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笑う天使たち 11

 思い返すとあっという間。今日は5月6日の金曜日。調停会議は4日目の15時をまわり、最後の議題も決着を見そうだ。


 内容は西方航路の海賊対処について。大陸がひとつしかないこの世界では、海外植民地という概念もない。だから海上での利権争いも地球の大航海時代ほど苛烈でもないし、協力することだってあるほど。たとえば大型水棲害獣、海賊(害獣由来のものもいる)、嵐などに対して。


 ゆえに今回も協力を前提として、その分担をどうするかといった内容だった。1日目、セルベリアとスースラングスハイムの間で行われた議論にくらべ、空気はずいぶんと平和的だ。


「では、護送船団方式における護衛船の各国割合について――」


(護送船団か……)


 居眠りしている魔王の横で、イーダはその言葉に反応し、どんな風景なのだろうと思いをはせる。『護送』というくらいだから、樽を満載した貿易船のまわりを、兵士をたくさん積んだ護衛の船なんかが囲んでいるのだろう。陸地を離れ、視界に空と海面だけがある風景の中、時に風をつかみ、時に波を砕きながら雄々しく進んでいくのだ。


 しかしその光景はどこか現代的に思えた。フォーサスが中世から近現代までの文明レベルのサラダボウルであることはわかっている。でも護送船団という概念は、地球では20世紀に生まれたものだと少女は知っていた。


 第一次世界大戦で猛威を振るった、潜水艦の襲撃へ対抗するために編み出された方法なのだ。


 もちろん、情報の発信源は魔界にいる黒い髪の潜水艦、カールメヤルヴィのHer Majest(陛下の)y Ship(軍艦)アイノ。ことあるごとに彼女は潜水艦関連の知識を口にし、魔女はそのたび「それってなんなの?」と知識欲を刺激されていたから、護送船団方式(Convoy)などという概念も脳に刻まれてしまっていた。


 他にもTorpedo(魚雷)とか、ASDIC(水中探信儀)とか、Hydrophone(水中聴音機)とか、舷外電路とか磁気機雷とか。


(……やめよう)


 ここは天界だ。なぜそんな空が高く太陽の近い場所で、海中深く光が届かない場所のことを考えなくてはならないのだ。とは思うも――


(でも雲は雲海、空は海より深い青……)


 結局関連性を見つけ、物思いの海に浸る。深海と成層圏を行ったりきたりする魔女の思考は軌道エレベーターのごとし。残念ながら、それが運ぶのは塩水と海藻の混じった雑念のたぐい。


 集中力が切れている、ともいう。


 そんな脳みそ反復高跳びの視界の隅で、見逃してはならない事態が発生する。


(……おや?)


 女神たるチュートリアルという名の大天使へ、ひとりの天使が歩みより耳打ちをした。表情を変えたウルリカは議長と婚姻の大天使へ一声かけると、足早にコロシアムの出口へむかう。


「……ドク、見た?」


「見てるよ」


 ドクと顔を合わせ、うなずきをひとつ。魔女は魔王をつんつんつつく。


「起きてシニッカ」


「ん……うぅ……。ふぁあ……。あ、実は寝てなかったといったら信じるかしら?」


「いいから。ほら、ウルリカが退席したよ」


「あら?」


 青い瞳が白い影をとらえると、魔王は日よけ替わりにしていたペストマスクを定位置に戻し、ぺろりと唇をひとなめした。


「これはこれは」


「どうしたんだろう?」


 疑問へ魔王は振り返り、遊園地の門をくぐった直後のような表情をうかべる。


「おもしろくなってきたじゃない」


「……勇者か」


「だろうね」


 新たな敵の登場の予感。自分たちが天界にいる時に発生した、勇者の転生。


「今夜の晩餐会、きっと私はアプローチを受けるわ」


「一応聞いておくけれど、誰から?」


「ウルリカ・ヘレン・キングよ」


「だよね。……まさか天界で戦うの?」


「必要があり、許されればね。……それとも私から声をかけようかしら?」


 急展開に心をゆらされる魔女と、事態をゆり動かそうとしている魔王。


「実は、彼女はおやつの時間なんだ」


 翼をゆらしいつもどおりの嘘をつく天使。おのおの心を身構える3人とは違って、議場はホームルームの雰囲気へ。


 最後の議事が煮詰まって、残りの議論の数はゼロ。


 カァン、カァン。


『はりきり兄弟小槌(ガベル)とベース』が今年最後の仕事を終えて、4日間にわたった調停会議は幕をおろす。


「――諸君! 4日間にわたる参加に感謝する! 来年もまたこの議場へ、同じように多種多様な旗がはためくことを、我々は切に願っている!」


 こうして1年ぶりに顔を合わせた全世界の代表たちは、ある程度の合意を手土産として舌戦のコロシアムを退席するのであった。


     ◆  ①  ⚓  ⑪  ◆


 2022年の5月5日、木曜日の午前。


 彼、ウェンダル・ライモンド・フックスは死んだ。


 場所はドイツ連邦共和国・ミュンヘンの郊外。享年は29、死因はトラックに轢かれたことによる外傷性ショックだ。Webニュースサイトの1記事になった出勤途中の不幸な事故。それは彼が不特定多数の見る公的な場に登場した、最初で最後の機会だった。


