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笑う天使たち 8

 背もたれの高い国家代表用の椅子と、それを左右にはさむ背もたれは低いけど座り心地のよさそうな椅子。前には水がめとコップが置いてある、石でできた長机。机の手前端にちいさな穴が開いているのは、音声伝達魔法(マイク・スピーカー)が付与されている部分らしい。穴をくるりと囲む文字列に「Λάρυγγας κ(のど骨)αι() ζυγωματικό(ほほ骨) οστό」とあるのは、おしゃれな表現に思えた。


 議場の中央、低くなっている競技場部分には円形の石机。天使たちがそこへ座り、ひな壇を見上げてどの国の首脳がきたのかチェックしている様子。


(あらためて考えるとすごいな……。国家首脳たちが一堂に会するんだ)


「全員がそろうまで少し時間があるわ。会議がはじまっちゃうと無駄話もやりにくいから、今のうちに注目すべき数人を教えておくわね」


「ありがとう、シニッカ。でもその注目すべき人ってどういうこと?」


「地上へ戻っても忘れてはならない人、という意味よ」


「そうか……。うん、よろしく!」


「じゃあまずは彼女ね」


 魔王はみずからの右側90度の方向へ、指さすように視線を送る。その相手はずいぶん離れていたし、まわりに人も多くいたのだが、イーダには「彼女」が誰だか一目でわかった。


 司祭冠(ミトラ)――ボリュームのあるとんがった帽子と白い教皇服に身をつつみ、黄金の司教杖(バクルス)を持つ魚人種(マーフォーク)。その人は静かに座っているだけなのに、異常な存在感があった。天界で天使に囲まれているにもかかわらずだ。


「彼女がテクラ教の教皇、オンディーヌ6世よ」


 宝石箱の中でひときわ輝く大粒のダイアモンドのような、ともすればそこだけ彩度がぐっと上がった合成写真のような。イーダは転生前に見た1枚の画像を思い出した。白黒チェックの板の上へ円柱が立ち、影を落としている絵だ。A――光の当たっている黒の場所と、B――影の落ちている白の場所。AもBもまったく同じ灰色なのに、錯視によって違う色に見えてしまう。


 自分たちがいる席と彼女がいる席は同じものなのだろうかと思ってしまうくらいに、むこうのほうがより輝いているように見えた。この現象に名前が必要なら、錯視ではなくカリスマという言葉を持ち出す必要があるだろう。


「……彼女がテクラ教派の頂点にいる人なんだね。容易に近づけないほどの空気を感じるよ」


「気おされる必要はないわ。彼女は周囲のものを輝かせる特異な体質があるの。彼女の意志にかかわらずね」


「その体質には魔法が関係しているの?」


「ええ、特殊な魔腺を持つらしいわ。で、彼女はその力で威光をしめしたり、影をより深くしたりするのよ。信者のためならどんな善行も悪行も行えるとんでもないやつ。いわく、歩く美術品にしてだまし絵、慈悲と悪意の諸刃の剣、太陽の表側と暗黒の裏側を持つ1枚のコイン」


「こ、怖い」


「しかもフォンシア市国――地球でいうバチカン市国の国家元首もかねているから、議場での発言も許可されている。たぶん天使たちがその発言へ一番気を遣っている人物なんじゃないかしら。魔王たる私や2大大国よりもね」


「あぁ、この前シニッカが言ってた『国家元首以外は発言が許されない』ってしくみ、『うまくいってない』のは彼女の存在がおおきいのか」


「そのとおり。彼女が自身の影響力のおおきさを認識して、ほとんど発言しないのは救いだわ。もちろん預言天使テクラから『自制を』なんていわれているんでしょうけど」


(ふぇぇ……)


