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笑う天使たち 10

 くせ者国家であるウミヘビの家――スースラングスハイム王国が、スタンピードの非を認めた。通常、そういった言動は相手へのおおきな貸しとなってしまうから避けるべきである。にもかかわらず、なんの反論もなしに相手の言を認めたのだ。


 あっけにとられた議長がガベルを鳴らし忘れたせいで、ざわめきはなかなかおさまらない。


「これまた意外だね、魔王様。僕はまた驚いているよ」


「私も意外に思うわ、ドク。でもあいつらがなにをしても驚かないと決めているから、心臓の鼓動はいつもどおり。イーダは?」


「驚いているよ。ただ……そうだね、なんとなくだけど仕組まれたものを感じるかな」


 問題は誰がどのように関連しているのか。利害関係は複雑に絡み合っていて、一見しただけじゃむすび目なんてわかりっこない。イーダは可能性を探していた。もしかしたら自分が黒幕の選択肢から消した候補たち――たとえばネメアリオニアの辺境伯ヴァランタンだったり、セルベリア国内の大司教ドミンゴだったりが関与しているかもしれないのだ。


 会議に参加するすべての人が、スースラングスハイムの言動へ疑問符を浮かべていた。そろってしかめっ面をして、けげんな表情を浮かべている。それは司会進行役の小道具も同じ。


 もっともガベルと台座がそんな顔をしているのは、主人たる大天使の男が職務を忘れかけていたからであったが。


 議長ははっとして、ふたたびその場へ静けさを作るため右手を振った。木のぶつかる音がカァン、カァンと高く響き、続いて三つ首犬国の外交官へ発言をうながす。


「セルベリア代表、返答をお願いしたい」


「承知いたしました。ではウミヘビの代表たるイヴェルセン殿。貴国の責任を認め、我らへの賠償を行うという意味でよろしいですか?」


「そのとおり。ただし、本件は我が国だけの問題でなく、地中海沿岸の国家の問題といえる。……ああ、君たちのロス地中海ではなく、私たちの国があるアストリ地中海沿岸の国家のことだ」


 いれずみの男は猫背で立ちながら、低い声でゆっくりと話を進めた。誰も聞き逃さないようにするためにも見えた。口元には微笑みを浮かべており、真意のわからないという印象の話しかただ。


「そこにはキマイラ同盟を崩壊させようという、やっかいな連中がいた。禁制品を売る商人連中、懐を温めることしか関心のない牧師連中、略奪が大好きな傭兵連中や、そして身の程をわきまえない冒険者連中が」


 彼は今回の件に黒幕がいたことを匂わせる。口調と独特な間のおかげで、彼の言を聞く者たちは催眠術に落ちたかのようだった。誰も彼から目を離せなくなり、次の言葉を待ち続けるのだ。


「みずからの利益のため同盟を瓦解に追いこもうとした者たちの話だ。そういう輩がどこの国にもいるだろうこと、君たちが知らないわけもなかろう。問題なのは、そいつらが人々にまぎれていたことだ。……多くの清廉潔白な人たちにね」


「イヴェルセン殿は、その者たちが今回の騒動の黒幕であると言いたいのですか?」


「今から上げる名前に、聞き覚えはあるか? 商人ヴィリアム・オスカ・クリステンセン。傭兵隊長ヤン・コーエン。聖職者アベル・ファン・ヴァレンタイン」


「……存じておりますな。大商人に大傭兵隊長、それに我々とは教義が違うとはいえ、高名な聖職者。どのかたも頭に『Great』や『Grand』をつけるべき、あなたがたの国の宝ではないですか。まさかその方々がスタンピードの裏にいたというのですか?」


「ああ、そう言いたいのだ、私たちは。……証拠を?」


 スースラングスハイムの代表もまた、魔法誓約書(ゲッシュ・ペーパー)の束を取り出した。持つ手にも刻まれた蛇のいれずみが、長い舌を出して書類をなめている。


「……なるほど。つまりそれは、あなたがたに落ち度があったという意味ですね。管理不行き届きといってもいい」


「それについて先ほど謝罪した」


「補償の話はのちほど……。しかし疑問も残ります。陰謀を行うのであれば貴国内でされるべきだったでしょう。なぜ隣国領であるプラドリコで、彼らはことを起こしたのですか?」


「奴らがしでかしたことによって、我々も十分に損害を受けているが? とくに今、この場所で」


 会話が止まる。


(わからないな……)


