笑う天使たち 19
晩餐会はとどこおりなくとり行われて、イーダは少々緊張しながらも貴重な体験をした。
たとえばシニッカの外交に同伴したこと。あちこちの国家首脳陣の元をまわってあいさつをするのは予想していたが、どの国ともまんべんなく、分けへだてなく交流するとは思わなかった。
なぜなら晩餐会は大陸の縮図だったから。広い会場には本当に多くの国々の代表がいたけれど、基本的に友好国同士でかたまっている。学校でいうなら、休み時間の教室には仲良しグループがいくつもできるのと同じだ。グループ間を移動して話しかければ目立つものだし、通常そういう人はクラスにひとりかふたりいる「人たらしな」人間くらい。シニッカはまさにその希少な区分の人物だった。
休み時間はひとり本を読んですごしていたイーダにとって、少々まぶしい光景でもあった。もちろん、そこにつき従ったことで人たらしの疑似体験をできたことには嬉しくもあったが。
その最中に気づいたこともあった。やはりというべきか、各国首脳の立ち振る舞いが常に優雅だったことだ。ここにいるのは国家を代表してきている選ばれた人々。品のよい飲食物を前にしていても、酒で乱れたり、食事を腹に詰めこみすぎたりする人はいない。みんな余裕をもって他者と会話し、笑顔を浮かべ、一定の距離をたもっている。礼儀作法というものが会場全体に行きわたっているようで、魔女は「世の中にはこんな世界があるんだ」などと少々戦慄すらしていた。
ペストマスクで表情を隠せたのはよかったといえる。そうでなかったら、自分のような平民がいるにはまぶしすぎる場所に、きょろきょろキョドキョドとしてしまって落ち着かなかっただろう。
でもやはり、一番嬉しい経験は――
「おお! イーダではないですか! お元気でしたかな?」
「あ! アール!」
こんな世界の頂上みたいな場所で、知り合いと再会できたこと。
「お変わりなく、いや、ますます可憐になられましたかな?」
「『お世辞でも嬉しいよ』って言える機会をあたえてくれて、ありがとう、アール」
「ははは! その言いかたはまさしくこの世界になじんでおりますな! 結構けっこう」
「そうかもね。そっちは変わりない?」
ちょうどシニッカと別れ会場を出て、つまみ食いにいそしんでいた時だったから、きらびやかな雰囲気へ気をつかう必要もなし。赤い鱗のドラゴニュートと、しばし歓談する時間があった。そのおかげで、彼がどのような生活をしているのか少しだけ知れた。
アールはあちこちに出張することが多い勇者なのだそうだ。彼の所属するルーチェスター連合王国は、名前のとおりいくつかの小国が集まっている。ゆえにそれぞれの国ごとに勇者だっている。アールは女王直轄の国に遣える唯一の勇者。つまり連合王国の顔だった。
「赤い鱗」「戦場のバグパイプ」「海峡の守護者」「レッドキャップを青ざめさせる者」「はにかむ者」などなど。彼の異名の数は北欧神話のオージンのよう。そんな高名な人だから、当然出番だって多い。くわえてあそこは妖精の国。悪い妖精も勇者の数が足りなくなるくらいに多くいる。
「ちょうど国のあちこちで、ナックラビーとレッドキャップのたぐいが暴れておりましてな。まあ、春の嵐か梅雨雨のように季節的なものもあるのです。暖かくなると顔を出すのは、新芽だけではないということですな。人手というのは、いつだって足りません」
「勇者がたくさんいても足りないくらいなんだね。そういう妖精って、やっぱ害獣あつかいなの?」
「ええ、本質的には害獣です。我々が妖精と呼んでいるだけで」
そんなモンスター退治に忙しいから移動手段が必要になる。ゆえにレッドドラゴンは彼に貸しあたえられている時間が長いのだそう。「赤い竜を駆る姿が目立ったおかげで、国内では少々有名になれました」なんて胸を張る元日本人は、胸にいくつもの勲章を輝かせていた。イーダがそれに興味をしめすと、彼はひとつずつ(誇らしげに)解説まで入れる。
