笑う天使たち 24
円柱型の塔の上は、さながら円形の闘技場だ。胸壁――ふちをぐるりと囲む凹凸状の壁の内側には、直径15メートルくらいの空間が広がっていた。床は木でなく石造り。中空の構造を持つ関係上、通常であれば重さで崩落しかねない。建築にくわしい者が見たら、そんな構造的違和感をおぼえただろう。なのにその床は、上を歩く者へ街の石畳のようにな固くしっかりとした感触を返す。つまり通常の建築方式ではなく、魔法で建造された建物なのだ。
槍を構えるふたり、大天使と魔王にとって、それは好都合だった。派手に暴れても、木の床にくらべれば崩落する心配は少ない。塔の端、階段の横で観戦に徹している赤い髪の大天使と、ペストマスクの天使にとってもそれは同じ。自分の身の危険を過度に気にすることもなく、平常心で戦いを見られた。
「グレース、この魔法陣『強制交戦場』はどんな役割を持つんだい? 僕らが他の手伝いをできないようにしているのかい? それとも逆に、僕たちが彼女らの戦いに巻きこまれないように?」
「両方さ、ドク。アタシらは内部から外部へ干渉できない。同様に外部からアタシらに干渉もできない。アンタは錬金術師で、味方の能力を底上げするような魔術が得意だろ? だからこうやって手をつぶさせてもらった」
「そうなんだ。でも君はどうなんだい? 僕を倒して彼女らの手伝いをしないのはどうしてなのかな?」
「ぬかせ。アタシに戦闘能力がないことくらい知ってんだろ」
一見乱暴な性格をしたグレースはその実、戦いにむかなかった。婚姻の大天使は生まれつきの誓約によりしばられ、みずから暴力を振るえないからだ。蚊に血を吸われても叩きつぶせないし、動物を殺して解体するような職業に就くこともできない。なんとなれば木についた果実をもぐことだって禁止されているのだ。もちろん自分に飛びかかる小動物の前に、露店で買ったりんごを差し出すくらいのことはできるのだが。
そのかわりに、彼女は全世界の婚約や結婚を祝福するという、一個人にはすぎた力があたえられていた。これは神事の代行者ともいうべき強い力だ。だから時に横暴なふるまいを見せるギリシャ神話の神々を思わせるような、人同士を強制的にむすびつけるなんていう魔術を行使することだってできる。エンゲージをエンゲージへ、無理やり読みかえて。
「なんにしても、この戦いではアタシよりアンタのほうが戦力として重要さ。だからアンタの動きを封じた時点でアタシらに点数が入る。ついでにアタシの役目も終了ってわけだ。これも保護しなきゃならねぇしな」
これとはつまり、彼女の足元へ置かれた檻とゲッシュ・ペーパーだ。これはこれで失われると勝負が崩壊してしまうから、ついでに守られていた。
「部材を安全にしてくれてありがとう。でもさ、僕が君へ攻撃する危険性を忘れていないかい?」
「へぇ。どうやって戦うつもりか聞きたいね」
「そりゃあ……あれだよ。口から猛毒を吐いたりとか、いろいろ」
やってみろよ、赤い髪の天使はケタケタ笑った。彼女も知っているのだ。魔界に行ったこの自称堕天使もまた、みずから立てた誓約によって他者へ攻撃しないことを。
おかげで魔法陣の中にいるふたりは、いわば最高の特等席に座っていた。グレースにいたっては剣闘会を見るのが大好きだから、正直心を躍らせてもいた。目の前では「大天使VS魔王」という、フォーサスの歴史上まれにみる好カードが戦いの火ぶたを切ろうとしているのだから。
そんな彼女らの目線の先には、濃紺の髪と金髪がたがいに槍を持ち対峙している。魔王の側は身の丈ほどの斧槍。槍の穂先に斧やかぎ爪のついた、戦場で傭兵が使う長柄武器だ。ただし彼女が手に持つのは、一般的な物よりも短く軽い。対個人戦闘を意識した、取り回しのよいおおきさといえるだろう。
チュートリアルは穂先が稲妻のように波打った槍。バチバチと帯電し、打ちすえれば電撃を放つだろうと見てとれた。彼女が槍を取り出す際口にした『Κεραυνός』は、ゼウスが持つといわれる雷霆という武器の名だ。
「ねぇグレース。ウルリカのあれは四属性魔術だね? 今彼女は『空気』の属性を選択しているってわけだ」
「……根拠は?」