 イーダにとって、まったく解せない内容だった。イヴェルセンの手の中にある証拠は本物なのだろう。が、プラドリコでのスタンピードとキマイラ同盟内のいざこざが、どうしても同じ糸でつながっていると思えないのだ。先ほどセルベリアの外交官が口にしたとおり、反体制の活動であればキマイラ同盟の領土中で行わなくては効果が薄いだろう。


 しかし、議場の雰囲気はやや違った。傍聴席の天使たちはイーダと同じ「どうして他国で?」なんて話をしていたが、国家代表たちはどこかやるせないような、驚いたような、しかし納得している表情なのだ。


 それは魔界の王も同じ。ふぅっ、とため息までついて、椅子のひじ置きへ頬杖までついている。


「シニッカ、どういうことか教えてほしいよ」


「今上がった名前が全部、反体制派の名前であることは理解しているわね?」


「うん、どうやらそういう雰囲気だから。ウミヘビの国も一枚岩ではないんだね。でもさ、その反体制派が他国で騒動を起こしたのが不思議で……」


「今回みたいに結果があるのなら、優先して考えるべきは現状よ? イーダ、反体制派が大国の敵対者だと認定されたら、喜ぶのは誰?」


「ええと……当然、現在の体制派の人たちだね。あ、そうか」


 ようやく考えがまとまった。少し難しく考えすぎたのだ。そんな入り組んだものではなく、単純に「今一番喜んでいる人」が黒幕であり、今回の騒動はその人たちによって起こされたと考えるのが自然だろう。


 みんなの前で謝罪などしたから、一瞬彼らが一番あやしいという事実を忘れそうになった。


「最初の印象どおりなんだね。でっちあげか、そうさせられたのか。なんにしても、()()()()()()()()()()()()なんだ」


「だからスタンピードに協力した証拠なんてものが、迅速にセルベリアへ渡されたんでしょうね」


「うん。……でも、悪辣だね」


 首を振るしかなかった。つまるところ、ウミヘビは今回の騒動を作り出して、国内の反体制派を粛清したのだ。残った反体制派の人たちだって、あの様子では未来が暗いだろう。


 これで彼らの国の国内では、エルフレズ10世の権力がより強くなるに違いない。支配体制を盤石にするため、他国で騒ぎを起こすなど、言語道断ではあるけれど、その部分についてはセルベリアの舌鋒も届かない気がするとイーダは感じていた。


 こういうたくらみごとをする連中が、自分の尻尾を見せることなどないと思ったから。


 会場で発生したため息はそういった予想を包括していたものだ。ウミヘビの代表者イヴェルセンはそれを気にもせず、話題を今後の処理へうつす。


「貴国への補償は彼らの財産から捻出しよう。続きは――具体的な額や使用される通貨については、地上で」


 低い声は、暗さを帯びた重い声。コロシアムの床を覆う黒い霧のよう。話を先に進める建設的な提案のはずなのに、聞いている人々にはそれが土饅頭へ墓石を立てている光景に見えた。


 三つ首犬国の外交官はちらりと国王を見やり、その判断をあおぐ。王たるミミズクはちいさくうなづいて、承諾の意思をしめした。


「よろしいでしょう。しかしひとつだけ確認を。すでに貴国内では、その件へ決着をつけているのですか? 関係者たちをおしなべて確保し、すべからく罰を受けさせる準備ができていますか?」


 念のための確認、というよりもほとんど定型句のような作業の一種だ。いざ地上へ戻ってみたら「犯人に逃げられました」では困る。だから発言をうながし、言質を取っておくのだ。


 そんな儀式へ、ウミヘビの外交官は口元に薄ら笑いを浮かべて返した。


「彼らが開くべき口はない。震わせるべきのども、涙をたたえるための目も。……それが必要であれば、(冷たい寝床)から取り出してくるが?」


 処刑済み、そう言った。魔女は体を震わせる。


(全部、織りこみ済みってことか)


 スースラングスハイムの中では、最初から決まっていたのだろう。自分たちに都合の悪い国内勢力を駆逐するため、他国の勇者へ協力させることも、その勇者が死ぬことも。


 この調停会議で堂々と補償を申し出ることもふくめて。


 だから魔女の体のふるえは、恐ろしさや()()()寒さだけが理由ではなかった。


 ――勇者を倒した自分は、知らないうちに片棒を担がされていたのだから。


(ちょっと……くやしいな)


