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笑う天使たち 20

 プロメーテウスの磔台(はりつけだい)。ぎょっとする名前だが、それは天界において物品の名をあらわすものではなく、街の名前、とくに天界で一番おおきい廃墟を指す言葉だ。廃墟であるから通常はそこに行く便など用意されていない。しかし大天使の特権を使えば、ヒッポカムポスなりペーガソスなりがそこへ運んでくれる。


 つまり誰にも邪魔されないし、誰にも気をつかわなくていい。戦場にするには理想的な場所といえた。


「プロメーテウスもギリシャ神話の登場人物だよ。アトラースと同じティーターン神族のひとりで、人間に味方をしたせいでオリュンポス神族の怒りを買った男なんだ」


「じゃあ、磔刑(たっけい)にしたのもゼウスか誰かなの?」


「うん、彼だね。プロメーテウスは神族の特性によって死なないから、高い塔に磔にされて、鳥に内臓を食べられ続けられる運命なのさ」


「アトラースへの刑もそうだけど、オリュンポス神族のやることはなかなかえげつないよね」


 その永遠の処刑台は、なんとも寂しいところだった。浮島と表現される、大空にぽつんと浮かぶちいさな島へ、ニューヨークの摩天楼のように高い塔がいくつも身を寄せている。そこに人の営みはまったくない。


 地面はというと、島中岩がむき出しでそこへ苔がへばりついているばかり。これではきっと背の高い草花や木なんかを育てる土壌なんてないのだろう。建造物はみんな灰色。壁へツタを着飾っているのは少しおしゃれかもしれないが、それも色彩に乏しいからそう感じるだけで、アスファルトに生える雑草と同程度のにぎやかしにすぎない。


 時々鳥や小動物がやせ細った木の陰から陰へ移動しているものの、食べ物が少ないのかどれもちいさく細い個体ばかり。塔がどれも立派なせいで、よけいにさみしく感じてしまう。


(まあ、戦いの舞台としてはいいのかもしれないけれど……)


 プロメーテウスの磔台は世界樹の北側に位置する。したがって太陽が巨大な木のむこう側に隠れてしまう時間が長い。天界の別の場所、たとえばアトスポリスやアペリテオスなんかは太陽の恩恵をこれでもかというほどに享受していたのに比べ、ここは陰鬱という言葉がぴったりだ。


 戦いそのものは暗い事象だと思うが、それでもここで行われたのなら正々堂々としたものとは遠くなるように感じる。


「いたわ、あの塔のてっぺんね。ヒッポカムポスさん、あそこにおろしていただけるかしら?」


 そんな暗い場所だから、大天使の白い4枚羽と金髪はよく目立った。となりには30歳くらいの男。こちらを見やる彼の立ち姿はどこか折り目正しく、まじめそうな印象を受ける。逆のとなりには赤い髪の大天使グレースの姿も。小型の檻になにかの生物を捕えてきているようだが、あれは今回の小道具だろうか。


 そして机の上には、おなじみの筆記型魔法誓約書(ゲッシュ・ペーパー)が赤い光をたずさえて舌なめずりをしている。


(準備万端、というところかな)


 ヒッポカムポスが塔の頂上におりると同時に、魔王と魔女、そしてペストマスクの天使は荷台から飛びおりた。魔王はひらりと、天使はふわりと、魔女はぴょんっと飛び出して、固い石の上へ足をつける。出迎えたチュートリアルの顔は昨日同様戦意のこもった笑顔、勇者だろう男は意外にも悪意を見せず落ち着いた顔。そして――


「よう、魔王。次にアタシがアンタと会う時は、首を絞めてやるって思っていたが、どうやらウラと勇者がその役を担ってくれるようだぜ」


 開口一番、敵意をあらわにする婚姻の守護者。


「グレース、まだ怒っているの? 世界樹教徒はあなたのおかげで、今日も安心してお祈りできるというのに」


「アンタ以外の世界樹教徒には、平穏無事にすごせるよう願ったさ。けれどお前が婚姻する時、アタシはなにか間違ったことをするかもしれないな」


「あらあら、あいかわらずね。じゃああなたが婚姻する時は、私が魔界から祝福を贈ろうかしら」


 出会って早々収集がつかなそうな会話に、ウルリカが「およしなさい、ふたりとも」と制止を入れた。戦う前から舌戦に疲れ果てる予感のしていた魔女は、敵が行ったそれを歓迎しつつ、話が前に進むのを待つ。