 魔女はいきなりの大物登場に面食らった。発言ひとつで世界を動かせるたぐいの人と同じ議場にいる、その現状にめまいがしてくる。かといって――


「次は彼、今入場してきた王様と、脇にいる従者ね」


 現実が手加減をしてくれるわけでもないから、話についていかなくては。


「キマイラ同盟の1国、盟主のウミヘビの家(スースラングハイム)王国。そこの国王エルフレズ10世と、従者のエミール・ヴィリアム・イヴェルセンよ」


 長い名前がたくさんあらわれた。魔女は情報量に負けないよう、むぅん! と気合をいれて、この状況を噛み砕く。ベルトコンベアーに載せられた製品をチェックする工場勤務者か、あるいはわんこそばをかきこむフードファイターか。どちらにしても天界という教室で魔王が教鞭を取る、異世界社会科の特別な授業を受けているのだ。楽しくないわけがない。生徒は持ち前のまじめさで集中力を湧き立たせた。


(「(スー)」「蛇の(スラングス)」「(ハイム)」か……。シニッカが国王だけじゃなくて従者も紹介したのは、なにかある証拠だな)


「出たね、キマイラ王国。ねえ、今回の冒険者ギルドの拠点って、もしかしてそのウミヘビ王国(スースラングスハイム)だったりする? そしてあの従者っていうのがくせ者だったり」


「やたら冴えているわね、イーダ。トランピジャスことヒルベルトは、スースラングスハイムの首都にある冒険者ギルドの所属よ。あの従者イヴェルセンは、そことつながりが深い。というよりスースラングスハイム自体がくせ者国家で、その中でとびっきりのひとりがあいつなの。たぶんだけど、マルセルの事件の時、裏にいた商人はあいつの手先よ」


「あの時の⁉︎ そうだったんだ。よし、覚えとこう。エミール、ええと、ヴィリアム・イヴェルセン。今回の黒幕候補筆頭だね」


「今日はどんな話が聞けるのかしら。ロクな話じゃあないでしょうけれど」


 肩をすくめる魔王の言葉に、魔女は「ええと……」とついつい言葉に詰まる。言いよどんでしまったのは「シニッカがそれをいう?」と若干あきれたからだった。


 世界の国々からしてみたら、カールメヤルヴィ王国とヴィヘリャ・コカーリだって、くせ者あつかいされているのに違いないのだ。ならウミヘビと枝嚙み蛇にはさまれた国々の指導者たちは、毒の対策に大量の血清を用意していることだろう。位置関係からするに、とくに2大大国においては。


「ああ、カルロスが入ってきたわね」


 うわさをすれば、ではないが、頭へうかべていた大国の指導者が入場してきた。ネメアリオニアのラウール2世と双璧をなす、セルベリア王国の国王カルロス6世だ。


(フクロウ? あ、ミミズクか)


 彼も教皇同様、人間種ではなかった。茶色に白がまじった体毛と灰色のくちばし、オレンジ色の()目に深みのある黒目。背中から生えた翼でマントのように体を覆い、ピンとはねた羽角(うかく)――ミミズクの由来である耳型部位の間へ、きらきら光る王冠を頂いている。脇にいるフード付きマントを着こみ、性別すらわからなくなっている人は勇者だろうか。


「あいかわらずカルロスは怖い見た目ね」


「そう? 正直許されるのなら顔をうずめたいけど」


 魔女の奔放な欲望を、およしなさいととがめるシニッカ。ふとイーダは「あれ?」と疑問をいだく。「怖い見た目」なんて言ったのはどういう意味だったのだろうかと。先ほどスースラングスハイムの従者をあえて紹介した時と同じく、なにか特別な意味があるのではないか。


(うーん)


 しばらく考えた黒髪少女の頭の中に、この日一番冴えたひらめきが夜闇を照らす落雷のように走る。


「あ! シニッカさ、猛禽類とかフクロウとか、狩りをする鳥って苦手でしょ? 蛇だから!」


「……そうは言っていないわ」


 ごまかすような口調の魔王のとなり、魔女はついに主人の弱点を発見してテンションが上がる。ついでにずっと黙りこんでいたペストマスクのドクターが、もそもそと歩き出し主人の視界の中へ。


