笑う天使たち 1
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
「この世における『魔王』の詩的な言いかえは? もしくはケニングでなくてもいいけれど」
「毒 蛇の女、湖の悪しき主人、Ormrgand、ᛈを振るう者、とかね」
「ᛈってルーン文字の? ダイスカップとか賭けごととかって意味だよね?」
「そういうのが得意な魔王もいたのよ」
「悪魔種らしいね」
「ああ、それから『カニングの子』っていうのもあるわ」
「The Cunningかぁ……」
魔王という存在は世紀の変わり目にあらわれるという。つまり西暦1年から100年おきに姿を見せるのだ。最初の魔王から10代、西暦1,001年にあらわれた11代目が『The Cunning』。物語の中では悪魔種の魔女というあつかいだったが、実は魔王のひとりであることをシニッカから教えられた。
イーダは今日もそのシニッカと、リンナ浴場でサウナを味わっている。今は背もたれつきのベンチへ寝ころび、体を冷やしているところだ。
しょりっ、しょりっ。
「よかったのかな? ザ・カニングってすごい人のまねをして、『魔女』なんて名乗っちゃって」
「彼女の『魔王』の部分は私が背負うから、魔女の部分はあなたにまかせるわ」
「わぁ、責任重大だ……」
「いいじゃない、彼女も魔術に関しては勤勉だったって伝わっているし」
しょりっ、しょりっ。
21代目魔王にして、ミレニアム――西暦の千年周期(正確にはその翌年の2001年)にあらわれた者としては、ふたりめにあたるのがシニッカだ。当時は大陸中の人々にうわさされるほどの大ニュースになったらしいし、それから21年経過した今でも彼女を特別な目で見る人は多い。歴代の魔王の中でもトップクラスに社交的で、融和的で、そして美しいとされている。まあ、最後の部分だけとってつけたように感じるのは、ちょっと内緒にしておこう。
「前のカールメヤルヴィ王はどうなったの?」
「みんなで食べちゃったわ。そうしていいって契約したから」
しょりっ、しょりっ。
「うぇぇ……。人間っておいしいの?」
「牛のほうがおいしいわ」
「ええ⁉︎ じゃあなんで食べるの⁉︎」
「悪魔種ってみんな、人間を食べたいという願望を持っているのよ。生まれつきね。それに食べる時の雰囲気って重要じゃない? ネメアリオニアでの晩餐会でなら宮廷の至高の料理を食べたいけれど、ルーチェスターのプルーネジェド川のほとりなら、ウナギのゼリーを食べたほうが心は満たされるわ」
「……賭けに負けた相手を食べるっていうのが、魔界の雰囲気にあっているのなら、そうだろうね」
イーダは驚いて起こした上体をベンチの背もたれに戻す。言いぐさが魔王たちそのものになっているのには気づいていない様子。
「そういえば、シニッカがこの国の王様になってから、まだ20年くらいしかたっていないんだよね? カールメヤルヴィってシニッカがくる前から立憲君主国だったの?」
「ええ、そうよ。前国王が王への中央集権化を推し進めてたから、形骸化しかけていたけれど。私は勇者の対応をいつでもできるようにしたかったから、主権を政府へ返上させてもらったわ」
7か月半も魔界にいて、イーダはようやくこの国の歴史を知りはじめていた。もちろん冬の間にカールメヤルヴィの大まかな歴史については勉強したので、ここ数十年の歴史についてもいくつかはおぼえている。たとえば10年前に隣国ラブンハイムと戦争になり、ルーチェスターとの挟撃によってこれを打ち破ったことや、それによってサカリがこの国に所属したことなんかを。
しょりっ、しょりっ。
しかし当事者に話を聞くのは、本を開くのと違う目線でものごとをとらえられる。たとえばあたかも勇者災害対応のために主権を返上したかのようにふるまうシニッカだが、本当の理由の半分くらいは「内政がめんどくさい」というただのわがままであったこととか。
そんな理由で仕事を放り投げられた首相は、その時どんな顔をしていたんだろう。
「そういえばイーダ」
自由の申し子たる魔王が、口から若干のよだれをたらしながらイーダの顔を見た。対する魔女は、シニッカの上気した頬と口の輪郭をとろけさせているよだれへ色気を感じ、「気の抜けた顔でもさまになるのはずるい!」という嫉妬の心をなんとか我慢した。
「エル・サントバコロの天井画、ずいぶんと執拗に見ていたけれど、なにか思うところがあったのかしら?」
「あ、うん。それこそザ・カニングを探していたんだよ。登場人物がずらっとならんでる絵があったでしょ? でも見つからなかった」
「ああ、そうだったの。実は彼女って、あの天井画に描かれていないのよ」
「え⁉︎ なんで⁉︎」
「彼女が魔女だからよ。姿を描かれることを嫌ったの。絵をとおして類感呪術や感染呪術なんかの標的にならないためにね」
「そ、そういう理由もありうるんだ! それおもしろいよ!」
類感呪術と感染呪術は、大呪術――ほとんどの魔術における2大要素のひとつとされる。つまり魔術のベースとなる概念だ。ともするとこういうものは、あつかう範囲が広すぎて非常にわかりにくくなる。だが類感呪術と感染呪術にかぎってはとてもわかりやすく、魔術の入口としてはぴったりといえた。
