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笑う天使たち 12

 夕食をすませて少したち、時刻は9時になったころ。勇者ウェンダルは天界で空を見上げていた。


 雲の上にあるがゆえ雲ひとつない空は濃紺色の天蓋におおわれているが、もはやそれは背景でしかなく、その奥深い色へ心を打たれる者は多くないだろう。かわりに夜空の主役となっているのは、砂粒を敷き詰めたような星々の輝きだ。あまりの多さに星のない場所を探すのすら難しいほど。しかもその砂粒は白や黄色だけではない。赤や紫、時には青色に染められたひつつひとつがなん千なん万と視界をおおいつくしている。その上空にはおおきな暗い道が横たわり、その脇をとくに鮮やかな星々がふちどっているのだ。


 天の川と呼ばれるその道は、雲海から出て雲海へ消える。とするのなら、しばしば大海にたとえられる夜空こそが陸地であり、雲の海と海を天の川がつないでいるようにも見えた。


 どちらにせよ非現実的なまでに美しい光景だった。この場所に望遠鏡がいたのなら、対物レンズから感涙を流し接眼レンズから垂涎していただろう。夕食が7時半には終わっていたにもかかわらず、ウェンダルがウルリカとの会話を開始するまでに1時間半もあったのは、彼もまた星空に目を奪われてしまったからだった。ただし彼は「この光景に値札をつけたのなら、いったいいくらになるだろう」なんて考えていたが。


「そろそろ固有パークを見ませんこと?」と言われて現実に帰ってきた勇者は現在、女神とともに自身の力を確認している。転生の案内人から「ちゃんと見ておかないと危険な目に遭いますわよ?」なんてたしなめられ、ようやく自分の力とむき合うことにしたのだ。


(強い力か……。それが今俺の手の中にあるなんて実感はわかないが、おそらく慎重に使わなくてはならないんだろう)


 転生の女神から言われたことの中で、ウェンダルの心に一番残っているのは「勇者の力が世界を傷つけるかもしれない」という部分だった。その理由は、強い力を正確に使いこなせるかという危惧をいだいただけではない。自分が世界を壊しかねないほど強い、という事実に自尊心をくすぐられたのもあった。


 だから彼の、他の勇者に比べればひかえめな『固有パーク』は、この世界に溶けこむため重要だといえる。


 オートマタが動作を停止したためふたりだけになった部屋の中、ウェンダルはウルリカとともにその内容を確認していた。


 ――君の固有パーク『頑固な力加減』は、君がこの世界で生きるために必要な『自重』という概念を具現化したものだ。というのも、勇者たる君の力はこの世界に住む()()()住人とは比較にならないほど強く、ゆえにバグモザイクなる治療不能な傷を世界へあたえる危険性があるのだ。


(これは女神から聞いたとおりだな)


 ――しかし安心してほしい。君には君を助ける頑固な相棒がいる。それが手加減の権化たる、この固有パークだ。つまりどれだけ全力で力もうとも、この安全装置は君や世界を傷つけるほどの出力が発生しないよう常に監視している。しっかり注意深く君を見て、すべての魔力を制御してくれる。そのまじめさたるや、君の国の安全規格のごとし。それがDINなのかTÜV(テュフ)なのかは置いておくにしても、質実剛健な態度を取り続けるだろう。


「これは……めずらしいですわね。もちろんこの世界に生きる私たちにとって、このお力は歓迎すべきものですけれど、自制をうながすような固有パークははじめて見ました」


「……なにか気になることが?」


「いいえ。固有パークはそのかたの性格をよくあらわすといいます。ゆえにウェンダル様は協調を大切にされているのではないかと、そう感じたのですわ」


 澄んだ瞳で自分を見上げる顔に、ウェンダルは微笑みを返す。肩をすくめながら「そう見えていたのかもしれないですね」なんて発言したのは、今固有パークの説明文に登場した安全規格のマークが、自分にも記されているように見えるのだろうと思ったからだ。おそらく女神が手にした自分という製品を裏返してみれば、政府(ないしこの固有パークを発行した信頼に足る誰か)によって『ドイツ規格協会(DIN)』の飾り気のない刻印がひかえめに鎮座していることだろう。


 とはいえ、その規格に「悪いことをたくらんでいないだろうな」と裏を探られてようで少々思うところはあるし、なにより剣と魔法の似合う異世界にきて、DINだのTÜV(テュフ) Rheinland(ラインラド)などという現代ドイツの用語が出てくるのには薄気味悪さもあった。


(……まあ、そういう世界なのかもしれないか)


