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笑う天使たち 18

 日記の真っ白いページを丸々1枚使って、シニッカの小話「Kukka and cup, chip of life(クッカとカップと命のチップ)」の概要をまとめておく。口に出してみると、とても心地いい響きの題名だ。


 なかなかに興味深いお話だった。物語にはわかりやすい勧善懲悪と知恵比べのテイストが盛りこまれていたし、最後にすとんと落ちてくる明確な答えは気持ちいい。注意深く見てみると、時々北欧神話らしきニュアンスの概念が出てきて、少々高い文脈も楽しめる。それは視界をさえぎらない程度の山脈がその情景へ描画されているような感覚だ。ついでに本文とはまったく関係のない、遊び心で入れられたとあるしかけも。これに気づけた時、少し胸を張りたい気分になった。


「魔王っていろいろな人がいるんだね。11代魔王カニングも16代のクッカ=マーリアも、すごく頭がよさそう」


「魔王は魅力的でないとね。魔界というブランドのロゴマークみたいな存在だから」


 魔王っていう肩書を持つ人は、みんな曲者なのだろうか? シニッカの小話を思い出しながら、イーダは残りの歴代魔王の人柄も知りたくなっていた。学校でクラスメイトがアイドルグループの話をしているさい、話題は彼らの人となりだけじゃなくて詳細なプロフィールまでおよんでいたのを覚えている。転生後の魔界では、魔王がその役を担っているようにも感じている。その感覚は、きっと遠からず当たっているんじゃないかとも。


「なんかこう、『すごく戦いが得意!』みたいな魔王もいるの? 人生が英雄譚になっているみたいな」


「いるわ。8代魔王タピオ2世とかまさにそうね。地球でいうとベーオウルフのような人だったわ。老いてなお領地を荒らす害獣と戦い続け、ついには戦いの中で命を落とした英雄。パハンカンガスの奥地には彼の没地と記念碑があるのだけれど、私もお墓参りに行くの。やすやすと行けないところだから、時々だけど」


「タピオ2世の記念碑って図書館の横にあったよね。あの人はそういう魔王だったんだ」


 もうひとつ興味深いのは、どうやら魔王という存在は女性のほうが多いらしいという事実だ。だいたい全体の3分の2くらいが女性なのだそう。日本では天皇陛下も首相も男性ばかりだったから、それに比べるとカルチャーギャップを感じる。もっとも、地球に比べて同性でも子どもをもうけられるこの世界では、性別という区分はあらゆる分野でひかえめに登場するだけだけど。


