笑う天使たち 15
苦痛の時間は長く、楽しい時間は短い。最近その現象を「相対性理論で説明できる」と思いこんでいる魔女は、3時間が光のごとき速さで過ぎ去ったことに気づいていた。彼女がもう少し宇宙天文分野にくわしければ、夕焼けとは飛び去る楽しい時間がおこす赤方偏移によって発生すると結論づけもしただろう。が、今の彼女にとって目の前、机の上で湯気を立てる赤いミートソースのスパゲッティのほうが重要だった。もしかしたらそれが赤いのは、「食べごろ」という概念が遠ざかっているからなのかもしれない。
なにせそろそろのびそうだ。
原因は天使たち、とくに子どもたちからの質問攻め。
「魔王様ってなに食べてるの? 蜜酒の山羊を丸のみにするって本当?」
「え、た、食べないよ。魔王様はそんなにおおきくないからね」
「僕たちが悪いことをすると魔王様がナイフを持って食べにくるって、お母さんが言ってたけど、あれ本当?」
「ええとね、その……いい子にしてないとそうなっちゃうかもね!」
「こわぁい!」
人の輪にかこまれる経験の浅い魔女は、しどろもどろという状態異常がぴったりな顔で子どもたちに対応していた。こんな時にどんな話をしていいものやら、どんな顔をしていいものやら、スパゲッティにいつ手をつけていいものやら、さっぱりわからぬままで。
しかも大人たちからはするどい質問が飛んでくることも。
「実際のところ、魔界では人間をどうやって食べるんだ? 食堂に『罪人の釜茹で』ってメニューがあるんだろ?」
(ないよ!)
ないけれど、人を食べるというのは……当たっている。ごくまれに、だけれども。それをどう伝えたらいいのだろうか?
魔女が答えに困窮していると、よせばいいのに魔界の天使がほらを吹く。
「罪人へ塩コショウをふりかけて、深い森へ放つんだ。魔界は寒いから、みんなほら穴に集まっちゃう。そこに火を放っておどり食いするんだよ」
「こわぁい!」
(怖い!)
若干「ありうる」と思わせるのがなんとも生々しくて、子どもに混じって魔女も体を震わせた。もしシニッカの口から聞いたのならば、本当だと信じてしまいそう。というかここにいる天使たちはドクが普段から嘘をつくと知らないだろうから、結構な割合で信じているのではないだろうか。
(教育に悪い……)
さんざん悪い連中から教育を受けてきたにもかかわらず、魔女は自分を棚上げした。ついでにこのタイミングこそがスパゲッティをおいしい温度のまま味わうチャンスだと感じ取り、フォークへ手をのばす。が――
「魔界ってずっと夜なのかい?」
タイミング悪くイーダでも答えられる質問が。
「え? ううん、ほとんどのところは違うよ。でも北の方、魔王城なんかの冬はそんな感じ。極夜っていって2か月くらい太陽がのぼらないんだ」
反射的にそう応じてしまい、ああしまったな、と魔女は硬直する。これじゃ「質問してください」と言わんばかりだ、なんて。
「魔王城があるのかい⁉︎ さぞ怖そうな見た目なんだろう?」
その問いには、麻痺した魔女にかわってペストマスク男が反応した。「うん、そうだよ。しかも敵が攻めてくると人型に変形して戦いはじめるんだ」
「どうやって戦うの?」
「中腰になって、足元にある毒の沼を両手でバシャバシャかけてくる」
「こわぁい!」
(怖いかな、それ……)
そんなこんなで質問は途切れることもなく、しかも半年住んでいた魔女が答えられるものも多かったから、皿の上のスパゲッティは状況が予断を許さなくなってきたとさとりはじめた。その予感は的中し、魔女は魔界のお祭りやら冬の過酷さやらを解説することになり、20分ほど後になってようやく昼食へとむきあう。
結果彼女は、のびて固まって死にかけの表情をするパスタと対面する羽目になった。
(……ん? 意外とおいしいぞ?)