「……ドク、なんのマネかしら?」


「ペストマスクのこれ、くちばしだよ」


「知ってるわ。そこにいると前が見えないから、おどきなさい」


「実は僕、猛禽類なんだ。翼もあるでしょ?」


「知らなかったわ、おどきなさい」


 魔界の天使はぞんざいにあつかわれたものの動じず、余韻たっぷりにゆるゆると定位置へ下がる。弛緩した空気をまとった魔界の一行は、その後も緊張感をどこかに忘れ、議場のあれやこれやについて井戸端会議のような話を続けた。しかしイーダにとって、それはよいことだったといえる。


 なぜなら入場した多くの国の代表や、今や1万人に達していた傍聴者の天使たちが真っ先に注目していたのは、他ならぬカールメヤルヴィ王国のメンバーだったのだから。とくにシニッカは人気者といえた。


 去年の調停会議もそうだが、魔王の言動には独特の空気感があるし、彼女は一種のエンターテイナーでもある。肩書は時に好戦的な印象を持たれるのにもかかわらず、彼女は会議を丸くおさめようとしてくれるし、そして実際にうまく話をまとめてしまう。だから天使たちは、安心して見られるユーモアのある人、という理由で好感を持っていた。


 まだ大勢の前に立つ経験の浅い魔女が、集中する視線に気づいたら、緊張で直立不動の銅像になっていたところだろう。事実イーダ自身も議場に入る前に、自分の顔を隠すペストマスクへ「なんて頼れる存在なんだ」と感謝していた。


 そんな彼女らのたわむれは、議場の中央へあらわれたふたりの大天使によって終わりを告げる。


 金髪と赤毛のふたりが議場へ姿をあらわすと、天使たちはおろか地上からきた人々からもざわめきが起こった。「2対4枚の翼を持っている特別な天使だから」というだけではなさそうだと、イーダは彼女らを見たまま魔王へ質問をした。


「シニッカ、彼女たちは?」


「大天使よ。2対4枚の翼を持つ、天界でも特別な存在なの」


「あれが大天使なんだ。立派な翼だね。でもどう特別なのかな。なにか重要な役職についているってこと?」


「そのとおり。赤毛の、ちょっと目つきの悪いほうが、婚姻の大天使グレース・レア・クルツ。天界でもっとも忙しい天使のひとりよ。なぜならフォーサスで行われるすべての婚姻を祝福し、『同衾の奇跡』をもたらしている張本人だから」


「彼女が⁉︎」


 聞いて驚く。イーダは教皇オンディーヌ6世の存在を見た時よりもおおきな衝撃を受けた。今まで紹介された人々は、多大な影響力を持つ人たちばかりだったけれど、世界律をつかさどるとなるとこれはもう格が違うのだ。


「す、すごい人が出てきたね」


 4枚の翼をふわりとさせながら、赤毛の大天使は席に座る。と、さっそく頬杖をついた。その所作はつまらない授業を受ける不良少女のよう。生前イーダはそういうたぐいの女子に軽々しく声をかけられなかったし距離を感じていたが、グレースについては堂々たる肩書を鼻にかけない親しみやすさにも思えた。


「……イメージと違うかも。婚姻の大天使グレースって、祝福が服を着て歩いているような、慈愛がにじみ出ちゃってるような人だって想像してた。意外と庶民的なのかな?」


「彼女は魔界に対する敵対心が高いし、私のことも嫌いだから、話しかけるのはよしたほうがいいわ。それに天界でもっとも口の悪い天使だったりもするの」


「ああ、うん。やめておくよ。……でも魔界で行われる結婚式は祝福してくれてるよね? カールメヤルヴィも異種族の夫婦って多いし」


「そこは大丈夫。仕事においては絶対の平等をもってのぞむ人物よ。彼女の役割は神様からあたえられた大切なものだしね」


 素直な性格は、ある意味もっとも信頼がおけるのかも。イーダは自分たちに敵対する者だといわれながらも、グレースに対して悪感情をいだかなかった。それはそれ、これはこれ。自分の守りたいフォーサスという世界で大切な役割を持つ人へ、むける悪意なんて持ち合わせていないのだから。