「……僕も知ってるよ。魔王パラペチャッニ33世はザリガニを主食にしていた」


「ドク、『何世』の部分が歴代魔王の数より多いよ……」


 今回天界へ赴いた3人も、2対1で女性のほうが多かった。これだって自然なことなのかもしれない。


「さあ、そろそろ私たちもクッカよろしく、晩餐会の会場へむかいましょう。迎えの半魚馬(ヒッポカムポス)がきているはずよ」


 ともあれ話題は変わり、その3人でこれからむかうのは晩餐会の会場だ。もう夕方は終わりを迎えようとしている時間帯なのだ。


 イーダは日記をぱたりと閉じながら、新しい生物の名前を確認することにした。


「ヒッポカムポス?」


「うん、前半分が馬、後ろ半分が魚の生物だよ。ギリシャ神話の神、ポセイドーンの戦車を引いていた生物だね。半分魚だけど、天界では空を飛んでくれるからご心配なく」


 新たな生物の登場に、新たな体験の予感。


「そうなんだ! 楽しみだらけで困っちゃうね! ところでドク、ヒッポカムポスは『なにを主食にする』の?」


 ついでにドクへ嘘の督促を。


「あ、うん。主食はウンカイクロマグロだよ。ヒッポカムポスは超高速で飛びまわるその魚をしとめるため、時々魚雷を撃つ」


「……バラバラになりそう」


「ひとくちサイズだね」


 虚偽の会話を楽しみながら宿泊施設のホールへ。かしずくお世話係の天使さんたちへ会釈をし、玄関を出て階段をおりる。


 するとそこにはピッポカムポスがいたのだが……イーダの目はそれよりも他のものへ釘付けに。


「や、ヤバイ! 星空ヤバイよ!」


「あら? ここ数日、ずっとそうだったじゃない。今日まで夜空を見ていなかったの?」


「ね、寝ちゃってた……。だって早寝しないと次の日を楽しめないと思って」


「どうりでやたら早く寝室に行っていたわけね……」


 あきれ顔の魔王を尻目に、イーダは天界の星空の圧倒的な光景に飲みこまれていた。最近なにかを見上げる時、せっかく閉じるように進化していた口も半開きを思い出してしまう。


(色がヤバイ……)


 地上での星空も、日本では見られないほど見事なものだったのだが、雲の上、宇宙が近い天界で見るものは情報量が違う。ひとつひとつ色の違う星が天を埋めつくし、そこへこれまたグラデーションの綺麗な星雲がいくつも浮いているのだから。


 転生前、ハッブル宇宙望遠鏡で撮られた写真を見たことがあった。それは夜空を写したものというよりも、宇宙そのものを写したものだった。地上で見るのと宇宙で見るのではそれくらいおおきな違いがある。


 そういえばハッブル望遠鏡の次世代機、ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡はもう打ち上げられたのだろうか。パンデミックがらみで延期になっていたと聞いているが、その姿を見ることなく死んでしまったから心残りといえば心残りだ。


 むろん、今日のこの光景に勝るものなどなにもないけれど。


(もっと早く見ておけばよかった……)


 口を開ける少女へ、ピッポカムポスまでもが「ブルルッ」と乗るよう急かしたので、3人は戦車の荷台へおさまることになった。しかしそこは気の利いた天界生物のこと。いつもより高く丁寧に空を飛ぶことで、魔女の心へ忘れられないひとときを提供するという、一流の仕事をやってのけた。


     ◆  ①  ⚓  ⑪  ◆


 空を行くこと数十分。満天の星空の航行も、もう少しで終わり。アトスポリスから東にある、アペリテオスという街に到着するところ。天界の中でも暖かく人気が高いその街には、多くの別荘なり社交場となる施設なりが立ちならんでいて、今日はそのひとつで晩餐会が行われるのだ。


 ようやく夜空から目を離した魔女は、後ろ髪を引かれながらペストマスクをかぶる。その両目のガラスごしに遠くの街並みをのぞみながら、あらためて今自分たちを運んでくれている半魚馬へ目を落とした。


「天界っていろいろな種類の生物が人を運んでくれるよね。スリーズルグタンニは天界と地上をむすぶ役割だけど、他の生物も種類ごとに役割が決まっているの?」


「多少はあるよ。でも馬車を買って運送の仕事につく人たちは、わりと外見で選んでいる気もするね。極論、天界の街と街をむすべればなんでもいいからさ。それに身分なんかで分類されていることもないよ」


「そっか。スレイプニルなんかは身分の高い人が乗っているんだと思ってた。地球だと……リムジン的? なやつ」


「たとえば『消防車がわりに使うならこれ』みたいなものもないわ。物を運ぶ時、体のおおきい個体が選ばれるっていうだけね。ボルボだろうがサーブだろうが、車は車でしょ?」


(ボルボ? サーブ?)


 話の内容からするに、地球の車のメーカーだろうか。そう思う前に「それって地球の車メーカー?」と、口が勝手に質問していたのは、この魔女の生態に違いなかった。目の前に転がっている知識へ反射的に舌をのばすさまは、エサが目の前にきた時の魚なんかと同じだ。


 その後魔女は、ボルボとサーブが北欧はスウェーデンの車メーカーであることと、サーブが戦闘機を作っていることを知った。それに驚いた自分へ「三菱だってそうじゃない」と日本の知識があたえられ、もっと自分の故郷を知っておけばよかったと少し反省している間に、ピッポカムポスは豪華な屋敷の上空へ。「どうせなら別の知識を得たかった」と思う心は、新しいランドマークの登場で一瞬にしていなくなる。


