笑う天使たち 5
翌朝は月も変わって5月1日、日曜日。消化不良の重たいお腹をさすりながら、イーダは王宮の食堂にいる。過去の勇者(正確にはその使い魔)に王宮が壊されたせいで、バグモザイクだらけのホールをのぞけばここが唯一の集会所。重要なこともそうでないことも、ヴィヘリャ・コカーリがここで集まって話をするのはお決まりの光景だった。多数の来客を収容できるよう広く作られたこの部屋において、その片隅、暖炉の近くの一角へひかえめに輪を作るのも。
といっても今日のイーダはシニッカとふたりきりだ。バルテリとサカリは自宅で休日をのんびりすごしているらしいし、ヘルミはおそらく養蚕にいそしんでいることだろう。ドクは王立錬金術師協会でお仕事。アイノはというと、バンカーと呼ばれる自分の家へ帰らずに、まだイーダの部屋で眠りこけていた。
「明日はいよいよ天界に行くんだよね? ちょっと緊張してきちゃったよ」
明日から1週間、天界では調停会議が開催される。本当は例年5月1日からなのだが、おととしから3年連続でオートマタの動かせない金曜日・土曜日にかぶっており、準備のため開催日が後ろにずれていた。
今年は2日から8日まで。初日は移動、2日目から会議がはじまる。
「別に緊張することないわ。天界でのトラブルはご法度なのだし、そんなところで争いごとをするやつなんていないんだからね」
「でも舌戦は行われるんでしょ? 今年はエレフテリア、天秤天使教会系の冒険者ギルドの件もあるし」
勇者レージの率いた害獣暴走を、裏で支援していた天秤の冒険者ギルド。その暗躍の証拠はヒルベルト(トランピジャス)ごと、セルベリア国王のカルロス6世へ引き渡されていた。あの裏切りの冒険者が天界へ連れてこられるかは微妙だけれど、少なくともシニッカはその件について証言をする予定だ。
そう、証言をするだけ。つまり暗躍した者たちへ舌鋒をむけるのは魔王ではない。
「私はシニッカが例の冒険者ギルドを糾弾するものだと思っていたよ。カルロス王がやるんだね」
「私は当事者だけれど、直接被害をこうむったわけではないからね。だから本来はテクラ系冒険者ギルド長が声を上げるべきなんだけど……調停会議で発言権があるのは、国家の首脳陣とそのお供だけなのよ。各冒険者ギルドのギルド長も列席するにはするのだけれど、特別に指名されないかぎり議論へ参加できないの。だからカルロスがその役をになうのよ」
「冒険者ギルドって国をまたぐ巨大組織だよね? てことは国家よりも発言権がありそうだけど、それを決まりごとで封殺しちゃうのはなんで?」
「一番強力な勢力に会議のイニシアチブを取らせないためね。調停会議は各国の融和を推し進めるための場だから、小国でも発言ができなければならない。そうして決まった『より平等な』結果に対しては、天界がお墨つきをあたえるのよ。『会議後に反故にしたら天界の加護を失うぞ』ってことね」
「でも去年は2大大国が議場を支配していたんでしょ? 平等な話し合いって、うまくいってるの?」
「うまくいっていない。完全に平等な枠組みなんて存在しえないし、各国は自国の権益を守るために会議を利用しようとするから。でもないよりはマシでしょう。話し合いの場があるのとないのでは、後者のほうが絶対にいいわ。強い勢力の暴走を制御するためにもね」
調停会議の存在理由について、イーダはおぼろげながらとらえられた。けれど、そもそも不思議に思っているのはちょっと違う部分だ。
「疑問なのはさ、今回カルロス王は誰を糾弾するの? ってこと。冒険者ギルド長を証言台に引っ張り出すのかな?」
「それもするでしょうね。『支部が勝手にやったことを謝罪する』なんて感じでかわされちゃうでしょうけれど」
「うわぁ、トカゲのしっぽ切り……。ん? それもするって?」
「おそらくカルロスは粗相をしたギルドの拠点がある国家へ矛先をむけるでしょう。冒険者ギルドなんていう実態を把握しにくい相手よりも、形のしっかりしている相手へね。ゆくゆくは『あなたの国にある拠点で発生した悪事によって、わが国の街が不利益をこうむった。だから補償せよ』と話を持っていきたいのだと思う」
「その国って?」
それがネメアリオニアでないことくらい、イーダにも理解できている。あの獅子の国にある冒険者ギルドはテクラ教派、つまりプラドリコのギルドと同一の組織だ。今回の冒険者ギルドはエレフテリア教派。
でもそんな国、近くにあったっけ? カールメヤルヴィの隣国、ラブンハイムとかかな? そう思っているイーダへ新たな国名が姿をあらわした。
「キマイラ同盟諸国よ」
「す、すごい名前だね。諸国ってことは1国ではないの?」
「ええ、そうよ。場所はアストリ地中海の北側、シュワベンランドね。場所はわかるかしら?」
「ええと……」
唐突にはじまった地理の授業。生徒イーダは頭をひねる。たしかシュワベンランドは大陸中部の地域だったはず。しかし行ったことがないから、位置関係を思い出すのに苦労した。