実際のところ、アールは為政者にとって模範的な勇者だ。都合がよいと言いかえてもいい。強い武力を世界に気をつかいながら行使し武勲を立てる割に、政治のたぐいにはまったく関心がない。権力が欲しいのではなく、ちょっとした名誉と勲章が生きがいであり、ドクに定義させれば「主食は誉れだよ」と表現されるのだ。だからか、所作は友好的な雰囲気を体中にまとわせて、非常にやわらかい。
20分が経過しても、ふたりは会話に花を咲かせた。この日、同郷のふたりで杯をかたむける機会があったなら、一晩ではすまなかっただろう。この世界ですごした時間だけでなく、生前の生活だって話題になりうるのだから当然だ。魔女はアールが何県の出身か聞きたかったし、竜人のほうもイーダの生前の生活に興味があった。そこにはおたがいが同じ陣営にいないがゆえ発生するだろう「探りあい」のような感情はまったくなく、ただ外国で日本人にあった時と同じ安心感を経由した親近感のみがあった。
そんな楽しい時間を終わらせたのは、ルーチェスターの勇者の目へ遠くにいる魔王が映ったからだ。こちらを見て微笑んで、小首をかしげるその所作に、アールは「そろそろイーダをこちらへ返して?」と言っているのがよくわかった。
「イーダ、あなたの王がお呼びのようで」
「あ!……話しこんじゃったね。私は行くよ!」
「ええ、ではまたどこかでお会いしましょう」
「うん! ありがとう!」
迷いなくきびすを返し小走りで去る後ろ姿に、竜はいまさらながら「その帽子は?」と聞きそびれたことを思い出す。プラドリコのあたりへ出かけた際、そこで「魔界の魔女が勇者を討った」といううわさを聞いたのとともに。
(ふむ、プラドリコのあたりで活躍したといううわさは、どうやら本当であったか)
女王に仕えるという彼本来の立場なら、他国の戦力分析や情報収集をかねておくべきだっただろう。なのに彼はそういう小難しいことを考えず、「人生を楽しんでいますなぁ」と長い口の端を上げるだけだった。
ただしその顔は、魔女と魔王とペストマスクの天使が、女神たるチュートリアル――大天使ウルリカの元へむかうのを見て驚きに変わった。
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
「こんばんは、ウラ。1年ぶりね。元気にしていた?」
「ごきげんよう、魔王。もちろん2回目の人生も謳歌していますことよ?」
1年前、敵対関係にある彼女らふたりの接触に、晩餐会へ参加した者たちは、嵐の前に風でゆらされる草原のような音を立てていた。ざわめきというやつだ。ふたりが対立していることなど誰しもが知っていることだったが、彼女らが一緒にお茶を飲む光景など誰も予想しえないことだった。
「よかったわ。私にはあなた以外の人間が転生勇者案内人をやっている姿なんて想像できないし、できればそうなってほしくなかったから。去年と同じ、素敵でいてくれて嬉しいの。あなたがそうあり続ければ、私も素敵でいつづけられるのだし。そうでしょ、ウラ?」
「ふふふ、ありがとう、魔王。しかし、うっかりしていましたわね。去年死に際に言われたその概念を忘れたわけではなかったのに、私としたことが」
「どうしたの?」
「病気やけがのひとつでもしておけばよかったかしら、と」
そして今日も、笑いあう魔王と大天使に対し、とりまく全員が嵐の予兆を感じていた。去年なにが行われていたのかを晩餐会に参加するほとんどの人々は知らない。けれどなにもなかったなどと思っている者はひとりもいない。
でなければ、女神たるチュートリアルの目があれほどまでに戦意で輝いているわけがないのだから。
しばらく笑顔をむけあっていたライバル同士は「はぁ~」と満足げなため息をつくと、本題へにじみよるように会話を続けた。
「ねぇ魔王。他者がみずからを映す鏡だとするのなら、自分自身で鏡を磨くことへ抵抗などない、そう思わなくて?」
「同感ね。硬いりんごをかじらなければ、あごは細くなっていくもの。魔界には『Teroita terä vihollisen terällä』なんてことわざまであるのだし」