そしてそれですら魔界の食事にくらべ星の数がふたつほど多い事実へ、からまった麺のように複雑な感情をいだくのであった。
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
お昼ご飯の後、イーダたちは観光に出かけた。時間は多くないからアトスポリスの名所紹介のような形になったが、美術館、博物館、図書館に劇場と、どれもこれもが広くておおきくて立派な施設だった。名残惜しかったのは公衆浴場だ。街のあちこちにあって、そこから出た人たちがそろって空へ舞い上がりそうなほど軽やかに歩いていたから、どれだけよい場所なのだろうと想像をふくらませてしまった。
もっとも魔女には「彼らは本当に宙へ浮く」というあたりまえの想像力が不足していた。そうなったのは、「翼はしまえる」という天使の生態に気を取られていたからだ。今までドクが寝る時は「いつもうつ伏せなのかな?」と勝手に思っていたが、翼は魔法でできており自由に消せるとのこと。そうでなかったらいろいろなシーンで不便するに違いないだろうから、その生態は納得できた。
(じゃあミミズクのカルロス王はどうやって寝ているんだろう)
決して本人には聞けないので、こんど魔界の鳥人に聞いてみようと心に決めた。
そんな彼女が今いるのは、小高い丘の上。観光名所になっている、とある神殿跡だ。
「ここが『鋳造の神殿』跡だよ。二千年以上前の建造物で、ヘルメースを祀っていたんだ。今はただの観光名所だけどね。本当はこの神殿のとなりにおおきな造幣局があったんだけど、過去の大火で被害を受け、取り壊されちゃってる」
ドクがそういって指をさしたので、イーダは神殿の奥側を見た。平らに整地されていて、たしかに昔は建物があったことをうかがえる。そちら側の神殿の柱はかなり汚れて見えたから、火事の煤が落ちずに残っているのだろう。
「なんかもったいないなぁ。鋳造の神殿なんて名前がついているのは、その時の名残なんだね」
「うん、そうさ。……鋳造された硬貨には鋭利なとげが4本生えていて、強盗に遭った時は武器として使えたよ」
「危ないよ! 嘘はよくないからね」
「実際怪我をした人が多くて、みんな造幣局へ怒っていたから放火されたんだってさ」
「それらしいエピソードを入れてもだまされないからね」
たしなめる言葉へ、ほら吹き天使は「む……やっぱりだめか」とつぶやいた。本当にだます気があるのかないのか判然としないが、半年くらいその嘘を聞き続けている魔女はもう慣れっこだ。というより、嘘が混じらなかった時に「いつものは?」という顔をしてほら吹きを督促することすらあった。毎度まいど、荒唐無稽な話をよく思いつくものだと関心もしていた。
だからついでに聞いておこうと、神殿の正面、梁の部分へ彫られた紋章を見上げる。どこかで見たことのある、翼の生えた杖に2匹の蛇が巻きついている意匠のものだ。
「あの紋章は? 私、あれ地球で見たことがあると思う」
「伝令使の杖だね。ラテン語だとカドゥケウス。ヘルメースが持っていた、いろいろなものの象徴になっている杖さ。商業や錬金術、医療や平和やその他もろもろ。地上では商業とか交通の意匠として使うことが多いかな」
「カドゥケウスって聞いたことある! あれがそうなんだ……」
いったんは感動するイーダだったが、ちょっと考えると、どうもしっくりこなかった。生前絶対見た意匠のはずなのに、商業や交通の意味で記憶していなかったはずだ。自分のおぼろげな記憶とドクの回答が一致せず、気持ち悪い思いをすること数秒、同じく観光にきていた天使の親子がそろってくしゃみをしたことで思い出した。
パンデミックを伝えるニュースの中で、嫌というほどあの紋章を見た気がする。となるとその組織名は決まってる。
「世界保健機構! たしかそうだよ! ええとね、ドク。地球には世界保健機構っていう、健康とか医療とかの国際機関があったんだけど、その紋章だったかも!」