「いやだって、堂々と『アナクシメネスのアルケー』って叫んでいたじゃないか」
「あの喧騒の中でよく聞いていたな。そのとおりだぜ」
四属性魔術とは、四元素――地水火風の力によって魔法を発現させる方法だ。『アルケー』は元素の意。古代ギリシャでは万物の根源を意味する。アナクシメネスは「万物の根源は空気である」と提唱した哲学者だ。
考え方自体が錬金術の基礎そのものであったから、ドクが見抜いたのは当然のことだった。つまりウルリカは、戦いの前に4つのうちからひとつを選択し、それを身にまとわせて戦おうとしている。
「で、アンタんとこの魔王はどう対処する気だ? さっき槍を避雷針にしてたが、避雷針って雷のとおり道だろ? そんなもの両手に持ってたら逆効果だぜ?」
「さあ、どうだろうね……」
ビオンとグレースは魔王に視線をやった。彼女はちょうど、青い髪をゆらしながら「<カルク、空の炎の家>」と魔術を唱えたところだ。ついで言遊魔術を3つ放り、体力、すばやさ、筋力を強化した。
「後ろ3つは想像つくが……最初に唱えたあのルーンはなんの意味があるんだ? アタシがウラのを答えたんだから、アンタも魔王のを教えなきゃフェアじゃない、そうだろ?」
「秘密だよ、ルーンだけに」
「くだらねえことを……いや、予想を言いもせずに教えろってのも格好がつかねぇか。『ᛣ』は酒杯をあらわすルーンだったな。『空の炎』は雷のケニングか。それの『家』ってことはつまり……ああわかった。雷雲だろ?」
赤髪天使の冴えた予想に、ドクは肩をすくめる。当たっていたからだ。
「そのとおりだよ。君がルーンにくわしいとは思わなかった」
「アンタらと戦うからさ、徹夜で勉強したんだよ。おかげで少々寝不足だ」
ととのった顔立ちの真ん中、両目の下にうっすらとくまを浮かべながら、グレースはニッと笑った。彼女の勉強熱心な行動に観念したのか感心したのか、ドクターは「本当は秘密にしておきたかったけど」と意味のない前置きをしてから答えを伝える。
「君の予想どおりだ。酒杯をあらわすᛣのルーンに、雷雲の言遊魔術を接続したんだよ。たぶん雷撃を吸収する気だろうね」
「やつも準備完了ってわけか……」
つぶやいたグレースの元へ、ピリピリとした感触が伝わってくる。ウルリカの雷霆がもたらしたものではない。対峙するふたりの戦う意思が届けられたのだ。
青い戦意と金色の戦意。色は違えど形は同じ。鋭いいばらの形をした闘気が、たがいの足元へのびていくようにも見えた。
じりっじりっと石畳を靴底で鳴らしながら、魔王と天使は間合いをはかる。
背すじをのばし巨木のように構える天使へ、魔王は体をかがめて蛇のようににじりよる。
(……ああ、こりゃはじまるな)
そして青いほうがぺろりと唇をなめた刹那――その姿が絵の具をのばしたかのように天使へ駆けた。
――響く派手な金属音。
まっすぐ突き出した穂先は、横なぎに振られた槍先に払われる。しかしすぐさまそれを懐に戻した魔王は、さらに一歩踏みこんで天使の心臓へ牙を突き立てんと穿つ。
再び相まみえた槍先同士は、星屑のような火花を散らした。それが虚空へ消える前に、次の衝突が空を飾る。
流星の一撃が三日月に払われて、返す刀で描かれた横一文字が、敵の槍と十字を作り止められて。武骨に響く鉄同士の会話が塔の上へこだまする。そうした剣戟に、ドワーフの鍛冶屋が鉄槌を叩くような規則正しさなどない。たがいにタイミングをずらして虚を衝こうと、鉄の打楽器を無秩序に振るうのだ。
数回の打ち合いの後、魔王はいったん距離を取り、槍の石突――穂先とは逆の部位を地面へこすった。直後「バチン!」と派手に輝いて、吸収された電気が地面へ解放される。
(なるほどな。ああやって雷の力をいなしてんのか)
そして魔王はまた駆ける。低い姿勢でするすると。突き出されたウルリカの槍を穂先ではじくと、そこを支点に斧槍をまわし、石突で殴りかかった。天使はそれに籠手をぶつけて応じる。身を引いて回避することなど頭にないといった動きだった。