そもそも、この大陸はおおきく分けて3つに分かれているのだ。北部、中部、南部といった具合に。
復習がてら、魔女は過去にサカリから教わったおおまかな地理を思い出すことにした。
北部は最北端カールメヤルヴィから2大大国の上半分までを内包した地域。大陸西側にがばっと口を広げるロス地中海と、大陸東側にかぱっと口を広げるロンネ湾よりも北の部分になる。アルバマ・ツァーリ国やラブンハイム共和国、グリフォンスタイン帝国、そして2大大国であるセルベリア王国とネメアリオニア王国の北半分なんかがそこにある国だ。ちなみにルーチェスター連合王国はロンネ湾の沖にある島国となっている。
中部は大陸で一番おおきい地域だ。西側はロス地中海の南からさらにずっと南西に広がる広大な大地、東側はロンネ湾の南からアストリ地中海(この世界には地中海が2つある)まで。とくに南西部は砂漠があったりジャングルが広がっていたりと未開拓の部分が多い。
最後に南部。アストリ地中海よりも南側の地域で、未開拓具合でいったら中部に勝るとも劣らない。この地域は、常に大型の台風が来襲するせいで人類の生息できるような場所がかぎられているのだ。
(……アストリ地中海か。行ったことないな)
中部地域のアストリ地中海どころか、イーダが冒険で訪れたのはすべて北部の範囲内。地域の面積で考えても大陸の6分の1程度。中部や南部には北部と違った気候や文化があって、おそらく見た目もおおきく異なるだろう。イーダは自分の知らない国々に暮らす人々や生物が、自分の知らないうちに生を謳歌しているなんて、楽しみにしていた特番を見逃したような気分になる。もしモドキではないスレイプニルがこの地域への定期便を出していたのなら、徹夜してでもその搭乗券を購入しに列へならんだに違いない。
(そのうち悪魔召喚で行けるかな?)
魔女は海外出張を楽しみにするサラリーマンのような欲望をいだいた。地球でパンデミックがおさまっているのか定かではないが、楽しみを奪われた人も多かったのかもしれない。
「……イーダ?」
「あ! ごめん、トリップしてた」
「トリップとはまたごきげんね。どこに行っていたの?」
「えへへ、大陸東部のアストリ地中海。で、そこの北側に広がるシュワベンランドにキマイラ同盟諸国はあるんだよね?」
質問へ「じゃあ説明するわね」と、魔王は教鞭をとってくれた。新しい国名であるキマイラ同盟の概要だ。
大陸中部地域には2大大国の領地がおおきく食いこんでいる。それに対抗するため出現したのがキマイラ同盟諸国だ。これはシュワベンランドへ東西に4つ連なった国家群のこと。大国である獅子の国や三つ首犬の国に負けないよう、経済的・軍事的な同盟をむすんでいるらしい。
「東からスキュラの街王国、カリュブディスの城王国、ウミヘビの家王国、いて座の王国。キマイラの名のとおり、4国ともに国家守護獣の加護を受けた状態で1つの勢力として存在しているわ。国境を接するネメアリオニアとセルベリアに負けないよう、そうなったのね。2大大国それぞれはキマイラ同盟よりも強い国なのだけれど、当然ながら容易に対立はできない。戦争なんてしたら、わき腹をつつかれちゃうし」
3すくみ、とは少し違うけれど、大陸中央部には奇妙な3角関係があった。そうやって勢力均衡――バランス・オブ・パワーと名札のついた秩序が形成されているのだという。
場所の確認はすんだので、イーダは責任の所在の話へ戻る。
「じゃあ今回カルロス6世は、キマイラ同盟へ補償を求めるんだね?」
「そうね。ただ……まだうまくいかない公算が高いわ。罪を問うにはちょっと準備期間が短すぎるし、今回は議題に挙げるだけとするんじゃないかしら。『我々セルベリアはこんな理由でキマイラ連合と紛争案件を持つにいたったから、まわりの国は覚えておくように』って」
「直接的なぶつかりあいを避けているような言いだね」
「カルロス自身も戦争よりは商業でうまくやりたい性格だし、相手を追いつめる証拠が足りないのなら無理はしないでしょう。でも一国の王が問題を口にするだけで、まわりの勢力には影響があるのよ。小国がセルベリアへ友好をしめすには、エレフテリア系の冒険者ギルドよりもテクラ系のギルドを使うようになるかもしれない。そうでなくても国がなめられないようにするため、利益はちゃんと主張しておかなきゃ」
「へぇぇ。なめられないように、か。そういうものなの?」
「たとえば自分たちがどこかの領地を不法占領して、相手側からの反発が少なかったら? きっと国際社会へ『正当な行為だった』って主張し続け、いつしか既成事実にしてしまうわ。まあ残念ながら、私は主権がなくてそんなことできないけれど……。でも交渉の上で無理とわかっていても主張することは、一定の価値を生むのよ」
そっかぁ、なんて、イーダはちょっと圧倒された。調停会議にはいろいろな国の目論見がチーズのようにぎゅっと凝縮されている様子で、そこにあいたいくつもの穴から悪意が漏れ出ているようにも感じたからだ。
(ん? あれ?)