 ひとり自分を納得させて、固有パークの文言へふたたび目を落とす。


 ――固有の力としては、少々不足に感じているかもしれない。君の国の戦車が戦後も欧州を席巻し続けていることにくらべ、この力は120mm砲やそこから撃ち出されるAPFSDS――装弾筒付翼安定徹甲弾はおろか、戦中のAcht-Achtアハト・アハト――8.8cm高射砲程度の力もないと。しかし輸出された戦車が各国の安全保障に役立ったのと同じく、力というものは使われない時でも君の身を助けるだろう。


「……?」


「なんでしょう?」


 お堅い安全規格に続いて登場したのは、専門的な軍事用語。地球の兵器に詳しくなかったふたりは頭に疑問符を浮かべた。大砲の関連用語なのだろうが、120mmだの8.8cmだのというものが他の物と比較しておおきいのかちいさいのかすらわからない。ただそれに答えてくれる文面もなさそうなので、「最新兵器は使われなくても敵の脅威になる」という意味なのだと読み替えることにした。


「ひとまず続きを読みましょう」


「そうですわね」


 ――とはいえ、君はいくつもの経験(清い経験であることを望む)を経て、この力加減を手なずけることができる。この力は成長(ここでいう成長とは「筋肉を数キログラム増やした」などという肉体的なものではなく、精神的、あるいは技術的なことがらだ)することを前提として君にあたえられているのだ。それはとくに、人を助けた時におおきな成長をする。もし街中で悪漢に追われる少女がいたのなら、『頑固な力加減』は力の制限を若干取り払うであろう。そして君が胸のおおきい少女、腹を露出させた少女、煽情的な少女、君の好む容姿のあらゆる少女などを助けていくうちに、力加減を君へまかせることになっていく。


「…………」


「…………」


 ――君が暴漢の手から救出した1頭の雌山羊と旅をするころには、すべてをまかせられるようになっているはずだ。君はそれとしてもいいし、しなくてもいい。


「ええと、これは……」、困惑する女神。


「いいかげんにしてほしいですね……」、文章の内容へ悪意を感じてきた勇者。


 気まずくなってきたふたりを差し置いて、文章は終わりを告げようとしていた。


 ――話はおおいに脱線し、同時に君の未来は霧におおわれているが、なにはともあれ君は君自身をコントロールできるように努力すべきだ。そうすればおのずと多くの人々が君を尊敬のまなざしで見ることになるだろうから。君のつまらない安全規格マークなど見えなくなるくらい、特大の勲章がその胸へつけられることを心から祈っている。


 文章は申し訳程度のまじめさでむすばれ、ふたりは奇妙な読後感へ「はぁ……」とため息をつく。


「ウルリカ。固有パークの文章というのはいつもこんな感じなのですか?」


「はい、そうですわ。残念ながら」


 誰が書いたのか、そして誰があたえたのか判然としない固有パークをどこまで信頼していいものか。この勝手に配られたカードを変えることはできないし、勝負をおりることもできないのだ。しかもウルリカは聞いて嬉しくない言葉を続ける。「少々困りましたわ。ここではこのお力を試せませんの」


「それはまたどうして?」


「天界においては勇者様のお力が軽減されます。先ほどお話ししたバグモザイクの発生を抑制するために。となるとウェンダル様の固有パークと天界固有のその状況が、同じ結果を生み出してしまいますわ」


「つまりこの固有パークは天界で使用しても意味がないのですね。地上におりるまで練習できないと」


「そういうことになります」


(……まあしかたない。使いにくい手札だが、カードひとまず裏返しておいて、地上に行ってから試すとしよう)


 うまく使えば手品くらい可能だろう。そう思いながら苦笑するウェンダルの横で、女神は「ともかくこれがウェンダル様のお力です」と話を区切り、ついで背すじをのばしてかしこまった顔をした。


 雰囲気が変わったのを感じ取った勇者は、きょとんとした顔でウルリカの顔を見る。


「どうかされましたか、ウルリカ」


「はい、大切なお話が」


 彼女がおおきくうなずき、その顔が元の位置に戻った時、勇者の目にはあまりにもまっすぐな視線をむけるチュートリアルがいた。彼女の言葉通り、これから大切な話があるから心して聞いてほしいといったふるまいだ。


 ウェンダルは襟を正し「うかがいましょう」と短くうなずく。


「あさって、一緒に魔王と一戦しませんこと?」


「魔王と⁉︎ い、いえ、しかし……『魔王には慎重に戦いを挑む』との決まりごとがあったではないですか? それにそもそも彼女の元へどうやって行くのですか?」


「例外中の例外、今は状況が特殊なのですわ。まずはなぜ可能なのかをお話しても?」


「ええ、もちろんです」


 戸惑いながらも話を聞くことにした勇者に告げられたのは、年1回行われる調停会議がまさに昨日終わったばかりで、ゆえにそこへ出席した魔王もまだ天界にいるのだという事実だった。くわえて明日の晩には天界主催の晩餐会があり、そこであれば魔王へ戦いの約束を取りつけることも可能なのだと。


