笑う魔女 31
3月17日、戦いの日から2日後。人でごった返すプラドリコの広場に翻るのは、枝噛み十字の旗だった。
それを取り囲むのは冒険者たちだけではない。街の多くの人々は落ちた飴玉を見つけた蟻のようにむらがっていた。中央にいる魔王たちと、この街の英雄を目に焼きつけるためだ。
広場に設置された木製の高い台の上、魔王は後ろに仲間を、となりに冒険者の代表ふたりを置いて、民衆に対し演説をはじめた。
「枝嚙み蛇の旗の下、この魔王が宣言する。勇者レージによってもたらされた勇者災害、ならびに彼に従う者たちによって引き起こされた害獣暴走という、ふたつの災害はここに終結した。災厄に立ちむかった多くの人々の御霊が、無事死者の国に行くことを私は保証する。勇気と剣をたずさえた冒険者たちの、戦場でのおおきな働きを私は証明する。この旗を見る者たちよ、今は惨事から目を背け、心を慰めることを許そう。しかし努々忘れるな。災厄がいつもお前たちを見ていることを」
魔王による災害の終結宣言。聞いたことはあっても見ることなどはじめての者ばかりだ。「こうやって災厄は人類により平定されていくのだな」と感慨深く感じる者もいれば、祭りや公開処刑といった娯楽の一環として楽しんでいる者もいる。とくに後者の割合は高く、広場外周ではいつもよりずっと多い露店が、そういう人たちのために軒を連ねていた。
そんな明るい光景の中にあって、プラドリコ冒険者ギルドの1室から物憂げにながめる者も。足に履くのは丈夫そうなブーツ、腰に下げるのは肉厚のショートソード、胴に着こむ鋲で補強された皮鎧。
そして首すじに浮かぶルーン文字がひとつ。「ᚠ」は財産や家畜をあらわすルーン。皮膚にそれが刻まれているのは、すなわち誰かの「所有物」であるという意味だ。
彼は裏切りの冒険者ヒルベルト・ランヘル・イダルゴ。愛称はトランピジャス。ゲッシュ・ペーパーで交わされた誓約により、魔王の命に逆らうことのできないあわれな男だ。
「さあ、お前たち! 私はそれでもあえて聞こう!『去った災厄』というものが、なにを意味するのかを!」
汚れたガラス戸へうなだれる顔を映すヒルベルトとは対照的に、魔王は力強い笑顔で民衆へ語りかけた。
「わからぬならよく覚えておけ! それは『英雄の誕生』だ! お前たちが見ているふたりの男と、そして400名の冒険者たちのことだ!」
ざわめきが徐々におおきくなって、場の雰囲気がお祭りような色を帯びていく。
「私はこの目で見ていたぞ! マルコが力強い毛むくじゃらの腕で戦いを指揮し、ロペがするどい牙でもって敵ののどを切り裂いたことを!」
そして歓喜の薪をくべられて、火がつけられるのを待つだけとなる。
もちろん魔王はそこへ、おおきなたいまつを投げこんだ。
「凱旋には歓声を! 英雄たちには賞賛を! 害獣のもたらした冬は追い払われて、この地に春が訪れたのだから!」
――歓声。おおきな喜びが街をおおう。先日冒険者ギルドで発生したよりも強い声が、郊外にある砦の兵士をも振り返させた。もちろんそれよりもずっと近い位置、ギルドの1室にはめられたガラス戸も、ビリビリと振動して楽しんでいるように見えた。
机の上では、水の入ったコップまでもがダンスをしている。それを見おろしながら、ヒルベルトはこの音が永遠に止まないで欲しいと願った。
祭りが終わったら、尋問が待っているのだ。それは彼に人生の最後がはじまったことをいやがおうでも理解させるだろう。
「――神よ、御慈悲を」
力なくつぶやかれたのは、歓声にかき消されるほどちいさな声。彼は理解しているのだ。もし神がいたとしたら、自分がだました人々にも平等に慈悲をあたえることを。
だから自分は、決して助かりはしないだろうと。
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