「ともかく、勝負に応じてもらったことを神と魔王に感謝します。お昼はすませてきたかしら? ルールの説明にうつってもよろしくて?」


「構わないわ、ウラ。天界だから、ドクの勧めでバナナを食べてきたの。とてもおいしかったし、栄養も摂取したから、どうぞ勝負の内容を聞かせてくれる?」


 よろしくてよ、そう応じたウルリカの口から、今回の勝負のルールが説明された。戦いをはじめる空気としては少し弛緩したものを感じた魔女だったが、ともかく聞き逃すのはまずいと頭を切り替える。


 内容は次のとおり。


 ひとつ、今回の勝負は3対3で行われる、命を奪わない形の競技であること。といっても特別に防止策を用意したわけではなく、そのルールが成り立っているのは、すでにこの世にある世界律が仕事をしてくれるおかげ。天界では人が極めて死ににくいのだ。魔女もそれを魔王から聞いていた。


 今いる塔の高さは数十メートルになるだろうが、ここから落ちても死ぬことはないという。おそらく意識を失うくらいの激痛はあるのだろうが、頭がい骨が砕けることも内臓が破裂することもなく、皮膚にあざができるくらいですむ。同様に、どれだけ強力な魔術を行使したところで、それが命を奪うという結果をもたらすことは少ない。数千度の炎で焼こうが、真空状態を作り出そうが、死にいたる人体へのダメージは気絶という結果をもたらすだけで、せいぜい擦り傷切り傷が肌に残る程度だ。


 落命の危険性がゼロでないことは、昨年魔王とチュートリアルがしめしたとおりだが。


(不思議な世界律だな。どんな魔法がそこに働いているんだろう? 地上でも応用できたらすごくチート(ずるい)かも)


 ふたつ、競技の内容は『けんかあおりのリス(ラタトスク)』を捕まえること。ラタトスクというのは北欧神話に出てくるリスで、世界樹の樹上にいる大鷲フレースヴェルクと根元にいる大蛇ニーズヘッグの間を行ききし、ありもしない告げ口をしてけんかをあおりたてている生物だ。


 今回の勝負では、そんな性悪リスをプロメーテウスの磔台内へ解き放ち、それを追う。捕まえてふたたび檻へ入れたほうの勝ち。しかし殺してはならない。世界律で死をまぬがれるのは人類だけだから。


(ところで……)


 その小動物へイーダは目をむける。檻の中にいるのは猫くらいのおおきさがある、緑がかった体毛のリス。しっぽが長くて太いぶん、猫よりもかさがあるように見える。それが鉄製の檻に閉じこめられているのは、まあ理解できる。けれどとても気になることが……。


「ねえグレース。あなたが捕まえてきたってことでしょうけれど、なんでそのラタトスクは口におおきなりんごをくわえているの? 決して口に入るおおきさじゃないし、前歯が抜けなくなってしまっているじゃない」


 まさに聞きたかったことをシニッカが代弁してくれた。檻の中、重い果物に口吻を拘束されしょぼくれるラタトスクは、黒い瞳をふるふるさせて絶望し、この世の終わり(ラグナレク)を目撃しているかのよう。


「こいつはアンタと一緒で性格が悪いから容赦はいらない。森でこいつを見つけ、あおってやったのさ。『フレースヴェルグもニーズヘッグも、お前の言葉なんざ信じちゃいない。世界樹の幹を走りまわるお前の滑稽な姿が見たくって、怒ったふりをしてるだけなのさ』ってな。それで怒ったこいつが飛びかかってきたから、りんごにぶつけてこのとおりだ」


 悪い顔の赤髪の天使はもともとこの生物を好きではなかったのだろう。一瞥しさげすむような視線をぶつけると、続けて魔王へ言った。「こんどアンタにもやってやるよ」


「蛇はりんごなんてひと呑みよ?」


 魔王はニコリと口撃をかわし、ウルリカを見てルールの変更を要求する。


「ねえウラ、ルールに制限時間を追加してくれないかしら? 今日の日没、日が完全に沈むまでに決着がつかなかったら、勝負は来年へ持ち越しにすると」


 イーダは少しだけはっとさせられた。制限時間がないのなら、自分たちが不利になりうるからだ。たとえばラタトスクが巧妙に隠れ、今日どちらの陣営も見つけられなかったとして、チュートリアルたちは1年間たっぷり時間をかけて捜索し捕縛すればいい。一方自分たちは、明日には天界を去らなければならない。終了時間が決められていなければ、それで勝負ありだ。


「さすがに目ざといですわね。でも結構。追記を、ゲッシュ・ペーパー」


 要求通り内容が足され、契約書のぼやっとした輝きが少しの時間だけ強くなった。まるでため息でもついたかのようだ。「なんだ、つまらん」などとつぶやいているように感じた魔女は、契約というものは注意して締結しなければならないのだとあらためて気を引き締めた。


 なにしろ、3つ目――最後のルールは、この戦いの代償についてなのだから。

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