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笑う天使たち 13

「アタシは反対だぜ、ウラ。なんでアンタがそこまでしなきゃならない。どこの馬の骨ともわからねぇやつに、命を費やすことなんかないはずだ」


 5月7日の夜明け直後。まだ太陽はごく低い位置にあって、朝焼けがようやく終わったくらいの時間。


 ウルリカは親友たるグレースの家へ行き、そこで朝食をともにしていた。一番の友人へ魔王との戦いを伝えておいたほうがいいと思ったからだ。ことが終わってからではおおいに怒りを買うこととなる。


 対する婚姻の大天使は朝一番から不機嫌な顔。寝ぐせの残った赤い髪が、不愉快をあらわすようにふるふるとゆれている。


 しかしチュートリアルは紅茶を口にし、すまし顔をした。


「ご一緒に戦う、またとない機会ですわ。20年間で最初の機会。こうでもしなければ死んでしまった勇者様たちに申し訳が立ちませんもの」


「それが()()()()()使()()理由かよ」


 ――命を使う。


 もし会話を聞いている者がいたらぞっとしただろう。もしくはウルリカがなにをしようとしているのか理解できなかったかもしれない。


「そうですわ」


「そうかい……」


 女神たるチュートリアルは、天界にあらわれた勇者を2日間かけて案内する存在だ。逆にいえば、彼女と勇者の間に3日目は存在しない。無理に引き止めようとしても世界律によって強制的に地上へおろされてしまうのだ。


 それを回避するための唯一の方法が、1日につき大天使の命ひとつを消費して行われる転生勇者案内の時間延長。ウルリカ自身この力を使うのははじめてだった。


「反対だ」という言葉を繰り返すかわりに、すぅぅ、と音を立て、息をおおきく吸いこんだグレースは、それを長く吐きながら深いため息をついて見せる。去年魔王との命を賭けたカードゲームに対し、彼女はウルリカをかなり強くたしなめた。怒りをあらわにした、といってもいいくらいに。しかし普段温厚なウルリカなる親友は、自身の職務のためであればダイアモンドよりも硬い意志を持つと知った。なにを言っても曲がることはない。オリハルコンの剣ですら刃こぼれしたり折れたりすることもあるというのに。


 それでも婚姻の大天使は愛磁石(アダマント)の鎌を振るうようになんども説得を続け、ようやくひとつだけ約束させた。残り半分になるまでは使っていいかわりに、それ以上は禁止すると。そのため親友に「違反したら命6つ分を奪う」なんて内容の魔法誓約書(ゲッシュ・ペーパー)すら書かせる羽目になった。


(命は硬貨みたいに使うもんじゃないんだぜ、ウラ)


 彼女にしてはめずらしく、口には出さずにおいた。契約までさせた以上そうするのが義理だ。それに、大天使であるグレースにとって理解できない感情ではなかった。


 右手の甲にあるᛠᚳ(EC)、すなわち神の名の魔法刻印は、神からあたえられし使命があることをあらわす。神とは自分たちの創造主であり、それからあたえられた役割というのは自らの生きる意味だ。金よりも重い義務であり、自分の体と大地――すなわちこの世界をつなぎ止める鎖でもある。義務を否定したら、存在意義を命ごと否定するのと同義だ。たとえば口へ息を吸うのを禁止したら、それはおおきなため息をつくばかりか持ち主を死にいたらしめてしまう、なんてのと同じ。


 自分が多忙を理由に婚姻の祝福を取り上げられたら、同じように反発するだろう。ゆえに否定しきれるものではなかった。


 彼女ら大天使には理解できる理由というのと同時に、それ以外の存在――たとえば普通の天使をふくむ多くの者には、理解できないであろうこともグレースは気づいている。おそらく「義務に命を賭けるなんて間違っている。命があってはじめて義務があるのだ」と言われる。しかしそれは順序が逆だ。


 ――役割があるから私たちは存在している。


 この気持ちを共有できる者は多くない。


 だからウルリカに対するグレースの態度は、良くも悪くも素直に発言するという彼女の特徴をもってしてひかえめなものであった。


「グラ、そんなにおおきなため息なんかついて。天使の息吹が地上に雨を降らせますことよ?」


「雨上がりに虹がかかることを期待するぜ。誰のせいだと思ってんだ」


「私ですわ」


「正解だ。ついでだから聞きたいと思っていた質問をもうひとつ答えてくれよ」


 どうぞ、と言われるがまま、グレースは彼女の両目のように鋭く切り出した。


「そもそも、なんでそんなに魔王を殺したがる? 魔王を倒すのがウラの使命ではないだろ? そんなもの地上へおりた勇者にまかせておけばいいんだ。アンタが直接対決することなんてない」


 去年のカードゲーム事件の後からいだいていた疑問だった。ウルリカ自身の義務が魔王討伐であれば理解できるが、そうではない。くわえて彼女が魔王に対して悪い感情を持っているわけでないことなど承知ずみだ。ウルリカよりもむしろ、自分のほうがあの蛇女を敵視しているくらい、そう思う。


 なのに命を消費してまで戦いに挑むとはどんな心情なのか。


「勇者様が無事世界に溶けこむことを願っているからですわ。彼らの死因の9割がたを占める存在へ、敵意をむけるのは当然でなくって?」


 その返答は予想されたものだった。だからグレースは先ほどまで切れの悪かった口を解放することにした。


「敵意ね……。アタシにはアンタが魔王シニッカへの執着心を持っているように見えるぜ?」


「執着心ですの?」


「アンタはアイツのこと、ある意味信頼してるだろ? アイツが世界を壊さないこと、世界を踏みにじるたぐいの勇者と戦っている部分なんかを。だから『不倶戴天の敵』なんておおげさな言葉を口にするんじゃないかって思ってる。そうでもしないと、信頼する相手に対して戦意をいだけないからな」