クイズの回答がわかった子どものように、興奮気味にはしゃぐ魔女。
「それはたぶん『アスクレーピオスの杖』だよ」
間髪入れずに訂正を入れる天使。
それを受け、魔女は「え⁉︎」と硬直した。
理由の半分は恥ずかしかったこと。どうやら自分は間違えていたようで、ふんすと鳴らしていた鼻息が頬を染めて天界の空気へそそくさと溶けこんでいくのを感じる。しかし彼女が間違ったのも無理はない。実際、地球でも両者はしばしば混同されるほど近い存在なのだ。
と、それも重要なことなのだけど、やっぱり気になってしまったのがもう半分の理由。
「それ、地球の知識だよね? それもシニッカから?」
「うん、そうだね。僕は医者をすることも多いから、地球の医療機関に興味があったんだ。そこで教えてもらったのがWHOという組織と、その組織がアスクレーピオスの杖っていう意匠をシンボルマークにしているってこと」
続けて「ケーリュイオンは蛇が2匹、アスクレーピオスの杖は蛇が1匹だね」と補足を入れるドクターは、ちょっと早口だった。きっとこの知識をシニッカから得た時、彼はマスクの下で楽しそうな顔をしていたに違いない。そして仕入れた知識を誰かのために口にするのも、楽しいことだろう。だから早口が加速した時、イーダは笑顔でそれを受け入れられた。
「アスクレーピオスは、男神アポローンとコローニスの間に生まれたんだけど、そこにカラスが少しかかわっていてね、これがちょっとおもしろいんだ。北欧神話のオージンにおけるフギンとムニンのように、ギリシャ神話のアポローンにも彼にしたがうカラスがいた。名前は伝わってないけれど、純白の羽を持つ特別なカラスさ。アポローンはそのカラスに妻との連絡係をさせたんだ。でもある日事件が起こる。カラスが奥さんの不貞をアポローンへ密告して、怒った彼は彼女を殺してしまったんだ」
「なんかギリシャ神話っぽい、神様の色恋沙汰で人が死んじゃうやつだね」
「うん。くわえてギリシャ神話っぽいのが、アポローンの怒りがおさまらなかったこと。彼はカラスへ『お前がこんなこと言わなければよかったのだ!』って無茶苦茶なことを言い出して、罰をあたえたんだ。純白の羽を真っ黒に焼いて、天に打ちつけてさらし者にして。それが春の大曲線の終着点『からす座』。焼かれたカラスは水を求めて、現在でもとなりにある『コップ座』へ首をのばし続けている、と。魔界のみんなが好きそうなお話だって、僕は思う」
「同意するよ、ドク。魔界に絵本があるのなら、そこに書かれていそう」
イーダは少し想像した。黒に近い濃紺の空の下、ろうそくがゆれる魔界のとある家の寝室で、魔族のお母さんが子どもを寝かしつけている光景を。きっと添い寝しながらこの物語を話して、最後にはやさしい表情を浮かべながらカラスの怨嗟をささやくのだろう。それを聞きながら、子どもは笑顔のままゆっくりまぶたを閉じるのだ。
……それが微笑ましい光景かどうかは置いておくにしても。
「もっと本の価格が下がったら、きっと出版されてベストセラーになると僕は思うよ。タイトルは『甘い蜜のギリシャ神話』かな」
「そうでなくても、シニッカが夢魔劇場の脚本に書いてそうな気もするよ。ところでさ――」
純白の羽が焼かれて黒く、なんて話を聞いたので、魔女はついでとばかりに目の前にある天使の翼を見て言った。
「ドクが翼を黒く染めてるのって、それと関係があるの?」
「え?……これは生まれつきだよ? ミルクを飲むと白くなり、悪いことをすると黒くなるんだ」
「じゃあさ、なんでそんな生態なの?」
指摘してくれといわんばかりのしらじらしい嘘へ、魔女は要求どおり追い打ちをかけてみることにした。
「……敵を威嚇したりとか、いろいろ」
しかし天使の応答は、なまくら包丁のごとく切れが悪い。「僕は堕天使だから」といういつもの言い訳どおり、あまり深い意味はないのかもしれない。
