笑う天使たち 26
「どこ行った⁉︎」
おおきく黒いとんがり帽子が折れ曲がった先端を左右に振る。現在最初の場所から3つとなりの塔の中。長い螺旋階段の中腹くらいで、さっきここに飛びこんだラタトスクをイーダは探していた。
(むうう、もう少しだったのに)
塔の外でツタを渡った彼女は、緑の尻尾に追いすがり、あと数十センチの位置までせまった。しかし「いける!」とはやる気持ちが魔術の集中力を阻害して、ツタがプツンと切れてしまった。あわてて塔の壁面へ飛び、細い植物の絨毯へビタン! と無様に張りついた魔女は、さながら妖怪セミ女。さらに悪いことに、そのタイミングでシニッカたちのいた塔が崩落した。
ぎゃーぎゃーと騒々しくわめく姿はアブラゼミそのものなのに、ゆれる塔へ必死にしがみつく彼女は、短い夏につがいとの出会いへ思いをはせることなど許されない。激しい夏の嵐には、ただひたすら耐えることしかできなかったのだ。
数分後、ようやくあたりが静かになってから、壁面を文字どおり這って塔の中に入った。ほっと胸をなでおろすが、おかげでラタトスクは完全に見失ってしまったことに気づく。
(シニッカは大丈夫かな。戻りたいけれど……今はだめだよね)
さすがにラタトスク追跡を放り投げるわけにもいかない。
(しかたない、今のうちに手持ちを確認しておこう)
戦う前にさんざん確認したのに、心配性なのはいつもどおり。懐から赤いベルベットの袋を取り出し中身を見る。
今回持ってきたのは8面体の特上魔石6つ。そのうち酒杯のᛣと、意味が判明していないルーンᛢのふたつはシニッカへ渡している。カルクはシニッカのことだから、うまく消費して使い切るだろうと思う。クウェアーズはルーン魔術として使用できないから、魔腺疲労の肩代わりとして利用しているはずだ。
自分の手元には年をあらわすᛄ、動産をあらわすᚠ、不動産をあらわすᛟそして英雄のᛝ。最後のひとつは先ほど消費したためすでに姿がなく、かわりにさらさらとした灰が他の魔石へかぶさっていた。
「お疲れ様、ありがとう」
ふっと息をかけてねぎらいの言葉を。他の3つを見てみると、ᛄはすでに輝きを失っている。充填された魔力を使い切っているようだ。ツタを渡る時の疲労を肩代わりしてくれたそれにも、お礼を言って袋にしまった。
イング以外はルーン魔術として使いにくい意味を持つものばかりだ。そんなものを持ってきたのにはもちろん狙いがあって、消費して特大の魔法を使うのではなく、通常の魔石と同じように魔腺疲労の抑制を意図していた。いちいち意味をふまえて魔術を考えるより、すでに使い慣れた魔術を連発できるようにと考えたのだ。しかし早々に半分が使えない。もっとたくさん持ってきたかったが、こればかりはしかたない。残りは留守をまかせたみんなに持たせてあるのだから。
ともかく作戦が必要だ。ふぇぇ、とため息をついて壁へよりかかる。つばの後ろ部分が押され、帽子がずずっと顔側にかぶさってきた。視野が真っ暗になったのを「このほうが集中して考えられるか」と歓迎し、しばらくじっと考えを練る。
(あれ?)
そこで気づく。どうやらこの塔は、ただの石材でできていないと。
振り返ってつばを上げ、壁面を注意深く見た。細い溝が石と石とを横断するように彫られているようだ。見まわすと溝が彫られていない石はなく、どこからきてどこへいくのかわからないほど。どうやらすべての石が線でつなげられていた。
(うわっ、すごい。こんなの彫るなんて大変だっただろうに。組み立てながら少しずつやったのかな?)
建築した人へ尊敬の心を芽生えさせながら、ついつい指でなぞってみる。わずかだがペタリと張りつく感触があった。スクロールを持った時の感じに似ているもので、魔力を持つ物全般にしばしばあらわれる触感だ。
(これ、魔力導線だ!)