「あらあら。それじゃあ私はまるで矛盾しているみたい。彼女を殺したくないのに、彼女を殺さなくてはならないなんて」


「だから去年の調停会議で『それはとても複雑な問題』なんて言ったんだろ?」


「……まったくグラったら、よく覚えてますこと」


「ま、だからって、アンタが思い悩んで結論を出せずにいるわけじゃないってことくらい、アタシにもわかるさ。つまり、アンタはさ……」


 最後に一呼吸おいて、女神たるチュートリアルの立場を確認する。


「本当は自分で倒したいんだろ? 相手のことを信頼する反面、自分の義務にはアイツが障害になる。そんな矛盾へ自ら幕をおろし、先に進みたいと思っているのさ。その感情は通常、『執着心』って表現されるものだ」


 悪意なく強い言葉を放つのはグレースの癖だ。通常は相手を傷つけるから「悪い癖」と呼ばれるものだ。そんなことは自分でわかっていたし、それでも口にしたのは女神たるチュートリアルが相手であれば、きちんとした形で受け取ってくれるだろうという信頼があったからだった。


「なるほど。自分の感情へつける名札としては、少し過激ですけれど……。あなたのいうとおり執着心なのかもしれませんわね。だって――」


 ウルリカも一呼吸置く。大切なことを言の葉にして、一見矛盾をはらんだ今の感情を真正面から受け止めるためだ。


「だって魔王との対決を想うと、こんなにも心がおどるのですから」


「やれやれ……。アンタは時々ベルセルクみたいになるってこと、アタシは覚えておく」


「アテーナーやブリュンヒルドへたとえてくださると嬉しいのですけれど」


「あきらめなよ。戦意の色が濃すぎて、肌に模様ができてるぜ? そりゃ戦化粧だ」


 あきれるグレースと、肩をすくめるウルリカ。ちょっとした間を置いて、ふたりは声を出して笑い合う。


「ふふふ、ひどいですわ、グラ。私は使命に命まで使って、相手の心臓を射止めようとしているのに!」


「ははっ! ウラが持つのは投げ槍だろうさ!」


 槍を投げるように腕を振ったから、逆の手で持ったカップの中で紅茶がぐるんぐるんとまわる。私はおいしいからどうかこぼさないでと懇願する琥珀色の液体が、存在しない四肢をふんばってなんとか地面のシミになることをしのいだ。


「と、冗談はさておいてさ」


 ひとしきり上機嫌なふるまいをした婚姻の大天使は、目をまわす紅茶をくいっと飲み干して続けた。


「戦いの場には立会人が必要だ。となるとこれはアタシの出番だろう」


「え? そのお願いにきたわけではなくってよ? あなたは多忙でしょう」


「アンタは今回の戦いで、ひとつ命を使うんだ。アタシが行かなきゃふたつ目を魔王との契約に賭けるだろ?」


「え、ええ。そのつもりでしたけれど」


「だめだ。せっかくアタシが我慢して了承した戦いだ。もうちっと丁寧に使えよ。たとえばさ、今魔界の連中は3人できているだろ?」


「魔王シニッカと錬金術師のビオン様、もうひとりは魔女らしき少女ですわね」


「なら、あいつらは『負けたら捕虜になる』なんてどうだ? こっちはウラの持つ貴重品か、勇者の四肢か能力かなんかを賭けりゃいい。ウェンダルってやつにもちゃんとした代償を支払わせないと、契約は成立しないからな」


 提案に、ウルリカはううん……と思い悩んでいる様子。それを尻目にグレースはすました顔で2杯目の紅茶を注ぐ。むこうが「戦う」と譲らなかったのだから、こちらもこの提案を譲る気などない。


「……わかりましたわ。たしかにそれなら命を奪わなくても、決定的な勝利に変わりありませんし」


「よし、いいだろう」


 貴重品の買いつけに成功した商人のような顔で、グレースはぽんっと音を鳴らして手と手を打った。明け方の不機嫌が嘘だったかのように、明るさを増してきた陽が顔へ温かい光を当てる。


「他に手伝うことがありゃ言えよ? ここまで乗ったんだ、遠慮は無用だぜ?」


「ありがとう、グラ。それではお言葉に甘えて、けんかあおりのリス(ラタトスク)を1匹、連れてきていただけませんこと?」


「ラタトスクを? そりゃいいが、なんでまた」


「普通の戦いでは魔王が受けてくれないと思いますの。ですから少々趣向を凝らそうかと」


「へぇ、おもしろそうだな」


 その後しばらく、ふたりは勝負の内容を話していた。こんな内容なら有利に立ちまわれるであるとか、こんな文面なら魔王が契約を受けるだろうとか。時々冗談を交えて笑う天使たちのその顔は、いたずらに興じるふたりの子どものようでもあった。


 8時半をまわったこところで、ウルリカは昨晩「9時までには戻ります」と勇者に伝えていたことを思い出し、グレースの家を後にする。残ったグレースが準備をして家を出た時には、太陽が一日の最初をさんさんと照らす高さで、おおきな世界樹の影を雲海へ描いていた。

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