 それを彼が知ることなく、日付は翌日5月6日に。


 目が覚めると青空の下。彼は上品な机の前、椅子に座らされていた。ズタボロになったはずのスーツはなにやら古い時代の人々が着ていた服装へと様変わりし、あちこち裂けていた(部位によっては脱落していた)自分の体も元どおりに修復されている様子。


 ついでにいえば、バイエルン州によって義務化されていたFFP2マスクも顔の上に存在しない。おかげで空気がおいしくて、彼は胸いっぱいにそれを吸いこみ味わった。


(ここは?)


 学生時代、アルプスに旅行へ行った時よりも空は近く、大気は澄んでいる。自分の横にはシナモン色をした一軒家の壁がすぐそばにあるから、どうやらここは庭らしい。足元は緑色の地面、背の低い生垣と柵のむこうに見えるのは茶色の道。地面と生垣が同じ色だから、ちょっと奇妙ないろどりに思う。


 そんなふうにあたりを見まわしていると、まだぼぅっとしている両目が遠くに白い地面を発見した。


(……雲?)


 まわらない頭で必死に考えた末、そう結論を出す。どうやらここは雲海の上にあって、だから雲は頭上ではなく足元に広がっていた。


(天国に?)


 くらりくらりとゆれる意識は、そのゆり返しの幅をせばめ、視界を鮮明にさせていく。たしか最後の記憶は、車道の真ん中、アスファルトの上。かけつけた救急隊員と警察官が自分を見おろし、あきらめの表情で力なく首を振っていた、そんな光景。


 それが一瞬でこの様子なのだ。彼でなくてもここは天国だと思っただろうし、確信すらいだいただろう。彼も「ああ、俺は死んだのか」と実感し、「それなら合点がゆく」なんて納得もしていた。ついでに体がどこも痛まず、無傷へ戻ったことへ感謝すらした。


「お待たせをいたしましたかしら?」


「え? いえ……」


 だから視界の中へ羽を4枚持つ天使が姿をあらわしても、その人物から声をかけられても、冷静でいられた。水を注がれたコップのように、状況を淡々と飲みこむ以外、選択肢はないのだ。


 その状況はというと、どうやら面接でもはじまりそうであった。天使は映画の登場人物かコスプレイヤーしか着ないような古代ギリシャ風の服をまとい、ふわりと対面の椅子へ腰かける。ウェンダルは彼女の翼が作り物ではありえないほど細かく動き、時々抜け落ちた羽根がきらきらと輝きながら消えていったことを見て、「自分はずいぶん遠い場所へ旅をしてきたのだな」と実感した。


「私はウルリカ・ヘレン・キング。あなたの案内人をつとめさせていただきますわ」


 名前から国籍がうかがえたせいで、「天使がアメリカ人だとは知らなかった」などと口にしそうになるのをこらえ、まずは面接時にしなくてはならない返答を口にする。


「俺はウェンダル・ライモンド・フックスといいます、キング女史。出身はドイツ連邦共和国のハノーファー。そしておそらく……没地は同国のミュンヘンです」


「ご自身が亡くなられたことを認識されている、という理解で間違いありませんこと?」


Ja(はい)


「冷静でいらっしゃるのですね。立派ですわ」


 目を細める天使へ、ウェンダルは「これも俺の人生の旅というものでしょうから」と気取って返す。ついでに現状把握のためつけくわえる。「ただ、どこからきたかはわかっていても、どこにきたのかはわかっていません」


「お話いたします。今から私は、ここがどこであるか、私がなにものであるか、そしてあなたがどういう存在なのかをお伝えしたいと思いますの。とはいえ堅苦しいのはよろしくありませんから……」


 途切れた会話と入れ替わりに、木でできた等身大の人形が銀の皿へティーセットを乗せて歩いてきた。歩みは高級料理店のフロアスタッフのようになめらかで、上品で、ゆえにウェンダルが「どうやら本当にとんでもないことになった」と覚悟を決めるのに役立った。