 見おろす先には、サッカー場なら4面は取れそうな広い芝生の庭、楽しそうに水を吐くおおきな噴水、そしてレンガ造りの建造物。


(あれかな? すごいおおきい)


 ヒッポカムポスが高度を落として行くたびに、その解像度は細かくなっていって、入口へおり立つころにはここが特別な場所の中でも飛びぬけているのだと確信できるほどになった。


「おおっ! 予想どおりすごい場所!」


 そこは屋敷というよりも宮殿に近い、豪奢な建物だった。噴水を前にして、レンガ造りの3階建ての建造物が巨人のように両腕を広げている。左右の鐘楼は城郭を思わせるほど重厚感があり、それをつなぐ回廊は片腕分だけでもカールメヤルヴィ王宮がすっぽり入るほど。中央部は鍛え上げられた戦士の胸板のように堂々としている。


 そんなふうに力強さが伝わってくる建造物だが、しかし窓や屋根の装飾は細かく、そしてきらびやかだ。とくに中央部のてっぺんへ兜のようにかぶせられた円形の屋根が、星空を反射して輝いているのには目を奪われた。


「ここが天界でもっとも有名なお屋敷、『アトラースの胸像』だよ。イーダ、アトラースは知っているかい?」


「ううん、知らない。でもギリシャ神話の登場人物だってことはわかるよ」


「そうだね。アトラースはゼウスたちオリュンポス神族と戦った巨人、ティーターン神族のひとりなんだ。とても力強く、ゼウスたちもおおいに手を焼いたらしい。で、戦いに負けた彼は罰を受ける。それが『天が落ちないように支える』って責め苦さ」


「そうなんだ! どうりでこの建物が星空によく似合っているわけだよ」


 とすればこのお屋敷も、永遠に天を支え続けるのだろう。でも責め苦となるとちょっと気の毒な気がしたから、魔女はこっそり「どうか彼が行いにふさわしい賞賛を受けますように」なんてお祈りをしながら、建物入口にある階段をのぼった。そして薄情なことに、入口から中へ入った瞬間その巨人を忘れ、マスクの下で目を輝かせた。


 晩餐会を彩るあれやこれやは、どれもこれも魔女にとって新鮮だ。白く清潔に輝くホールの床も、赤いじゅうたんが敷かれた階段も、中で棒高跳びをしてもよさそうなくらい高い天井も。「どうぞご自由にお食べください」なんて具合に銀の大皿へは果物やら菓子やらが山積みになっているし、あちこちにいる給仕はお茶なりお酒なりを笑顔で振る舞っている。信じられないのは、ここはただの入口であり、会場は2階の大広間らしいこと。じゃあそっちはどれだけ豪華なのだろうか。


(これを見たら、この世界が()()ヨーロッパとはいえないな)


 どう考えても、この晩餐会のサービスレベルは現代か近代のものだ。歴史ある建物の中で行われているというだけで、誰も手づかみで肉をほおばらないだろうし、テーブルクロスで手をふいたりしないだろう。おかげでワクワクする反面、ちょっと不安に思うことも。


「ドク、私テーブルマナーとか知らないよ?」


「席について食事をする感じじゃなくて、自由な交流を優先する立食パーティー形式だから大丈夫。あと、僕ら従者は会場以外で食事をするようにね。別に決まったルールがあるわけじゃないけど、そういう雰囲気だから従うのがよいと思う」


 小声で「聞いておいてよかったよ」とつぶやく魔女へ、魔王は振り返り「別にテーブルからテーブルへ食べ歩いてもいいのよ?」といたずらな顔をした。


「あ……。ううん、怖いからおとなしくしとく……」


 視界の隅にネメアリオニア王国のラウール2世――巨躯とギリリと笑うむき出しの歯を持つ武人の王を見つけたことで、イーダはしばらく借りてきた猫のようにすごそうと決めたのであった。

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