笑う天使たち 3
女神たるチュートリアルこと、ウルリカは帰宅した。乗せてくれた一角獣へねぎらいの言葉をかけた彼女は、さっそく部屋に入ると手にした手紙の封を切る。
地上からの手紙。リプスに出むき仕事を手伝っていたのは、これを受け取るためだった。以前供物に手紙がそえられていたのを見て、同じ方法であれば地上から魔王と勇者の動向を報告してもらえるのではないかと考えたのだ。そこで自分のもとをおとずれた勇者や、調停会議のさいに地上からきた人たちへお願いをしていた。今回はプラドリコの商人から。ごく最初期の手紙の数はかんばしくなかったが、1年とたたずにそれは月に10通を超えるようになり、今やウルリカは天界における地上の情報通といえるほどだった。
(……ああ、レージ様が亡くなられたのですね)
彼女はうなだれて、表情を曇らせる。
(私のご案内が、不十分だったのでしょう……)
「レージ様、申し訳ございません」
懺悔にも似た言葉をぽつり。なにが足りていなかったのか、どうすればよかったのか。そんな思いがぐるぐると頭をまわっていた。
これで死者は27人目。ここ20年で数十名の勇者を送り出してきたが、3分の1くらいが命を落としている。非常に、いや異常に多い数といえるだろう。彼ら彼女ら勇者は一般の人々に比べて強い力を持っているのだ。通常ならば死ににくいはずなのに……。
ほとんどは魔王のしわざだった。勇者たちは「魔王を倒す」という宿命のような義務感をその意識にやどしている。だからか、時に無鉄砲な方法で魔王シニッカと戦い命を落としてしまう。いくら転生案内でていねいに伝えてもだめだ。もしかしたら放たれた矢に「飛ぶな」というくらい無理なことなのかもしれない。彼らからしてみれば、生きる目的――みずからが世界におり立った使命と反するように聞こえているだろうから。
手紙を読み終わる前に、ウルリカは両手を組んで目をふせて、祈りをささげた。
「神よ、私は信仰心をあなた様にささげます。永遠に――私の人生のはじまりから、この世界の終わりまで。そして伏して願います。どうか如月寺礼二様の御霊を守りたまえ。無事永遠の安息につつまれるよう取りはからいたまえ。生前なしたことにかかわらず、彼の人生がけがされることのなきよう。……ウルリカ・ヘレン・キング、天界の小部屋、英雄の玄関口より」
手をほどくと、指が小刻みにふるえる。27回目も繰り返したのに、どうやら慣れることはなさそうだ。
ふぅぅ、と長めに息を吐く。椅子の背もたれに背中をつけて、天を仰ぐように頭をあずけると、キィっと悲しげな音が鳴った。
(……また、いれずみを彫りに行かなくては)
ゆっくり体を戻しながら、ウルリカは左腕の長手袋を外す。手首かららせん状に刻まれているのは、散っていった勇者たちの名前だ。ファーストネームだけ書かれているのに、もうひじまで半分を切っている。蛇のように青黒いそれが、いつか自分の腕を食らいつくすと予感し、たまらなく不安になった。
けれど彼女は負ける気などない。とくに自分の責務には。
(努力を続けなければ)
大天使の多くは2対の羽とともに特定の義務を持ち、それを世界へ行使する。自分にあたえられたのは転生勇者案内という役割。これは神からさずけられたものだ。誰かに教えられたわけでもなければ、神からそう言われたわけでもない。でもそう確信できる証拠がある。
右手の長手袋も外し、そこへ魔力を送りこむと、手の甲に文字が浮かんだ。「ᛠᚳ」の文字が意味するのは神の名前。神からの義務を持つ者へ生まれつきに刻まれた、誇り高き紋章だ。
ウルリカはようやくほほ笑んだ。前をむくためにはそうするしかないと思っているし、余裕をもって笑っていなければ勝てないだろう相手のことを思い出したから。
もちろん、蛇のことだ。自分の左腕に巻きつくものを生み出した張本人だ。
(調停会議も近づいてきましたわね)
魔王とは1年ぶりの再会になる。なぜかペストマスクがよく似合う濃紺の髪。時に海の色、時に空の色をした瞳。そして残酷さと無邪気さとやさしさが矛盾なく同居するあの笑顔。
天使は部屋の窓辺にむかって歩き、ガラス戸越しに晴れた空を見た。
「負けませんことよ?」
まるで魔王が目の前にいるかのように、ふふん、と鼻を鳴らして不敵に笑って見せた。会って行われるのはきっと「殺し合い」か「殺し合いの準備」かで、にもかかわらずウルリカはその日を楽しみにしていた。
理由は自分でもわからない。ただ魔王と会うと、いつも以上に神の息吹を身近で感じられる。
きっと「魔王と対峙する存在」である自分が、最も義務を果たしている瞬間だからだろう。
部屋のガラス戸へ、田舎の村娘が都市へ奉公に出た友人の帰省を待ちわびる、としか表現しようのない顔が映りこんだ。その顔の横では、休日を堪能する木目のオートマタが、日光を浴びて四肢を温めていた。
2022年4月29日金曜日。今日も天界は晴れだ。




