笑う天使たち 7
天界の大都市、Ἄθοςπολις。意味するところは花の都。世界樹が大輪の花にたとえられるのだから、そんな名前を首都へつけたのもむべなるかな。事実咲き誇る花のように、この都市は活気に満ちあふれていた。
雲の海と葉の大地の境界線、紅茶のウェハースのような色をした桟橋にスリーズルグタンニは到着する。旗をしまってぴょんと飛びおりた魔王は、猪へねぎらいの言葉を。それを追っておりた魔女は、しつこく黄金色の毛へ身を埋めた後、天使に服を引っ張られながら名残惜しそうにその場をあとにした。
3人の前にあるのはおおきな広場。おおきいタイルでしっかり舗装され、巨人が造ったのでなければどうやってできたか不思議なほど見事だ。外周は雲打ち際までぎっしりとならぶ倉庫と住宅街に囲まれている。そして奥にはずらりと軒を連ねているいくつもの宿屋。
「あそこが今日の宿泊施設よ。あのうちの1棟が私たちに貸し出されるの。カールメヤルヴィの国旗が飾られているのはどれかしら?」
「あ、左側のあそこにあるよ! すごいね、宿泊施設まで天界の人たちが用意してくれてるんだ!」
「基本、私たちはゲストだからね。ありがたいことに、みんな歓迎してくれるし。でもはしゃぎすぎちゃだめよ? もし天使の羽に埋もれたくなったなら、ドクで代用できるって思い出しなさい」
魔王は魔女へくぎを刺す。今のイーダといったら、人生はじめておもちゃ売り場にきた子どもだ。心を躍らせすぎて親に「静かにしなさい」と注意されるような状態だ。もしくは熱暴走するコンピューターの中央演算処理装置のよう。彼女の気分たるや100パーセントの上機嫌を維持したままで、「喜び」や「楽しみ」に分類される心のアプリケーションを落とさなければ、暴走してどこかへすっ飛んでいくことだろう。
「えへへ、わかったよ。でもこんな機会、年1回だけでしょ? できればもっといろいろな動物に出会いたいなぁ」
「それは調停会議が終わったらにしよう、イーダ。1週間ずっと会議をしているのはまれで、だいたい3、4日目にはお開きになるんだよ。残された時間は好きにすごしていいことになっている」
「これ以上にない朗報だね!」
「僕がふたりを案内するよ。生まれ故郷だし」
「本当に⁉︎ ありがとう!」
「じゃあ、それまでは我慢なさい。イーダ、会議が終わるまでは、念のためペストマスクを。今は私たちだけだけど、そのうち各国からいろいろな連中が到着するわ」
「あ、うん。じゃあルンペルスティルツヒェンのおまじないもよろしくね」
白いタイルの広場をよぎりながら、ようやく魔女はヴィヘリャ・コカーリの姿を思い出した。「柱をゴトゴト打ち鳴らし――」とリズムよく唱えられる詠唱に、白い床を叩く革靴が小気味よい合いの手を入れる。
魔王とペストマスク2名になったその小集団は、1棟建ての宿泊施設へ。迎えたのは天使の使用人ときれいな木目のオートマタ。その人たちにかしづかれながら、3人は天界での一晩を実に楽しくすごしたのだった。
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
場所が天界だろうと、大勢の前に出る時はペストマスクをかぶる。いつもはくちばしの中で滞留し、少々不快な生暖かい息。けれども今日は不思議と澄んで、のどを清涼な酸素がとおる。天界の空気は清浄機にでもかけられているのだろうか、イーダはちらりとそう思いながら、シニッカとドクと3人で歩いていた。
両目のガラスごし、見えるのは会議場へ続く広い道。ドラゴンやベヒーモスが列をなしてもなお余裕のあるほど幅があり、枝のような明るい茶色の地面へ広場と同じ上品な白色のタイルが敷き詰められている。両脇には白い壁に緑の屋根の住宅街。段差のある地形へ描かれた積み木のような四角い家が背比べをしていた。
もちろんそこには人の営みがある。カールメヤルヴィはおろかネメアリオニアの首都ル・シュールコーでも見なかったほどたくさんの露店と、大勢の人々。街を飾る人類はみんな天使種だ。いつまでも続く濃い青色の晴れ空の下で、強すぎず弱すぎない絶妙な光を体いっぱいに味わっている。
白い翼が集まって青空の下にゆれ動いているのは、綿毛の大蛇が宙に浮き世界樹のまわりをごきげんに散歩しているようで、魔界からきた少女は「あれが世界蛇だったら素敵だろうな」なんて考えていた。
(しかし、すごい人だかりだ……)
ドクの話では、今日は格段に人の出が多いらしい。いつもはもうちょっと静かなのだそうだ。理由はみんなが地上からの訪問者を見にきているから。自分たち地上の人間が1年に1回の日を楽しみにするのと同じく、天使たちもまたこの日を待ちわびていたと知り、魔女は少し照れくさい気持ちに。
なにせ道の脇で大勢の天使たちが、自分たちを見て手を振り、笑顔を投げかけてくれるのだ。こういうお客さんの前で宙に浮くのはマナー違反とのことで、背の低い子どもたちは父親やらお兄さんやらに肩車されている。「見ろ息子よ! あれが魔王様たちだぞ!」なんて声に、若干16歳の少女が返すべき表情なんて知らないのだ。
それでも幅広の帽子の下へペストマスクをかぶった魔女は無敵だった。その下で照れながらえへらえへら笑っていたって、誰にも見とがめられやしない。そのうえめずらしい生き物や変わった建物を見つけてそれを凝視しても気づかれることすらない。シニッカのように適切なタイミングで民衆へ手を振ったり笑顔を送ったりする配慮もいらなかった。
宿から徒歩でたっぷり30分くらい、イタリアのコロッセオによく似た円形議場に到着する。外縁はいくつものアーチになっており、オーガ種でも身をかがめることなくくぐれるサイズの入り口がいくつも設けられていた。特別な場所にきたという事実へドキドキしながら、アーチを抜けて左右に用意された階段へ。数十段もあるひな壇の真ん中くらいに出ると、内部全体が見渡せる。
直径は100メートルくらいあるだろうか。地球のものと違い楕円ではなく正円だ。このおおきさなら収容人数は1万や2万じゃきかないだろう。でも今日はすべての席が使われるわけじゃない。第1層部分、下の10段くらいは使われないで、各国首脳は第2層部分へ。全体の半分くらいの位置へ設けられたそれぞれ席は、15メートルくらいという広い間隔で用意されていた。ちなみに3階のひな壇はくじに当たった天使たちへ割り振られており、すでに千人以上が入場を終わらせている。
イーダは視界に広がった風景へ目を奪われながら、仲間とともに階段を上がっていった。これだけ広いと「私たちの席ってどこ?」なんて事態に陥りそうだったものの、そこはあちこちに立っている天使が上品な仕草とともに案内をしてくれた。
(ここが私たちの席か)
たっぷり歩いてようやく到着。同時に、そこへ座るというのは会議の参加者へ名を連ねると同義だ。
もちろん発言の機会なんてないのだけれど。
(そのぶん、しっかり勉強させてもらおう!)
決意を新たにした魔女のまわりで、調停会議の準備は着々と進んでいった。