類感呪術は「類似点のあるものはたがいに影響をおよぼす」という考え。代表例は雨ごいだ。雨が降りますようにと地面へ水をまく行為は、地面をぬらすという類似点をもって魔力を誘導し、魔法を発現させようなんて狙いがある。
感染呪術は「もともと一緒だったものは離しても影響をおよぼしあう」というもの。出征する兵士に奥さんが自分の髪を切って渡し、「私は無事な場所にいるから、この髪も無事でいるに違いない。したがってこの髪を持つあなたも無事でいるでしょう」と願いをこめてお守りとする。
あわせて共感呪術ともいうこのふたつは、現代日本でも名の知れた概念だ。有名なひとつが丑の刻参り。呪いたい相手を模したわら人形へ、相手の髪を縫いこんで五寸釘を打つ。こうなると類感呪術と感染呪術のあわせ技だ。フォーサスでそれをやったら強力な呪いになりそうだし、そこまでして呪いたいなんて行為に戦慄すらおぼえるだろう。
しょりっ、しょりっ。
だから理由としてはすごく説得力を感じた。自身を描いた絵なんてあったら、呪術の餌食になってしまうかもしれないからだ。悪意のこめられた矢を天井画へ射かけられでもしたら、悪い影響をこうむっても不思議じゃない。
「あ、いけないいけない。ちょっと興奮しちゃった」
「ふふ、あなたらしいわ」
自分の姿を絵に描かせないなんてこと、魔女ならだれでも持ちうる知識なのだろう。イーダは少々反省しつつも、こういう自分にとって直接響く知識の登場ならいくらでも歓迎だった。図書館で最近借りた本といえば、「魔女とはなんぞや」についての本ばかりだったほどだ。一人前の魔女になるためには、まず「どうしたら一人前なのか」を把握する必要がある。それは結構大変な作業で、しかし知識欲を刺激し続けられるから楽しい作業でもあった。
だからよけいに、呪いというこの世界では目に見える形で発生しうる現象を正しく恐れていた、あるいは畏れていたザ・カニングの姿へ、強いあこがれをいだいてしまう。
ああ、自分もそうありたいものだ、なんて。
しょりっ、しょりっ。
…………。
ともあれ、そろそろこの音の発生源へ存在理由を問うてもよいころだろう。実はサウナ室を出て寝転がってからずっと、頭頂部を指でしょりしょりされているのだ。執拗に淡々と、その行為に疑問を持たせないほど自然な所作で。……もとい、自然ではないけれど。こんなことをするのは魔界でひとりしかいない。
潜水艦のしわざだ。今日はお風呂についてきた。
サウナに入るわけでもなく、無料でコーヒーを飲むためだけに。
「アイノ、私の頭をしょりしょりするのって、マッサージしてくれてるの?」
「違うよ!」
(違うのかよ!)
しょりしょりされて小刻みにゆれる頭の中、雑なツッコミを入れた少女は友人を追及することに決めた。
「じゃあ、なにやって――」
「これはねぇ、舷外電路のおまじないだよ!」
言葉をさえぎってまで発せられた理由は、呪術の一種、おまじない。意識を読まれていたかと一瞬動揺するも、魔女は冷静に事態の把握につとめる。
しょりっ。
「ええと、げんがいでん――」ジョリッ! 「りょっ?」
「でんろ! だよ!」
(くそうっ!)
強めのしょりしょりで言葉を噛み噛み。『気の利いた翻訳』の苦笑が聞こえてきそう。さりとて知らないことを知らないままなのはくやしいから、「で、その舷外電路ってなに?」と潜水艦へ聞いてやった。
「消磁装置の一種だよ。この世の物体は星の磁場から影響を受けるからね。とくにおおきな鉄のかたまりたる船は!」
「私、鉄でも船でもないよ」
「だから船舷にある電線へ、船体にたまっちゃった磁気と逆まわりの電気を流して消すんだ。そうしないと……」
「……そうしないと?」
「磁気機雷が反応しちゃうからね!」
「この世にそれ、ないと思うよ」
「危なかったね!」
「聞いて?」
しょりりん、しょりりん。
どうやら潜水艦はその消磁なる行為が気に入ったらしく、気難しい職人のような手つきで友人の頭をしょる。頭の上なので姿が見えないにもかかわらず、イーダはアイノの手つきがろくろをまわす熟練陶工のようになっていることに気づいた。
気づいたので止める。でも止める前に最後の質問をする。
「それと私の頭をしょりしょりするのって、どんな関係があるの?」
「イーダのつむじをね、逆まわりにしてるんだよ」
「やめてね?」
「まかせて!」
しょりりりりっ! しょりりりりっ!
会話のキャッチボールは頭頂部へのデッドボール。より激しさを増したしょりは摩擦熱で髪の毛へ火をつけんばかり。
耐えかねた魔女の「やめろぅっ!」という声に続いて、潜水艦は「完了!」と満足げに腰へ手をやる。今日もいい壺ができたとでも言いたげな顔で。
「被害甚大機雷戦! 機雷が嫌うは消磁線!」
おそらく決め台詞なのだろう言葉を発し、2本足の船は渾身のドヤ顔をした。そして「むっ!」と新たな獲物を見つけるやいなや、浮遊機雷のようにふよふよと宙をただよっていく。
「魔王様もやったげるね!」
「ありがとう、やめなさい」
ミレニアム魔王の頭頂部へいわれのない消磁を試みる潜水艦は、制止も聞かずに手をのばす。しかしスケルトンの骨58号が頭蓋骨をカタカタさせながら持ってきたコーヒーに目を奪われると、鈍足の船とは思えない速度でテーブルへむかった。
「いただきます!」
そして味わった。
暦は2022年4月28日木曜日。今日も魔界は平和だ。