「俺は少々混乱しています。ひとつひとつ、状況を整理させてください。まずは……魔王はそれを受けると思いますか?」


「ええ、思いますわ。なにを隠そう、昨年も命を賭けて勝負しましたから」


 勇者が「ええっ⁉︎」と驚いたのも無理はなかったが、彼はウルリカからその日のことについて聞いたことで、魔王の人となりというものが少々見えてきた。常に堂々としていて、人をだますのが得意で、恐れ知らずの上に負け知らずなのだと。生前『魔王』と聞いたらいかつい悪魔の体躯とおおきな角をイメージしただろうが、この世界にいるシニッカという名の魔王は外見で相手を油断させるたぐいの敵だということも。


 ウェンダルはまずその情報を受け入れ、次の質問へうつる。


「場所と方法は? 天界というのは戦いが禁止されているイメージもあります。俺たちは彼女と命の取引をできるのでしょうか?」


「可能ですわ。たとえば昨年の私のように契約を行った場合など。この世には魂をしばることのできる便利な契約書もありますの。場所についても訓練場として利用される無人の広い土地がありますので、そこをお借りすればよいでしょう」


「戦う方法と作戦は?」


「それは明日、一緒に考えましょう。夜までに方法をさだめ、彼女へ渡す挑戦状をしたためなくては」


(本当に戦う気なんだな)


 女神の提案には迷いが見られない。ウェンダルは自身が仕事仲間とプロジェクトを立ち上げる際、もっと暗中模索な気分であったことを思い出していた。利益を出すという目標にむけてどのような手順で作業をしていくのか、どんな法律を気にしなくてはならないのかなど、心配ごとは考えればきりがないほどに出てくる。だから真っ暗な道を一歩一歩慎重に進んでいったのだ。


 それに比べて目の前の若い女性は道を知っているかのよう。もっと直接的に言ってしまえば「戦いかたを理解している」のだと感じさせる。相手が分厚い鎧を着てくるから、重いメイスと細くて鋭い()()()()を選択し、泥濘地を戦場にするなんて選択肢を取り得るのだと。


「わかりました、戦いましょう。俺としても魔王を倒すことは使命に感じています。この世にきてまだ1日目なのに不思議なことですが、いくらあなたに『それは転生時に植えつけられた感情なのだ』と言われても、心の底からそうしたいと思っているんです」


「ええ、わかっておりますわ」


 戦意をいだくのに時間はいらない。剣が造られたのは鑑賞されるためではなく、敵の肉を断ち切るためなのだ。だから今日の質問は最後にすることとした。


「もうひとつだけいいでしょうか?」


「はい、どうぞ」


「チュートリアルは2日間では? 俺は3日目も天界にいられるのでしょうか?」


「ああ、それは……」


 問われた女神は目を伏せてだまりこむ。理由を言うか言うまいか迷っている様子だ。ウェンダルは「後ろめたいことでもあるのだろうか」と思い、それならば相手にまかせようと同じく口をつぐんだ。


 少々の沈黙の後、ウルリカが口を開く。


「可能ですの。私の持っている力を使えば。ですが繰り返し使用することはできませんわ。上限が決まっていますから」


「上限というのは使用数のことですか?……いえ、おまかせします。それがあなたの望みであれば」


 言いぐさと雰囲気から、その力を使うのには代償がいるのだろうと勇者は予測した。彼はもし女神が悲しそうな顔をするのであれば、深く追求したほうがよいだろうと思って相手の言葉を待つ。


 しかしすっと顔を上げた女神の表情を見て、ウェンダルは追及などできないと感じた。


「はい、勇者様。私におまかせを」


 口調に映画を思い出す。その映画は主人公が悪の組織へ立ちむかうアクション映画だ。彼女はまるで主人公が決戦へ挑む前に立ちよる裏方の仲間で、きっと本棚の裏にある秘密の部屋へ一緒に行き、ずらりとならぶ武器を前にしているのだ。


 堂々としていて、不敵で、どこか楽しそうですらあって……。


 しかも「一緒に魔王と一戦を」と言った以上、その武器庫を出る時には彼女自身もショットガンを「カシャン」と鳴らし後ろへついてきてくれるのだろう。


「わかりました。よろしく、ウルリカ」


 転生早々にはじまる魔王なる敵の大将との決戦。それに挑む心を不安から楽しみへと変化させ、勇者も口の端を上げたのであった。

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