「ベルセルクのような言葉ですわね。あるいはヴァルキュラかしら。どちらにしても、私とあなたは共通認識を持っているようですわね。『目には目を、歯には歯を』は罰に対する言葉ですけれど、きっと私たちは間違えて『牙には牙を』と解釈するのでしょう」
「ええ。『ふりそそぐ火の粉を払わなくてはならない』なんて言葉どおりに、受け身ではいられないもの。みずから火打石を使わなかった北欧神話のアース神族が、火の巨人たちになにをされたか、私は理解している」
危うくて、不穏で、それなのに楽しそうな雰囲気で会話は進んでいく。車輪に火のついた馬車で坂道を下るレースのように。それぞれの御者は笑顔で手綱を握っているのだろう。友好関係をむすぶために用意された晩餐会場で、手袋を投げあうふたりの姿には狂気すらただよっていた。
当然、その火だるま馬車に同乗する者たちなどたまったものではない。とくに先ほどまで舌鼓を打って、同郷の者との会話に花を咲かせていた魔女にとっては。
(ああ、怖い……)
どこかの組織の重要人物とシニッカが話す時、その横にいた自分はよくそう感じていたと思い出す。視界の端で「ほほう、今年もか」と笑顔をギリッとさせているラウール2世と会った時もそうだった。帳簿と部下の心を読めるあの武人は、現在の状況をどう読んでいるのだろうか。
(でも、今回もうまくやれる……はず)
「……たぶん!」とやけっぱちなひとことをくわえたくなる気持ち、それをぐっと我慢しながら、イーダは目の前の敵を観察する。白い肌と魅力的な体つき、整った顔とつややかな金髪が、4枚の翼と一緒に「これが大天使だ」と主張してやまない。でも一番驚異的なのはその輝く瞳だ。
キリっとした眉の下で夜空の星のように光を放つ双眸は、線を繋げて「戦槍座」でも描きそうな印象を受けた。それは害意でもなければ悪意でもない、純然たる戦意というものを強く放射させているから。今まで戦った敵たちの瞳にあった、敵意が燃えているようなものではなく、魔王に対する敬意という安寧の夜闇を背景にしているように感じるのだ。
つまり、相手は油断してくれないだろう。だから怖い。
(どんな戦いになるんだろう)
ここにくる前、シニッカは「もしかしたら命以外のものを賭けることになるかも」と言っていた。本来天界では人が極めて死ににくいらしい。それは世界律が働いているおかげで、争いや事故による負傷は劇的に軽減されるからだ。昨年のシニッカのように魔法誓約書を使えばそれも無視できるが、シニッカは「たぶんグレース――ウルリカの親友の大天使が、性格的にそれを強くとがめただろうから、今回は命のやりとりがおこらないかも」と予測していた。
そんな予想をもってしても、今目の前にいる敵は容赦なく自分たちへ襲いかかりそうな雰囲気がある。ライバルとの再戦を1年間ずっと楽しみにしていた、そんな顔をしているから。
「ところで魔王、明日お時間はありますこと? たとえば勇者様と私、それにグレースを交えたチームと、なにか試合をするような時間は」
「お誘いありがとう。もちろんよ、ウラ。あなたが調停会議を途中で退席したのは、やはり転生勇者があらわれたからだったのね?」
「ええ。このような絶好の機会は2回とないでしょうし」
「神の思し召しかしらね。場所と時間を聞いても?」
「正午に『プロメーテウスの磔台』で。あそこには誰もいないから、勝負の舞台としてうってつけですわ」
大天使の提案に、魔王は「わかったわ。じゃ、明日ね」ときびすを返した。女子高生同士が休み時間に遊びの約束をとりつける、魔女にはそんな光景にも見えた。でも交わされたのは決闘の約束だ。
(今晩、眠れるかなぁ……)
そんなことを思っているのに、魔王に続いてその場を立ち去る彼女は、眠れない理由がなんなのか意識していない。
それが実は不安ではなく、彼女なりにいだく戦意が脳を興奮させていることにも気づく気配がない。
ただ、不気味なペストマスクと誰が見てもわかる魔女の帽子を身に着け、しっかりした足取りで魔王に続く彼女は、その見た目の特異さでもって晩餐会の出席者へ「ただ者ではない」と印象づけていた。
2022年5月7日は終わろうとしている。
明日は戦いの日だ。