その短い応酬を合図に、ふたりはたがいの急所を狙わんと刃の速度を速めていった。低い位置から振り上げた魔王の斧槍がチュートリアルの首すじを狙って走ると、かがんで交わした大天使は敵の心臓へ鋭く突き入れる。それに身をよじって回避した魔界の蛇は、半身のまま首の後ろへ槍をまわし、片手で器用に心臓を狙う。しかしトリッキーなその攻撃も、ウルリカには予想済み。勢いよく手元へ槍を戻し、斧槍を横から叩いて軌道を変えた。
双方の狙いは防がれて、鋭利な長柄の先端が空気を切り裂くのみ。その場にあった酸素と窒素が分断され悲嘆にくれる間もなく、次の打ち合いへ。槍先で、柄で、石突で、時には拳で火花を散らした。
激しい応酬の結果、火の粉が満ち、空気へ引火しそうになったころ。同時に踏み出したふたりは、ガキキと柄と柄をぶつけ合う。天使と魔王はそれぞれの槍を体の前へ持ち、両手で目いっぱいに押し合った。
そんな体勢だったから、顔と顔とが近づいた。相手の瞳の表面へ、自分の表情が見て取れるくらいに。
「あなたがこれほど槍を使えるとは思いませんでしたわ。オージンから師事を?」
「あなたがそんなに鋭い目をするなんて思わなかったわ。ベルセルクに習った?」
槍の柄がぎしりと音を立てたわむほど、両者は体に力をこめた。力む腕が熱を持つほどに震え、地面へ突き立てた足は石畳をけずらんばかりだ。そうやって危うい均衡をたもつ。
戦闘はいったん膠着模様だ。暖まりすぎたその戦場へ、気を遣った空が冷たい風を吹かす。だがウルリカは赤く焼ける鉄のような闘志を心から手放さず、早々に次の一合――ぶつかり合いを望んだ。休憩など必要ない。加熱して衣服が燃え盛るまで戦いを続けたかった。
(らちが開かない……でも、こういうのはいかがかしら?)
するり。わざと半身を引き、相手の力の方向をずらした。バランスを崩させ、あわよくば一方的な一撃を無防備な相手へ叩きこむために。しかし魔王もするりとその動きについてきて、槍ごしにチロチロ舌を出して笑う。ならばと逆の半身を引くが、そろりと這うように足を運び、からみついて追従してきた。
こんなところまで蛇らしくなくてもいいのに、心ではそう苦笑しつつも、天使は顔へ不敵な――それでいて楽しげな笑みを浮かべた。魔王と戦う時はいつもそうだ。精神的に負けたくないという強がりの表情でもあるし、強敵を歓迎する戦士の戦化粧でもある。
もういちど彼女は両手へ力をこめた。事態を動かすのは自分でありたいし、その手段も準備できていたから。
「魔王、私たちはダンスをしているようですわ」
「私は踊るのも好きよ、ウラ」
「ではタップダンスなどいかが? あなたが――」
肩をこわばらせると、背中の翼が今にも襲いかかりそうな猛禽の表情に変わる。そしてそれを振りおろすのと同時に、片足を上げて魔王の腹に当てる。
「床役でっ!」
ドアを蹴り破る時と同じ無遠慮な足蹴。どしんと鈍い音がしたと同時に、目に見えるほど空気がゆがむ。風属性の魔力がぞんぶんに働いたせいだ。おかげで魔王は物理法則を無視した速度で吹き飛ばされる。野牛の体当たりのほうが、まだ手心もあっただろう。
青い女は胸壁の低くなった部分に一直線。そのままあわや転落かと思われたが、彼女はぐっと息を止め、槍を横にして持った。それを胸壁の凸部分へ左右引っかけると、バシンと音を立てて落下を防ぐ。その上、反動の勢いそのままに曲芸師のような前宙をかますと、へりの部分へ着地して見せた。
魔王はすらりと立ち上がり腹をさする。「ひどいわウラ。どうしたら私を床だと勘違いするの? 消化器系が口から飛び出すかと思った」
「……今の手ごたえ、服の下に鎧を着こんでいますわね?」
「まあね」、ふたたび舌を出し入れ。トンと音を立てて床の上におりると、小気味いいリズムで靴を鳴らして歩き出す。
「ドクに私の死因へ『内臓破裂』とか『全身挫滅』とか書かれたくないから。彼のこと、きっと事細かに私の体の損傷を記録してしまうわ。それって代々、王宮に残っちゃうでしょ? ともすれば図書館にすら」
こんな攻撃などなんのことはない、そんな所作にウルリカは少々唖然とした。魔法まで駆使した渾身の蹴りだったが、ダメージをあたえるにいたっていないのだ。
でも嬉しくもあった。まだ試していない、別の手を繰り出せるのだから。
天使は槍を構えなおした。




