笑う魔女 34
夜、部屋で2冊目の日記にむかう。1冊目はもう書くスペースが残っていなくて、だからエル・サントバコロで買ってきたのだ。カールメヤルヴィというちいさな街には白紙の本なんて売っていないから、今回の遠征はちょうどいいタイミングだった。
記しているのは勇者礼二と亜人たちが起こしたスタンピードの顛末について。1冊目もそうだが、日記というよりさまざまな記録や気づいたことをまとめた雑記帳のようなものになっている。でも構わず、彼女はガラスペンにインクをしみこませた。
(レージさんは結局、亜人たちと結婚したかったのかな?)
勇者の情報へ、彼がスタンピードを起こした動機を書きくわえていく。亜人の人権を守る、というプラカードをかかげて戦闘的な行進をしてしまった理由、本心はなんだったのだろうか。ただ好きな人と一緒にいたかったのに、それを邪魔されてしまったから? その結果怒りの感情をこじらせてしまい、結果的に化け物の生態である「暴力的な手段」に出てしまったのだろうか。
もし彼が魔界にこられれば、事態はちょっと違ったのかも。シニッカは亜人を「今は未熟な種族」と評価していた。裏を返せば「成熟する可能性がある」という意味だ。カールメヤルヴィ――世界樹教派の教会であれば戒律も非常に緩いから、結婚を許してもらえたのかもしれない。
勇者の宿敵である魔王のお膝元こそ、勇者にとって一番都合のよい場所だったとは、皮肉にもほどがある。
文字がかすれてきたのに気づき、ペンをインク壺へちょんとつけた。ガラスペンの先端かららせん状に掘られた溝を、黒い液体がするするっと駆け上がる。見ていてとても気持ちのいい瞬間だ。文字を書く楽しみのひとつであるといえるくらいに。
ふたたびペンを紙にむける。
(ロペさんやマルコさんたちは、これから大変なのかも)
冒険者ギルドは戦闘でかなりの被害を出した。軍隊だとあの規模の損害は「全滅」という判定になるらしい。戦闘員がひとり負傷した場合、失われる戦力は3人。理由はひとりを戦場で安全に運ぶには、ふたりの人員が必要となるから。すると3分の1が被害を受けたら戦闘可能な人員は0人になってしまう。だから戦闘能力を失って「全滅」と評価されるのだと。そうして失った人員の補充は大変だ。経験のある人たちがかけてしまったのならなおさら。
でも中核のメンバーは残っている。きっとあの人たちを中心に、たくましく回復していくのだろう。そう思う根拠はないのだけれど、ただ一緒にすごした中で見た彼らの心の強さは本物だったから。
(あ、そういえばジラール辺境伯がちょっかい出してきてたよね。フローレンスも一枚かんでいたのかな?)
半年前、勇者イズキの騒動で右腕という代償を支払ったモンタナス・リカス辺境伯ヴァランタン・ド・ジラール。どうやら有能らしいと聞いていたが、別の視点――対抗組織であるプラドリコ側から見てみると、本当にやっかいな相手なのだと気づかされた。彼が魔王の存在を知っていたかどうかさだかじゃないけど、シニッカは「彼に話をとおしておけばよかったわ」などとめずらしく反省していたくらいだ。なにせ彼が国境へ兵士を進めたせいで、戦場へプラドリコ守備隊を連れていけなくなったのだから。
でもまあ、スタンピードの迎撃は成功したからいいのだ。彼らには彼らなりの義務がある。それに、ヴァランタンとフローレンスが一緒に悪だくみをしていたら、なんて考えると、ちょっと微笑ましい気分になってしまった。
そんな彼らに対し、イーダは勇者礼二を焚きつけた一因かもと疑っていたのを思い出す。実際のところは彼らじゃなくて、別の組織のしわざ。プラドリコにある清流天使教会系の冒険者ギルドとは違う、天秤天使教会系の冒険者ギルドだった。