外交上の難しい問題について、現在のイーダには考えるほどの知識がなかった。しかし友人のささいな矛盾点なら、指摘できるくらいに注意深い。
「カールメヤルヴィから出席すべきなのって、内政への主権を持つ首相なのでは?」
「そうしてくれてもいいのだけれどね。ルーチェスター連合王国なんかは、女王と首相の両方がくるし」
「じゃあなんで?」
「首相から委任されているのよ。『たまには国家にかかわる仕事をお願いします、Your Majesty』って。失礼しちゃうわ」
「わぁ……」
すごく怖い。というか危うい。
首相は恐ろしく思わないのだろうか。一緒に行けばいくらでもフォローできるはず。なのにこの自由奔放でいたずら好きで、主たる仕事が勇者の暗殺である蛇に、ひとりっきりで外交の最重要部分をまかせるなんて。
もちろん、シニッカならちゃんとわきまえて行動できるのだろうけれど……。
「私だってヴァルプルギスの夜の2日目を楽しみたいのに。あいつだけずるいわ」
「……え⁉︎ まさか、嘘でしょ?」
ここにきて、イーダは魔界をなにも理解していなかったことに気づいた。ちゃんと理解できていなかったのだ。ここにいる多くの人が悪魔種であり、当然のことながら人間種とはちょっと違う思考形態を持っていることを。
「首相って、政治よりお祭りを優先しているの……?」
「そうよ。あなたからも『けしからん!』って言ってあげて?」
そうだった。悪魔は享楽的な種族だった。
だって街の中に堂々と娼館があるし、他人の不幸が題材の夢魔劇場が今日も絶賛上映中だし、路地裏でたむろする不良少年たちは「俺は人間の体を食べたことがある」なんて大声でうそぶいているのだし……。
「シニッカ、私気づいたよ」
「なにをかしら?」
「ここ、魔界だった」
「あら、ようこそ蛇の湖の王国へ、魔女さん」
昨日の夜に引き続き、ぐぬぬと変な声が出る。そんな声を出した理由の半分は、まだ名前も覚えていないこの国の首相。もう半分は明日この魔王と一緒に天界へ旅立つという事実。
ついでに目の前のシニッカへ、ちょっとした怒りをぶつけた。
「今のは聞かなかったことにしたいね!『本当に大丈夫かな』って思って、よけい緊張してきたよ!」
「大丈夫、私は平気よ」
蛇はにょろりと言葉をかわす。長い舌をちらつかせながら。
そこへ話をややこしくする者の黒い影。
「イーダァァ! お腹すいたよぉ!」
昼をすぎてようやく意識を浮上させた潜水艦。彼女が食堂に乱入したことにより、魔女はとりあえずお腹を満たすことにした。
「むう。わかったよ。とりあえずご飯を食べに行こう」
ここは食堂だというのにその場を出る。
「今日はオートマタが動くわよ?」
視界の隅には、あご骨をふるわせる骨53号。
「うん、その言葉もね、聞かなかったことにするよ」
イーダは骨を無視すると決め、ケンタウロスの料理人がいるお気に入りの食堂へ出かけるのであった。
潜水艦だけでなく魔王もそれに続いたから、骨人の料理人はいつまでもカタカタと耳障りな音を発していた。




