笑う天使たち 9
議長の大天使が打ち鳴らした小槌によって、調停会議は幕を開けた。彼の簡単な挨拶の後、最初に行われた行事は開会式で、天使たちの楽団が奏でる荘厳な音楽と、踊り子たちの舞によって彩られていた。その時にはまだ、今回の議事がどのような結末となるか知る者はいなかった。
「――我らが冒険者たちの歯によってつかまれた、3本の鋭い剣は見事に、偽物の英雄と偽物の人間が持つ、偽りの心臓を貫いたのです」
開会式の次はさっそく各種の議題へ。小国が主張するロス地中海での漁業権が一定の理解を得たり、大陸南東部の小国が開拓の融資を募集してみたり。どの議論にしても歩みはゆっくりしていた。議題の最初には当事国が前提条件となる現状を説明し、もし味方についてくれた他国の証言があるのならそれが続き、そして当事国の主張に戻る。対して意義のある国は議長から発言を求められて弁舌を振るったり、挙手によって発言を許されたりする。
多種多様なことがらが人間の形になり、それぞれの問題を名札にして会議場へ出席しているようだった。フォーサスにいるさまざまな種族と同じく、そこにはさまざまな種類の問題があった。
「――まずは神と天使様たちに、勝利を感謝いたします。この人類の勝利は、みな様の加護があればこそ。あらためて深い畏敬の念と我らが祈りをささげさせていただきます」
その議題たちの影へ、常に2大大国――獅子の谷の王国と三つ首犬の王国の影響がうかがえるのは興味深いことがらだろう。たとえば小国同士をつなぐ部分のThe road of the giftsの整備において。その整備費用をセルベリアが負担するを申し出た時、ネメアリオニアは「各々の国が実施すべき」と止めたのだ。
慈善事業的なことを阻止する理由なんて、イーダにはわからなかった。善意で行うのならいいのではないかと。しかしシニッカはその裏にある事情を耳打ちした。
セルベリアは豊富な財力をバックに、お金のない国へ支援という形で影響力をおよぼす。つまり貸しを作る。当然、ネメアリオニアとしてはおもしろくない。だから阻止するのだと。
「――しかし、そもそもの原因はなんであったのでしょう? どこにあり、誰が関与していたのでしょうか? 強い力を持つとはいえ、個人であるレージなる者がおおごとをなすには、策謀の得意なおおきな組織が必要です。それはみな様も理解していらっしゃることでしょう」
小国だろうが、それなりにおおきな国だろうが、大陸の2強の思惑にゆれ動かされる。水に浮かぶいくつもの葉がその国々なら、2大大国は水面へ顔を出す岩だ。水の流れは岩の影響を受けるし、葉はその間を行ったりきたりすることしかできない。
「――先ほど蛇の湖の魔王が証言したとおり、この害獣災害は仕組まれたものでした。人為的に引き起こされた災害だったのです! そして我々は見つけました。レージの協力者であったヒルベルト・ランヘル・イダルゴという裏切りの冒険者が、どの国の冒険者ギルドから指示を受けていたのかを!」
しかし、ふたつの岩に立ちむかうため、葉っぱ同士を連結させて船にしている国家もある。そして大石のように重たい錨を水底へ落とし、葉の上で生活する人々の動揺をおさめているのだ。
それが混成獣の名を持つ同盟諸国だった。
「――その国家こそがキマイラ同盟諸国! とくに、盟主たるウミヘビの家王国の冒険者ギルドです!」
昼休憩がすぎて数時間、会議は今年の目玉になるだろう議題に入っていた。セルベリア西部のプラドリコ近隣で発生したスタンピードの、その黒幕は誰なのか。それがどのような罪に問われるのか。そしてどのように罪を言い逃れするのか。
各国ともに、ある程度の情報は得ている。とくにテクラ教を国教に定める国々は、教会という横のつながりをもって今回の事件を迅速に伝えられていた。黒幕が、大陸中東部にあるキマイラ同盟の中で、盟主の位置にいるスースラングスハイムにある冒険者ギルドであることも。
(はじまったんだな)
事件の内容をほとんど知っている魔女でなくても、同じ気持ちで会議に参加していた。舌鋒の応酬が長時間行われるだろう。一方で、その糾弾の矛先が相手の体に突き刺さることはないだろうことも予想している。
ウミヘビはその体でもって、のらりくらりと攻撃をかわし、会議の時間切れによって事件の責任をうやむやにするに違いないと。