(冒険者ギルド同士は対立しているんだ。というか、職業が同じでも組織が違えば対立するのなんて当たり前か。あっちの冒険者ギルドにとって、プラドリコでの騒動みたいな暗躍は日常茶飯事なのかも。ただバレちゃったから……すごくめんどうなことになりそうだな)
どんな勇者災害も、勇者だけが悪いとはかぎらない。というよりも、勇者という時に無垢で無知な強者はこの世の住人に利用されやすい。だからそれが露見した時、魔王は容赦なく仕事をする。
今年も5月のはじめには、天界で調停会議なる年1回の行事が行われるそうだ。シニッカから聞いた話によると、そこには国家の代表だけでなく、国家間をまたぐ組織の代表、つまり冒険者ギルドの面々もまねかれる。露見してしまったはかりごとは、間違いなく議論の中心になるだろう。
来月はイーダもそこに参加することとなっていた。天界の風景が楽しみな反面、確実に行われる糾弾が不安でもある。
そんなふうにイーダはいろいろなことを考えながら筆を進めていった。クルス枢機卿のこと、サカリやヘルミの活躍のこと、そして自分のしかけた魔術のこと。今回生じたさまざまな感情とともに、大切な記憶を記録しておくのだ。
ひととおり書き終えて、彼女は手を止める。そしてまた物思いにふける。
考えるのは、日記に書きくわえるべき最後の題材について。
――『Witch』。
多くの童話の中で、それは悪い存在だ。そもそも定義からして「悪魔のような手段で、なにかを故意になしとげようとする者」なのだそうで、通常悪魔は悪いのだからイコール魔女も悪いのだろう。
逆にいい魔女、つまり「善意の魔女」のことは『Wicca』という。「なにも傷つけることなく」魔術を行使する者たちというニュアンスらしい。はじめてその言葉を聞いたのは勇者マルセル・ルロワの口からだった。彼女が「なにも傷つけなかった」かというと疑問符ではあるけれど。
それなら自分はどちらがいいのだろう。私はどちらの存在になりたいんだろう。
(Witchか、Wiccaか……)
「どちらにしましょうか」で決めるようなたぐいのものでもない。きっとこの選択はやり直しなんてきかないのだから。
けれど……。
(うん、悩んでいるふりは、もうやめよう)
悪魔たちの中にいて、強い信条を持ち、ある種の秩序をもたらすため行動する。時に手を血に染めて、時に口から嘘を吐く。
そんな人がいるのなら、それは自らを偽るような肩書なんて持たないはずだ。
――だから、私はWitchになりたい。
手に持つのが偽善という名のささやかなナイフだろうと、逆に偽悪的や露悪的な生きかたになろうと。
「私は魔女だ。魔女のイーダだ」
The cunningと呼ばれたブラー・スキンナの彼女には遠くおよばない。だから彼女のように白樺の梢からなにかを見わたすのではなく、白樺の木の下で大地の感触をたしかめよう。自分が生きていく、大切なこの世の大地を。
コンコン。「まだおきているかしら?」
ふいにドアがノックされ、むこう側からシニッカの声が。
「うん、おきてる。どうぞ」
返答に扉を開けて入ってきたシニッカはちょっと妙だった。後ろ手になにかを持ち、あきらかになにかたくらんでいる顔をしている。
「む、どうしたの?」
自分は魔女だと決意をいだいてまじめな顔をしていたイーダは、油断ならない親友の顔へ一瞬にして警戒モードに入った。しかし魔王は構いもしないで「いいから姿見の前へ」などとうながす。いぶかしく思いながらも慎重に歩を進め、イーダは鏡の前に立たされた。鏡面ごしに見える友人はとても上機嫌で、その顔に警戒心が鳴らす警報音は緊急車両のサイレンなみに。こういう顔の魔王は油断できないと、とりあえずジト目をむけてけん制した。
「なにをくわだててるの?」
ズボッ!
