笑う天使たち 30
がれきが小山を作っていた。なにがどうなったのか、塔は崩壊し見る影もない。ルーン文字であらわすなら「ᛥ:ᛠ」、つまり石の墓標。ケニングなら『岩の墓標――大地の骨の冷たい寝床』といったところ。思わず手を合わせたくなる。
崩れなかった壁面の一部、鷹さ10メートルくらい位置には魔法陣のお立ち台。器用に引っかかってドクとグレースを保護していた。
イーダはそれを見上げて心配そうな顔をする。
「シニッカとウルリカさんはどこに? 生きてるんだよね?」
「永眠したよ。そのうち起きるさ」
無責任な言葉を放ってペストマスクがちょいちょいと指を指す。先にはならんで倒れるふたりの女。まだ半分くらい石の絨毯へ埋もれていた。
「イーダ、彼女たちは大丈夫だから、先にゲームを終わらせよう」
ドクはグレースの足元から檻を持ち上げながら「構わないよね?」と確認を入れた。赤髪の大天使は「好きにしろよ」とあっさり承知する。どうも彼女にとって、本題はウルリカとシニッカの対決だったようだ。それが引き分けに終わった時点で、彼女は自身らの敗北を予想していたように見えた。
魔法陣の上から落とされた檻がガシャンガシャンと石の山をはねる。ぶつかった小石が四角い鉄格子のすきまから入りこみ、内側から檻を散々に打ちつけた。派手な音を立てて転がり、くぼみへ止まった時、檻はげほっとせきこんだのように口を開く。のどにつかえた小石がころりと転がり出てきた。
「さ、お入り、リスさん。お疲れ様」
ラタトスクへ語りかけながら腰をかがめ、イーダは帽子をはずす。リスが顔をぴょこんとのぞかせて、恐るおそる外をうかがった。「これでも食べて落ち着いてね」、おやつに食べようと持ってきたビスケットを手に取り、彼のちいさい両手へ持たせる。
泣き顔の小動物はそれを震えながらかじった。あいかわらず挙動不審だけれど、逃げてしまう気配はない。そっとだきかかえ、檻の中へはなす。ゆっくり入口を閉めれば、これで勝利は確定だ。
かちゃん、ちいさな音を合図に、ゲッシュ・ペーパーは輝きを増す。勝負の決着を告げたその紙が、赤い舌を勇者へのばした証拠だ。
(……よし!)
ゆっくり両腕を上げてガッツポーズ。そらす体をそのままに、ぺたりと地面へ尻もちを。
「勝ったぁ……」
天を仰ぐ満足げな顔の魔女の前、檻の中。ちいさな動物は、ようやく恐怖の時間が終わったのだと感涙にむせびながらビスケットを食べた。
魔界で作られたゆえ、硬くてまずいその食べ物は、自身の涙で塩辛くなってよけいにひどい味がした。
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
ヒッポカムポスが2頭、それぞれに戦車を引いて迎えにきた。シニッカもウルリカもまだ起きる気配がない。しかもがれきの脇にいるのは5人だけ。勇者ウェンダルがまだ帰ってきていない。きっとひとりで悪態をついているのだろうと、イーダは彼を待たずにアトスポリスの宿屋へ帰ることに決めた。
高いところを飛んではねて、明日はきっと筋肉痛だ。そんな状態のまま天界を去るのはちょっと惜しいのか、それとも味わいきった証として喜ぶべきなのか。どちらにせよ体には疲労が残り、心には満足感が残るだろう。最高の思い出のひとつとして刻むにちょうどいい。そろそろサウナも恋しくなってきたところだ。
物思いをしていたイーダは、この『プロメーテウスの磔台』を記憶に刻もうとゆっくり見まわした。視線はうずたかく積まれたがれきからはじまり、塔の群れ、空と世界樹を経由した後、またがれきへと戻る。と、赤い髪の大天使と目が合った。
疲労で得意技を忘れたか、魔女は目をそらさなかった。かわりに口を開く。「グレースさん、ウルリカさんが起きたら、伝えてほしいことがあるんだ」
「言えよ」、天使は――今までの態度を考えると意外なことに――不満げな顔すらせず聞いてくれた。
「勇者ウェンダルさんは悪人だよ。『お前らが言うな』って言われそうだけど、本当なんだ」
「……たとえばどんな悪事をした?」
「人の死体に侮辱の言葉を投げるたぐいの行為。きっとあなたが聞いたら怒りそうな」
婚姻の守護者はふんっと鼻を鳴らす。「だろうな」なんて吐き捨てて。もしかしたら彼女は、最初から勇者の本性に気づいていたのかもしれない。
会話はそこで止まり、また静かな空気へ逆戻り。でもイーダは気にしなかった。勇者の人となりが悪いと判明したところで、ここにいる天使が味方になってくれるとは思えない。きっと敵対的な関係のままだ。グレースが警戒心を解くことなんてないだろうし、その必要もない。だから伝えたいことだけ伝えたら、それで話は終わりだし、それでいい。
上空をまわっていた2頭の獣は、がれきだらけの場所へ申し訳程度の平地を見つけ、それぞれゆっくり垂直に降下をはじめた。塔の崩壊でできた大量の土ぼこりを巻き上げ、着地する姿は月面探査船のようだ。地球人たるイーダはペストマスクの宇宙飛行士と一緒に魔王を運搬し、戦車の椅子へと収納する。見た目よりもずっと重かった青い女の腹の上、破れた服の内側には裏打ちされた金属プレートが。
(この鎧、『ブリガンディーン』だっけか? 重いと思ったら、こんなの着こんでたんだ)