電化製品における電線と同じ、魔力のとおり道となる魔力導線。この塔は全体へそれが刻んであった。
活用しない手はないだろう。そして自分でも意外なことに、そういう場合に活用できるかもしれない知識を持っているとすぐ思い出した。
――Pinger。日本語でいうと探信音。機器の名前は水中探信儀。そしてその知識をもたらしたのは、あろうことか剣と魔法の世界においてありえないほど異質な「黒い髪の潜水艦」だ。
それは超音波による物体の探知方法だった。生物ではコウモリが有名だろう。超音波を発信し、反響音――エコーを捕らえることで空間把握をする。暗い場所でも衝突せずに飛行できる、コウモリたちの超能力だ。アイノによれば潜水艦も同じだという。海中は暗く見通しがきかない。だから超音波を出して反射を調べることで、海底なんかにぶつかるのを阻止するのだという。
魔女はついでに、その時の会話を思い出した。
「そういえば映画なんかの潜水艦って、かならずピコーン、ピコーンって音出してたよ」
「え、そうなの? そんなにずっと打ち続けないよ。もし音の届く範囲に敵がいたら、自分の居場所がばれちゃうからね」
そして思い出してよかった。おそらく今からやろうとしていることは、相手にも自分の位置をさらす行為だと気づけたからだ。
戦いの前に話を聞いたギリシャ神話の登場人物エーコーと、そもそもここにくるずっと前に聞いたPingという探知方法。知識がむすびつく時ってなんか不思議な感覚だなぁと、イーダは嬉しそうに壁へ手をつけ、目を閉じる。
これも魔力消費がおおきいだろうからと、赤い袋を握りしめながら。
「<やまびこよあれ、ᛈᛁᚾᚷᛖᚱ>」
言遊魔術へ補助詞をつなぐ。背すじから頭へ、コーン! と抜ける感触があった。水の入ったグラスをスプーンで叩いたような、水気と透明さを感じさせるものだ。同時に自分を中心として魔法の球体が広がるのがわかった。塔の中へまんべんなく広がり内側を満たしていく。
そして、発信した時よりも1オクターブほど高いカーンという音が返ってきた。個数はひとつ。かなりひかえめな音量で。
(見つけた!)
塔の下層、地上に近いくらいの階段部分。もしかしたら階段の裏側かも。緑色でもさっとしていて、たぶん油断している、気がした。
(冷静に、もういちど)
あわてて追跡を開始するのではなく、再度魔術を行使する。今使ったのは相手に気づかれるたぐいの探知方法だ。だから相手は逃走をはじめ、位置を移動させているだろう。
出番がきたのはもうひとつの探知方法。能動的なソナーがあるのなら、受動的なソナーもある。ハイドロフォン、つまり聴音機だ。これもアイノから聞いていた。
「<コウモリの耳よあれ、ᚻᚣᛞᚩᚱᚩᛈᚻᚩᚾᛖ>」
次は自分が真っ黒い球体の中心に浮かんでいる感覚になった。そして下のほうで光点がチカチカしながら移動するのを見て取れる。速度はそれほど早くない。たぶん階段の裏の壁面に身を隠しながら走っているのだろう。
これで現在位置も判明した。追いかけっこのはじまりだ。
「<ダンパーよあれ>!」
言いながら彼女は、階段から身を投げた。風を切って落ちると、重力加速度が内臓を押し上げてくる。まずは減速のため、下の階段へ片足を引っかけると、次は横に飛んで階下を目指す。
「<のびろᚦ>!」
ジャンプの角度が悪く螺旋階段から中央部分へ押し出されたため、彼女は上の段へツタを引っかけて軌道修正をした。体を振って手を放し、スタッとおりた場所はラタトスクの近く。10メートルほど離れた壁面へ張りつく小動物は、ここからでも見えるほど総毛立たせて驚愕していた。
「逃がさない!」
効果の残る言遊魔術が馬のような速度を魔女にもたらす。革靴の音を派手に響かせ、階段を蹴り、壁を蹴り。目線の先にはあわてふためくラタトスク。壁から落ちそうになり、なんとか踏ん張って体勢を立て直す。
でもその時には、魔女の帽子が彼に影をかけていた。
「<捕らえろᚦ>!」
振り返ったリスの黒い目――なまじ動体視力がよかったせいで恐怖をさんざんに味わっている器官へ、魔女の袖口からにょきにょきのびる植物が見えた。両手を広げるようにせまるそれの速度は、自分が四肢もとい五肢をもがかせる速度よりずっと速い。恐怖のあまり涙と鼻水とよだれをスローモーションで宙に放つひどい顔の動物は、目の前までのびたいばらが交差して閉じるところへ手をのばす。