 自分の視野の狭さに、悪い言葉で毒づきたくなる。今回の件では、キマイラ同盟という国があったことすら知らなかった。国家がわざと自傷して、体の中の邪魔な血を流すことなんて考えつきもしなかったのだ。しかもシニッカの言によると、マルセル・ルロワとの戦いでも、彼らの影は自分たちへのびていた。


 自分の知っている国々は、大陸のたった3分の1程度。これが地理の授業であれば、きっと落第点を取っただろう。


「いいえイヴェルセン殿。滞りなく行われるのであれば結構。……議長、議題は決着したと認識いたします。まことにありがとうございました。第三者への意見聴取へうつっていただきたく、お願い申し上げます」


 長く続くと思われていた議題は、意外なことに1時間ももたず決着を見た。最後に行われるのは議題になるべく無関係な者による、合意事項への意見聴取だけ。


 通常、その役に適任なのはカールメヤルヴィの魔王シニッカだ。協力関係にある国家はあるが、基本的には国家間紛争に荷担しない。ただ『勇者』なる強き者が暴走した時だけ力を振るう、そんな存在なのだから。


 しかし今回は当事者のひとり。


 議長は選択肢に困窮した。


 テクラ教派とエレフテリア教派、そこに紐づくふたつの冒険者ギルド。これらが関係している国は選択肢に選びにくい。その上、ある程度影響力がある国を当事国以外から選択しなくてはならない。


 ネメアリオニアはだめだ。テクラ教を国教としているし、そもそもその獅子の国も、キマイラ同盟諸国とは隣国――つまりライバル関係にあるのだから。グリフォンスタイン帝国もおおきいが2大教派の中にいるし、世界樹教派の国といったら小国ばかり。唯一それなりにおおきいのがルーチェスター連合王国だが、残念ながらキマイラ同盟諸国とは友好関係にある。


「カールメヤルヴィの魔王、当事者であるところを承知で申し上げるが、本合意に対する意見をうかがえるかな?」


 結局いつもの選択肢。イーダはその判断へ、会議の平等性への取り組みが「うまくいっていないわ」と評したシニッカの言動を重ねた。


「承知しました、議長」


 魔王も嫌な顔ひとつせず要求へ応じる。ウミヘビにより残酷な現実を聞かされ、静まり返ってしまった議場を恐れる様子もない。


(これは話しにくい空気……。でもシニッカは受けちゃうんだな)


 ゆるゆると立ち上がり、晴天の下でシニッカは大衆の注目を集める。いくら彼女を信頼しているからといっても、イーダは少々不安に感じていた。


 ところが当の本人はいつもより明るい顔をして、現状を楽しんでいるとしか思えない。


(この度胸は一生追いつける気がしないかも)


 ペストマスクの下で苦笑する魔女を尻目に、魔王は臆することなく口を開いた。


「昨年同様、セルベリアの外交官については見事な弁舌だったと思うわ。論理的で巧妙で、それでいて聞き取りやすい。本来堅苦しくなりがちな演説を演劇なみにしてくれるのだから、これを無料で聞ける私たちは今年も幸せだったでしょう」


 わざとだろう。おおげさな言い回しに、まわりからも見えるようおおきな身振り。魔女は魔王のそんな姿をなんどとなく見ていたが、毎度のことながら周囲の人々へ聞く姿勢をとらせるのがうまいと感心した。


「一方のスースラングスハイムの代表も、対照的な登場人物として非常に興味深かったわ。太陽がまわれば闇夜もまわる。この大地の営みと同じ。昼も夜も等しくこの大陸へおとずれてくれるの。……まあもちろん、必ずしも同じ長さで姿をあらわしてくれるわけではないと、私の国は知っているのだけれど」


 極夜や白夜のあるカールメヤルヴィを話題に出す、冗談めいた言いぐさ。それで笑いがおこることはなかったが、かわりに観衆の表情はいくぶんかやわらいでいく。


「なんにせよ、両者のもたらした昼と夜は、大地へ国家を形成する者たちの代表が集まったこの場においてふさわしいものであったと思うわ。議論は不足なく十分された、ということもつけくわえて。まずは双方へ敬意をあらわします」


 魔王はいったん話を区切った。まわりを見まわすその所作で、今話したことへの異論がないのを確認しながら。そして納得感により議場を埋めたところで、彼女は話題を次の段階へ進める。


「さて、今回については、みなさん思うところがあったのではないかしら」


 魔王は舌をぺろりと出して、みなの感想の核心部分へ。「そんな話、よせばいいのに」なんて思ったのは、魔女だけではなかった。せっかく光を当てられて暖かくなった雰囲気が、黒い雲を思い出して雨にそなえる空模様となったからだ。


「本当にそれでよかったのかと思ったかもしれないし、意外な結末に感じたかもしれない」


 なのに魔王は、広い議場を見まわしながら、会話の歩を積乱雲の下へ進めていく。


「だから今日の議論を締めくくる役として、私はあなたたちの前でちゃんと宣言しておこうと思う」


 そして雨雲の下、スキップをするように言った。


「私だってたまには起きているのよ?」


(……んん⁉︎)


 魔女をふくめた全員は逡巡して、そのせいで一瞬の沈黙があって。


(……そこじゃないよ!)