プラドリコの戦いから半月ほど経過した4月1日、エル・サントバコロ大聖堂には今日も多くの人がいた。ちいさな教会であれば人がいても静かなことが多い。しかし広い空間を要するこの大聖堂は、足音だけ集めても雨の森程度にはにぎやかになる。神聖な場所というよりはむしろ社交場。今日は祈りの時間も終わっているから、公園がわりに利用している人々があちらこちらで談笑していた。
そこへガチャガチャと無遠慮な足音が雷雨を呼ぶ。鎧と槍を身に着けた一団だ。人数は10名。そろって半甲冑の真ん中へ、天へ咆える三つ首の犬が刻まれている。そんなものの使用が許されている集団など、王族のほかにはひとつしかない。
セルベリア王国近衛隊。つまり国王に絶対の忠誠を誓う、この国で最上位の先頭集団だった。
彼らは槍の穂先が肉をかき分けるように、人混みを身廊の外縁へ押しやった。少々乱暴に道を開けさせられた人たちが文句を言うのをためらうほどの気迫だ。教会にいた人々はそれを見て、冬場に屋外へ放り出されたかのように悪い予感へ身を縮こまらせてしまう。
みな一様に思った。ああ、なにか悪いことが発覚したのだ。それはきっと枢機卿がしでかしたことで、おそらく賭け事の関連で、王が国家よりも巨大な教会という組織に対して積極的な行動に出るほど許しがたいことなのだ、と。
10名の槍の穂先は、身廊から内陣――祭壇のある教会の心臓部まで歩を進めると、商人たちと談笑していた枢機卿の前で動きを止め身辺警護兵と対峙する。
「なに用か!」、警護兵のひとりが刃のようにするどい声を出して応戦した。左手で鞘をつかみ、いつでも剣を抜き放てるよう半身で構えながら。
しかし、それに応じる近衛隊の隊長の口から出たのは、その場にいた全員の予想を裏切る声色を帯びていた。
「ご無事で、枢機卿ホスエ・クルス・グラシア殿。私はセルベリア王国近衛騎士団、第3中隊の中隊長エルナンと申します」
「枢機卿のクルスです。エルナン隊長、それにみなさん。ここは刃の似合う場所ではない。剣から手をお放しください」
あわただしい訪問にも表情を崩さず、ホスエは片方の手をすっと挙げた。まわりの大勢には、自身の衛兵と来訪者から戦いの空気を取り上げるようなしぐさにも見えた。
「失礼を。我が王より、しばらくあなたの護衛につくよう命を受けたのです」
「私の?……まさかとは思いますが、ドミンゴ大司教が私に刺客を送りこんだのですか?」
そう聞く枢機卿の表情が、今日はじめて曇り空に変わった。彼はカラ・グランデの大司教をひどく危険視していた。魔王に「お気をつけください」と伝えたほどなのだ。
「いいえ、違います。天秤の冒険者ギルドが、なにやら油断ならない動きをしていると情報が入っています」
「天秤の冒険者ギルド? エレフテリア教派の? 彼らが油断ならない、ですか?」
「どうも今回のスタンピード……いえ、ここでは人が多すぎるようです。お話はのちほど。彼女らがもうすぐこられますので」
振り返る騎士の先、大聖堂へ6名の人影が入ってくる。冒険者がふたり、ペストマスクが3人、そして魔王がひとり。騎士たちと違って急ぐわけでもなく、速くも遅くもない速度で堂々と歩いていた。魔王にいたってはその存在を認識した人々へ笑顔を返してもいた。
彼女らの雰囲気によって、緊張していた空気は徐々に弛緩していき、それは天井を見上げていたひとりのペストマスクが盛大に転んだことですっかりなくなった。
あわてふためく従者がバタバタと魔王へ追いついた時、ちょうど魔王もクルス枢機卿の目の前へ到達する。枢機卿は会釈をして、魔界の王へ声をかけた。
「ご無事で、シニッカ王。まずは感謝いたします。スタンピードを鎮圧したという報告はいただいておりますゆえ」
「ありがとう、枢機卿。騎士がきてびっくりしたでしょう? 理由を奥で話しましょうか」
「承知いたしました。こちらへ」
そう枢機卿に案内され、一行は大聖堂の奥へ消える。さっそく残された者たちの少なくない数が、今日の光景を街のうわさにすべく酒場やら集会場やらへ走り出した。
そしてペストマスクの下で恥ずかしさに顔を赤くする少女もまた、おおきなうわさに付記されたちいさなうわさとなるのであった。




