笑う天使たち 4
魔女といえばサバト。
魔女たちが土曜日の夜に行う集会で、たいがいは公序良俗に反するろくでもないことを行うとされている。大酒を飲んで、大声で歌って、あと……ごにょごにょなこともして、なんていう。その中でも年1回、4月30日から5月1日にかけて行われる一番おおきな魔女集会がある。いわゆる『ヴァルプルギスの夜』というやつだ。
といっても、それは現代地球に伝わるお話であって、本当に魔女がいたのか疑わしいその場所で、サバトやヴァルプルギスの夜が悪いイメージで語られるのも当然だろう。では本当に魔法があり、魔女がいるこの世――フォーサスではどうなのだろう? とくに魔界なんて異名を持つカールメヤルヴィ王国では。
(……イメージと違う)
やっぱり想像と違った。
まあ想像と現実が違うことなんてよくある。魔法のあるフォーサスを持ち出さなくたって、地球においても常に身のまわりへ点在しているユビキタスな事象だったのだ。たとえば大福餅のように丸っこくてかわいいホッキョクウサギが立ち上がった時なんか。生前にスマホでその姿を見た時、「そんな、嘘だ……」と世界の終焉を予感させる台詞を吐いてしまった。
でもなりたての魔女であるイーダにとって、フォーサスでのサバトやヴァルプルギスの夜がどんな実態を持っているかなんて期待せずにはいられなかったし、その分裏切られた感というものもおおきかった。
だって、ほんとに飲んで、歌って……ごにょごにょなこともしているのだし。
今日、魔界はお祭りだった。ヴァルプルギスの夜を祝うVapunaattoだ。おおきくない街の広場には露店が立ちならび、大量のたいまつが燃やされ昼のように明るい。人ごみの中心にはシニッカもいるはずだが、イーダの位置からではよく見えない。国王が参列する、というか参加するこのイベントは無礼講。小動物をあさるハイエナのように群がった魔族の真ん中で、彼女が無事であることを祈る。
12月祭りの時は1か月陽気な日が続いたけれど、今夜の騒がしさはそれを1晩に集中したかのようだった。冬に消費しなかった大量の飲食物が破格で振る舞われ、老若男女みな騒いでいる。「若」の部分にあたる子どもまでお酒を口にしている様子なのは……まあこの国に飲酒を禁じる法律がないことから、いいのだろう。でも、そのおかげで16歳である自分と同じ年代(少なくともそう見える)の女子が、ひどい悪酔いをしているのはいただけない。
「イーダァァア、なに飲むのぉ?」
人だかりを遠巻きに見てベンチに座るイーダの頭上、ぐでんぐでんに酔った潜水艦がふよんふよんと宙に浮く。ぐねんぐねんと身をよじらせて、上下も左右もあったもんじゃない。
「……ミルク」
「母乳⁉︎ 母乳とは、うならせる選択だねぇ。誰の?」
「牛か山羊でお願いします」
「え! それ誰だよぅっ⁉︎ 私に隠れて、どこの泥棒猫!」
(誰か助けて!)
たちの悪い酔っ払いにからまれるという経験をして、イーダはほとほとまいっていた。アイノはどうやら酒癖が悪いらしく、お祭りがはじまってから早々にこの状態へ移行している。酒の神は海の神よりも多くの者をおぼれさせたり、とはよくいったものだ。海中にあっては強者たる潜水艦といえど、アル中になってはこのありさまなのだから。
「赤道祭! みんなはだかで、飲み放題!」
もうわけがわからない。いや、かろうじて5・7・5を刻んでいた気がする。アイノは日本語も話せるようで、時々あきらかに聞き取りやすい言葉を話すことがあるのだ。
まあ酔っていては聞き取りにくいことに違いないけれども。
「あ! シニッカ!」
もうどうしようかと思っていたところ、騒ぐ国民に囲まれた魔王がようやく解放された。普段と変わらぬ立ち姿、背すじをのばしてこちらへ歩みよる。
「シニッカ、助けて! アイノがひどい!」
「アイニョはいつもひどいもにょよ?」
(お前もか⁉︎)
シーザーの前にあらわれたのは、真っ赤な顔のブルータス。ブルーなのに赤とはこれいかに。よくまっすぐ歩けたものだ。
「ふぇぇ」とあきれまじりのため息をつき、イーダはとりあえずシニッカを介抱することに。この顔色では相当に飲んだのだろう。勇者が使うという「ステータス」魔法で今の彼女を表現したら、濃紺の髪と赤い頬がまざった毒のような紫色をしていそう。
(ええと、酔い冷ましは……そうだ)
「<ᚾ、酔いをやわらげよ>」
不足をあらわすニイドのルーンへ、それをおぎなうように言遊魔術をつなぐ。といっても金のショウガ――つまりウコンがこの世にあるかは微妙だけれど。大陸の東航路で入手できる香辛料にふくまれていないだろうか。
「……ふう。あら、だいぶ楽になったわ。ありがとう、魔女さん」
どうやらうまくいった様子。
「どういたしまして。シニッカって、お酒飲んだっけ?」
「普段は飲まないわ。蛇がお酒を飲むとろくなことにならないから。ヴリトラもケツァールコアトルも、ヤマタノオロチだってそうだったでしょう?」
「……よくそんな蛇たちの共通項さらっと出せるね。じゃあさ、だったらなんで今日は飲んだの?」
「だって私の国民に囲まれたらそうしたくなるじゃない。いつもは街を歩いても距離感があるけれど、今日は別なのよ」