 合点のいった全員が軽く噴き出した。万人を超える人がいたせいで、微笑みは議場へ黄色い花畑を作る。


 しばしその光景をニコニコしながら楽しんでいた蛇湖の王は、たっぷり余韻を味わってから締めの言葉へうつった。


「古い言い伝えにあるとおり、目には目を、歯には歯を。とはいえ私は、キマイラ同盟諸国の領内で害獣暴走(スタンピード)が発生するのを見たくはない。罪に補償がひもづけば十分。ゆえに、今回の議論の結果に異論はありません」


 晴れ空のようなきっぱりとした言いかた。


「調停の場を設けていただいたこと、天界の方々と神に感謝します。鉄の槍でなく、舌鋒をもって流血を回避した両国の代表にも」


 天使たちが聞きなれたお決まりの文句を最後に残し、一礼した魔王は自分の席へ。拍手がそこにそえられた。手を叩く者たちは一種の安堵につつまれていた。当然そこには会議を取り仕切る議長も含まれる。


 置かれたガベルをそっと手に取りながら、彼はあらためてこの世の特異さを知った。この場所で対峙したのは、ケルベロスとウミヘビ――ヒュドラーだ。もし両者が国家の姿をしていなければ、白い石で造られたこの建物も灰色のがれきになっていたことだろう。しかも両者の戦いを見ていたものの中にはネメア谷のライオンがいたり、グリフォンがいたり、ドラゴンの主がいたりする。なによりこの場には「蛇の湖の魔王」なる名前だけで意思の黒さを連想させるような存在だっていた。調停会議というよりも「混沌たちの会議」といったほうが実態により近いほどだ。いつ「宣戦布告」という言葉がこの青空の下へ姿をあらわすかもしれないのだ。


 でもどういうわけか、それらはたがいの縄張りを大切にしている。今回も三つ首犬は相手の体へ牙を立てず、ヒュドラーは毒で敵の四肢を壊死させなかった。両者がまとめた宣言文へ、魔王によるサインも記入された。


 結果事態は収拾へむかい、誰も死なずに議場を後にし、今日もベッドの上で寝られる。


「注目されたし!」


 カァン、カァンと高い音。今日はこれを振るうのも最後だ。


「本日の会議はこれにて閉幕とする! 各国代表ならびに参列された者たち、この会議へ協力してくれたすべての人たち、なにより本日を見届けていただいた神に感謝申し上げる!」


 終了宣言と同時に、万雷の拍手。それが終わるころには半分くらいの人は立ち上がり、議場を去ろうとしていた。


 司会席――聴衆たちを見上げる位置にある、議長と書記たちがいる場所で、大天使たちが羽をよせる。


「まずは1日目、毎回大役をこなされていることへ感謝申し上げますわ、議長」


「お疲れ様だぜ、議長。アタシがアンタじゃなくてよかった」


「ありがとう、ウルリカ、グレース。かたわらにいてくれたことへ感謝しよう。誰かが発言するたび、この老いぼれは2.54センチ(1インチ)ずつ腰が曲がっていくのだ。しかし君らがいれば『恥ずかしいところは見せられぬ』などと背すじをのばさんとならんからな」


「アンタが曲がって折りたたまれてしまわれて、調停会議のたびにチェストから取り出されるのを見たくないだけさ」


 冗談を言う大天使たち。几帳面にも彼らの言を書こうとする書記たちへ、転生勇者案内人が「そこは不要ですわ」と苦笑する。


「もしそうなったら温泉にでもつけておいてくれ。できれば()()()()()をかたわらに置いて」


「なら恐慌の山羊(パーン)を探しておこうか」


「ははは! 伏して願うから蜜酒の山羊(ヘイズルーン)を頼む!」


 上機嫌な議長の手には、上等な袋にしまわれるガベルとベース台。


 しゅるっと口をむすばれてできたしわが、孫に会った老人のように笑った。

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