笑う魔女 33
悪魔召喚の魔法陣をくぐり、エル・サントバコロから魔界に帰る。季節は冬に逆戻り。4月といっても春はもう少し先になる。積もった雪はところどころ溶けて、おかげで道は冷たい泥でいっぱいだ。極寒の真冬のほうがまだ歩きやすかったという者も多いだろう。
そんな道を歩くイーダに、ブーツの泥よりもしつこく付着しているものがある。
潜水艦だ。
それは首へマフラーのようにまとわりついて、空中を曳航されていた。自分で宙を進むこともできるはずなのに、動力を完全に黒髪の少女へ頼っている姿は、おもちゃ売り場でだだをこねる子どものようでもある。有無を言わさず親に引っ張られていくのも同じだ。
イーダは図書館へ本を返しに行った帰り、このわがままな生物から襲撃を受けたところだった。深海の妖怪『付着娘』の執拗な接触を彼女はふりほどくこともできず、泥に深い足跡を残しながら進んでいく。
「重いぃ、放せぇ……」
「イーダァァ、なんでぇぇ⁉︎」
「な、なにが?」
「なんで私のいないところで活躍するの! 私も見たかったのに!」
「そんな無茶をぉ……放せぇ」
「Negative!」
潜水艦はどうも友達の活躍を見逃したのがくやしいらしい。イーダにとって少々照れくさい好意ともいえたが、付着というあまりに独特な表現技法によって、今は歩みを遅くするための重しでしかない。
「重いぃ……」
「軍艦の中で潜水艦は排水量が軽いほうだよ!」
「いらないぃ、その豆知識はいらないぃ……」
ずりっずりっと足をこすりながら10分ほど。いいかげん疲れてきたイーダはとりあえず機嫌を直してもらおうと、パハンカンガスでのドラゴン退治を話題に出した。
「うぅ、アイノたちは問題なく終わったの?」
「え? うん、魚雷で黙らせたよ! 出会って3分、速攻撃沈!」
「あ、魚雷使ったんだ。……ねえ、それってさ、後始末が大変じゃなかったの?」、彼女が気になったのは死骸がどんな処理をほどこされるのかという部分。ゲームなんかでは描かれないリアルなしくみがそこにあるのではないかと、少しだけ胸をときめかせたのだ。
「なんで? 角とか牙とか使えそうな物以外は、全部沼に沈めちゃったよ? 楽ちん楽ちん」
「えぇ?」、しかし返答は、まさかの「仕事を大地へ投げっぱなし」。死骸処理ってそれでいいんだ、水質汚濁とか気にしないのかな、なんて思うも、よく考えたらあそこは「毒の沼」。竜の死骸よりもよっぽど有毒だろうとひとり勝手に納得することにした。
で、もうひとつ大切な質問。
「被害は出なかった?」
「まあね。でも半分くらいは体調不良で療養中。毒って怖いね!」
「そりゃそうか」、まあ死者が出なくてよかった。ほっと胸をなでおろす。「バルテリも無事?」
「無事だよ。王宮にいるんじゃないかな? そういえばヘルミは?」
「報告のためにシニッカと首相官邸へ行ったよ。私たちは王宮へ戻ろうか」
とりあえず機嫌はよくなったみたいだからと、イーダはなにげない動作をよそおって自分の首元に手をのばす。当然、そこにある潜水艦の細い腕をほどくために。
「うん、じゃあよろしく!」
だが相手は腕に強い力をこめた。海底に落ちた錨のように、絶対放さないという意思を感じる。
「ぐ……放せぇ」
「Negative」
目論見むなしく重さは変わらず。街行く人々の苦笑を背に受け、彼女は曳航任務を続けるのであった。
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
「――結果、ちいさな狼は見事にフェンリルを討ち取った、というわけだ。なかなかによい咆えっぷりだった」
「ははっ、そりゃあいい! もし俺がロペってやつに会えたなら、褒美に『小ヴィーザル』の称号をくれてやりたいくらいだ」
王宮に戻ると、愉快そうにしている声が聞こえてきた。食堂で狼とカラスが談笑している。普段仲の悪いふたりのこんな姿を見るとは思わなくて、イーダはなんだか楽しい気持ちになってきた。
「お疲れさま、みんな。亜人のフェンリルの話?」
「ようイーダ、お疲れさん。ああそうさ、フェンリルの話だ。どうもこの世にはそう名乗る連中がたくさんあらわれるんだよ。孤高の狼だった俺の名も、今やただの種族名だ」
「勇者は鉄の森の女巨人と仲がよいのだろう。やつらには一定の確率でフェンリル狼がつき従っているのだ。正直なところ、私もいいかげん飽き飽きしていた。ひどい時には連続であらわれたこともあったからな」
「戦場に行ったら『お前もフェンリルか!』なんて言われるんだぜ?『そりゃこっちが言いたい!』なんて、戦いの前に気の抜けた台詞を吐く羽目になった。魔王様はとなりで大笑いしやがるし」
「じゃあこれでやっと一匹狼に戻れるね」
「はははは! 言うじゃないか!」
手を叩いて大笑いするバルテリに、えへへ、と笑みを返す。バルテリの横ではサカリが額に手をやりながら「くっくっく」と体をゆらした。
「その点、サカリ。お前さんはいいよな。フギンとムニンを連れた勇者なんてなかなか出てこないだろ」
「おそらくフェンリル狼ほど知られていないのだろうな。この場合はありがたいともいえる」
左右にならんで肩をすくめるふたり。それに上下にならんだふたりがちゃちゃを入れる。
「それはどうかな。たぶんそのうち、主神オージンの力を持った勇者とかあらわれると思うよ?」
「そうだね!『俺は主神の力を使えるんだ! 行け、フギン・ムニン!』」
食堂にそろって響く4つの笑い声。だいだい色の音が、暖炉がもたらす火よりも部屋を温めていく。春がきたかと勘違いした食器たちがカタカタと足踏みをはじめ、寒さをとおせんぼしていた2重のガラス窓が思わぬ熱気で曇りを作った。
「ふっ……私は今年、神へ『過剰な量のカラスをもたらさないよう』に祈ると決めた」
「はは!『過剰な量のカラス』なんて表現、これから先聞くことないだろうな」
「私は見たいよ! きっと夜明けになるとニワトリのかわりに、声をそろえて『夜明けきたれり』って鳴くんだ!」
「カラスが鳴くのは夕方がいいなぁ。それにアイノ、本当に増えて困るのは潜水艦なんじゃない?」
「え? 歓迎するよ! みんなで群狼戦術ができるね!」
「結局、狼が増えるのかよ……」
会話一巡、また笑う。入れかわり立ちかわりに、おのおの好き勝手なことを口にして。青いフェンリルは大口を開け、黒い2羽ガラスは肩をゆらし、黒い潜水艦はニコニコしながら。
そこにまじる異世界からきた少女もまた、晴れた空のように清々と笑う。生前の社会的立場を保持するためだった作り笑いも、転生直後にあった不安の雲も今はそこになく、ただ楽しいからという純粋な気持ちで表情をほころばせているのだ。
なぜ魔獣に囲まれながらでもそんな顔ができるのか、彼女はとっくに気がついている。強者たちの中にあっても、自分は肩をならべていられると理解していたから。
自分もちゃんとした肩書を持ちうるのだと、強く確信していたから。