 婚姻の大天使への感情を決めたところで、もうひとりが気になりはじめる。光にすける見事な金髪と、いかにも天使という美しい女性についてだ。


 グレースに対する素直な感情とは違い、その大天使には違和感があった。それは敵意という形の感情ではなかったが、同時に親しみを覚えるには遠すぎるもの。古代ギリシャの人々を思わせる『キトン』という一枚布の服を着ているにもかかわらず、厚手の甲冑をまとっているようにも見える。


 なぜなら彼女が一瞬こちらへ視線を送り、キリッと戦意をむけた気がしたからだ。


 マスクの下で、イーダは魔女――ヴィヘリャ・コカーリの一員の顔をした。


「もうひとりは?」


「『女神たる転生勇者案内人(チュートリアル)』、ウルリカ・ヘレン・キング」


「……そう。彼女が」


「そうよ。あの大天使が」


 耳から喧騒が遠ざかり、視界から色彩が失われていく。


 暗い舞台の真ん中、チュートリアルと名前のついた大天使だけに光が当たるような感じを覚えた。


 魔女は彼女をじっと見る。目を離してはならないと思ったし、目に焼きつけておかねばならないとも感じたから。


「いわずもがな、彼女が勇者を地上へ送り出している張本人ね。私にとって不倶戴天の敵であり、命を賭け合う仲であり、生涯のライバルよ。彼女が白なら私は黒、彼女が赤なら私は青。炎と氷、剣と盾、コインの表と裏の存在。今日この場所にいる人類の中で、誰を忘れても彼女だけは忘れちゃならない」


「うん、わかってる」


「頼もしいわ」


 今まで話を聞いたことはあっても、姿を見たことはなかった。それが今日、自分の視界の中にいる。先ほどシニッカが言ったとおりの、ヴィヘリャ・コカーリ最大の敵が。


 自分の人生が物語だったとして、その最後の章に立ちはだかるのが彼女なのかもしれない。その時自分と彼女は、どんな表情をして、どんな言葉をかけ合うのだろう?


「イーダ」


「……うん、どうしたの?」


「戦う相手を間違えてはならない」


 魔王が瞳へ、晴れた日の湖面のような青をやどして言う。


「!……そうか、そうだったね」


 魔女は顔の前にある帽子のつばを指でつまみ、下へ引っ張った。過剰な戦意をやどした目から、相手へ感情が届いてしまわないように視線を切ったのだ。


「ありがとう、シニッカ。私たちが戦うのは『この世の神をばかにした者』と、『この世を踏みにじった者』だった。彼女がそうとはかぎらないよね。グレースと同じように、チュートリアルも神様からあたえられた大切な使命をこなしているだけなんだし」


「伝わってうれしいわ。もっとも、彼女と直接戦うことは、今後もあるかもしれないけれど」


「今後()? 以前戦ったことがあるの?」


「去年ね。調停会議の後、彼女からお茶に誘われたのよ。その席でカードゲームをしたの」


「……なにを賭けたの?」


「命よ」


「そういうことか」


 大天使は12の命を持つという。ならばあそこに座る金髪の大天使は、きっとその数をひとつ減らしているのだ。


「『さりとて火の粉が降りかかった時、それを払う手は必要である』、と。承知したよ、シニッカ」


「あら? それはなにかの本の引用かしら?」


「違うよ、私が今思いついただけ。でも引用っぽい台詞を口にすると、いかにも魔女っぽいでしょ?」


「ふふふ、さっそく雰囲気が出てきたじゃない。よい心がけよ」


 イーダは戦意の火がつけられそうだった心を、棚に置かれた薪のような形に変えた。きちんと整頓されており、まだ燃えていないから安全であり、いつでも手に取って火をつけられる感情だ。その状態にみずから気づいた彼女は、この心持ちが緑の円形章(ヴィヘリャ・コカーリ)の仲間がいだくにふさわしいものなのかもしれないと感じた。


 いつもは森の緑色。けれど、いつでも火の赤になれる。


 おそらくそれは正しかった。


「僕たちが殺す熊は、人の味を覚えた個体だけ。もしくは高い戦意と強い意志を持ったベルセルク『ホズヴァル・(ビャルキ)』だけ」


 口数の少ない魔界の天使がつぶやいたひとことも、同じ属性を持っていたのだから。

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