ああ楽しかった! と、魔王はニコニコして体をのばす。知りうるかぎりで最上級の上機嫌。語尾に音符でもつきそうだ。彼女の行動が王様らしいかは疑問符だけど、彼女が国民を愛しているのはよくわかる。
「いつも飲みすぎてしまうのよね。そして翌日に引きずるの。毎年、調停会議があるというのに」
「前にバルテリから『魔王様は調停会議中でも寝るぜ』とか聞いたよ。あれってお酒のせいだったんだ」
「毎回5月1日にやる会議のほうが悪いのよ。<水よあれ>」
魔王はからっと笑い、指をくわえて水を出した。こくこくのどを鳴らして飲むと、口から出した指に唾液がつたう。
「お行儀悪いよ、シニッカ」
と言ったものの、所作から感じる妖艶さは今日の夜にふさわしいのかも。祭りの騒ぎに目をやると、お酒で汚しちゃだめなくらい高そうな衣装を着た人たちが、そろってかたわらに夢魔をだきよせていた。飾り窓――夢魔街にとっても、今日は特別な日なのだ。
まったくどうかと思うが、毎週土曜日の夢魔街では「魔女の祝福」などというキャンペーンが打たれている。どんな内容なのかというと、1割引と衣装の無料貸し出しだ。マカイオニカイコが各地で大活躍しているとはいえ、フォーサスにおける衣料品というのはそんなに気軽な値札をぶら下げられているわけではない。というか吊り物――地球の衣料店でよく見られる作り置きの商品はあまりなくて、ほとんどがオーダーメイドなのだ。それを20年とか30年とか、長いこと大切に着る。成長が早い子どもの服なんてほとんどが誰かのおさがりだ。
だから衣装は貸し出しも多い。そんな貸衣装が魔女の祝福のキャンペーン中は無料だ。
当然、夢魔街の衣装は割とそれ用に特化していて……まあ色っぽい。娼婦たちがだきよせてくれる対象(当然異性ともかぎらなければ同種族ともかぎらない)のお気に召すものを召し物にして、お仕事にいそしむためだ。「魔女の祝福」という名前へ、魔女たる自分としてはポリコレを声高に主張したくもなる。もちろん、楽しむ人たちへ水を差したくはないからおとなしくしておくけれど。
「みんな、その……お盛んだね。火遊びってやつの真っ最中なのかな?」
火傷しなきゃいいけれど、月並みだけれどそう思う。
「魔界と娼館は切っても切れない仲よ? そこにお祭りがくわわれば、切れるどころか深くくっつくでしょ?」
「表現がいやらしいよ……」
はぁっとため息をついた魔女ではあったが、興味がないといったら嘘になる。むしろ許されるのであれば夢魔たちに聞いてみたいとすら思っていた。そこまでであれば思春期の女子として当然の思考だった。
けれどやはりというべきか、イーダは少しずれている。実際火遊びに興じる際の情景や雰囲気、もっといってしまうと床の上でかけられる言葉なんてものに興味がない。彼女が知りたいのはどうやって子どもができないようにしているだとか、どんな会計システムになっているのだとかいう知識探求型の目線だ。
もっとも16歳の彼女が持ちうる唯一の性的な経験は、冬にバルテリからされた床ドン程度。空中でのたうちまわる潜水艦――悪酔いがすぎて吐しゃを我慢しているアイノのほうがまだ知識は豊富だった。
イーダはシニッカにそういう話題を振ると取り返しがつかなくなりそうな予感もあったから、頭上の潜水艦へ声をかける。
「アイノは娼館のことどれくらい知ってるの?」
「……気持ち悪くなってきた」
「そっかそっか」
立ち上がり、逆さまになった潜水艦の頭へ両手をあてる。そしてぐっと力をこめて自分のもとから遠ざけた。ふよよ、と数メートル宙をただよったアイノは、押されたことに反応もせず、赤黒くなった顔を地面へむける。
爆沈しそうな潜水艦から顔をそらし、目線を魔王へ。蛇がとぐろを巻かんばかりに、地面へ転がり丸くなっていた。ここで寝ようという魂胆だろう。
「シニッカ、ここで寝ちゃだめだからね」
「冬眠を邪魔してはならないわ。それが熊であれ、蛇であれ」
「そういうのいいから。あんまり寝転んでいると、バルテリに食べられちゃうよ」
先日の送り狼事件を思い出し、ちょっとだけ引用する。
「……『飛ぶ鳥を見ていただけ』よ?」
(む?)
それはあの時私が言った台詞だと気づいた。しかしシニッカにあの時のことを話した記憶はない。
「……誰から聞いたの?」
「さっき街のみんなから。うわさになっているわ」
「なぁ⁉︎ はずかしいよ!」
「手遅れよ」
ぐぬぬと顔を赤らめる魔女の後ろ、宙にただよう潜水艦がついに爆発をおこした。つまり、ありていにいうと吐いた。あたり一面へ不潔な機雷源を形成したその生物はしばらく痙攣していたものの、10秒後には実にすっきりとした表情で帰ってくるやいなや、魔女と倒れる魔王をつかんで祭りの真ん中へ曳航しはじめる。
「さあ、続きを飲もう!」
「あら、望むところよ?」
「私は遠慮するからね!」
抵抗むなしく連れられて、3人で祭りの真ん中へ。
結局街の住人たちから、あれやこれや珍しいものを片っ端から食べさせられたイーダは、二日酔いたちに囲まれながらサバトらしい混沌とした夜をすごした。