「お茶を飲みながら、といたしませんこと?」


「お気づかいに感謝します、キング女史」


「ウルリカで結構ですわ。私もウェンダル様とお呼びいたしますゆえ」


 おたがいの呼び名を決めたところで、ウェンダルは自分の置かれた状況を理解するのに十分な説明を受ける。みずからを転生の女神と名乗るウルリカによって行われた数時間の講義。ここは天界であり、今は地上へおりるための準備期間であり、地上にはさまざまな国家があり……などなど、基本的な部分から少し踏みこんだ知識まで。WebのWikiサイトで『世界』と検索したら、彼女が口にしたことがらで構成されているのだろう。


 とはいえ話自体はシンプルだ。彼女の肩書どおり、これはいわゆるテレビゲームのチュートリアル。そして死して転生を果たした自分は、強い力を持った『勇者』。


 だから今からはじまるのは、冒険と名のついた『旅』に違いなく……。自信の名であるWendal(ウェンダル)が旅人ないし放浪者の由来を持つことへ、彼は運命的なものを感じていた。そしてそんな感情を持てば当然、心は徐々に昂っていく。


 転生直後、水を注がれたコップのように口を開けていた彼も、グラスに注がれるビールを見つめるかのように、胸の奥で舌なめずりをしていた。


 陽がかたむき、世界樹の葉が毎日おとずれる紅葉へ色を変えたころ。この世の5つのルールを復唱して覚えさせられた後、ウェンダルは今日一番楽しいであろう話題へ突入する。


「ではウェンダル様、あなたのお力を一緒に見てみたいと思います。『我が生涯の1(オープン・)ページを開け(ステータス)』と、お唱えくださいまし」


(魔法名だとしたら奇妙なものだが……ついに俺の力がわかるのか)


「わかりました。<Offener(オープン・) status(ステータス)>」


 落ち着いた口調の裏におどる心をひそませて、ウェンダルは生まれてはじめて魔術を行使した。ピリリとした微弱電流の感触が目の奥に発生し、呼応して点滅する警告灯のような赤い光が視界にあらわれる。それが魔腺の脈動だと理解するのに時間はいらなかったし、そう思っているあいだに目の前には半透明の1枚の紙が宙に浮いている。


 生前仕事で作成したWebサイトに似ている画面。青を基調とし、装飾が必要最低限にとどめられた少々お堅いつくりは、役所の公文書のように情報を必要とする者へ安心感を提供する。そこへ「あなたのステータス」として体力や魔力、敏捷力などのいくつかの数字がならび、それを元にしたレーダーチャートがいびつな多角形を作っていた。チャートは同じ枠内に赤と緑の2種類があるものの、それの意味するところはわからない。


「これが俺の能力を数値化したものですか?」


 千とか二千とかいう数字はどれほどのものなのだろうか。比較対象がないため己の強さの実感がわかず、勇者は少々怪訝な顔をした。しかし対するは場数を踏んだ転生勇者案内人。想定済みの勇者の反応へ、その強さをきちんと伝える。


「はい、そうですわ。これですと赤い線がウェンダル様のお力、緑の線が一般的なかたのお力となります」


「っ! どの数値も3倍から4倍はありますね!」


「魔力にいたっては数十倍ですわ。もちろん、すべての力をお使いになるのは、先述のとおりバグモザイクを生みますから、十分に注意なさって」


 ニコリと微笑む大天使の瞳に、今日もっともおおきな勇者の笑顔が映った。転生してからこれまで、ウェンダルという人間は天使へ強い感情を見せていなかった。その表情がほころぶほどに、ステータスの第一印象は彼へ好印象を残したといえる。


 ウェンダルが数値をしつこくながめる間、女神はあえて口を開かなかった。この時間がどの勇者にとっても楽しいものだと知っていたからだ。もちろん勇者はテストでよい点を取った学生の目で、事細かに自身の強さを観察していた。この力を実際に使った時、どんな光景になるのかを想像しながら。


 しばらくの後、ウェンダルは画面右下の矢印型のボタンが「次のページ」の存在を示唆しているのに気づいた。


「まだページはありそうですね」


「おそらく次はさまざまな技能が表示されている項、そして最後には『固有パーク』と呼ばれる、世界でウェンダル様だけが持つお力を記した項が続いていますの。とはいえ……今日は日没前にオートマタを止めなくてはなりませんの。続きはまた後にして、夕食にしませんこと?」


「ええ、承知しました」


 勇者が「水を差された」と感じることはなかった。どちらかといえば、上がりすぎたテンションをここで抑えるよい機会だと思った。


「夕食も楽しみですから」


「ふふふ、お口にあいますといいけれど」


 ふたりは席を立ち、オートマタをつれて部屋に戻った。


 夕日に照らされた大天使の家は、オレンジピールのたっぷり入ったパンケーキの色をしていた。

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