金属片の表面にはルーン文字。ᛉすなわちヘラジカスゲが彫られているのは、この硬い草が水辺に入る者を阻害するのと同様に、体へ侵入しようとする刃を阻害する、なんて意味があるのだろう。
シニッカへ座席のベルトを締めながら、「こんど私も作ってもらおうかな」と思っていると、背後からつぶやきのような声がした。「アタシはウラへ伝えることがふたつできた」と。
戦いの後の厳かな空気へ合わせるように、顔をむけたイーダは目線だけで「伝えること?」と投げかけた。
「ひとつはウェンダルなる勇者のこと。あいつはまっとうな人生を歩んでこなかったんだろうし、これからも歩む気がないだろうと。……もうひとつは白樺の香りがする魔女のこと」
そう言われ、魔女は大天使のほうへむき直る。この言葉はちゃんと受け止めたい、そう思ったから。
「次に同じ勝負をしたら、その女を魔王から取り上げるようにと進言しよう。錬金術師ではなく、ましてやそれ以外のやつでもなく。巨人殺しを覚えつつある魔女は、白樺の木を足元から頂上へ進みつつあると、そう感じる。梢のてっぺんから谷を見おろす前に、樹皮から引きはがす必要があるだろうさ」
直接声をかけるのではなく、ひとりごとにも取れるような言い回しをしたのはわざとだろう。あえて遠回しに伝えられた言葉は、直接語られるよりも印象深く心へ残る。それこそ詩的な言いかえの迂言的手法が、見聞きした者へ豊かな表現を伝えるのと同じだ。
だから返す言葉もそれにならう。
「婚姻の守護者がつぶやいた懸念を、白樺好きの魔女が聞いたら、きっと誇らしく思う。だって赤髪のその人は、呼吸をする世界律であり、素敵な存在なんだから。けれど魔女は恐縮もする。木を登っているのではなく、まだ幹の下で根の硬さを調べている段階だから」
ふたりの抽象的なやりとりは、背景にひとりの人物の影をゆらめかせていた。英雄譚『青い羊皮紙』の登場人物、悪魔種の魔女『The cunning』だ。彼女が悪王の軍勢を罠にはめた時、白樺の梢の上から谷を見おろしていたと伝えられている。
天使と魔女の間にかわされた高い文脈の会話。終わるとたがいに背をむけて、頂上から別々の家を目指す。明日には高い山脈でへだてられ、別々の場所で生活をするだろう。対立国同士を分断する山のむこうに、再戦の機会を予感しながら。
だからそれ以上、グレースと会話しなかった。
ドクと戦車に乗りこんで、ヒッポカムポスの体をなでる。「よろしくね」とお願いすると、すぐに浮遊感が体をつつみ、戦車は戦場となった小島から離れていった。どんな力が働いているのか、力強い垂直上昇は視界に映るものを変える。気がついた時には塔の頂上を見おろすほどになっていた。
「イーダ、君はグレースにずいぶんと警戒されていたね。むろん当然だと思うよ。君は魔界の他の面々に負けず劣らず、やっかいだから」
ペストマスクがこちらをむいた。見えない顔へ、彼なりの賞賛をたずさえて。
「回復魔術をありがとうね。おかげで両目を開けたままこの地を去れる。……少し誇らしい気分だよ」
魔女は目を合わせてお礼を言った。不器用に賞賛を受け止めながら。
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
(くそっ! あの女、絶対に許さねぇ!)
悪態を声に出さなかったのは、もうすぐ大天使たちのもとへ戻るからだ。せっかく顔へ貼りつけた虚偽の仮面――さも残念そうな落ちこんだ表情を、眉間のしわでだいなしにはできない。怒りで小きざみに震える肩を上下にゆらしてほぐすのも、天界から出るまでは仮面をかぶったままのほうがいいと判断したからだった。
(……ああ、わかってる、冷静さが大切だ。別に捕まるわけじゃない)
ウルリカやグレースに元詐欺師だと知られることはないだろう。あの魔女がなにを言ったところで、証拠がなければ簡単に否定できるし、大天使――とくにチュートリアルがそれをしつこく追求するとも思えない。仮に知られたとしても嘘だって吐ける。その結果警戒されようが、もう明日の午前には地上へおりるのだ。
本当に隠さなければならないのは、自分の固有パークが2重になっていることだった。能力の2ページ目、『偽物の仮面』なる人をあざむく力のことだ。
勝負に賭けたのは1ページ目の『頑固な力加減』だけ。ステータス魔法で固有パークを見てみると、そこだけが空欄となっており、次のページは失われていない。ゲッシュ・ペーパーへわざわざ能力の名前を書いたのも、『偽物の仮面』まで巻きぞえに失われないよう知恵を働かせた結果だった。
(保険をかけておいてよかった。いや、むしろ負けたほうがよかったとさえいえるか)
先ほどまで怒っていた彼は、自分の成した詐欺の成果を確認し、ついついニヤリとゆるむ口元を手で隠す。自分の力を制限するパークが失われ、手元に残ったのは人をだますパークだけ。
(これで俺は「手加減なし」の状態だ)
文面はもう思い出せないが、自らへ重りを課すばかばかしい力は霧散した。今はどんな時でも――たとえ悪事を働こうとしても最高の力を発揮できる。
地上へ行ったらどうしようか。この世界の住人をどうしてやろうか。
冷静さを取り戻した勇者ウェンダルは、世界樹のおおきな影の下でほくそ笑んだ。
こうして2022年5月8日は終わった。
次の日の朝、勇者と魔王は地上へおりていった。