でも、間に合わなかった。
いばらの網袋の口がぎゅっと音を立てて閉じられる。網目の間からのばした腕を、だらりとたらしてうなだれる彼は、ついに捕らわれてしまったことへ絶望の涙を流す。魔女の手にぶらぶらとゆれる宙づり独房が、彼の知っている中でこれ以上にないみじめな場所だと確信していた。
「やった! 捕まえた!」
嬉しそうな声に振り返ると、意外にも魔女は若い女だった。髪の色も目の色も黒。鼻があまり高くないから、顔立ちはどこかのっぺりした印象だ。しかし満面の笑みはひまわりのようにかわいらしくもあった。
でもあのおおきく笑う口で自分を食べる気なのだろう。そう思い、ラタトスクは自身の不幸な未来を嘆く。きっとあやしげな魔女の薬で毛皮をつるつるにされ、煮立った大釜で出所のわからない草と一緒にぐつぐつされるのだ。で、街から連れてきた孤児の少年と一緒に彼女はそれを食べる。あげくに少年にこう言うのだろう。「食事をしたからには、お前は私の物だ。冥府には食事をしたら現世へ帰れないという決まりごとがあるのを知らなかったのかい?」なんてぐあいに。
そんないらぬ妄想へ陰鬱とするリスを手に、イーダは上機嫌だった。自分ひとりでなしとげたことも、たくさん魔法を使えたことも満足だ。後はこのちょっと痛そうな檻に入ったラタトスクを、グレースの足元にある檻へうつしてやればいい。
地上階はもうすぐそこだ。おおきな入り口にある上下左右数メートルもある重厚な鉄格子も、ちょうどいいことに上げられている。とおる時に落ちてこなければ、3つとなりの塔まで1分もかからない。そこにあるのは残骸なのだろうけど。
呼吸を整えてもういちど跳躍し、地上階へおりようと両足に力をこめた。
だが、それが地面を蹴ることはなかった。
真っ黒い害意が彼女の首へ届いたから。
「――ぐ! ぁぁあ!」
ぎりぎりと首をしめつけられる。正面、今の今までなにもなかった空間からのびる手によって。血流を妨げられた首の側面がドクドク音を立て、息を吸いたいのにできない苦しさが視界を黒く染めていく。
嘘だと思いたかった。が、そうではないらしい。今自分の前には勇者ウェンダルがいる。いきなり姿をあらわして、あっと思う間もなく首を絞められ宙づり状態だ。
彼女はラタトスクが入った網袋を落とし、両手で首枷を外そうとした。しかし鋼に爪を突き立てているかのようにびくともしない。
「ようクソ女。人の顔面に蹴りを入れるなんてのは『私はどんな仕返しでも受け入れます』って意味だよな? 違うか、おい」
男の表情は憎々しげに歪んでいる。声色からは怒りを隠そうともしていないことがわかる。まじめそうで礼儀正しかった勇者は、どうもこちら側の顔が本性のようだった。
「ちょっと苦しんで意識を失え。<Stromschlag>」
あえて強力な雷撃魔術ではなく、感電の魔術を流しこむ。かすれた悲鳴とともに少女の四肢がガクガクとけいれんし、見開いた目へ涙が浮かんできた。
眼球が焦点を見失い、手足は力を失っていく。
その少女の様子を見て、勝負あったと感じた勇者は、通電をいったんやめた。小刻みに震えるイーダに顔へ、侮蔑の表情を近づける。
「大人を馬鹿にするとは、とんだクソガキだ。この世にギャングがいたのなら、そこに売りつけてやりたいくらいだ。買い手がつかなかろうが、いくらもしないような臓器しか提供できなかろうがな。同じくクソなそこのリスは生きたままシュレッダーにかけたやりたい。そうできないのがまったく残念だ」
言い終わると通電を再開した。少女ははねるように脚をのばし、つぶされたのどから出る泡を口の端からこぼした。しかし拷問のような攻撃は続く。こんどは彼女の意識が途切れるまで。
ガラスの割れる音とともに、魔女の目は閉じられ、四肢はだらんと弛緩した。そんな状態の彼女を、勇者は階段から突き出して持つ。そしてもうひとこと侮蔑の言葉を投げると、ごみでも捨てるかのように階下へ落とした。
彼の表情は、座った目と閉じられた口に戻る。灰色に濁ったようなその顔は、彼――逃走中に死んだ犯罪者の本当の顔だった。