「むぅっ!」
次の瞬間、勢いよく頭になにかをかぶせられた。垂直方向へきれいに負荷がかかったため、イーダは自分の身長が2センチは縮んだかと思った。
「な、なに?」、顔を上げる。頭にかぶせられた物体は黒い布でできていて、楕円状になった幅広のパーツの中心から、先端の折れた円錐が突き出ている。
「あっ!」、すぐにわかった。
見まごうことなき『魔女の帽子』だ。
古今東西誰が見ても魔女といったらこれという、絵本でも本の挿絵でも映画でも漫画でもアニメでも見るやつだ。
「イーダ・ハルコ、2006年3月15日生まれの16歳。ごたごたしていて半月ほど遅れてしまったけれど――」、肩の横からひょいと顔を出し、魔王は鏡ごしにニコリと笑う。「より深く、私の名前を刻んでね? お誕生日おめでとう、魔界の魔女さん」
「ああ! ありがとう!」
思わず振りむきだきついた。シニッカにだきつくなんて、転生直後に泣き明かしたあの時以来だ。
「覚えてくれてたんだ!」
「他人の個人情報には敏感よ?」
かぶった直後だというのに、つばが魔王に当たってさっそくしわを作る。けれども地球生まれの魔界の魔女が、そんなことを気にするはずもない。
「嬉しいよ! とても嬉しい!」
「そう言ってもらえるって確信してた。だってルーン・アルファベットで、ᚷの次にあるのはᚹだもの。そうでしょう?」
「うん!」
シニッカが言ったのはᚠᚢᚦᚩᚱᚳからはじまるルーン・アルファベットのならびのこと。贈り物を意味するᚷの次には、喜びを意味するᚹの文字が鎮座する。
今日この日のためだけにそういう順番になっていたのではないかと錯覚するほど、今日この瞬間はイーダの胸に深く刻まれた。
「嬉しすぎて吐きそう!」
「よかったわ、やめなさい」
本日何度目かわからない笑い声が王宮に響く。
ここ1か月ほど、居住者が出払っていたその建物は冬のように静かだった。けれども戻ってきた住人たちは以前にもまして騒々しく笑う。
そんな声を聞いた王宮は、ようやく春がくるのだと理解し、湖のほとりで満足そうに微笑みをうかべた。
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
4月2日、イーダは教会にむかう。手にはさっき雑貨屋で買った、ちょっと高めの布袋。そしてその中へ大切そうにしまわれた、8面体の魔石がひとつ。
いつもと変わらぬ空の下、彼女はさっそく帽子をかぶり、泥道へぺったんぺったんと、これ以上になく満足げな足音を残す。ちょっとおおきめの窓を見つけては、そこに映った自分の姿を見て「にへへ」と笑い、また次の窓をもとめて歩いていった。
(~♪)
誰がどこから見てもご機嫌な少女の姿へ、魔界の住人たちは「ああ、今彼女が転んだら、泣き顔はさぞ甘美だろうなぁ」と勝手なキュートアグレッションをいだく。そんな意地の悪い連中の思いを魔女はうすうす感づいていたが、今はそんなことどうでもいいとさえ思えるほど幸せな空気を空中へ放っていた。
しばらくそうやってある種の注目を一身に受けた彼女は、教会に到着すると入口にいた修道女へ声をかける。
「どうもこんにちは」
「こんにちは、イーダ様」
おしとやかに微笑む修道女へ、イーダは手に持つ袋を見せた。
「今日は供物をささげようと思って。やり方を教えていただきけませんか?」
「もちろんです。それではこちらへ」
案内されながら寄付台へ硬貨を置き、身廊へ入って供物台の前へ。台の上には木材や道具、魔界ではせいいっぱいの食べ物なんかが楽しそうによりそっていた。
袋に入った魔石を置いて「どうぞお祈りを」と案内されるまま、手を顔の前に組み目を閉じる。
「世界樹におわす、我らが父たる神様と、そこで働く天使様たちへ。守護とギフトに感謝いたします。慈悲と愛、そして加護に感謝いたします。ささやかながら、私の用意した供物をお納めください。世界樹のふもとより、我が信仰心とともにささげます。我が祈りが、あなた様たちの元に届きますよう。イーダ・ハルコ、カールメヤルヴィにて」
(……よし)
あまり供物台の前を占有してはならないと思い、祈りの後の余韻は控えめに。姿勢を正して修道女にお礼を述べると、彼女はあいている席に座ってふたたび目を閉じた。
(供物だけじゃなくて、想いも届くといいな……)
別に「お祈りが神様や天使様に届かない」なんて思っていない。届くといいな、というのは、供物にした魔石へこめられた意味だ。マルセル・ルロワの対抗召喚で手に入れた上質な魔石、袋の中に入っているのはそのうちのひとつ。
ルーン文字の『ᛗ』は『人間』をあらわす。
多くの人から「人じゃない」という認識を持たれ、なんとなれば自分もそう感じていた亜人たち。結局彼女らは、人類という存在になれないままこの世を旅立っていった。
だからイーダは思ったのだ。せめて死後の世界では人間としてすごしてほしい。あの魔石にこめた祈りが、どうにかして彼女らに届きますように、と。
(これが皮肉なら、一級品の悪意なのかも)
もちろんそんなつもりはない。死者をけがすのは勇気がいるから。でも逆に、魔石を送るのが正しいとも思っていない。彼女らが受け取れるともかぎらないし、受け取れたところで「ありがとう」と思ってくれはしないだろうから。
ただ亜人たちの最後へ、自分なりの決着をつけたかっただけだ。きっと『The Cunning』が同じ立場ならそうしただろうと思ったから。
善でも悪でもない灰色の答えを持って、席を立ち教会から出る。
氷が溶けた蛇の湖と、雪の溶けた泥の道。
今日も曇り空に飾られた風景へ、微笑む魔女は溶けこむように歩き出した。




