさらしたのはこれがはじめてだ。


 狭い部屋に3人の声が響く。


 笑う天使たちはその声でもって、サウナ室の温度を心地よく上げていった。


 2022年5月10日火曜日。今、魔界は春だ。

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