「なんで染めてるの?」
めずらしくイーダは追撃の手をゆるめなかった。シニッカが地球のいろいろなことがらを知っている理由は、国家機密なのだろうからやすやすと教えられないとは理解している。天界というある意味「敵地」ではなおのこと。けれどドクが翼を染める理由は別が国家機密と思えない。
「……秘密だよ」
「むむぅ……」
結局答えは得られなかった。個人的な理由をこれ以上しつこく聞くのはよくないので、魔女は追及をやめる。いつかきっと話してくれるだろうし、その時を楽しみにしようと決めた。
彼女は話題を変えるため、ケーリュイオンの意匠へ目線を戻す。
「で、話を戻すけど、あの2匹の蛇には名前があるの?」
戻った話題は、いかにも蛇の湖の国に住む者らしい質問だ。ちょうど横を通りがかった天使の男の子が、「それを質問するの?」と不思議そうな顔で振り返る。でも魔界の天使はどこ吹く風で、端的に答えを返した。
「フギンとムニンだよ」
「んふっ……やめてあげなよ」
「湖の近くにある松の木に生息していて、しばしば狼と生息圏をめぐりけんかする」
「ふふ……」
「主食は魔石で、食事後に図書館でくつろぐという生態を持つ」
「んふふっ……」
「……毒は持たない」
「あはは! やめて!」
図鑑の一節のような言いぐさに、イーダはこらえきれず破顔した。頭の中には松の梢の上で、「夜明けきたれり」と鳴くワタリガラスの姿。きっと木の下を狼がとおりがかるたびに、松ぼっくりを落として攻撃するのだ。
「はあぁ……笑わせないでよドク。それにさ」
「それに?」
「毒は持つと思うよ?」
「新説だね。けれど僕も、それが新しい事実として図鑑に載る予感がしているよ」
魔界のカラスをさんざんいじり倒し、ふたりはそろそろ宿に帰る時間だと気づく。まだ時間は夕方よりもずっと前だが、今夜行われる晩餐会の準備と、なにより明日発生するかもしれない勇者・転生勇者案内人コンビとの戦闘にそなえなくてはならない。いわゆる作戦会議というやつだ。
過ぎ去ろうとする天界観光と同じく、ふたりは足早に鋳造の神殿を去った。
「ところでサカリとバルテリは、僕たちがいない間どうやってけんかをやめるんだろう?」
「む……。たしかに不安だね。ヘルミあたりが止めてくれればいいけど」
「ヘルミはそういう生態を持たないよ」
「そうだったね……」
歩く魔女と天使は魔界を思い出し、まるで魔界に残してきたふたりの保護者のごとき会話をするのであった。
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
大広場にある宿泊施設へ帰ったイーダは、自分たちの宿の前に人だかりを発見し驚いた。天使の羽が集まって、おおきな丸っこい生物が1体いるかのようにわさわさとうごめいている。真ん中には濃紺の髪がちらりと見えていたから、シニッカが取り囲まれているのは疑う余地もない。
「ど、どうしたんだろう?」
「……あれはダイオウテンカイワタゲムシだよ」
「大王天界綿毛虫⁉︎」
「春になるとあらわれて、魔王様を捕食するんだ」
ギリシャ神話にも北欧神話にもいないだろう謎生物の出現に、とりあえず救出したほうがいいかもと、ふたりは走って近づいた。そしてうすうす感づいていたとおり、ただの杞憂にすぎなかった。
笑い声と拍手が聞こえたから。
綿毛虫(人だかり)の外縁で観察してみると、どうやら魔王は小話を披露している様子。話し上手な彼女のことだから、食堂でしどろもどろになった自分よりもうまく立ちまわっているのだろう。イーダはそう思って、立ち止まり話を聞くことにした。
「これは私のおばあさまの、姉の妹の孫から聞いたお話なのだけれど」
(……本人じゃん!)
魔女の冴えたツッコミを知る由もなく、魔王は人だかりにむけ新しい話をはじめた。