事態を注視しなければならないのにもかかわらず、なんとなく結果が見えている会議。この議題に今年は何日費やすのだろうかと、ある者はそれにため息をつき、ある者はそこへ「大国につけ入るすき」という名の勝機を探し、ある者はどうすれば魔王のように堂々と眠れるのかと思っていた。
しかし議場は予想外の展開を見せる。セルベリアの外交官は、魔法でぼんやり光る紙束を取り出して掲げたのだ。
「――私たちはすでに、裏切りの冒険者がウミヘビの冒険者ギルドと交わした契約書を手に入れています! 必要であればのちほどみな様に手に取って見ていただきましょう! 人為的な害獣暴走という人類史上まれな悪逆非道が、どの国の誰の謀略であったのかを!」
耳の中でなんども響くような、よくとおる声をやまびこのように残し、外交官は口を閉じた。演説の時間の次は、ざわめきの時間が必要だ。言葉を聞いた各国の代表がその意味を理解するため、近隣の者と意見交換をし、現状を把握するための時間だ。
当然のことながら、魔界の代表団もその喧騒に参加している。
「あれは決定的な証拠になるね。魔王様、どう見る? 僕は予想外だったよ」
「私も同じよ」
「スタンピードが終わってから、まだ1か月だ。プラドリコからだって、スースラングスハイムに入るにはそのくらいの時間が必要だよね? より遠い首都にいたカルロス王は、どうやってあの情報を手に入れたんだろう?」
「たぶん密偵からでしょうけれど……それにしても早いわね。ちょっと不自然よ」
会話を脇で聞いていたイーダも、予想していなかった展開にその裏を探りはじめた。
「情報の伝達が不自然に早い、というのが変な点だよね? じゃあもしかして、カルロス王は最初からスタンピードの裏を知っていたとか?」
「それも否定はできないけれど、そうだとすると調停会議で大々的に取り上げるかしら。彼は取引が得意なの。自国に対する謀略を発見したら、それをネタにいつまでも慰謝料を搾り取るクチよ。『公にされたくなければ金を払え』という具合にね」
「そうか。じゃあ……逆はどう? スースラングスハイムがわざと情報をあたえた、とか」
「いい線だと思うわ。問題はなぜそんなことをしたかね」
歩みの遅い会議と逆に、3人しかいない彼女らの会話は端的で速度があった。1分に満たない会話は終わり、彼女らは次の展開を待つため議場へ目を戻す。
議長がガベルを鳴らし、「静粛に」の声を上げた。振りおろされる小槌と受け止める台座が張り切って仕事をしたから、その場はほどなくして発言の許される静けさを取り戻した。
司会者たる大天使は槌を置き、ウミヘビの家を見やって要求する。
「スースラングハイム王国、国王エルフレズ10世。本件に関して意見をうかがいたい」
発言権はウミヘビの王へ。しわの深い黒い肌と、泡のように口元を飾る白いひげ。そして王冠が作った影の奥で光る、狩りをする者の目。見る者を警戒させずにはいられない顔が口を開くと、表情筋が無数の蛇のようにうねる。
「議長殿、承知した。されど本件についてはイヴェルセンより発言することを許可いただきたい」
「許可します」と「感謝する」の短いやり取りを経て、王の横で男が立ち上がった。
(イヴェルセン。どんな発言をするんだろう?)
遠くにいるイーダからでも、その男が曲者だろうことは容易に確認できた。人間種か悪魔種かはわからないが、帽子を脱いだ彼の顔は真っ黒な蛇のいれずみでいっぱいだったからだ。
「発言の機会をいただいたこと、まずは神に感謝を。エミール・ヴィリアム・イヴェルセン、今日はケルベロスの前で」
ボソボソと低い小声でしゃべるのに、不思議と聞き取りやすい。それは声に張りがあるからだった。口の中でしゃべるのではなく、小声ながら口から音を矢のように放って語る。口から出たものはたしかに輪郭があり、それこそ森の中で見る蛇――ちいさいが動いていれば決して見逃さないもののようでもあった。
そしてその蛇は、とんでもないものを口にして運んできた。
「今回の件、まずは謝罪を。我々も本問題については確認を済ませており、その処罰についてここで議論したいと考えていたのだから」
国家間で行われる応酬とは思えないほどまっすぐな謝罪へ、ふたたびの喧騒が起こった。




